「起立、礼、お願いします!」
「よろしくお願いします」
 委員長の号令とともに40人の生徒が一斉に挨拶をした。
 3回目の「最後の教育」の授業が始まろうとしている。

「はい、やりなお~し」
「デジャブ!」 
 鳴瀬 光命が、またも挨拶のやり直しを求める。

「倉野と大野崎が声を出していなかった」
 鳴瀬は2人の生徒の名前を出して指摘する。ここまでくると適当に名前を出してわざとやり直しをしているのではないかと思ってしまう。

「起立、礼、お願いします!」
「よろしくお願いします」
 委員長の号令とともに2度目の挨拶をした。

「はい、よろしく」
「じゃあ、始めよう。3回目の最後の教育を」
 鳴瀬は、プリントを配った。プリントには文字は何も書かれていない真っ白な白紙だった。

「まず、 右端に学年、クラス、氏名を記入しなさい、左端じゃないぞ、ちゃんと右端に書くんだぞ」
 1回目の授業と同じような展開、同じことを言われている。
「ちゃんと書けたか、学年、クラス、氏名の書き忘れがあったものは欠席と見なすからな、気を付けるんだな」
 今回は大丈夫だと思ったのか、プリントをもう1度確認した者は1回目と比べて減った。

 第2回のようにプリントを提出しない場合もある。こういうプリントを提出する可能性がある時になるべく点数を稼いでおきたいものだ。

「24歳男性の益城 正文(ましき まさふみ)は5人の女性を暴行した上 殺害した罪で逮捕された」
 今回は名前を伏せてないんだな。前回は、男会社員Gだったのに。
「彼はやっていない、はめられたと話している。益城正文は今のところ容疑者だ。さてここで君たちに問題」

「…………」
 この授業中は私語をするものはいない。鳴瀬マジックとでも呼んで褒め称えるべきか。

「益城正文を殺人犯として死刑にするか、無罪にして解放するか決めてほしい」
 3回目の授業は、模擬裁判といったところか。ただ鳴瀬の行う模擬裁判はどんな裁判よりも極端なものであった。

「情状酌量は無し。死刑にするか、無罪にするか、君たちに与えられた選択肢は2つしかない」
「情状酌量をありにしてしまうと、真剣に考えないやつや自分が責任を持ちたくないやつが、無難な懲役8年といった答えを出すだろうからあえて無しにした」
「さあ考えるんだな!」

「考えるんだなじゃないよ。情報が少なすぎて考察できない」
 こう思ったのは僕だけではなかったはず。

「死刑にするか、無罪するか決まったものはそのプリントに決めた方を書け。理由は書く必要はない。死刑か無罪かだけを書け」
「だが、テキトーに書くのはなしだからな。後で誰かに理由を聞くかもしれないぞ。時間はたっぷりやる。各自じっくり考えるんだな」

「先生、質問があります!」
 甲高い声の杉野さんが手を挙げた。杉野さんは声優になるのが夢らしい。
「何だ、杉野?」
「有罪か無罪か判断するための情報が少なすぎます。もう少し詳しく教えて下さい」
 ナイス! ナイス杉野さん。思っていたことを杉野さんが代弁してくれたので、心の中で感謝した。 
 余談だが、残念ながら杉野さんは声優にはなれなかったようで今は、塗装会社の事務員をしているらしい。

「杉野、気になったことを質問したことはいいことだ。その点については褒めよう。同じことを思っていたのに黙っていたなんていう自己主張の出来ない人間がここにいないといいがな」
 自分が言われているような気がした。だが鳴瀬は富澤の方を見ていた。

「ありがとう。せっかく質問をしてくれたが、その質問には答えられない」
「情報がない上で君たちには判断してほしい、益城正文を死刑にするか無罪にするかを」
 どちらにするか決めたものからプリントに書けと言われたものの、誰一人としてボールペンを動かすものはいなかった。

 その姿を見て鳴瀬が煽ってくる。
「死刑にしてしまえ、5人の女性を暴行した上殺害した殺人犯、死刑にするしかないな。ただ、彼がもしやっていなかったとしたら、冤罪の彼を裁くことになる。お前らの方が、殺人犯かもしれないな」
 無罪と書こうとボールペンを握った瞬間に、鳴瀬が再び語り始めた。

「ただ、無罪にしていいのだろうか? 凶悪な殺人犯を世に放ってしまっても。彼を無罪にしたせいで犠牲者が1人、2人と更に増えるかもしれない。その犠牲者は君の彼女かもしれない。いやいや君自身かもしれない。人生とは何があるか分からないからな」
「まったく、余計なことを」
 無罪にしようと決めかけていたのに、鳴瀬の一言でまた悩んでしまった。
 
 4、5人はボールペンを動かしている。その人たちはどちらにしたのだろうか?
 無罪? 死刑? 無罪? 死刑?
 決めきれない、どちらにする方が正しいのか?

「益城 正文の母親はこう言った。『どうか息子を助けてください、息子は優しい子なんです』」
 鳴瀬の最後の言葉が決め手になったわけではない。自分で考えた上で僕はボールペンを動かした。

「無罪」
 控えめに小さな文字でプリントに書いた。物的証拠がないのに彼のことを死刑にすることが出来なかった。自分がもし同じ立場になったらと思うとゾッとする。

「書けたか? じゃあ回収する」
 鳴瀬はプリントを回収するとそれを2つに分けていった。おそらく死刑と無罪で分けているのだろう。教卓の右と左で分けているようだが、目視では左側が多いように見える。

「集計が終わった」
「どちらが多かったかはあえて言わない。マイノリティー、マジョリティーを作るのは教育上よくないと俺は思っているからだ」
 マジョリティーは無罪であってほしいと僕は思っていた。昔からマジョリティーになると、それが正解なんだと思えて安心できる。

「そろそろ時間になるし、終わるとするか……」
「これで、最後の教育 3回目の授業を終わりとする、はい、号令!」

「起立、礼、ありがとうございました!」
 こうして3回目の 最後の教育が終わった。

 号令に若干のばらつきがあったのは、このクラスに死刑派と無罪派の2グループがいるからだろうか。

「僕の選択は間違っていなかったのだろうか?」
 授業が終わっても何だかモヤモヤした。仮に益城正文が殺人犯だったとしても、実際に世に放ったわけではないのに。