窓の外に目を向けると、巡回していたダークエルフたちは小屋の中で起きた事態を把握したようで、いつのまにか姿をくらましていた。のんきな鳥たちのさえずりが響き、メイサはつられるように安堵のため息をつく。
「メイサ、まずはみんなを開放しようぜ!」
与那は縛られたエルフたちの前でひざまずき、巻きつけられたロープに手をかけた。よく見ると草の蔓でできているロープだ。
あれ? エルフって魔法で自然界のものを操れるって言ってなかったっけ? もしそうなら、自分たちで簡単に解除できそうなものなのに。
振り向いてメイサを見上げると、メイサは与那の不思議そうな顔を見て察したようだった。
「ヨナには視えないの? そのヤドババの蔓には魔法を無効化する魔法がかかっているよ」
「そういうことか……」
「エルフ同士の戦いは魔法の戦いよ。いつだって、いかに相手の手を封じるかが重要になってくるの」
「じゃあ引きちぎれないかな」
「ヤドババの蔓は丈夫だから、並大抵の力では引きちぎれないわ」
「それなら――」
与那はポケットに手を突っ込み、100円アイテムを取り出した。
じゃじゃん! 『便利な文房具 ダイヤル式カッター』!
刃先を当てて鋭く引くと蔓に切れ込みが入る。しつこく粘るとついに蔓が切れた。
「おおっ! なんて切れ味!」
「どうだ! これなら魔法を無効化する魔法なんて無意味だろ」
「すごい! 魔法を無効化する魔法を無効化しちゃうのね!」
「いや、ただの物理現象」
メイサはなんだか納得のいかない顔をしている。彼女にとっては、物理現象よりも神秘的な魔法の方が普遍的な事象なんだなと感じる。
「あっ、でも一回切っただけで刃先がボロボロになっちまったな」
ヤドババの蔓とは、丈夫で厄介な植物らしい。けれど与那は削れた刃先をカットし切れ味を復活させた。
「でも、こうやって何度でも新品の切れ味によみがえらせられるんだ」
「へぇー、異世界の工夫、すごぉい!」
「まあな。でも俺たちのあたりまえは、先人のすっごい努力の賜物なんだぜ」
与那はドヤ顔で次々とロープを切ってゆく。ほどなくしてエルフたち全員が解放された。けれどエルフたちはどことなく与那を怖れている。
「ヨナ、顔が黒いままだからダークエルフと間違われているみたいよ」
「おっと、それならちゃんと素顔を晒さないとな」
じゃじゃん! 『お肌に優しいウエットティッシュ』!
エルフのつけ耳を外し、取り出したウエットティッシュで顔と肌をぬぐう。みるみるうちにガングロファンデーションが落ちてゆき、元の素肌の色が戻ってきた。
ところが顔を拭いていると左頬に『エロフ反射痕』が出現した。エルフたちは皆、どよっと険悪な雰囲気に包まれた。若い男性のエルフがメイサに尋ねる。
「まさかメイサ……この男に手籠めにされそうになったのか!?」
与那が睨まれたところで、すかさずメイサがフォローする。
「ああっ、いや、彼に助けてもらったんだけど、その時に勝手に発動しちゃったみたいで。でも助けられたんだから、ちょっとやそっとのエッチな行為は大目に見てあげて」
「だからエッチな気持ちは一ミリもなかったし。だいたいメイサに魅力を感じるほど俺はロリコンじゃないっ!」
「ひっど! 少しは魅力を感じなさいよー!」
フォローになっているのかなっていないのか、与那にはさっぱりだ。けれど漫才のような会話で雰囲気が穏やかになった。
「では改めて紹介します。異世界からやってきた救世主、ヤスイ・ヨナです!」
「おおっ!? 救世主が降臨なされたのか!」
少々恥ずかしげに頭をかく与那。自然と拍手が沸き起こった。窓から午後の光が差し込み、やわらかな熱が部屋を包み込んでいる。小屋の中を満たしていた緊張感が温和な空気に染め変わってゆく。
「なにせギャンドゥ様の遣いだから、信用して大丈夫だと思うよ、たぶん」
「……なんか語尾に疑念が残ってるな」
「あたりまえじゃない! 油断したらいつ首を取られるかわからない世界だからね」
メイサは手のひらを首の前で水平に構えて、ちょーんと横に引いた。
「ところでギャンドゥ神って、こっちの世界にもいる公共の神様なんだ」
そう尋ねると、ふたたび脳内で神の声がした。
『説明しよう!
神は時空を超えて存在する概念である。あらゆる世界を股にかけているが、おぬしの世界は人間の創意工夫によりモノが溢れすぎた。よって、神羅万象の神たちは話し合いの末、分担して守備範囲を決めることになった。そこで私は100円ショップの一部を任されることになったのだ』
「っていうことは、ほかにも同業者の神様がいるって事っすか!?」
『安井与那よ。公共の神様だとか、同業者の神様だとか、神に対してビジネスっぽい用語を使うのはやめてほしい。威厳が目減りした感じがするではないか』
ギャンドゥ神の声には微妙に不満の感情が含まれていた。
「神様って意外と面目を気にするんですね。すみません、以後注意します!」
神の俗的な一面を垣間見て親しみを覚えた与那であったが、元の世界に戻れなくなったらおおごとだけに、逆鱗に触れるようなことはけっして言わない。この姿勢は接客業の基本であり辛いところでもある。
『それでは、最近は店舗拡大で多忙ゆえ、これにて失礼する。さらばだぁぁぁ!』
ギャンドゥ神は一方的に要件を打ち切って去っていった。神には神にしか分からない重荷があるのだろうと与那は察した。
すると幼い男の子と女の子のエルフがとてとてと足元に駆け寄ってきて、ふたりで与那の顔を指さした。
「「やーいやーい! エロフ反射く~らった~エロフ反射く~らった~♬」」
「こらぁ、ピッピとポッポ! 救世主をからかってはいけません!」
メイサがふたりの子を厳しく一喝した。ふたりは表情を固まらせて動きを停止し、与那を揶揄する歌をぴたりと止めた。メイサは子供たちにとって怖い存在らしい。
「せっかく反射痕がついたんだから、思う存分こき使わないと!」
「ひいっ! お手柔らかに!」
無論、与那にとっても怖い存在だった。
さらに年老いた男性のエルフが杖を片手にのそのそと前に出る。白い髭を生やし、まぶたは垂れて目を覆っている。背丈は与那よりも頭ひとつ分低い。穏やかな表情は、温厚そうな雰囲気を醸し出していた。
「わしはこのヴェンタスの村長、ラウロじゃ。おぬし、わしらの村のために、力を貸してくれるというのか?」
「あっ、はい、できることがあるなら尽力します!」
「そうか、それは助かる。じゃが、村に留まるのであれば一言伝えておかねばなるまい」
その瞬間、ラウロ村長はかっと目を見開き、全身から恐ろしいほどの殺気を放出した。周囲のエルフたちが、返す波のごとくサーッと距離を取った。小屋の外では風が強まり、木々がざわめき始めた。窓が悲鳴を上げる。
「……人間ごときがこの村の誰かに手を出そうものなら、地獄以上の地獄を味わわせてくれよう!」
肉眼では捉えられないが、何か巨大な力が村長の背中から溢れてくる気がした。自分より背丈が低いのに、まるで巨大な化け物を目の当たりにしたような感覚に陥る。与那は呑み込まれるような恐怖を覚え、首をガクガクブルブルと横に振った。
「ヒイィィィィィ! 誓って手も足も出しませんっ!」
「よかろう、ならば村の一員として迎えることにしよう」
殺伐とした空気が引いていき、与那はやっと真っ当な呼吸ができるようになった。窓から差し込む午後の太陽が、ふたたび部屋を温かく照らし始めた。
すると、メイサが口を手に当ててぴょんと飛び上がった。
「あっ、忘れてた! 見張りのダークエルフをひとり、縛り付けたままにしていたじゃない!」
「そういえばそうだったな。じゃあ、逃がしてやるか」
「何言っているのよ。とことん拷問して情報を引き出さないと、もったいないじゃない!」
メイサはチャンスとばかりに強気で息巻いている。一方で与那はダークエルフの姿と様子に違和感があったことを思い出した。その違和感の意味を確かめてみたくなった。
「待つんだ、メイサ」
小屋を飛び出そうとするふたりを制止したのは、すらりとした長身で彫りの深い顔立ちが際立つ若い男性だ。たてがみのように伸びた金髪を後ろで結んでいる。切れ長の瞳と綺麗に整えられた眉は利発さを感じさせた。まさに隙のない、『ザ・エルフ』という印象の男だ。(あくまで与那の印象である)
「せめて武器は持っていけ。おまえの場合、魔法は最終手段だからな」
脇に差していたショートソードを鞘ごと外してメイサに突き出した。
「アスタロットは心配しないでいいよ。相手はひとりだし、救世主ヨナもいるし。でも、備えあれば憂いなしよね」
メイサは剣を受け取り腰に携えた。呼吸が揃っていて、旧知の仲なのだろうと察しがついた。
「じゃあ行くよ、ヨナ!」
「ああ!」
ふたりは勢いよく小屋を飛び出す。すると頭上から風を切る音が聞こえた。見上げると一羽、鳥のようなものが空を飛んでいる。それも、戦闘機のように勢いよく円を描きながら空を滑っていた。
よく見ると黄色いくちばし、丸みを帯びたフォルム、そして細長い三角形の羽とヒレがついた足。中型犬くらいの大きさだろうか。その姿はまさに――。
ふたりの姿に気づくと、方向転換をして一直線で向かってくる。それはまさに氷上を腹這いで滑るペンギンの姿、そのものであった。ペンギンは叫んだ。
「メイサたぁぁん! 無事だったのですねぇぇぇ!!」
ペンギンが共通言語で叫んでいるぅぅぅ!?
驚愕した与那を尻目に、メイサは両手を広げてペンギンを迎え入れた。
「ミグ様こそ、無事でよかったぁぁぁ!」
ふたり(一人と一匹?)は抱き合い勢いのままにぐるぐると回っていた。砂埃が立ち、一瞬、視界が遮られたが、しばらくするとふたりの回転はおさまり、木々を揺らす風たちが砂を攫って視界を鮮明にした。
止まった瞬間、ペンギンと目が合った。ペンギンは露骨にムスッとした。与那もまた、得体の知れない異世界の生き物に警戒心を抱いた。
「「こいつ誰?」」
与那とペンギンは同時に相手を指して同じ言葉を吐いた。メイサは諭すようにペンギンに語りかける。
「あっ、紹介するわ。こちらは神が異世界から遣わした救世主、ヤスイ・ヨナよ」
「救世主!? ふんっ、ただの人間ね。どう見ても役に立たなそうなのに、よく救世主と名乗ることができましたね」
まるで100円アイテムを馬鹿にするような言い方だが、そんなクレームは店員として聞き慣れており、耐性は獲得している与那である。
「こちらはミューゼンバウロ・グルタリカス様っていう、崇高な幻獣。略してミグ様。あたしの両親と契約しているから、今はあたしについているんだ」
「ほえー、幻獣? 見た目にはペンギンにしか見えないけれどなぁ」
まじまじとその全身を眺めていると、ミグはトタトタと歩み寄り、翼でヨナの顔を指してくちばしを開いた。
「ミグはペンギンとかいうアホな名前ではありません!」
「いや、どう見ても生き物としての属性がペンギンだから。アンケート取ったらペンギン率100%だから!」
「だいたい何なんですか、そのペンギンとかいう得体の知れない生物は!」
「見た目はミグ様と一緒。で、歩き方とか泳ぐ姿とか可愛い」
幻獣と聞いたので一応、「様」をつけて呼ぶことにした。
「か……可愛いですとぉ?」
「アクアリウムでは、一番の人気者じゃないかなぁ?」
「い……一番の人気者ですとぉ?」
羽毛に覆われた顔がぽっと赤らめているような気がする。ミグは腕を組み、背中を向けて主張する。
「ふっ、ふんっ! あなた、救世主とか言われていてもメイサたんの奴隷なんでしょ? っていうことはミグの奴隷でもあるってことですからねっ!」
「なんでそうなる!?」
「メイサたんは契約の中ではミグと同列の扱い。それより上か下かはメイサたんとあなたの関係に依存するっていうわけよ」
どうやらエロフ反射痕が仇となって下に見られているらしい。けれど、下っ端の立場には慣れっこの与那である。
「まぁまぁ、ふたりとも仲良くして」
メイサがミグをなだめるように、頭を撫でながら前に出る。
「ちなみにミグ様の特殊能力は『魔法拡張』。精霊の力で魔力を増強したり、物に魔力を込めたりすることができるんだ」
「おっ、それなりに使えそう!」
「その言い方なんか失礼! ミグをなんだと思っているんですか!?」
「だから、ペンギンとしか……」
「だーっ! ですからミグは!」
「可愛くて人気者のペンギンとしか」
「まっ、まあ……それでも構わないですけど……ポッ」
褒めると態度が豹変する幻獣は紛れもなくツンデレである。このツンデレな幻獣に力を貸してもらえれば心強いけれど、それはなかなか難しそうだなぁとため息をつく与那であった。
「メイサ、まずはみんなを開放しようぜ!」
与那は縛られたエルフたちの前でひざまずき、巻きつけられたロープに手をかけた。よく見ると草の蔓でできているロープだ。
あれ? エルフって魔法で自然界のものを操れるって言ってなかったっけ? もしそうなら、自分たちで簡単に解除できそうなものなのに。
振り向いてメイサを見上げると、メイサは与那の不思議そうな顔を見て察したようだった。
「ヨナには視えないの? そのヤドババの蔓には魔法を無効化する魔法がかかっているよ」
「そういうことか……」
「エルフ同士の戦いは魔法の戦いよ。いつだって、いかに相手の手を封じるかが重要になってくるの」
「じゃあ引きちぎれないかな」
「ヤドババの蔓は丈夫だから、並大抵の力では引きちぎれないわ」
「それなら――」
与那はポケットに手を突っ込み、100円アイテムを取り出した。
じゃじゃん! 『便利な文房具 ダイヤル式カッター』!
刃先を当てて鋭く引くと蔓に切れ込みが入る。しつこく粘るとついに蔓が切れた。
「おおっ! なんて切れ味!」
「どうだ! これなら魔法を無効化する魔法なんて無意味だろ」
「すごい! 魔法を無効化する魔法を無効化しちゃうのね!」
「いや、ただの物理現象」
メイサはなんだか納得のいかない顔をしている。彼女にとっては、物理現象よりも神秘的な魔法の方が普遍的な事象なんだなと感じる。
「あっ、でも一回切っただけで刃先がボロボロになっちまったな」
ヤドババの蔓とは、丈夫で厄介な植物らしい。けれど与那は削れた刃先をカットし切れ味を復活させた。
「でも、こうやって何度でも新品の切れ味によみがえらせられるんだ」
「へぇー、異世界の工夫、すごぉい!」
「まあな。でも俺たちのあたりまえは、先人のすっごい努力の賜物なんだぜ」
与那はドヤ顔で次々とロープを切ってゆく。ほどなくしてエルフたち全員が解放された。けれどエルフたちはどことなく与那を怖れている。
「ヨナ、顔が黒いままだからダークエルフと間違われているみたいよ」
「おっと、それならちゃんと素顔を晒さないとな」
じゃじゃん! 『お肌に優しいウエットティッシュ』!
エルフのつけ耳を外し、取り出したウエットティッシュで顔と肌をぬぐう。みるみるうちにガングロファンデーションが落ちてゆき、元の素肌の色が戻ってきた。
ところが顔を拭いていると左頬に『エロフ反射痕』が出現した。エルフたちは皆、どよっと険悪な雰囲気に包まれた。若い男性のエルフがメイサに尋ねる。
「まさかメイサ……この男に手籠めにされそうになったのか!?」
与那が睨まれたところで、すかさずメイサがフォローする。
「ああっ、いや、彼に助けてもらったんだけど、その時に勝手に発動しちゃったみたいで。でも助けられたんだから、ちょっとやそっとのエッチな行為は大目に見てあげて」
「だからエッチな気持ちは一ミリもなかったし。だいたいメイサに魅力を感じるほど俺はロリコンじゃないっ!」
「ひっど! 少しは魅力を感じなさいよー!」
フォローになっているのかなっていないのか、与那にはさっぱりだ。けれど漫才のような会話で雰囲気が穏やかになった。
「では改めて紹介します。異世界からやってきた救世主、ヤスイ・ヨナです!」
「おおっ!? 救世主が降臨なされたのか!」
少々恥ずかしげに頭をかく与那。自然と拍手が沸き起こった。窓から午後の光が差し込み、やわらかな熱が部屋を包み込んでいる。小屋の中を満たしていた緊張感が温和な空気に染め変わってゆく。
「なにせギャンドゥ様の遣いだから、信用して大丈夫だと思うよ、たぶん」
「……なんか語尾に疑念が残ってるな」
「あたりまえじゃない! 油断したらいつ首を取られるかわからない世界だからね」
メイサは手のひらを首の前で水平に構えて、ちょーんと横に引いた。
「ところでギャンドゥ神って、こっちの世界にもいる公共の神様なんだ」
そう尋ねると、ふたたび脳内で神の声がした。
『説明しよう!
神は時空を超えて存在する概念である。あらゆる世界を股にかけているが、おぬしの世界は人間の創意工夫によりモノが溢れすぎた。よって、神羅万象の神たちは話し合いの末、分担して守備範囲を決めることになった。そこで私は100円ショップの一部を任されることになったのだ』
「っていうことは、ほかにも同業者の神様がいるって事っすか!?」
『安井与那よ。公共の神様だとか、同業者の神様だとか、神に対してビジネスっぽい用語を使うのはやめてほしい。威厳が目減りした感じがするではないか』
ギャンドゥ神の声には微妙に不満の感情が含まれていた。
「神様って意外と面目を気にするんですね。すみません、以後注意します!」
神の俗的な一面を垣間見て親しみを覚えた与那であったが、元の世界に戻れなくなったらおおごとだけに、逆鱗に触れるようなことはけっして言わない。この姿勢は接客業の基本であり辛いところでもある。
『それでは、最近は店舗拡大で多忙ゆえ、これにて失礼する。さらばだぁぁぁ!』
ギャンドゥ神は一方的に要件を打ち切って去っていった。神には神にしか分からない重荷があるのだろうと与那は察した。
すると幼い男の子と女の子のエルフがとてとてと足元に駆け寄ってきて、ふたりで与那の顔を指さした。
「「やーいやーい! エロフ反射く~らった~エロフ反射く~らった~♬」」
「こらぁ、ピッピとポッポ! 救世主をからかってはいけません!」
メイサがふたりの子を厳しく一喝した。ふたりは表情を固まらせて動きを停止し、与那を揶揄する歌をぴたりと止めた。メイサは子供たちにとって怖い存在らしい。
「せっかく反射痕がついたんだから、思う存分こき使わないと!」
「ひいっ! お手柔らかに!」
無論、与那にとっても怖い存在だった。
さらに年老いた男性のエルフが杖を片手にのそのそと前に出る。白い髭を生やし、まぶたは垂れて目を覆っている。背丈は与那よりも頭ひとつ分低い。穏やかな表情は、温厚そうな雰囲気を醸し出していた。
「わしはこのヴェンタスの村長、ラウロじゃ。おぬし、わしらの村のために、力を貸してくれるというのか?」
「あっ、はい、できることがあるなら尽力します!」
「そうか、それは助かる。じゃが、村に留まるのであれば一言伝えておかねばなるまい」
その瞬間、ラウロ村長はかっと目を見開き、全身から恐ろしいほどの殺気を放出した。周囲のエルフたちが、返す波のごとくサーッと距離を取った。小屋の外では風が強まり、木々がざわめき始めた。窓が悲鳴を上げる。
「……人間ごときがこの村の誰かに手を出そうものなら、地獄以上の地獄を味わわせてくれよう!」
肉眼では捉えられないが、何か巨大な力が村長の背中から溢れてくる気がした。自分より背丈が低いのに、まるで巨大な化け物を目の当たりにしたような感覚に陥る。与那は呑み込まれるような恐怖を覚え、首をガクガクブルブルと横に振った。
「ヒイィィィィィ! 誓って手も足も出しませんっ!」
「よかろう、ならば村の一員として迎えることにしよう」
殺伐とした空気が引いていき、与那はやっと真っ当な呼吸ができるようになった。窓から差し込む午後の太陽が、ふたたび部屋を温かく照らし始めた。
すると、メイサが口を手に当ててぴょんと飛び上がった。
「あっ、忘れてた! 見張りのダークエルフをひとり、縛り付けたままにしていたじゃない!」
「そういえばそうだったな。じゃあ、逃がしてやるか」
「何言っているのよ。とことん拷問して情報を引き出さないと、もったいないじゃない!」
メイサはチャンスとばかりに強気で息巻いている。一方で与那はダークエルフの姿と様子に違和感があったことを思い出した。その違和感の意味を確かめてみたくなった。
「待つんだ、メイサ」
小屋を飛び出そうとするふたりを制止したのは、すらりとした長身で彫りの深い顔立ちが際立つ若い男性だ。たてがみのように伸びた金髪を後ろで結んでいる。切れ長の瞳と綺麗に整えられた眉は利発さを感じさせた。まさに隙のない、『ザ・エルフ』という印象の男だ。(あくまで与那の印象である)
「せめて武器は持っていけ。おまえの場合、魔法は最終手段だからな」
脇に差していたショートソードを鞘ごと外してメイサに突き出した。
「アスタロットは心配しないでいいよ。相手はひとりだし、救世主ヨナもいるし。でも、備えあれば憂いなしよね」
メイサは剣を受け取り腰に携えた。呼吸が揃っていて、旧知の仲なのだろうと察しがついた。
「じゃあ行くよ、ヨナ!」
「ああ!」
ふたりは勢いよく小屋を飛び出す。すると頭上から風を切る音が聞こえた。見上げると一羽、鳥のようなものが空を飛んでいる。それも、戦闘機のように勢いよく円を描きながら空を滑っていた。
よく見ると黄色いくちばし、丸みを帯びたフォルム、そして細長い三角形の羽とヒレがついた足。中型犬くらいの大きさだろうか。その姿はまさに――。
ふたりの姿に気づくと、方向転換をして一直線で向かってくる。それはまさに氷上を腹這いで滑るペンギンの姿、そのものであった。ペンギンは叫んだ。
「メイサたぁぁん! 無事だったのですねぇぇぇ!!」
ペンギンが共通言語で叫んでいるぅぅぅ!?
驚愕した与那を尻目に、メイサは両手を広げてペンギンを迎え入れた。
「ミグ様こそ、無事でよかったぁぁぁ!」
ふたり(一人と一匹?)は抱き合い勢いのままにぐるぐると回っていた。砂埃が立ち、一瞬、視界が遮られたが、しばらくするとふたりの回転はおさまり、木々を揺らす風たちが砂を攫って視界を鮮明にした。
止まった瞬間、ペンギンと目が合った。ペンギンは露骨にムスッとした。与那もまた、得体の知れない異世界の生き物に警戒心を抱いた。
「「こいつ誰?」」
与那とペンギンは同時に相手を指して同じ言葉を吐いた。メイサは諭すようにペンギンに語りかける。
「あっ、紹介するわ。こちらは神が異世界から遣わした救世主、ヤスイ・ヨナよ」
「救世主!? ふんっ、ただの人間ね。どう見ても役に立たなそうなのに、よく救世主と名乗ることができましたね」
まるで100円アイテムを馬鹿にするような言い方だが、そんなクレームは店員として聞き慣れており、耐性は獲得している与那である。
「こちらはミューゼンバウロ・グルタリカス様っていう、崇高な幻獣。略してミグ様。あたしの両親と契約しているから、今はあたしについているんだ」
「ほえー、幻獣? 見た目にはペンギンにしか見えないけれどなぁ」
まじまじとその全身を眺めていると、ミグはトタトタと歩み寄り、翼でヨナの顔を指してくちばしを開いた。
「ミグはペンギンとかいうアホな名前ではありません!」
「いや、どう見ても生き物としての属性がペンギンだから。アンケート取ったらペンギン率100%だから!」
「だいたい何なんですか、そのペンギンとかいう得体の知れない生物は!」
「見た目はミグ様と一緒。で、歩き方とか泳ぐ姿とか可愛い」
幻獣と聞いたので一応、「様」をつけて呼ぶことにした。
「か……可愛いですとぉ?」
「アクアリウムでは、一番の人気者じゃないかなぁ?」
「い……一番の人気者ですとぉ?」
羽毛に覆われた顔がぽっと赤らめているような気がする。ミグは腕を組み、背中を向けて主張する。
「ふっ、ふんっ! あなた、救世主とか言われていてもメイサたんの奴隷なんでしょ? っていうことはミグの奴隷でもあるってことですからねっ!」
「なんでそうなる!?」
「メイサたんは契約の中ではミグと同列の扱い。それより上か下かはメイサたんとあなたの関係に依存するっていうわけよ」
どうやらエロフ反射痕が仇となって下に見られているらしい。けれど、下っ端の立場には慣れっこの与那である。
「まぁまぁ、ふたりとも仲良くして」
メイサがミグをなだめるように、頭を撫でながら前に出る。
「ちなみにミグ様の特殊能力は『魔法拡張』。精霊の力で魔力を増強したり、物に魔力を込めたりすることができるんだ」
「おっ、それなりに使えそう!」
「その言い方なんか失礼! ミグをなんだと思っているんですか!?」
「だから、ペンギンとしか……」
「だーっ! ですからミグは!」
「可愛くて人気者のペンギンとしか」
「まっ、まあ……それでも構わないですけど……ポッ」
褒めると態度が豹変する幻獣は紛れもなくツンデレである。このツンデレな幻獣に力を貸してもらえれば心強いけれど、それはなかなか難しそうだなぁとため息をつく与那であった。



