縛られていたダークエルフはいつのまにか目を覚ましていた。与那たちの姿を見ると、さっそくバタバタともがき始めた。与那が口に突っ込んだ万能ふきんを引き抜く。

「うぷはあーっ、はーっ、はーっ!」

深呼吸をした後、恐怖の表情で与那を見上げて涙目で叫んだ。

「ひぃぃ! どうか殺さないでくださいませませませませませーっ!」

顔が青ざめているのかどうかはわからないが、あまりの怯えっぷりは、ほんとうに兵隊だったのか? と怪しんでしまうくらいだ。

すると、メイサがショートソードを鞘から抜いて、相手の首元に突きつけた。

「おまえの仲間はすべて追い払った。だから、この場であいつらについて知っている情報をすべて吐きな。生きて帰れるかどうかは、おまえの気概次第だ」

ダークエルフは目を血走らせ、さらに震え上がった。

「まぁ、命の心配はしなくていい。メイサは殺そうなんて思っちゃいないから。ただの脅しだ」

あまりの怯えっぷりにいたたまれなくなり、思わず助け船を出す与那。

「ちょっと! 甘い顔をしたら口を割らなくなっちゃうじゃん!」

「でも、こいつはなにも知らない気がするんだよなぁ……」

メイサは眉根を寄せたが、与那にはこのダークエルフが悪いことをするような輩には思えなかった。

すると、ダークエルフは哀願するような声で事情を話し始めた。

「聞いてください! 拙者はただの雇われ人です! 日払いの『切る』仕事って言われたのでついてきたら、村を襲うことになっちゃったんです! 伐採の仕事だと思っていたのにぃぃぃ!」

「「はぁ? 伐採!?」」

「なのに、まさかエルフの首を斬る仕事だなんてぇぇぇ!」

ふたりはぽかんと口を開けた。

もしもそうなら、このダークエルフも被害者だ。与那の世界でも、似たような強盗詐欺に加担させられる者がいることは重大な社会問題になっていた。

「っていうか拙者、ダークエルフじゃないですから!」

「「はああ!?」」

「この肌、ただの地黒なんですぅぅぅ!」

「「はあああ!?」」

与那とメイサは顔を見合わせた。ところが、ふたりの頭上を飛んでいたミグが確信のある声調で言う。

「確かにダークエルフではありませんね。正確に言えば、血の98%は生粋のエルフですが、残り2%がダークエルフのようです。いにしえの時代にあった混血の影響が、肌にだけ出てしまったようです」

血を嗅ぎ分けられるのは幻獣としての能力なのだろう。

「ミグ様、さすが!」

「今、初めて幻獣の神秘的な力を垣間見たよ」

ミグは空中で、三回水平に回って「えっへんぷー!」と言って片手を上げてポーズを決めた。異色のドヤり方を与那は生温かい目でスルーした。

「ただ、この肌の色のせいで嫌われてしまうんで、フードをかぶって街や村を転々と渡り歩いていたんですぅぅぅ!」

そう聞いて与那の心に少しだけ同情心が湧いた。かたやメイサは両腕を組み、冷淡な顔で相手を見ている。

「で、どうせダークエルフと間違われるなら、ダークエルフの日雇いに応募しちゃおうかと思ってぇぇぇ! 路銀がつきちゃったしぃぃぃ!」

「じゃあ、エルフを手にかけるつもりなんかなくて、生きるための小銭稼ぎだったってことか」

「なので、見張りだけやらせてもらっていました! ほんとっす、信じてください!」

派手な身振り手振りに必死さが垣間見える。けれど言っていることは信ぴょう性がある。

「俺がダークエルフの変装をして声をかけたら、やけにびびっていたのはそういうわけか。バレたらやばいと思っていたんだな」

「声をかけ……ああっ、お兄さん、さっき話しかけてきたダークエルフだったんすね! まさかお互いダークエルフではなかったとは! ……あいたたた」

殴られた後頭部が傷んだようで、うずくまって手でさすった。与那は気まずそうな顔をする。

「頭、殴って悪かったな。ちなみに殴ったのはこっちのメイサ」

与那は人差し指でちょいちょいとメイサの頭を指さした。

「なんで恨みどころをあたしに持ってくのよ。そもそもこれ、ヨナの提案じゃない」

落ちていた万能黒ゴムハンマー(小)を拾って与那の眼前でふりふりする。

「てへへ、すまない」

「兄貴、勘弁してください!」

ダークエルフもどきは命乞いの果てに与那のことを『兄貴』と呼び始めた。そう呼ばれてしまうとまるで懐かれたようで、みすみす放っておけなくなる。

与那はメイサと視線でコンタクトをする。メイサは納得したようで、黙って首を縦に振った。この男からは情報は引き出せない、解放しても害はないと判断したはずだ。

「ところで兄貴、これはいったいなにでできているんですか? ぜんぜん取れなかったんすけど」

ダークエルフもどきは結束バンドに目を向けた。

「まぁな。別の世界の物質だよ。ちょっと待っていてくれ」

与那はポケットに手を突っ込み100円アイテムを取り出す。

じゃじゃん! 『万能ハサミ おまえはすでに切れている君!』

縛り付けていた結束バンドを軽やかに切っていく。

「兄貴の武器、すげえ切れ味っす!」

「武器じゃなくて生活用品なんだけどね。名前は?」

「ルーザーっす」

「ところで、この剣はいったいどうしたんだ?」

与那はルーザーの脇に差してある日本刀のような剣が気になっていた。

「あー、もらったんすよ。不思議な人だったなあ。けっこう昔のことっすけどね」

「不思議な人?」

するとルーザーは記憶の糸を手繰り寄せるように過去のことを語りだした。

――拙者は、とある『剣豪』と出会った。

エルフの街が悪の魔法使い集団に襲われ、絶体絶命の危機に陥った時、救世主として現れたのがその男だった。

気を込めた剣には魔法を引き裂く力があり、間合いを詰める速度は疾風のごとし。その剣は、まるで生きているかのように輝き、持ち主の意志に応じて自在に舞い踊る。圧倒的な身のこなしと相手のスキルの予測能力を持ち、彼の動きはまるで舞を踊るかのように優雅ながら、相手の急所を突いて致命的な一撃を喰らわせる狡猾さを併せ持っていた。

敵の魔法使いたちは次々と呪文を唱え、火の玉や氷の矢を放ったが、彼の剣はそれらをことごとく打ち砕いた。剣が振るわれるたびに、空気が震え、閃光が走る。まさに異世界の異能者による異次元の戦いであった。目に宿る静謐な光に恐れはなく、多勢に囲まれても常に勝利への活路を見出していた。

そしてついに、たったひとりで千を超える魔法部隊を撃退させてしまった。拙者は彼の凄まじい戦いっぷりに感激し、畏敬の念を抱いたのである――。

「その剣豪の名は――ツカハラ・ボクデンっていいます!」

その名を耳にした与那ははっとなった。

塚原卜伝(つかはらぼくでん)!? その名前、聞いたことがあるよ!」

与那は目前のエルフが別の世界で生きる歴史上の人物を知っていることに驚きを隠せない。

「っていうかおまえ、剣豪のプレゼンがやけにうまいな」

「兄貴に褒められて光栄っす!」

塚原卜伝――それは、史実を元にした戦国時代のゲームで「上泉信綱(かみいずみのぶつな)」と双璧をなした最強の剣豪。与那の家は貧しくゲーム機がなかったが、友人の家で遊んだ時に目にした記憶があった。最高レベルに達すると、その剣豪のみが扱える奥義を発動させられるのを思い出した。

「あの武将の奥義は――そう、『一之太刀(ひとつのたち)』だったかな」

「そうっす! それを目の当たりにしました!」

「まじか!」

「ちなみにボクデン殿は拙者の師匠となり、戦いにおける最大の秘儀を教えてくれたんっす。それは――敵を倒す技を繰り出すことではなく、『無手勝流』、つまり戦わずして勝つってことだと!」

『一之太刀』に『無手勝流』――間違いない。歴史上の人物である塚原卜伝、張本人だ。

「そして拙者の前を去る際に、剣を形見として残していったんです。拙者はその剣を受け取り、その剣で戦わないことを誓ったんす」

「つまりその装備は見かけ倒しってことか!?」

「そうっす、この剣を抜かずして勝てたら、それが最高の勝ち方ってことっす! ――ってことで、願掛けで一度も抜いていないんすよ」

どこか方向性がおかしい。だいたい、自分のことを『拙者』って呼んでいるのも卜伝の影響に違いない。けれど長年貫いた主義主張に波風を立てるのは気が引けた。

「でも、その師匠がいたのって、いつ頃のこと?」

「たぶん、50年くらい前っす」

エルフとは、やはり長寿の種族のようだ。けれど――。

「50年? いや、そんなわけ……」

与那が生きていた現代の50年前といえば、それは昭和の時代だ。塚原卜伝が歴史に登場したのは戦国時代のことだから、おそらく500年ほど遡るはず。時間の流れが合っていないのは納得がいかない。

――なんでだろう?

ふと、転移させられた時の神の言葉を思い出す。

『時間と空間を超え、異なる世界へ肉体を転送させることだ』

――もしかしたら。

空間だけでなく時間すら飛び越えてしまうのであれば、現実世界とこの世界(ユーグリッド)は、時間の位相に差があって当然なのだ。そうだとすれば、現実世界で異なる時代に生きた人間がこの世界で出会うことだってあり得る。

――いや、待てよ、よく考えるんだ。

与那はこの世界に転移する直前、店にバイトとして加わった高根の言葉を思い出した。まるで自分のことを知っているような親しげな語り口だったのが、ずっと心に引っかかっていた。

――やぁだ、与那さん。なに改まっちゃっているのよ~。

――さては、わたしとの関係を秘密にする気だな~?

――当然でしょ。約束したじゃない。

与那は頭の頂から全身を貫く雷撃を受けたような感覚だった。

――まさか!

与那は高根の会話が不自然だった理由に気づいたのだ。

高根さんは、店で俺と出会うよりも前に、なんらかの理由でこの世界(ユーグリッド)に来て俺と出会っていたのではないか。だから、俺も高根さんのことを知っているのだと勘違いして、あんなに親しげな態度をとったのではないか。

そうだとすれば、この世界のどこかに今、高根さんは存在しているはず。しかも、彼女は生きて元の世界に戻り、俺とふたたび出会えると信じていた。つまり俺も帰れる見込みが立っていたということだ。

現実世界に戻るための手がかりは、高根さんとの再会の先にあるはずなんだ!

「うおっしゃああああ!!!」

思わぬことで現実世界に戻るきっかけを手に入れ、与那は大興奮で立ち上がる。メイサはビクッと肩をこわばらせてから「いきなりなんなのよ」と口を尖らせ、平手でヨナの背中を一発、叩いた。

「聞いてくれメイサ! 俺と同じく、現実世界から来た人がこの世界(ユーグリッド)のどこかにいるはずなんだ!」

「そ、そうなの!?」

メイサは突然の与那の主張に驚いて目を丸くした。

「しかもその人は俺と一緒に戦うことになっている! こんなに心強いことがあるかよ! だから探さなくっちゃ!」

「わかったわ。けれど、ヨナはこの世界(ユーグリッド)のこと、ぜんぜん知らないんでしょ? まずは世界を把握することから始めないといけないんじゃない?」

「確かにそうだな。よし、じゃあ村へ戻るか。ではルーザー、詐欺には気をつけてな!」

「またどこかでね~」

「ちょっ……ちょっと待ってくださいよぉぉぉ!」

手を振って立ち去ろうとすると、ルーザーは必死の形相で泣きついてきた。

「恥ずかしながら、拙者はもう、行き場も路銀もないんっす。しばらく面倒を見てはもらえないっすか!?」

「いやよ! こっちだってひとり増えたんだから、いろいろと準備が要るのよ!」

メイサは容赦なく願いを一刀両断した。けれど与那は黙っていられなかった。

「だけど、困っているエルフを見捨てるのもなぁ……。なんとかならないか、メイサ」

「雇われとはいっても、さっきまで敵だった相手よ。ヨナは人が善すぎるんじゃない?」

「俺は住む場所が一緒でも構わないし、食事だって半分でも構わない。そのぶん働くからさ」

「でもなぁ……」

「俺の世界じゃ、『昨日の敵は今日の友』って言うんだ。だけど、今日の敵と今日のうちに友になっちまえば、明日はもっと仲良くなれるはずさ」

そう言うとメイサは鼻からふんと息を吐いて口元を緩めた。

「まったく、しょうがないわね。そこまで言うなら、あたしが渾身の説得で村長の承諾を得るから」

「うおーい兄貴! 優しいっす! 拙者、兄貴のために命をかけられる可能性が少しくらいあるかもしれないっす!」

ルーザーは立ち上がり、与那の手を取り、肩を脱臼させるほどにぶんぶんと振った。

「痛いってば、ルーザー!」

必死に手を振りほどくと、パタパタと空を飛んでいたミグが降りてきてヨナの首にまたがった。

「はああ、これで一件落着ですね。今日はしんどかったわ〜」

「って、異世界からやってきた俺のほうがよっぽどしんどかった自信があるんだけどな」

ミグの足を両手で押さえて肩車をすると、ミグは与那の頭の上にくちばしをのせてスンスンと匂いを嗅いだ。

「ヨナっちの頭からは平和の匂いしかしないですねぇ」

「まあな、俺の世界じゃ、ほとんどの人が平和を願っているんだ。だけどそうじゃない一部の人間のせいで、たくさんの人が平和じゃなくなっている」

「どこも似たようなものですねぇ~」

そこで与那はポケットに手を突っ込んで小さな袋を4つ、取り出した。

じゃじゃん! 『ポリフェノールたっぷりチョコレート』!

「ほら、これ食べなよ」

三人に渡すと、メイサは怪訝そうな顔でまじまじと眺める。開けると小袋の包装の中には、黒色の丸いチョコレートが6粒入っていた。

「なにこれ?」

「俺の世界にある元気の元だよ。ポリフェノールは疲労回復にもってこいだから」

「ふぅ~ん、お薬の一種なのね」

「見た目はどす黒くて悪意を感じちまうんですが、ほんとうに大丈夫っすか?」

ルーザーは疑いの目でチョコレートを見ている。

「すんすん、毒成分はふくまれていませんね。安心してついばむとしますか」

ミグが安全だと言ったので、皆、信用していっせいにチョコを口に投げ込む。その瞬間――。

「「「あま~い♡」」」

目がとろんとして頬の筋肉が脱力する三人。一瞬にして幸せの国へと舞い上がっていった。

「なにこれ、ヨナの世界ってもしかして天国なの!?」

「ははっ、天国と地獄の中間。その折り目みたいなところって言うべきかな」

「兄貴、口の中が甘味の海で満たされて、ポリなんとかの波間に漂っている感じっす!」

「なんでルーザーは食レポも秀逸なんだよ! その才能、俺に半分くれ!」

「むむぅ~、初見のスイーツでこの破壊力、救世主という肩書は伊達ではないですねぇ~」

「俺の力じゃないよ。これは自然の力と先人の努力の結晶だ。100円にはいろんな歴史が詰まっているんだよ」

皆は未知の甘味を堪能しつつ、わきあいあいと村に戻ってゆく。帰り道では夕日が地平線に差しかかり、出逢った異世界の人々の影を長くする。風は穏やかで、木々の葉がささやくように揺れていた。

次第に影は揺れながら暗闇に吞み込まれ、空にはまばゆい星が散りばめられていった。