八月の終わり。
夏休み最後の日。
私は柚葉さんと一緒に、四条河原町の辺りでカフェめぐりを堪能していた。
「はー。さっきのほうじ茶ラテ、ほんま美味しかったなぁ」
「うん。もう一杯頼んじゃおうかと思って、危なかった……」
柚葉さんとこうして二人で遊ぶのは、これが二回目だった。
この京都に来て、初めて出来た学校の友達。
最初は緊張していた私も、彼女の明るい人柄に触れて、少しずつ会話の量を増やせていっている気がする。
「明日はもう学校かぁ。夏休み短かったなぁ。あっという間やったわ」
彼女の言う通り、明日からはまた授業が始まる。
学校に行ったら、私はまたクラスメイトたちと顔を合わせることになる。
今はこうして柚葉さんがたくさん話しかけてくれて、とても楽しい時間を過ごせているけれど、学校で他のみんなとも上手くやっていけるかどうかはまだわからない。
「あ。天沢さん、また不安になってるん? 大丈夫やって。うちのクラス、怖い子おらんし。教室でも堂々としてればええねん」
「う、うん」
正直、不安を拭うことはできない。
けれど、こうして柚葉さんに励ましてもらうと、明日はいつもより頑張れるような気がしてくるから不思議だ。
これからは私も、もっと自分の心に素直になって、積極的に人と関わっていけるようにしたい。
「そろそろ六時かぁ。晩御飯はどうする? この辺で食べてく?」
聞かれて、私はうーんと頭を悩ませる。
柚葉さんと一緒に食べるのも魅力的だけれど、今日も仕事に向かった茜さんの晩御飯を作りたいという気持ちもある。
どうしようかな……と何気なく顔を上げると、視線の先には四条大橋があった。
多くの人が行き交う橋。
その欄干の上に、ちょこんと白い毛玉が乗っているのが見える。
(あれは……)
見覚えのあるその白いふわふわは、猫だった。
鼻と耳がピンク色で、体のところどころに赤い線のような模様がある。
ペロペロと可愛らしく前脚を舐めているその姿は、猫神様だ。
「ん? 天沢さん、どうかしたん? ……もしかして、また『あやかし』が見えるん?」
隣から柚葉さんに聞かれて、私は我に返った。
「あ……。その、ええと」
彼女とこういう話をするのはまだ慣れていなくて、私はあたふたとしてしまう。
そんな私に、柚葉さんは優しく笑って、
「ええよ。『猫神様』が待ってるんやろ? ゆっくり会ってきいな」
ポン、と肩を叩いて、私を彼のもとへ送り出してくれる。
彼女は私にしか見えないあやかしの話を信じてくれて、理解してくれる。
「……うん。ありがとう、柚葉さん」
じゃあね、と彼女に見送られて、私は猫神様のもとへと向かった。
すると、こちらに気づいた猫神様はぐーっと背伸びをした後、欄干を下りて橋の袂まで走り、私を誘うようにして細い道へ入っていく。
車が通れないほど狭いその小路は、先斗町だ。
白猫の姿をした猫神様は、町家の並ぶその細い通りをまっすぐ走り、途中で右へ曲がる。
曲がった先には、さらに狭い路地が伸びている。
暗く細長いそこを突き当たりまでいけば、左側にあるのは例の狭間の場所だった。
「いらっしゃい、桜さん。どうぞ中へ」
入口の前で待っていた猫神様は、いつのまにか白い青年の姿に戻っていた。
すらりとした長身に纏うのは、白を基調とした羽織袴。
雪のように白く長い髪を高く結い上げ、頭の上にはぴょこんと猫の耳が立つ。
優しい彼に促され、座敷の方へ向かうと、そこには珍しく先客の姿があった。
「あなたは……」
座卓の前で腕をこまねいていたのは、一人の青年だった。
気難しそうに口元を真一文字に結んでいるその顔は、猫神様に負けず劣らずの美男子である。
黒い束帯姿に、ゆるいウェーブのかかった栗色の髪。
その髪にまぎれて、獣のような耳が垂れ下がっている。
「遅かったな。待ちくたびれたぞ」
はぁ、と溜息を吐きながらそう言ったのは、犬神様だった。
「え、え。どうして、犬神様がここに?」
彼は確か、幽世で警察のような役割を担っている人物だ。
そんな彼がここにいるということは、何かあったのだろうか。
「どうぞ、桜さんも座ってくださいね。今日は犬神様がお話をしてくらはるそうですから」
「お話?」
犬神様が直々に、私にお話をしてくれるらしい。
私が緊張しながら彼の正面に腰を下ろすと、
「おい、猫。俺を呼び出したのはお前の方だろう。適当な説明をするな」
と、犬神様は眉間にシワを寄せて不機嫌そうに言う。
私は話が見えなくて、オロオロしながら猫神様の顔を見上げた。
「ふふ。そうですね。確かに彼をここへお呼びしたんは私です。でも、私の要望を飲んで、わざわざここまで足を運んでくらはったのは犬神様の方ですから」
猫神様はどこか嬉しそうに言いながら、私の隣に腰を下ろして、手にした紙をこちらへ差し出す。
「これは……?」
彼から手渡されたのは、便箋だった。
まだ何も書かれていない、誰かへの手紙。
ついでにペンも渡されて、私はさらに混乱する。
「桜さん。もし、あなたさえよければですが。あなたの書いた手紙を、幽世へ送ってみませんか?」
「え……?」
私の手紙を、幽世へ。
猫神様が口にした言葉に、私は目を瞬く。
「それってもしかして、向日葵ちゃんにも……——私のお母さんにも、お手紙を届けられるってことですか?」
「ええ。犬神様が、特別に許可を出してくらはったんです」
その言葉を受けて、私が恐る恐る犬神様の方へ目をやると、彼は不機嫌そうな顔をしながらも、渋々といった様子で言った。
「今回だけ、特別だからな。一回ぶんの往復ぐらいなら許してやる。ここのところ、猫の奴が世話になってるそうだからな。人間に貸しを作るのは俺も趣味じゃない」
「そういうわけですから。どうですか、桜さん。幽世にいる向日葵さんに、お手紙を書いてみませんか?」
まさかの提案に、私は胸が震えた。
おそらくは猫神様が、犬神様に頼み込んでくれたのだろう。
もう二度と言葉を交わすことはできないと思っていた母に、手紙を送ることができる。
「……いいんですか、猫神様。犬神様も」
「だから早くそうしろと言っている」
犬神様はぶっきらぼうに言う。
けれど、そんな強い口調とは裏腹に、彼の行動はとても慈悲深いものだった。
彼は優しい人だと猫神様も言っていたけれど、本当にそうなんだろうなと思う。
「ありがとうございます、犬神様。猫神様も。……私、幸せです。いつもいつも、こんなに優しくしてもらえて」
「お礼を言うのはこちらの方ですよ。桜さんのおかげで、これまでもたくさんの迷子のあやかしを助けることができましたから。それに——」
彼はそこで、珍しく照れたように、困ったような笑みを浮かべて言った。
「……桜さんのために、私にできることがあれば何だってします。あなたには、今度こそ幸せになってほしいですから」
「え?」
今度こそ、というのはどういう意味だろう。
すぐに聞き返そうとした私を遮るようにして、彼は再びその場に立ち上がった。
「そろそろお夕食の時間ですね。よかったら二人とも、ゆっくり召し上がってってください。もちろん、茜さんの分もありますので」
そんないつもの台詞を耳にして、私は感激するとともに「ぐぅ」とお腹で返事をする。
心なしか、犬神様もちょっとだけ不機嫌さを解いた気がする。
台所の方からはすでに美味しそうな匂いがしていて、私はつい期待に胸を膨らませる。
「おい人間。早く手紙を書けよ。俺が食べ終わる頃には幽世に持っていくからな」
「はい。ありがとうございます!」
猫神様が台所へ向かったのを見届けてから、私はあらためてペンをとった。
本来なら決して届けることはできなかった、私の思い。
それを、猫神様たちの優しさが届けてくれる。
書きたいことはいっぱいある。
伝えたい思いが胸に溢れている。
私はたくさんの感謝を抱えながら、今まで心の奥に留めてきた気持ちを書き綴った。
『拝啓 大好きなお母さんへ』——。
(終)
最後までお読みいただきありがとうございました。
まだまだ続きが書ける物語ですが、ひとまずここで一区切りと致します。
当作品はアルファポリス第8回キャラ文芸大賞に応募し、〈ご当地賞〉を受賞しました。
書籍化できるかどうかはまだわかりませんが、いつか良いご報告ができることを祈っております。