朝の光が天に向かってそびえ立つ木々の隙間を抜けて降り注ぐ。村の北側に切り立った巨大な崖の表面が金色に輝き始めた。崖の上部から流れ落ちる絹糸のような滝が朝霧を連れ立ち、薄いベールのように崖の姿を包み込んでいた。けれど、霧が光に溶けゆくにつれ、崖が本来の姿をあらわにしてゆく。

崖には階段や部屋が精巧に作られ、エルフたちの居住区を形成している。長い年月をかけて自然から切り出された住まいは、まるで古代の城のようであり、芸術作品のようでもある。

岩肌に彫り込まれた部屋の入り口が次第に明瞭になっていく。碁盤のように並ぶ窓のところどころで、暮らしを営むエルフの姿が見え隠れする。

このエルフの村、『ヴェンタス』でエルフたちと生活をともにして一週間が過ぎた。

与那は居住区の最下層の一角を与えられ、ルーザーとともに村の一員となった。ルーザーはいまだ夢の中だが、与那は日の出とともに働き始めていた。

「さぁ~て、朝食の準備でもするかー」

村の広場にはかまどがあり、その周囲には切り株がいくつもあった。与那はその切り株の上に必要な道具を並べた。

料理は与那の得意とする、リアルスキルのひとつである。それゆえ料理係として見込まれたのだ。

すると、いつのまにか切り株のひとつにメイサがちょーんと座っていて、頬杖をついて与那の働く姿を眺めていた。気づいた与那はびくっとした。

「わっ、いたのかよメイサ!」

「朝の第一声がそれはないでしょ。まずは『おはよう』といいなおしましょう」

「はいはい、おはようございます。って、わざと気配を消して驚かそうとしただろ」

「ご名答、さすがはあたしの奴隷ね。たまには刃を振るう勇姿を見てみたいと思って見に来たの」

メイサは面白そうにくすくすと笑った。与那をからかうのが楽しいのか、それとも与那との会話が楽しいのか、与那にはよくわからなかった。

「それでは、料理のお手並み拝見ってところかしら」

「よっしゃ、俺の料理スキルを見ていろよ!」

与那はポケットに両手を突っ込む。ポケットは伸縮性があり、幅のあるものであっても不思議と取り出すことができた。

じゃじゃん! 『まな板 板前さん』、『ペティナイフ 不甲斐ないふ君』、それに『お玉 たまにはタマちゃん』!

「出たな、異世界の料理道具!」

与那は切り株のひとつを台所代わりにし、料理をし始めた。

まずはパチェットと呼ばれる熊のようないきものの生肉をさばいてゆく。肉は果実酒に漬けておいたものだ。この処理で肉はやわらかくなり、臭みも取り除ける。

「おおっ、なかなかやるわね! 料理担当への任命は正解だったみたい」

「まあな、こういうことは慣れているから」

ミリニーユという根菜は、ナイフで皮を剥いてから乱切りにした。甘みのあるコングリーヌという木の実はタレを作るのにはもってこいだ。ナイフの腹で潰し調味料と混ぜあわせる。

じゃじゃん! 『塩』、『しょうゆ』、『こしょう』、『コンソメ』、それに『バジル』!

100円ショップの調味料は百花繚乱で、さまざまなバリエーションの料理を作ることができる。この利便性に改めて感謝する与那である。

「へぇ~、いろんな味付けがあるのね。たのしみ~♬」

メイサは異世界の料理が待ちきれないといった雰囲気で、口元をにまにまと緩ませる。

「ところで火、起こせる?」

「それくらい朝飯前さ」

じゃじゃん! 『着火ライター どこでもファイヤー』と『着火剤 火事場の馬鹿力』!

「おっ、異世界の便利アイテム! 詠唱しないで火を出せる魔法でしょ?」

ダークエルフとの戦いで、瞬時にして炎を出したことを、他のエルフから聞いたらしい。

「何度も言うけど、魔法じゃなくて文明の利器なんだよ。メイサには魔法のほうが馴染みがあるんだろうけどさ」

「っていうか、なんでその棒の先に火が点くのか、意味不明すぎるんだけど」

「魔法のほうが、原理が理解不能すぎるよ」

メイサは呆れたようで、両手のひらを空に向けて肩をすくめた。

着火剤を点火させ、かまどにくべるとまもなく炎が巻き上がる。村で見つけた戦闘用の円盾を裏返しにし、炎を焚いたかまどに乗せて固定する。盾をフライパン代わりに使うのだ。中華鍋のように容量が大きく、まとめて炒めるにはもってこいだ。

パチェットの脂をフライパン盾の上で溶かし、最初に乱切りにしたミリニーユを炒める。十分に火が通ってミリニーユがやわらかくなったところで、短冊切りにしたパチェットの肉を投入する。

「しっかし、ヨナの世界では男の子も料理が得意なんだね」

与那は料理を炒めながら返事をする。

「ん-、俺の場合はどうしても自分でやらなくちゃいけなかったから」

鍋を見つめながら真顔でそう言うと、メイサは与那の心情を察したのか、「ふーん」と言ったっきり、それ以上を尋ねることはなかった。

与那の父はエンジニアをしていたが、海外で新技術の機械を開発していた時に工場で事故が起き、その事故に巻き込まれてしまった。工場全体が爆発するような大規模な事故だったために、遺体の確認がされることもなかった。

その事故から7年が経った。現実世界での与那は母とふたり暮らしだったが、母は遅くまで仕事をしており、だから与那が料理を作っていた。独学でレシピを学び、料理のスキルを習得した。

ふと、料理を作りながら母が心配しているのではないかと不安になる。どうにかして異世界で元気に暮らしていることを現実世界に伝えたかった。

与那は一心不乱に食材を炒め、最後に甘辛いタレを一気に流し込む。フライパンの盾がじゅわっと派手な音を奏でると、メイサが「おおっ!」とワンオクターブ高い声をあげた。

「できた! じゃじゃん!」

『パチェットとミリニーユのコングリーヌソース仕立て』

「よくやった、あたしの奴隷よ!」

おいしそうな食べ物を目にしたメイサの瞳がきらきらと輝く。

「何人分とりわけるんだ?」

「総勢30人だよ。あっ、新参者も含めて32人ね。お皿、準備するよ」

メイサは皿を一枚手に取り、「しっかし、この精巧な円形につやつや感。みごとなものだねぇ」と言って皿のクオリティに見とれている。この皿も与那が調達したものだ。

100円の品とはいえ、メイサにとってはあらゆるものが新鮮に感じられるようだ。与那は自身が褒められているような気持ちで照れくさい。

食欲をそそる料理の匂いを嗅ぎ付け、広場のテーブルにぞくぞくと村の住人が集まってくる。

「メイサの連れてきた人間が作ったんだってさ!」「嗅いだことのない香ばしさだ!」「兄貴の異世界レシピは最高っすよ!」と皆、盛り上がっている。

……ん?

与那は話し声の中に、知る声が混ざっていることに気づいた。

テーブルに目を向けると、いの一番に席に座ってナイフとフォークを握り締める男の姿があった。褐色の顔は、餌を待つ飼い犬のような笑みを満たしている。

与那はお玉をその男に向けて叫んだ。

「ルーザー、おまえ起きているなら手伝えやぁぁぁ!」

温厚な与那でさえ、ルーザーの図々しさには堪忍袋の緒が切れるありさまであった。