しとしとと降り続ける雨の中で、女の人が泣いていた。
 四条大橋の欄干に肘をつき、華奢な白い手で顔を覆って、時折肩を震わせている。

 傘を持たないその全身は、すでにぐっしょりと濡れていた。

 藤色の着物に、長く伸びた黒髪。
 水を含んだそれらは痩せた体に張り付いて、ぽたぽたと雫を垂らしている。

 周りを行き交う人々は、誰も足を止めようとしない。
 というよりも、そもそも彼女の存在にすら気づいていない。

 ということは、彼女もまた人の目には見えないあやかしなのだ。

 いまこの場で彼女の姿が見えているのは、きっと私だけ。

(どうしようかなぁ……)

 そろそろ夏服が恋しい気温の中、私はシャツの袖を捲りながら考える。

 ゴールデンウィーク明けの、高校からの帰り道。
 例によって晩ごはんの食材を買うため、駅近くのスーパーへ寄ろうとしていたところだった。

 まだ日の明るいうちから、こういう存在に出くわす機会は最近どんどん増えている。
 もしかしたらこの京都という土地は、あやかしが特に集まりやすい場所なのかもしれない。

(さすがに、このまま放っておくのは可哀想……だけど)

 さめざめと泣いているこの女性を見て見ぬフリをするのは、さすがに良心が痛む。

 とはいえ、こういう存在にはあまり不用意に近づいてはいけないという教訓もある。

 過去には良かれと思って近づいて、(たた)られそうになったことも何度かあった。
 いま目の前で泣いているこの女性だって、私を罠に嵌めるために演技をしている可能性もある。

 けれど。

 今の私には、猫神様という頼もしい味方がいる。
 たとえ危険なあやかしに遭遇したとしても、きっと彼が助けてくれるだろう。

 ここひと月ほどの間に、私は彼と一緒に迷子のあやかしの困り事を何件も解決してきた。

 だから……——このときの私はきっと、調子に乗っていたのだと思う。

 あやかしというのがどういうモノなのか、ちゃんと理解していないのにもかかわらず、身のほど知らずに思い上がっていた。

 ゆえに私は、その女性に声をかけてしまったのだ。

「あの。どうして泣いてるんですか?」

 私はそう尋ねながら、自分の傘をその女性の頭上へと持っていく。

 すると彼女は、それまでしきりに震わせていた肩をぴたりと止め、顔から手を離してゆっくりとこちらを見た。

 血の気のない、青白い顔。
 ひとしきり泣いているように見えたその目元は、意外と充血していない。

 年は二十代半ばくらいだろうか。
 面長で整った顔をしているけれど、顔色が悪いせいでどこか不健康そうな印象が強い。

「あなた……私のことが見えるの?」

 探るようにこちらを見る彼女に、私はもはやお決まりの返答をする。

「はい。私、あやかしが見える人間なんです。なのでもしよかったら、どうして泣いていたのか理由を聞かせてもらえませんか? 私でよければ、何か力になれるかもしれないので」

 彼女のように困っているあやかしの力になれることが、私にとって心の拠り所となりつつあった。

 たとえ人間社会の中でうまくいかなくても、こうして誰かの役に立てることが嬉しくて仕方なかった。

 だから私は、やはり軽率だったのだ。

「そうなの……。じゃあ、お言葉に甘えて。私のこと、ちょっとだけ手伝ってくれる?」

 そう言って冷ややかに微笑んだ彼女に、私は「はい!」と得意げに返事をした。