カタンっ
それは小さな小さな音。誰も気づかない、そんな音。真理愛はよろけた身体を壁で支える。
翼が濃吸症にかかったと聞いて御影の屋敷に訪れていた。 …見てしまった。翼の扉の隙間から見えた光景。御影の首筋を噛んでいる飲んでいる翼の姿を…。
「………っ」
真理愛の心臓の音は一気に跳ねた。見てはいけないものを見てしまったような感覚に陥った。その場にいてはいけない…見てはいけない…その思いで、真理愛はその場を後ににした。
屋敷を出て森の中をひたすら走る。行く当てもなくただひたすら…。
そして気づいたら‘‘あの‘‘広場に来ていた。
「…ここ…」
風が通り抜ける。昔の記憶が蘇る。
何も知らなかったあの日の記憶。
【-11年前】
「あの御方がこの国の次期後継者候補、現当主のご子息だよ」
そう父から言われたのは初めて行った舞踏会でのことだった。キラキラ光に照らされて綺麗な金髪の色は揺れていた。まるでおとぎ話に出てくる王子様の用で真理愛の目に特別に写った。
分家だった真理愛の家は鋳薔薇家の人達と話すことはおろか目線さえ合わしてはいけないと教えられていた。
住む世界が違うのだと幼子心に理解した。
吸血種の中でも特別な存在の鋳薔薇家。
彼の一族が居なければそもそも吸血種は存在していなかったのだ。
「真理愛、父様はこれから会議に出なくてはならない、大人しく待っていられるかな?」
「うん!お庭でご本でも読んでおくわっ父様」
そういうと笑って会議へと向かった父。
窓から覗く薔庭には薔薇が咲き乱れる庭があり、真理愛はその光景に見惚れ、小さな体で大きな庭へと続く扉を両手で開けた。そして居心地が良さそうな場所に腰を下ろすと、持ってきた本をペラペラと捲る。
少し冷たい風と風に揺れる木々たち。
風の音と薔薇の匂いが心地よかった。
「ねぇ」
その時、突然風が止み、声がした。
声の方に目を向けると…
「その本好きなの?」
その王子様は立っていた。
「…ぇっ…と」
この国の次期後継者候補が真理愛を捕える。
真理愛はびっくりしてその浮世離れした姿に目を奪われる。
「僕その本大好きなんだ」
「…ぁ、」
「………。話せないの?」
真理愛は勢いよく首を振る。
そして父の言葉を思い出した。
『鋳薔薇家の方々と視線を合わせてはいけないよ、失礼に当たるからね。言葉を交わすなんてもってのほかだ』
頭の中でその言葉がぐるぐる回る。
-どうしよう、どうしよう 視線を合わせてしまった…父様の言いつけを…。
「…君も…僕とは話してくれないの?」
下に向けた視線、その言葉を聞いて目を向けた。
「…違っ」
ぎゅっと服の裾を掴み、悲しみに耐えるようなそんな表情をしていた。
「皆話してくれないんだ、視線だって合わせてくれない」
「………」
「まるで、僕はここにいないみたい…」
「違う!」
気づいたら声に出していた。
「…ぁ、」
「…びっくりしたぁ、」
大きな声に目を真ん丸にする。
「…ぁの、ごめんなさい」
「ふふっ、僕初めて同い年くらいの人と話したよ」
そう言って無邪気に笑った。
今思えばこの会話が会話のうちに入るのかそんな疑問が浮かぶ。それでもあの時笑顔は綺麗だった。
「ミカ」
優しい声で名前を呼ばれて声のする方に視線を向けと、その声の主は綺麗な金髪の長い髪をひとつにまとめており綺麗なドレスを着ている綺麗な女の子だった。真理愛より少し年上の…。
その姿を見るなり満面の笑みを輝かせ王子様はその女の子と手を繋ぐ。
王子様は振り返り声は出さずに『またね』そう言って笑って手を振り光ある場所に戻って行った。
真理愛はあの時、彼に恋に落ちたのだ。
もうずっとあの笑顔が頭から離れない。


