名は体を表すというが、新しくやって来た先生には当てはまらないようだ。
「大矢場です。今年度もあと3ヶ月ですが今日からよろしく」
担任の先生が急にいなくなって、オオヤバ、というなんだかとってもヤバそうな名前の先生が来ると聞いて、私も、おそらくクラスメイトたちも落ち着かない気持ちで新学期を迎えていた。
だが目の前に現れた大矢場先生にはヤバそうなところはどこにもなく、普通じゃないところを探すほうが難しそうだ。
背は高い。たぶん180センチくらい。
ありふれたセルフレームのメガネにスーツにネクタイ、白いシャツ。
おしゃれではないがみすぼらしくもない。
年齢はわからない。22歳にも32歳にも見える顔だ。
「名前のコスパ悪くない?」後ろの席の芽生がボソッとつぶやいた。
確かに名前はおかしい。
『大矢場 伊右衛門』オオヤバ イエモン?
江戸時代からやって来たのでなければ、きっと親が変わり者だ。クセ強めの苗字に追い打ちをかけるような名前。漢字七文字は多過ぎる。
自己紹介はあっさりと終わり、出欠を取って朝のホームルームが始まった。
「今から呼ぶ者は昼休みに職員室に来るように。五十嵐郁斗、櫻井凛花。以上」
大矢場先生はホームルームを終え、ファイルを小脇に抱えてさっさと教室から出ていった。
私の名前も入っていたが、呼ばれた理由はわからない。
一緒に呼ばれた郁人を振り返る。
小学生時代からの幼なじみで、中2になった今も同じクラス。
私達が通う須山市立西中学校は、近隣の3つの小学校から集まった子供たちが通っている。
郁人と私が通っていた小学校は一番遠くて人数も少なく、私たちの学年は一学年に15人が1クラスだけで、みんなとは友達というよりきょうだいのような感覚で6年間過ごして来た。
那珂都山集落は大きく2つに分かれていて、盆地になっている開けた部分が那珂都山集落、私と郁人が住んでいるのはそこからさらに山の上に行くとある山袋と呼ばれる30軒ほどの小さな集落だった。
山袋集落だけが須山西中の学区で、他の那珂都山地区は須山北中だ。
来年度の須山西中に山袋地区からの新入生はいないはずだったのだが、須山北中には柔道部が無くどうしても部活で柔道をやりたい男子が須山市に許可をとり越境入学してくる。
正月休みあけの刺すような冷たい風に吹かれながら、自転車で20分、中学校までアップダウンの多い道を走る。
足の筋力は中学校入学してから格段に付いた。
中学校の部活参加は全員強制で、郁人はサッカー部に私は器械体操部に入った。
那珂都山集落では習い事はサッカーか柔道しかなく、男子は全員がサッカーと柔道を掛け持ちしてやっていた。
女の子は小学生のあいだは那珂都山神社での男子禁制の奉納芝居やそのための舞や笛の練習、冬は百人一首の会もあり、なかなか忙しい。
中学校に入ると、お正月以外は集落の行事からは解放された。
「郁と凛花、何したの」
芽生が後ろから肘をシャーペンで突付いた。
「何もしてない。たぶん新入生の自転車講習会の話じゃない?」
集落からの通学路はあまりにも険しく寂しい山道で、数年前には対向車を避けようとして大怪我をした生徒が出た。
そのために新学期からしばらくは、山袋からの新入生は上級生と一緒に自転車で集団登校をする。
下校もできるだけまとまって帰るように指導されていた。
アップダウンのある山道を行く自転車講習は春休みに行われる。
このあいだまで小学生だった子たちにはキツく、励ましながらなんとか学校までたどり着く。
泣いてしまう女子もいて、旧村営バスの復活やスクールバスの話も何度も出てはいるのだが、子どもも少なく実現する日は来ないだろう。
冬場に雪が積もって道が凍結する時期からは親が送迎をする。
それほど雪の季節は長くは無い。
今年は1月になってもまだ雪は積もってはいないが、そろそろだ。
母が小学1年の時に亡くなってからは父が私を男手一つで、とは言っても親戚や集落の皆が総出で、育ててくれた。
雪が降ると学校への行きは、街に働きに出る郁人のお母さんに乗せて貰う。
帰りは父か祖母が迎えに来てくれる事が多かった。
「郁人、大矢場先生のところ行こう」
給食の片付けが済み、郁人を誘うと嫌な顔をされた。
「行きたくねー。どうせ自転車のアレだろ?」
「先生に怒られたくない」
「怒んねえよ。草尾センセーとおなじ」
草尾、というのは以前の担任で大人しい先生だった。
草尾先生はやる気がまるでなく、私達のクラスだけ模試の日程を知らされなかったり、クラスで誰かが殴り合いの喧嘩をしていても無視した。
私達にとっては、もう少ししっかりしてほしいが無害な存在だった。
二学期の後半あたりから先生はやる気が無いという次元を超え、授業の時間になっても姿を見せなくなった。
先生が来ないのでホームルームが出来ず、部活にいけないという事もたびたびあり、何人かの親は苦情を言ったようだ。
職員室にこもりきりの先生に代わって、副校長先生がホームルームをやるようになった。
郁人は文句を言いつつ、教室から出て職員室へ向かった。
「失礼します。大矢場先生に呼ばれて来ました」郁人が職員室のドアを開けて言った。許可なく入室することは出来ない。
「鈴木と櫻井。入っていいよ」
職員室に入り、大矢場の机のそばまで行く。
今日から新学期だが書類が乱雑に積み上がっていて、前任者の後始末が大変なようだ。
「二人は山袋からだよね」
「ハイ」郁人が答えた。
「今日は自転車で登校した?」
「ハイ」
「自転車で来ました」
「来年度の新一年の自転車登校の引率リーダーを二人に任せてもいいかな」
「大丈夫です。櫻井もいいよな?」郁人は私を振り返り、私はうなずいた。
「ありがとう。今日は二人とも部活が終わったら荷物持って職員室まで来てもらえるかな。先生も二人と一緒に自転車で山袋まで行ってみる」
「わかりました」
「じゃあその時に。戻っていい」
「ハイ」
「失礼しました」声を揃えて言い、職員室から出る。
「放課後迎えに行く」郁人が言った。
体操部だけは体育館に部室があり、他の部活は部室棟という独立した建物に部室があって、そこで着替える。
制服を着てコートを羽織り、髪を直していると1年生が部室をのぞいた。
「櫻井センパイ。五十嵐センパイが来てます」
「わかった、郁人ー!すぐ行く」部室の外に向かって大声で言うが返事はない。
山袋地区の面々は誘い合って帰るから、女子を男子が迎えに行っても、その逆でも揶揄われたりはしない。
「おせーよ、凛花。マフラーは?」
「まだ」
「マフラー貸せ」
急かすわりに、郁人はけっこう優しい。
私が渡したマフラーを、郁人は風でほどけてしまわぬように職人のような几帳面な手つきできっちり巻いた。
身長のわりに骨太で指の長い大きな手。
思い出せる限り昔から…、幼稚園の頃から郁人は几帳面で、私は大雑把だ。
「ありがと」
返事はないが慣れっこだ。
とっても照れ屋で昔からお礼を言っても無言、返事が返ってきたためしはない。
うちと郁人の家は母親同士の仲が良かった。
小さな頃からきょうだいのように育ち、一緒に撮った写真がたくさんあるが、郁人はたいがいそっぽを向いているかカメラをにらんでいる。
校舎に入り、職員室までの廊下は最低限の明かりだけで薄暗い。
学校というのは昼間、活動するために作られていて、夜の暗さにはまるで弱い。
「失礼します!大矢場先生に呼ばれて来ました」
職員室の入口で郁人が言う。今日2回目だ。
「ハイハイ、行きましょう」
大矢場先生はもうベンチコートを着ていて、立ち上がるとヒョロリとした印象が際立つ。
先頭が郁人、次が私、一番後ろが大矢場先生の順で自転車は走りだした。
冷たい風が強く顔に打ち付け、爪を立てて引っかかれるような痛みをもって顔に当たるが、郁人がしっかり巻いてくれたマフラーと母のお下がりのムートンの手袋のおかげで凍えはしない。
普通の毛糸の手袋では、日暮れ後は氷点下になる時期には役に立たない。
街頭に照らされた街中を抜けて、山道へ入った。
ここから先は左端にぴたりと寄って走る。
私と郁人の自転車のヘッドライトはハンドルの間に強いライトを追加で付けていて、最低限の視界は確保されていた。
バックパックにも自転車の後部車輪の泥除けにも反射材を付けているが、スレスレに通る車にはいつも恐怖を感じる。
と小さい頃は自転車ではなく徒歩でここを歩かねばならず、とても怖かった。自転車はまだマシだ。恐怖より速く走ればいい。
登り坂をだいぶ走ったあとに、道が二股に分かれているところへ来た。
左の大きな道が那珂都山地区への道で、さらに山の上に続く細い方の道が山袋地区への道だ。
この山道を抜けて行く先にはうちの集落しか無く、その先に道はない。
だから後ろから追い越して来る車も前から来る車も、集落関係者か用事があるものに限られる。
集落には一軒民宿があって、そこの客やそこを拠点に登山をする人たちが来ることもあった。
去年の冬、郁人と私が部活終わりに一緒に帰った時に、クラクションを派手に鳴らしながら追い越してきた軽のSUV車がいた。
郁人はうまく避けたが、私は動揺して山側のコンクリートの擁壁に突っ込んだ。
「凛花!!」
郁人は自転車を止めて走って戻り、壁に激突した自転車から転がり落ちた私を起こしに来た。
あの時は私のほうがまだ背が高く、体重も重かった。
抱き起こされると体が痛み額も痛んだ。
転んだときに額をコンクリートに打ったようで触るとヌルヌルとした。
「凛、大丈夫?」
「ちょっと気持ち悪い」久々に郁人から凛と呼ばれた、と思う。
昔はいっくんとリンちゃんと呼び合っていた。
触った血の感触で気分が悪くなり、抱きおこしてくれた郁人にもたれかかる。
「凛花、歩ける?脇道まで行けるか」
「たぶん」
少し戻ったところに山の整備のために入る脇道がある。
倒れた場所はカーブで見通しが悪い。ここにいてはあとから来た車に轢かれる可能性が高い。
自転車もバックパックも何もかもその場に置いて、郁人の腕につかまって、道を下った。
あと少しで脇道というところで、山を上から降りて車のエンジン音が聞こえ、ヘッドライトが顔を照らした。
車が止まりウィンドウが下がる。
「おい!」
運転していたのは集落の中でも世話焼きで、子ども会の行事にも毎回顔を出す桑坂さんの軽ワゴンだった。
「桑坂さん!凛花が自転車で転んで頭打った」
「乗れ乗れ!このまま病院行くぞ」
郁人に抱えられて道を渡り、後部座席に二人で乗り込む。
車に乗るとホッとして力が抜け、バックミラーに映る姿で、顔の半分が血まみれな事に気がついた。
車はそのまま街の総合病院まで走り、病院の電話から郁人が私の父と郁人の母に連絡して、救急外来の看護師から話を聞かれているところへ二人とも駆けつけた。
私は2針縫い、擦り傷は消毒され、他に特に異常は無かった。
「後ろからクラクションを鳴らされただけで車にはぶつかってません。自分でよろけて壁にぶつかりました」
私の顔の傷と首を伝った血で血まみれになったワイシャツ姿を見て父は泣いてしまった。
そんなわけで山道は体力的にきつい以外にも、なかなかのクセモノだった。
クラクションを鳴らした軽SUVは旅行客のもので、民宿に停めてあったが、翌朝持ち主が宿から出ると車は忽然と消えていて、警察が来たそうだ。
人気の車種でどうやら夜の間に盗まれたらしかった。
私達の自転車とバッグは誰にも盗まれる事無く、無事に軽ワゴンで桑坂さんが帰り際に2台とも回収してくれて、翌朝にはへしゃげたカゴも別のかごに交換してあった。
無言で自転車の列は山袋集落へ走って行った。
上り坂が続き、郁人のスピードに頑張ってついていく。
郁人はスイスイとこいでていてサッカー部の脚力はやはり強い。
私だって運動部だが、器械体操は脚力ではやや不利だった。
振り返ると大矢場先生の自転車のヘッドライトが見えた。先生は私の自転車から5メートルほど離れてはいたが、順調にこいでいる、
先生は山道に慣れているような気がした。
「大矢場です。今年度もあと3ヶ月ですが今日からよろしく」
担任の先生が急にいなくなって、オオヤバ、というなんだかとってもヤバそうな名前の先生が来ると聞いて、私も、おそらくクラスメイトたちも落ち着かない気持ちで新学期を迎えていた。
だが目の前に現れた大矢場先生にはヤバそうなところはどこにもなく、普通じゃないところを探すほうが難しそうだ。
背は高い。たぶん180センチくらい。
ありふれたセルフレームのメガネにスーツにネクタイ、白いシャツ。
おしゃれではないがみすぼらしくもない。
年齢はわからない。22歳にも32歳にも見える顔だ。
「名前のコスパ悪くない?」後ろの席の芽生がボソッとつぶやいた。
確かに名前はおかしい。
『大矢場 伊右衛門』オオヤバ イエモン?
江戸時代からやって来たのでなければ、きっと親が変わり者だ。クセ強めの苗字に追い打ちをかけるような名前。漢字七文字は多過ぎる。
自己紹介はあっさりと終わり、出欠を取って朝のホームルームが始まった。
「今から呼ぶ者は昼休みに職員室に来るように。五十嵐郁斗、櫻井凛花。以上」
大矢場先生はホームルームを終え、ファイルを小脇に抱えてさっさと教室から出ていった。
私の名前も入っていたが、呼ばれた理由はわからない。
一緒に呼ばれた郁人を振り返る。
小学生時代からの幼なじみで、中2になった今も同じクラス。
私達が通う須山市立西中学校は、近隣の3つの小学校から集まった子供たちが通っている。
郁人と私が通っていた小学校は一番遠くて人数も少なく、私たちの学年は一学年に15人が1クラスだけで、みんなとは友達というよりきょうだいのような感覚で6年間過ごして来た。
那珂都山集落は大きく2つに分かれていて、盆地になっている開けた部分が那珂都山集落、私と郁人が住んでいるのはそこからさらに山の上に行くとある山袋と呼ばれる30軒ほどの小さな集落だった。
山袋集落だけが須山西中の学区で、他の那珂都山地区は須山北中だ。
来年度の須山西中に山袋地区からの新入生はいないはずだったのだが、須山北中には柔道部が無くどうしても部活で柔道をやりたい男子が須山市に許可をとり越境入学してくる。
正月休みあけの刺すような冷たい風に吹かれながら、自転車で20分、中学校までアップダウンの多い道を走る。
足の筋力は中学校入学してから格段に付いた。
中学校の部活参加は全員強制で、郁人はサッカー部に私は器械体操部に入った。
那珂都山集落では習い事はサッカーか柔道しかなく、男子は全員がサッカーと柔道を掛け持ちしてやっていた。
女の子は小学生のあいだは那珂都山神社での男子禁制の奉納芝居やそのための舞や笛の練習、冬は百人一首の会もあり、なかなか忙しい。
中学校に入ると、お正月以外は集落の行事からは解放された。
「郁と凛花、何したの」
芽生が後ろから肘をシャーペンで突付いた。
「何もしてない。たぶん新入生の自転車講習会の話じゃない?」
集落からの通学路はあまりにも険しく寂しい山道で、数年前には対向車を避けようとして大怪我をした生徒が出た。
そのために新学期からしばらくは、山袋からの新入生は上級生と一緒に自転車で集団登校をする。
下校もできるだけまとまって帰るように指導されていた。
アップダウンのある山道を行く自転車講習は春休みに行われる。
このあいだまで小学生だった子たちにはキツく、励ましながらなんとか学校までたどり着く。
泣いてしまう女子もいて、旧村営バスの復活やスクールバスの話も何度も出てはいるのだが、子どもも少なく実現する日は来ないだろう。
冬場に雪が積もって道が凍結する時期からは親が送迎をする。
それほど雪の季節は長くは無い。
今年は1月になってもまだ雪は積もってはいないが、そろそろだ。
母が小学1年の時に亡くなってからは父が私を男手一つで、とは言っても親戚や集落の皆が総出で、育ててくれた。
雪が降ると学校への行きは、街に働きに出る郁人のお母さんに乗せて貰う。
帰りは父か祖母が迎えに来てくれる事が多かった。
「郁人、大矢場先生のところ行こう」
給食の片付けが済み、郁人を誘うと嫌な顔をされた。
「行きたくねー。どうせ自転車のアレだろ?」
「先生に怒られたくない」
「怒んねえよ。草尾センセーとおなじ」
草尾、というのは以前の担任で大人しい先生だった。
草尾先生はやる気がまるでなく、私達のクラスだけ模試の日程を知らされなかったり、クラスで誰かが殴り合いの喧嘩をしていても無視した。
私達にとっては、もう少ししっかりしてほしいが無害な存在だった。
二学期の後半あたりから先生はやる気が無いという次元を超え、授業の時間になっても姿を見せなくなった。
先生が来ないのでホームルームが出来ず、部活にいけないという事もたびたびあり、何人かの親は苦情を言ったようだ。
職員室にこもりきりの先生に代わって、副校長先生がホームルームをやるようになった。
郁人は文句を言いつつ、教室から出て職員室へ向かった。
「失礼します。大矢場先生に呼ばれて来ました」郁人が職員室のドアを開けて言った。許可なく入室することは出来ない。
「鈴木と櫻井。入っていいよ」
職員室に入り、大矢場の机のそばまで行く。
今日から新学期だが書類が乱雑に積み上がっていて、前任者の後始末が大変なようだ。
「二人は山袋からだよね」
「ハイ」郁人が答えた。
「今日は自転車で登校した?」
「ハイ」
「自転車で来ました」
「来年度の新一年の自転車登校の引率リーダーを二人に任せてもいいかな」
「大丈夫です。櫻井もいいよな?」郁人は私を振り返り、私はうなずいた。
「ありがとう。今日は二人とも部活が終わったら荷物持って職員室まで来てもらえるかな。先生も二人と一緒に自転車で山袋まで行ってみる」
「わかりました」
「じゃあその時に。戻っていい」
「ハイ」
「失礼しました」声を揃えて言い、職員室から出る。
「放課後迎えに行く」郁人が言った。
体操部だけは体育館に部室があり、他の部活は部室棟という独立した建物に部室があって、そこで着替える。
制服を着てコートを羽織り、髪を直していると1年生が部室をのぞいた。
「櫻井センパイ。五十嵐センパイが来てます」
「わかった、郁人ー!すぐ行く」部室の外に向かって大声で言うが返事はない。
山袋地区の面々は誘い合って帰るから、女子を男子が迎えに行っても、その逆でも揶揄われたりはしない。
「おせーよ、凛花。マフラーは?」
「まだ」
「マフラー貸せ」
急かすわりに、郁人はけっこう優しい。
私が渡したマフラーを、郁人は風でほどけてしまわぬように職人のような几帳面な手つきできっちり巻いた。
身長のわりに骨太で指の長い大きな手。
思い出せる限り昔から…、幼稚園の頃から郁人は几帳面で、私は大雑把だ。
「ありがと」
返事はないが慣れっこだ。
とっても照れ屋で昔からお礼を言っても無言、返事が返ってきたためしはない。
うちと郁人の家は母親同士の仲が良かった。
小さな頃からきょうだいのように育ち、一緒に撮った写真がたくさんあるが、郁人はたいがいそっぽを向いているかカメラをにらんでいる。
校舎に入り、職員室までの廊下は最低限の明かりだけで薄暗い。
学校というのは昼間、活動するために作られていて、夜の暗さにはまるで弱い。
「失礼します!大矢場先生に呼ばれて来ました」
職員室の入口で郁人が言う。今日2回目だ。
「ハイハイ、行きましょう」
大矢場先生はもうベンチコートを着ていて、立ち上がるとヒョロリとした印象が際立つ。
先頭が郁人、次が私、一番後ろが大矢場先生の順で自転車は走りだした。
冷たい風が強く顔に打ち付け、爪を立てて引っかかれるような痛みをもって顔に当たるが、郁人がしっかり巻いてくれたマフラーと母のお下がりのムートンの手袋のおかげで凍えはしない。
普通の毛糸の手袋では、日暮れ後は氷点下になる時期には役に立たない。
街頭に照らされた街中を抜けて、山道へ入った。
ここから先は左端にぴたりと寄って走る。
私と郁人の自転車のヘッドライトはハンドルの間に強いライトを追加で付けていて、最低限の視界は確保されていた。
バックパックにも自転車の後部車輪の泥除けにも反射材を付けているが、スレスレに通る車にはいつも恐怖を感じる。
と小さい頃は自転車ではなく徒歩でここを歩かねばならず、とても怖かった。自転車はまだマシだ。恐怖より速く走ればいい。
登り坂をだいぶ走ったあとに、道が二股に分かれているところへ来た。
左の大きな道が那珂都山地区への道で、さらに山の上に続く細い方の道が山袋地区への道だ。
この山道を抜けて行く先にはうちの集落しか無く、その先に道はない。
だから後ろから追い越して来る車も前から来る車も、集落関係者か用事があるものに限られる。
集落には一軒民宿があって、そこの客やそこを拠点に登山をする人たちが来ることもあった。
去年の冬、郁人と私が部活終わりに一緒に帰った時に、クラクションを派手に鳴らしながら追い越してきた軽のSUV車がいた。
郁人はうまく避けたが、私は動揺して山側のコンクリートの擁壁に突っ込んだ。
「凛花!!」
郁人は自転車を止めて走って戻り、壁に激突した自転車から転がり落ちた私を起こしに来た。
あの時は私のほうがまだ背が高く、体重も重かった。
抱き起こされると体が痛み額も痛んだ。
転んだときに額をコンクリートに打ったようで触るとヌルヌルとした。
「凛、大丈夫?」
「ちょっと気持ち悪い」久々に郁人から凛と呼ばれた、と思う。
昔はいっくんとリンちゃんと呼び合っていた。
触った血の感触で気分が悪くなり、抱きおこしてくれた郁人にもたれかかる。
「凛花、歩ける?脇道まで行けるか」
「たぶん」
少し戻ったところに山の整備のために入る脇道がある。
倒れた場所はカーブで見通しが悪い。ここにいてはあとから来た車に轢かれる可能性が高い。
自転車もバックパックも何もかもその場に置いて、郁人の腕につかまって、道を下った。
あと少しで脇道というところで、山を上から降りて車のエンジン音が聞こえ、ヘッドライトが顔を照らした。
車が止まりウィンドウが下がる。
「おい!」
運転していたのは集落の中でも世話焼きで、子ども会の行事にも毎回顔を出す桑坂さんの軽ワゴンだった。
「桑坂さん!凛花が自転車で転んで頭打った」
「乗れ乗れ!このまま病院行くぞ」
郁人に抱えられて道を渡り、後部座席に二人で乗り込む。
車に乗るとホッとして力が抜け、バックミラーに映る姿で、顔の半分が血まみれな事に気がついた。
車はそのまま街の総合病院まで走り、病院の電話から郁人が私の父と郁人の母に連絡して、救急外来の看護師から話を聞かれているところへ二人とも駆けつけた。
私は2針縫い、擦り傷は消毒され、他に特に異常は無かった。
「後ろからクラクションを鳴らされただけで車にはぶつかってません。自分でよろけて壁にぶつかりました」
私の顔の傷と首を伝った血で血まみれになったワイシャツ姿を見て父は泣いてしまった。
そんなわけで山道は体力的にきつい以外にも、なかなかのクセモノだった。
クラクションを鳴らした軽SUVは旅行客のもので、民宿に停めてあったが、翌朝持ち主が宿から出ると車は忽然と消えていて、警察が来たそうだ。
人気の車種でどうやら夜の間に盗まれたらしかった。
私達の自転車とバッグは誰にも盗まれる事無く、無事に軽ワゴンで桑坂さんが帰り際に2台とも回収してくれて、翌朝にはへしゃげたカゴも別のかごに交換してあった。
無言で自転車の列は山袋集落へ走って行った。
上り坂が続き、郁人のスピードに頑張ってついていく。
郁人はスイスイとこいでていてサッカー部の脚力はやはり強い。
私だって運動部だが、器械体操は脚力ではやや不利だった。
振り返ると大矢場先生の自転車のヘッドライトが見えた。先生は私の自転車から5メートルほど離れてはいたが、順調にこいでいる、
先生は山道に慣れているような気がした。