もう思い出すことはない
小さな幸せの一時
あの日が全てを変えた
俺たちの未来を…
変えた
変えてしまったあの日
【10年前】
「弦里!」
学園の廊下を歩いていると甲高い綺麗な声で呼ぶその声に弦里は振り返る。そこには金髪の長いふわふわの髪を揺らしながら弦里に笑いかける少女の姿。
「千影」
彼女の名前を呼ぶとニコッと笑うその少女の笑顔に弦里は見惚れる。
「今日はうちに来る?」
いつも通りの言葉に弦里は頷いた。
「うん、行くよ どうせ父さんがの付き添いしなきゃだし」
「本当!?嬉しい!御影も黎影も喜ぶわ!あなたと遊ぶの楽しいみたいなの!」
「それは良かった」
「待ってるわね!」
そう言って彼女はどこかに行ってしまった。
彼女の名前は千影。鋳薔薇 千影 六花現当主の愛娘である。弦里は父の仕事の都合で学園が終わると父に連れられ鋳薔薇家の屋敷に通っていた。そこでいつも千影とその双子の弟 御影と黎影と遊ぶことで時間を潰していた。
そして今日もまた屋敷に出向く。
「弦里来たー!」
「弦里!弦里!今日は何して遊ぶ?」
屋敷に着くと御影と黎影は弦里に走って寄っていく。笑顔で嬉しそうに笑うふたりを千影も嬉しそうに眺める。
「本当にふたりは弦里の事が好きね」
「そう、なのかな?」
「そうよ、大好きよきっと!ふたりは一緒に学園には行けないから嬉しいのよ、3人で遊べるのが」
寂しげに笑う千影に弦里は目を逸らした。
鋳薔薇家には長子はいても次子はいない。この双子はこの世には正式にまだ存在していない。これはこの世…この【リデルガ】での最重要機密事項だ。
双子に両手を引っ張られながら体勢を崩しながらも庭へと向かい相手をする弦里。
この瓜二つの双子の事の顛末をこの時の弦里は全く想像していなかった。
あんな悲劇が起こるなんて…この時は誰も想像していなかった。
双子が10歳になった時少しずつ何かが壊れていった。
「最近、黎影を見ないね」
もう鋳薔薇家に通う事が日課になったある日弦里は千影に聞いた。双子が10歳の誕生日を迎え、弦里が14歳、千影が13歳になってから弦里は黎影を見かけることが少なくなった。御影はあまり部屋から出てこない日が多くなり、元気が取り柄の千影もここ最近元気がない。
「…黎影」
ボソッと千影は黎影の名前を呼ぶ。
「あのね、弦里…聞いてくれる?」
千影の意を決した顔に息を飲んだ。
そして千影から話されたのは鋳薔薇家のしきたりについてだった。
鋳薔薇家では絶対と言っていい程確実に双子が生まれる。その双子はひとりの人間として育て最後はある儀式を行い次期当主を決める。その次期当主の習わしや色々な作法を現当主は黎影に叩き込んでいると言う。朝から晩まで黎影はある部屋に軟禁されその部屋から出てこない、よく泣き声が聞こえるが使用人も母である紫檀様でさえ出入りが出来ない状態だと…。
「…そんなこと…でもどうして黎影だけが?次期当主候補は御影も同じだろ?」
「父様が黎影は長子だからって…」
「長子って、ふたりは双子だろ?長子も何も…」
「黎影の方が先に生まれたって言ってたわ…だから父様は黎影を長子と位置づけて過度な教育をしているの」
「…そんな」
弦里は思い出していた。黎影は小さな頃からやんちゃで御影よりも物怖じしないいつも元気に走り回るようなタイプだった。だけど弱虫なのは御影より黎影の方で小さな怪我も大泣きしいつも御影が慰めていた。そんな黎影が現当主の過度な教育に耐えられるのか…?
「…次黎影に会えた時話し聞いてみるよ」
「本当?助かるわ、最近黎影の様子がおかしくて」
「…心配だな…御影は?」
「御影は部屋にいるわ、あまり最近出てこなくて…」
「んー…ちょっと御影の様子を見てくるよ」
そう言って弦里は部屋を出て御影の部屋へと向かった。
コンコンと数回ノックをすると遠慮気味に扉が開きそこから金髪の髪がチラッと見えた。
「御影、僕だよ」
そう言うと扉から大きな綺麗な青の瞳が顔を出す。
「…弦里」
「調子はどう?千影が最近御影が部屋から出てこないって」
「お姉様が?」
「うん、心配してるよ…部屋入ってもいい?」
「…うん」
御影の断りを得て部屋へ入る。
いつもより少し散らかった部屋。
「御影…」
「うん?」
「何か困ったことは無い?」
「………」
黙ってしまう御影に直球すぎたかなと少し後悔する弦里。
「…あのね」
「…うん」
「黎影がおかしくて…」
「おかしい?どういう風に?」
「…いつも何かに怯えてるんだ」
「怯えてる?現当主様に?」
「違う!分かんない…分かんないけど…何かに…」
「…何か」
その言葉を聞いて弦里は考えた。考えたが答えが出ない。厳しい教育をする現当主に怯えているなら分かる。だが…御影は違うと言う…。じゃあ一体何に怯えているんだ…?
御影の言葉を反芻する。
黎影は一体何に怯えているんだ?
千影の部屋へと戻る為廊下を歩いていると数メートル先に小さな背中を見つけた。
(…黎影?)
それは視線を床に向けながら背中を丸くし歩く黎影の姿だった。
「黎影!」
弦里は思わず声をかけ黎影の元へと走る。そして肩をつかみ強引に振り向かせた。
「…そうだ…そうなんだ…僕は…」
「…黎影?」
「…違うそうじゃない…だから、そうだ!そうだよ、こうすれば」
黎影はぶつぶつと何か独り言を言っていた。何の脈絡もない言葉を並べ弦里がいるというのに視線は床から目を離さず何かと話している。その異様な光景に弦里は背筋がぞっとした。
「黎影!黎影!」
両肩を掴み名前を呼ぶ。それでも黎影は独り言を辞めない。そして黎影はひとり部屋へと戻っていった。
「…黎影…」
その背中をただ弦里は眺めるしか出来なかった。それが弦里が黎影を見た最後の姿だった。
それから3年が過ぎ弦里は17歳、千影は16歳、御影と黎影は13歳になった。あれから弦里は黎影を見かけることはほとんどなかった。たまに屋敷の外から窓に黎影のら背中が見えるだけだった。黎影がどんな事をされて何を考えてこの3年を過ごして来たのか弦里は知らない。姉である千影も弟である御影も黎影の事を気にかけながらも絶対王である現当主に逆らう事は出来ずただただ時間だけが過ぎていった。
そしてあの日が訪れた。
忘れられないあの日。ただ何も出来なかったあの日。


