あの日の事は今でも覚えてる。
目の前から大切な人が消えたあの日。
「おはよう」
「おはよう」
いつも通り学校に登校してクラスメイトに挨拶をし、席につく。
そしていつも通り隣の席に挨拶をする。
「おはよう、翼ちゃ…」
血の気が引いた。
昨日まであった隣の席が無くなっていたのだ。
凛々は咄嗟に目の前の席に座るクラスメイトに話しかけた。
「ねえ、隣の席…翼ちゃんの席が…」
「隣?」
「隣の席、翼ちゃんの」
「翼ちゃん?誰それ、」
その言葉に凛々は息が浅くなってくるのが分かった。
「誰って…」
「隣の席って、そこ初めから席ないよね」
「え?」
その瞬間目の前が暗くなった。
心臓の音はどんどん早くなって、訳が分からない。
凛々は教卓の上にある名簿を手に取り開いて翼の名前を探す。
クラスメイトの名前を指でなぞっていくが翼の名前があるはずのところに名前がない。
手が震える。どういうこと…なんで、なんで…。翼ちゃん…。
それから凛々はありとあらゆる全ての翼の痕跡を探した。
担任の先生や教科担当の先生、クラスメイト…何から何まで全て探したが翼を覚えている人は誰一人居なかった。誰の記憶にもない。凛々は自分が今まで一緒にいた翼という人物は凛々が作り出した幻だったのか…?そんな事を思いながら途方に暮れた。
翼は凛々にとって唯一の光だった。
暗かった凛々の人生に突然に現れた光だった。
翼は口に出さなかったがきっと凛々と似た家庭環境だとすぐに分かった。
人を信じず友達を作らず一匹オオカミタイプで教室でひとり静かに本を読む翼に惹かれた。
凛々は心の底では誰も信じていない癖にひとりは嫌で、話を合わせて相手が望む人を演じていた。
家でも誰も凛々を愛さない、学校までも居場所がないという事実に耐えられなかったのだ。
だから演じた。自分の感情は奥底にしまって、求められる人物になりきった。
そんな凛々にとって翼は強く見えた。ひとりでも平気で自分の足でしっかり立っている翼に憧れさえも抱いた。たまたま翼の隣の席になった凛々は見てしまった。翼の腕から見えた何かに打たれたような青痣を…。
その瞬間分かったのだ。翼も同類だと…。凛々はその痣がどうやって出来るのか知っていたのだ。
彼女にとって日常茶飯事だったから。遠い存在だと思っていた翼の存在に対して親近感を覚えた凛々はそこで初めて翼に声をかけたのだった。
そこから翼と意気投合した二人の仲は縮まった。翼の前では自分を偽る必要はなくありのままの凛々を受け入れてくれた。それが本当に嬉しかったのだ。翼がいないと生きていけない…そんなことさえ本気で思った。
そんな翼がいなくなった。みんなの記憶からいなくなったのだ。
頭がおかしくなったのかと思った。初めから翼という人物なんかいなくて凛々が見た幻だったのか…その日一日は何も考えられなかった。
気づいたら夕方で家へと続く道を足取り重く歩いていた。
そんな時
「君、覚えてるよね」
そんな言葉が聞こえて凛々は振り返った。
そこには夕日に照らされた綺麗な金髪の男が立っていた。
「…誰」
「翼って子探してるんでしょ」
「っ!!」
その言葉を聞いて凛々はその男の胸倉に掴みかかった。
「知ってるの!?翼ちゃんのこと!!ねえ!翼ちゃんはどこに消えたの!?」
そういうとその男はニヤッと笑った。
「知ってるよ、何処に消えたのか」
「どこ!?どこに…」
「全て捨てる勇気はある?」
「…全て…?」
その男は意味の分からないことを口にした。
それでも凛々は自分の光を取り戻すために頷いた。
「…捨てる、捨てるから!翼ちゃんに会わせて!!」
その言葉を聞いて男は笑った。ただ笑った。
そして私は気づいたら『リデルガ』にいた。
「どーしたの〜、凛々 怖い顔しちゃって」
そう言って彼はソファーに座る凜々を後ろから抱き締めた。
「黎影」
彼の名前を呼ぶと彼は優しく笑う。
「なあに?」
その優しい笑顔の裏には何を考えているのか分からない怖さがある。
「…翼ちゃんに会いたい」
凛々がそう言うと後ろから抱き締める黎影の腕がスルッと離れ黎影は凛々の目の前に移動した。
「会えるよ、もういい頃合いだ」
「…黎影」
「これからはあの子とずっと一緒にいれる」
「本当?」
「僕が嘘つくとでも?」
「だって、まだ一度しか会えてないもの」
あの一瞬。たった一瞬だけ会えた。
「もう、凛々は本当にせっかちなんだから」
「……」
「こういうのは慎重に動かなきゃいけないんだよ」
「…だって」
「だって?」
その瞬間空気が変わったのが分かった。
黎影の目が鋭く変わる。
「……」
「僕の言うことは必ずだ、勝手な行動は許さないよ」
「……」
凛々は頷いた。
普段は柔らかな雰囲気を纏いいつも笑顔の黎影だが、時々こうやって顔を覗かす得体の知れない雰囲気を纏う黎影の姿が怖かった。
凛々は黎影の目を直視出来ずサッと目線を外した。
すると黎影は凛々の肩に手を置いた。
「凛々〜、僕お腹空いたんだよね〜」
「…ぇ」
「いいよね?ね?」
その黎影の圧に圧倒された凛々は声を発せずにいた。
黎影のお腹空いたという言葉は凛々にとって恐怖の時間だった。
黎影は凛々の肩に手を伸ばし髪を後ろに流し、ソファーに凛々を倒した。
「……っ」
「ははっ」
楽しそうに笑う黎影。
「…黎、影」
「何?」
「…や、優しくっ」
その瞬間、凛々の言葉を最後まで聞かず躊躇なく黎影は凛々の首を噛んだ。
「っっ!!!」
声にならない悲鳴が部屋中に響く。
「はぁ、はぁ、痛っ」
凛々の鼓動が早くなる、身体中の体温が上がる。
痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
身体が痛くて苦しくてどうしようもない。
痛さと苦しさで涙が溢れる。
それでも黎影は血を吸うのを辞めない。
凛々はこの時間がどうしようもなく苦痛で辛い時間だった。誰も助けてくれない…望んでこの世界に来た。だから…耐えるしかないんだ。
「っっ!!」
隣の部屋から声にならない悲鳴が聞こえる。
夜々は読んでいた本から視線を外した。
「……」
その声を聞いて夜々は心の中で可哀想と呟く。
黎影が突如『リアゾン』から連れてきた人間種の凛々。
ある人を探しているという彼女は何もかも捨てこっち側に来た。そして毎夜黎影の餌としての仕事もこなしている。
もうこの声にならない悲鳴を聞いたのは何回目だろう。相性の合わない相手との吸血行為が如何に苦痛で気持ちの悪いものなのか…。耐え難い苦痛、まるで拷問のような…そんな行為。
「…気持ち悪い」
夜々はボソッと呟いた。
「…うるさい」
すると薄明かりの中の部屋。
ベットで眠る彼が目を覚ました。
「刻、大丈夫?」
刻は珀が亡くなってから体調を崩すことが多くなった。
「…まあ…つか隣がうるせー」
「…あぁ、うん…そうだね」
「…よく飽きねーな」
「…だ、ね」
「寝れるもんも寝れねーよ」
刻はベットから起き上がり頭をガシガシかく。
その姿を夜々はジッと見つめるしか出来ない。
「はぁ…なぁ、夜々」
「ん?」
「あいつなんだと思う?」
「あいつ?」
「黎影だよ」
そして刻は話し出す。
「何であいつ次期当主と姿が瓜二つなんだよ」
刻が言うように夜々も疑問に思っていた。
刻を能力で迎えに行った時、倒れる珀ともうひとり…黎影にそっくりな姿の次期当主の姿があった。
刻も夜々もあの日初めて次期当主の姿を見た。
一瞬、黎影かと思ったが纏う雰囲気が別人だった。
でも確かに姿は瓜二つで、戸惑った。
黎影が鋳薔薇家と繋がりがあるのは確かだ。
でもそれについては何も知らない。
「…黎影は何も話さないから」
「…ちっ、たくもう…」
「……」
「あいつは一体何なんだ…」
黎影の正体も凛々の探している人も何もかも私たちは知らない。


