見慣れた小さな一軒家。
周りには一軒も見当たらない。
ポツンと自然の中に佇む家。
車から降りると、(つばさ)の家の前には背の高い青年が立っているのが目に入った。
ブルーに近いグレーの髪を後ろで一つ纏めている。御影(みかげ)と一緒に【リアゾン】に来た琉伽(るか)の姿だった。琉伽(るか)はこちらに気づくと御影(みかげ)(つばさ)に会釈をする。

琉伽(るか)…どうだった?」
「問題ないよ」

琉伽(るか)の返事に御影みかげは頷いた。
(つばさ)はふたりが何の話をしているのかさっぱり分からない。

「じゃあ、行こうか」

御影(みかげ)(つばさ)の家の中へと足を進める。
御影(みかげ)の後ろを琉伽るかが着いていく。
(つばさ)は何故かその場から動けなくなってしまっていた。母はどんな顔をするだろうか…なんて言うのだろか…。
化け物娘が居なくなって安堵するのだろうか。
そんな事ばかり頭の中で考えていた。

家の前から動けなくなっている(つばさ)に御影みかげが声をかける。

「何してんの…(つばさ)

急に名前を呼ばれビクッと身体が反応する。

-名前…いつ教えたっけ?

三人が(つばさ)の自宅に足を踏み入れた時はもう辺りは暗くなり始めていた。
靴を脱ぎ、真っ直ぐ廊下を進む。リビングのすりガラスの扉からは暖かな光が漏れていた。

-カチャ

(つばさ)によって遠慮がちに開かれたリビングの扉。リビングには(つばさ)の母親である人物が夕食の準備をし始めていた。

「…あら、お友達…じゃないわね」

こちらに気づいた女は三人の姿を見て薄ら笑みを浮かべた。40前後であろうその女は料理の手を止め三人の前に立つ。

「…お母さん」

不安げに母を呼ぶ(つばさ)
女は交互に御影(みかげ)琉伽(るか)の姿を見て一言呟いた。

「…【リデルガ】の方よね」
「…はい、今からあなたの記憶を消させて頂きます」

御影(みかげ)の言葉に一瞬は驚いたものの、「…そう」と呟く。突然の来訪に特別驚きもせずこんな奇妙な状況を受け入れる女。
女は御影(みかげ)琉伽(るか)の前に立ち、どちらが記憶を消してくれるの?とでも言うように二人に目線を送る。すると、琉伽(るか)がそっと女の額に手をかざした。女は受け入れるように目を瞑る。

「ちょっと、待って!」

その空気を壊すように翼つばさは声を上げる。
「…ぁ」自分で声を上げて自分で驚いた。
どうして止めてしまったんだろう。
記憶を消されようと受け入れる母親の姿にどうしてたが咄嗟に言葉を発してしまった。
母にとって(つばさ)という邪魔な娘が居なくなるいいチャンスだ。
分かっている…分かっているのに…

するとその様子を見ていた女は、(つばさ)の目の前まで来るとそっと頬に手を添えた。

「…お母さん」
「…ごめんね、(つばさ)

初めて聞いた言葉だった。
母の口から謝罪の言葉なんて…。
悲しそうな瞳で(つばさ)の頭を撫でる。

-どうして、そんな目をするの?

「お願いします」

女のその言葉と共に琉伽(るか)は女の額に手をかざした。その瞬間光に包まれる。咄嗟に目を閉じた(つばさ)。次に目を開けた時にはボーッと一点を見つめる母親の姿があった。
その姿を見た時、あぁ消えたんだ…と(つばさ)は実感した。

「琉伽るか、(つばさ)。行こうか」

ボーッとする女を横目に御影(みかげ)は家を後にしようと(つばさ)の手を引いて玄関へと向かう。

「…あら、(つばさ)どこ行くの?」

その言葉を聞いて三人の動きはピタッと止まった。

「…琉伽(るか)、消したよね?」
「…もちろん」
「…(つばさ)(つばさ)って、あれ?」

女は混乱している様子だった。
消したはずの記憶と抗おうとする無意識の意識が交錯していた。

「…愛して、るわ。(つばさ)

混濁する意識の中で発した言葉。
その場の全員が聞いた。

「…あの人の宝物…」

その言葉を最後に女の意識はなくなり、眠りについた。(つばさ)は足が震えペタンとその場に崩れる。

「…愛してる?なに、それ。」

蘇るのは怒った顔ばかり。
叩かれて殴って、罵倒されて…いつも怯えて生きてきた幼少期
吸血衝動にかられた時も

『我慢なさい』

そういって見放した。
慰めたり、優しく撫でてくれることもなく
ただ冷たい視線を送って…。
そんな人に愛さてる実感なんてあるはずがない。ただただ耐えなければいけない地獄の日常の中で(つばさ)と母親の繋がりなんて育まれるはずがなかったのだ。

「…私のこと邪魔だったんじゃないの?産まなきゃよかったってそう思ってたじゃなかったの?ねえ、お母さん!!」

愛してるなんてそんな言葉…。
取り乱す(つばさ)に御影みかげはその光景をただ眺めていた。
すると意識を取り戻した女はゆっくりと瞳を開け、目の前の(つばさ)へと視線を移す。

「…あなた誰?」

もう一度目を覚ました女は(つばさ)の記憶を完全に失っていた。
(つばさ)の涙だけがポツリと床に落ちた。

「…あら、泣いてるの?大丈夫?」

そういって(つばさ)の頭を撫でる女。
ずっとずっと夢見てた。
母に優しくされたくて、言うことを聞いて良い子になれるように頑張って…それでも一度も頭を撫でてくれたことなんてなかった。
こんな風に叶っても何も嬉しくない…

(つばさ)…行くよ」

御影(みかげ)(つばさ)の腕を引っ張る。
身体に力が入らず、立てない(つばさ)琉伽(るか)がひょいっと抱きかかえる。

「その子、大丈夫?」
「ええ、大丈夫ですよ。では失礼します」

御影(みかげ)が笑って女に答える。
女も穏やかに笑う。

-そんな顔私は知らない…。

(つばさ)琉伽(るか)の胸に顔を埋めた。
もう何も見たくなかった。聞きたくなかった。
こんな最後にずっと願っていた事が叶ってしまった。こんな叶い方何も嬉しくない。


ーさようなら、お母さん。