この授業において、必要なものはボールペンのみ。参考書は勿論なくノートも用意する必要はない。

「起立、礼、お願いします!」
「よろしくお願いします」
 委員長の号令とともに40人の生徒が一斉に挨拶をした。

「はい、やりなお〜し」
 「最後の教育」担当教師の鳴瀬 光命(なるせ こうめい)が挨拶のやり直しを求める。

 やり直しをされるような所は特になかったと思った。特別な授業に妙な緊張感を持った生徒たちはふだんよりも真面目であったのに。

「渡辺と佐藤と児玉が声を出していなかった」
 3人の生徒の名前を出して指摘する。この3人が本当に声を出していなかったかは分からない。

「起立、礼、お願いします!」
「よろしくお願いします」
 委員長の号令とともに2度目の挨拶をした。

「はい、やりなお~し」

「ええっ?」
「またかよ」
 大半の生徒はそう思っただろう。
この怒りは先生に対する怒りかそれとも声を出さなかったものに対しての怒りか。

「分かるよなぁ、岩村……」
「お前は、最初の挨拶の時も声を出していなかった。だが、さっき指摘されなかったことをいいことに今回も声を出さなかった」
「バレていないと思ったか? 俺を欺いたつもりか?」
「…………」
「いいか、俺をナメるなよ。次はないからな」

「はい、もう一度」
 この時、僕が先生のことを凄いと思ったのは、授業初日にも関わらず全員の名前を覚えていたことだ。似たような名前もあったのに一人も間違えることはなかった。

「起立、礼、お願いします!」
「よろしくお願いします」
 委員長の号令とともに3度目の挨拶をした。

「ふーん。まあ、よしとする」
「では、よろしく」
 ようやく、合格をもらえた。

「はい、今日から1週間、最後の教育という教科を担当する鳴瀬 光命だ。何の嫌がらせだろうな。こんな俺の名前が光る命なんてな。光ってなんかないのにな」
「君たちもこの授業の存在を、噂で耳にしたことがあると思うが、概ね君たちが聞いた通りだ」

「遅刻欠勤は許されず。しようことなら卒業を認められず、留年することもできずに即退学扱いとなる」
 鳴瀬のいう噂というのは、これのことだろう。

「とりあえず、出席さえしておけば合格点はやる。ただ、この教科で、総合評価が90点以上の者は将来、特別待遇を受けられるということだけ言っておく」
「因みに、過去の最高点数は72点、たった1人だけだったな70点を超えられたのは」
 鳴瀬の特徴は、当時30代前半の男性で、顔を覆いくすような長い髪に、時に見える顔はおとぎ話の王子様のような綺麗な白い肌。僕の口から言える特徴と言えばこれくらいだ。

「じゃあ、始めよう 最後の教育を」
 そう言って鳴瀬は、プリントを配った。
 プリントには文字は何も書かれていない真っ白な白紙だった。この白紙で何をしようとするのか……

「まず、右端に学年、クラス、氏名を記入しなさい。左端じゃない、ちゃんと右端に書くんだぞ」
 学年3年 クラス2組 氏名匿名
  言われた通り右端に書いた。後でこれは右端じゃない右真ん中だといちゃもんをつけられないように僕は出来るだけ端に寄せて書いた。

「それと、俺はこの口調でいくから」

「他の先生と違って君たちに気を使った口調は心掛けない、何故なら君たちは社会に出たらそんな話し方をするやつはいなくなるからだ」

「ちゃんと書けたか、学年、クラス、氏名の書き忘れがあったものは欠席と見なすからな。気を付けるんだな」
 その言葉に皆は、もう一度プリントを確認した。普段のテストやプリントだったら、こんな入念に確認はしていなかっただろう。

「こんなことで卒業出来ないなんて馬鹿馬鹿しい」
 大半がそんなことを思っていたことだろう。

「じゃあ、そのプリントにお前たちが好きな人、大切だと思っている人を自分以外から3人だけ選んで氏名をフルネームで記入しなさい」
「しっかり考えろよ 。3人しか書けないのだからな、好きな芸能人の名前とか軽い気持ちで書くなよ」
 黒ボールペン 僕らがこの授業で使用してよい文房具はそれのみだ。それ、消しゴムを使ってやり直すことが出来ないことを意味している。

 父、母、祖父、祖母、恋人、兄弟、友人

 3人という制限が僕らを悩ませる。大切な人が3人だけで足りる人など、この場にいない。
 だからか、すぐにボールペンを動かすものはいなかった。

 そんな様子を見て鳴瀬が一言。

「埒があかないから、制限時間を設ける。いまさら2分な。2分やるからそれまでに決めろ」
「お前たち、約束の時間は守れよ。社会に出たら時間内に業務をやり遂げるなんて当たり前のことだ。残業? そんなものはお前たちを守ってなんかくれないぞ」 
 皆、2分間じっくり考えて名前を書いたと思う。教室に流れる緊迫した空気に、何とか耐えていた。

「みんな、書けたな。よし、じゃあ今日はそれを使って授業を行う」
「白紙にそれぞれ3名の名前が書かれていると思う。その人たちが君たちにとってどんな関係性かは俺は知らない。だが、君たちにとって大切な人だということは分かる」
「そこでだ。今から1つだけ質問をしたい」

「はい!」
 内申点を稼ぐためか委員長が大きな声で返事をした。鳴瀬はそれに何も触れないまま話を続けた。

「その3人の中から1人、殺してください」
「大切な3人の中から2人を助けるために1人を君たちの手で……」
「選んだらその人の名前の上に大きくバツを記入しなさい、バツを記入した人物は君たちが殺したということになる」
 鳴瀬の発言は皆の予想を裏切るものであった。意味がわからなすぎて文句を言うものは誰もいない。

「真剣に考えろよ、空想だと思って適当にバツを書くなよ、1人1人の顔をしっかり思い出して、考えて答えを出せ」

「よし、試しに1人やってみるか。どのような感じで取り組めばいいのかを」
「誰がいいかな~? よし決めた、笹崎」
 鳴瀬が1人の女子生徒を指名して起立させた。

「はい」
 彼女は嫌そうに席を立った。

「笹崎は、どの3名を選んだんだ? 氏名と君との関係性を答えなさい」
「あ、言っておくが、ここでの受け答えも採点に入るからな。真剣に取り組むように」

「私は、笹崎○○ 私の父、笹崎○○ 私の母、笹崎○○ 私の弟にしました」
 名前を○○にしたのは個人名を隠すため。自分を匿名にしているのに他人の情報だけ晒す訳にはいかない。

「では聞こう」
「笹崎はその中で誰を殺す?」
「……選べません」
「ダメだ、選べませんは質問の答えになっていない。選びなさい」
「……」
「今まで育ててくれた両親に感謝しているか?」
「はい」
「感謝しているのなら弟に犠牲になってもらおう。それがいい、弟は君にお金をくれるか? いや、くれないだろ。なら簡単だ、弟を殺せ」
「弟も、私の大事な家族です」
「弟を助けたい、なら両親のうちどちらかを殺すんだな。親っていうのは子どものためなら犠牲になってくれる。それがいい母親か父親どちらかを選べ。弟を救うために」
「選べません」
 僕らは何を見せられているのか、それは何かの映画のワンシーンのようなやりとりが繰り広げられている。でもこれ、現実なんだよな。

「ダメだ、選びなさい」
「3人の中から、1人を選ぶだけのことだ」
 鳴瀬の声は徐々に大きくなる。

「もうやめてください先生!」
 笹崎の目が赤くなっていたのに気づいた彼女の友人が鳴瀬に止めるようにいった。結果的に先生に反抗していることになる。これが評価にどれだけ響くのだろうか?

「何で?  何でやめなければならない?」
「何でって、笹崎を見てください、泣いているじゃないですか?」
「それは分かる。 だが、それは答えなくていい理由になるか?  ならないだろ」
「泣けば許してもらえる世界はここで終わり。泣いたところで助けてもらえるのはそれなりの容姿があるものだけだ。それなりの容姿が笹崎にあるとは、俺には思えないのだが……」
「笹崎、さぁ答えなさい。俺もこれ以上は待てない早く!」
「…………」
「これ以上、黙秘を続けるというのなら笹崎は今日、授業に参加していなかったことにするぞ」
「…………ごめんなさい、ごめんなさい」
 欠席にされるという脅しに屈したのか、笹崎は笹崎○○、弟の名前にバツを書いて鳴瀬に見せた。

「笹崎、よくできました」
「座っていいぞ」
「笹崎は悩みに悩んだ末、3人の大切な人の中から1人を選択した。選んだ理由を俺は聞かない。理由は笹崎自身が真剣に向き合った結果答えなのだろうから、正解も不正解もない」

「…………」
 笹崎は顔を机にうつ伏せた。泣いているのだろうか、自分を戒めているのだろうか。

「さあ、皆も笹崎を参考にして考えるんだ」
「誰を生かし、誰を殺すのか?」
 それぞれが紙に向き合った。3人の氏名が書かれているだけの薄っぺらい紙切れをこんなに見つめることとなるなんて誰が予想したことだろうか。

「3人の中から誰を選べばいいのか……」
「いや、僕に選ぶことができるのか」
 因みにこれが僕が選んだ3人。

「匿名○○ 関係性は母親」
「匿名○○ 関係性は弟」
「西山マリン」
 忠告を聞く前に書いてしまったので1人目に、某アイドルグループのセンターの名前を書いてしまった。だが適当に書いたわけではない。

「マリマリはいつも悩んでいる僕を元気付けてくれる大切な存在だから」
 父親の名前を省いてでも記入したかった名前である。向こうは僕のことなんか知らないただの片想いなのは分かっている。

「親族2人に他人が1人」
 他の人に比べて簡単な質問になったように見えるが、そういうわけにはいかない。大好きなマリマリを僕の手で殺すことなんて出来ない、出来ないよ。

 悩み苦しんでいる姿を鳴瀬は、楽しんでいるように見えた。

「何が面白いんだ!」
 一言文句を言ってやる勇気を僕は持ち合わせていないので、目を合わせずにその場をやり過ごす。

「決めた」
 僕は弟の名前が書かれた上にバツを書いた。
 どうせバツを書くのなら文句を言われないようにと大きめのバツを書いた。僕の中では母親の次にマリマリは大切な存在だ。彼女なしでは生きていく自信がない。

「はい、じゃあ回収するぞ」
 白紙は鳴瀬の合図とともに回収された。

 この質問はどこで評価をするのだろうか?
 親族を殺し、他人を生かした僕は減点の対象になるのだろうか? はたまたバツの大きさや書き方か? 
 いずれにせよ分かったことは、この授業は、今まで受けてきた現代文、世界史、数学等のどんな教科よりも点数をとるのが難しそうだということだ。

「やってもらった、3人の中から1人を殺す人間を選択する。これは究極の消去法かも知れないが、これから君たちはたくさんの選択肢の中からどの選択が1番正しいことなのかを、瞬時に選択しなければならない」
「どちらにしようかな。なんかしても天の神様は何も教えてくれないぞ、運に頼るのではなくそれなりの根拠から選ぶのだ。運ばかりに頼っているやつは最終的には運に殺される。君たちには、間違ってもそのような人間にはなってほしくはない」

「これで、最後の教育 1回目の授業を終わりとする、はい、号令!」
「起立、礼、ありがとうございました!」
 こうして1回目の 最後の教育が終わった。

 初見は衝撃的過ぎた、全てが規格外で……
 僕の今日の評価はどれくらいだろうか? 
 
 採点方法は彼にしか分からない。