子どもが泣いていた。
 人通りの多い道の端にうずくまって、華奢な両腕で抱いた膝に、顔を埋めて洟をすすっていた。

 年齢は十歳くらいだろうか。
 痩せた体に青い甚平を纏っている。淡いオレンジ色の髪はふわふわで、頭の上には三角形の耳が二つ、ぴょこんと立っている。

 目の前を行き交う大人たちは、誰も足を止めようとしない。
 ひしめき合うように人が往来するそこは、四条通。ここ京都を代表する繁華街だ。

 泣いている子どもは、おそらく人の子ではない。これだけ人の多い街中で、誰からも声をかけられないことがその証拠だ。

 この子の姿はきっと、誰の目にも見えていない。
 たった一人、私だけを除いて。

(どうしようかなぁ……)

 スクールバッグに付けている白猫のキーホルダーをいじりながら、私は迷っていた。

 高校からの帰り道。晩ごはんの食材を買うため、駅近くのスーパーへ寄ろうとしていたところだった。

 まだ日の明るいうちから、こういう存在に出くわすのは珍しい。いつもなら夕方の日没あたりから夜にかけて、たまーに見かける程度なのに。

(さすがに、このまま放っておくのは可哀想……だけど)

 こんなに小さな子どもが一人で泣いているとなると、さすがに無視はできない。
 けれど今までの経験からすると、こういうモノにはあまり不用意に近づいてはいけない、という教訓もある。

 過去には良かれと思って近づいて、祟られそうになったことも何度かあった。
 いま目の前で泣いているこの子どもだって、私を罠に嵌めるために演技をしている可能性もある。

 それに、何より。

 ——そういうモノが見えることは、誰にも言ってはだめよ。

 脳裏を過ぎるのは、亡き母の言葉だ。

 普通の人には見えない存在。それが見える私は、普通ではない。
 その事実を、周りの人々に悟られてはいけない。でないと、また好奇の目で見られてしまう。

 だから今この場合も、私は見て見ぬフリをするべきなのだ。
 普通の人には見えないモノと関わってはいけない。触らぬ神に祟りなしである。

 わかっている。
 わかってはいるのだけれど。

「ねえ、キミ。どうして泣いてるの?」

 気づけば私は、そう声をかけてしまっていた。

 どうしても無視することができなかった。
 だって、子どもが泣いているのだ。こんな状態の子を、一人にしておけるわけがない。

「……あれ。おねえちゃん、ボクのことが見えるの?」

 それまで膝に顔を突っ伏していたその子は、恐る恐るといった様子で、不思議そうにこちらを見上げた。透き通るような飴色の瞳が、私をまっすぐに見つめてくる。

 可愛らしい顔をしているけれど、どうやら男の子のようだ。声変わりを迎えていないボーイソプラノが耳に心地良い。

 ふわふわの髪の毛の上にある耳の形からすると、猫……だろうか?
 こういう存在は時々、人と動物とが融合したような姿形をしていることがある。

「うん。見えてるよ。だから、どうして泣いてるんだろうと思って」

「そっか……。人間でも、ボクたちのことが見える人もいるんだ。それじゃあ、ちょっと恥ずかしいところを見せちゃったね」

 男の子はそう言うと、照れ隠しのように目元の涙を拭う。それからすぐに立ち上がって、改めてこちらを見上げた。

「ボク、『ねこがみさま』を捜してるんだ。この辺りにいるって聞いたんだけど、迷っちゃって」

「ねこがみさま?」

「うん。猫の神様。この大通りの近くに住んでるんだって。おねえちゃんは知らない?」

 猫神様、と呼ばれる人物のことはもちろん知らない。おそらく人ではないだろうし、そういう存在がこの辺りに家を構えているなんて聞いたこともない。

 いや、神様というからには、もしかしたら神社にいるのだろうか。

 だとすれば、この辺りには確かに神社がいくつもある。古都と呼ばれるこの京都には、歴史ある神社仏閣が集まっているのだ。

「うーんとね。猫神様のことはわからないけど、神様がいそうなところは心当たりがあるよ。よかったら案内しようか?」

 私が提案すると、男の子はぱあっと顔を輝かせる。甚平の裾から覗いているふわふわの尻尾も、嬉しそうにピンと立つ。

「うん! お願い、おねえちゃん!」

 言うなり、彼はスクールバッグの反対側、私の左腕にギュッとしがみつく。

 ああ、なんだか弟ができたみたいでかわいい。やっぱり勇気を出して声をかけてよかったな、と思う。

 とにもかくにも、私はその猫神様とやらを捜して、春の京都を進んでいくのだった。