窓から差し込む眩しい朝の光が、100円ショップであるギャン☆ドゥの店内を明るく染めあげる。従業員たちは、開店準備に追われつつも、生き生きとした活気をみなぎらせている。

「今日も一日、店の品物がたくさん売れますよーにっ!」

与那は、頭に「百」と書かれた神のフィギュアの前で静かに両手を合わせた。これは与那にとって欠かせない仕事前の儀式だ。けれど以前と違うのは、隣に乃花が立ち、ともに手を合わせていること。乃花の瞳は店員としての使命感に満ちた光を宿している。

シャッターがゆっくりと上がると、待ちわびた客たちがいっせいに店内へと流れ込む。その足音や笑い声が、新しい一日の始まりを告げるように響いた。休日の朝は、近くの公園へ出かける人々が、飲み物やおやつを買い求め立ち寄ってくる。その賑わいは、風が草木をざわめかせるように店内を活気づけていた。

「与那、お仕事頑張っているわね」

やわらかな声が、客たちのざわめきの中から響いた。それは、与那の母、和音の声だった。穏やかな笑顔で息子を見つめる母に、与那は苦笑いを浮かべる。

「母さん、恥ずかしいから、用が済んだら早く帰ってよ」

すると、隣から宇賀店長の渋い声が飛び込んできた。

「与那よ、せっかくのお客様なんだから、そんなに冷たい態度を取るものではないぞ」

店長の声には説教じみた響きがあるものの、鼻の下が伸びているのが明らかだ。最近、店長が母のことを頻繁に尋ねてくる理由が、この瞬間、ますます確信に変わった。店長は母にぞっこんなのだろうと、与那は深いため息をついた。

父である清琉の言葉を和音に伝えたところ、和音は涙ながらに「世界が違っていても、私だって一生愛しているもの」と自身の気持ちを口に出して確かめていた。だから店長が猛アタックしようが、気持ちが変わることはないだろうと与那は確信していた。

ただ、自分に対する態度が父親じみていて、少々迷惑に感じている。

与那の母の姿に気づいた乃花が、小走りで駆け寄ってきて与那の隣に並ぶ。

「あっ、与那さんのお母様、おはようございます!」

「あら、乃花ちゃんは今日も一緒なの?」

「はい、与那さんとはいつも一緒です。と言いますか、たぶん、ずっと一緒です!」

乃花はにこやかに答えた。その表情には、社長令嬢としての高飛車な雰囲気はいっさいない。元々100円アイテム見下していた乃花だったが、与那の100円アイテムを使った創意工夫を目の当たりにしたせいで、雑貨品を見る目がすっかり変わったようだった。いつのまにか庶民感覚だけでなく謙虚さをも手に入れていた。

その時、自動ドアのメロディーが鳴り響き、店内に突然の緊張感が走った。

周囲の客たちは、なにか怪しい人物を目にしたように警戒し、その場から距離を取り始める。

入り口に立っていた人物は、人間離れした威厳と存在感を放っていた。悠然と店内を見渡し、まるでこの世界の頂点に君臨しているかのような態度で言い放つ。

「おお、エリアJPのギャン☆ドゥは、だいぶ繫盛しているようだな」

傍らの女性は、そのたくましい腕に絡みつき、身を寄せながら微笑んでいる。与那と乃花はその光景を見て、驚きと戸惑いに満ちた表情を浮かべた。

「えっ、あの……ギャンドゥ神?」

「ゼーリア神も、なんでこの世界に!?」

するとギャンドゥ神はにやりと口角を上げて答えた。その瞬間、店内の空気が一層、緊張感を増した。

「ふふっ、久しぶりだな、安井与那よ。いや、おぬしの時間軸としてはつい先日のことにすぎないか」

「私たちはラスカ帝国での戦いから100年経った時点を起点にして、この世界を訪れているの」

「ひゃっ、100年後の神様なんですか!?」

二柱の神の言葉に、与那は困惑するしかない。するとゼーリア神が事情を説明する。

「じつはギャンドゥは、人間に干渉しすぎた罪で牢獄生活を送っていたの」

「そっ、そんな物騒なことがあったんですか!?」

「まったく、永遠のように感じられる100年だったわ」

ゼーリア神はそう言って、ギャンドゥ神の筋肉質な腕に甘えるように身を寄せる。

「ふふ、それでも待っていてくれたおまえのことを、私は誇らしく思うぞ」

ギャンドゥ神が微笑みを浮かべ、ゼーリア神の頭に優しく手を置いた。ゼーリア神はその言葉に顔を赤らめ、どこか幸せそうに微笑む。

親密なやり取りを目の当たりにした与那と乃花は、「この二柱、そういう仲だったんだ……」と、思わず顔を見合わせた。

「え、と、それで……わざわざ時空を越えて来られた理由は……?」

ぎこちなく問う与那の脳裏には、神々が人間界へ干渉することが禁忌であったという記憶がよみがえる。なのになぜ、今ここに?

「そうだ、そこでおぬしの元を訪れた本題となるが――」

その瞬間、ギャンドゥ神の表情が一変した。瞳に深い真剣さが宿る。

「天界ではおぬしらの働きが非常に高く評価されていたのだ。そこで、人間界から救世主を呼び寄せることで、各世界の平和を保たせるという治安維持法が暫定的に認められたのだ。私が牢獄生活を送る100年の間のことである」

与那は神の言葉を真剣な表情で聞き入る。乃花も固唾を飲みながら続きを待っていた。

「そして今日、この世界を訪れたのは他でもない。おぬしたちに、ふたたび救世主としての役目を請け負ってもらいたいのだ」

「「はああ!?」」

ふたりの声がみごとに重なった。ギャンドゥ神は意に介さず淡々と続ける。

「じつは、エルフ界が魔物の襲来により未曾有の危機に直面しているのだ。そこで救世主の力を求める声が上がり、我々が人間界から救世主をリクルートすることとなった」

「リクルートっすか!? って、俺たちまた死にかけるってことっすか!」

死に瀕するという異世界転移の条件を思い出して身震いを覚える与那である。だが、ギャンドゥ神は悠然と首を横に振った。

「いや、その点を心配することはない。一度、救世主として成功を収めた者に関しては、異世界との自由な往来を許すと法律で定められている」

「つまりそれは、異世界フリーパスってことっすか!?」

ギャンドゥ神は微笑んで首肯した。

「そういうことだ。素晴らしい恩恵だろう?」

「って、あんな命がけの仕事、いくら社畜でも二度と御免なんですが!」

「当然ながら、わたしもお断りの一択よ!」

ふたりはドン引きしたが、ギャンドゥ神もゼーリア神も、不思議なほど余裕の表情を浮かべている。

「では、これでも同じ答えを口にできるだろうか?」

ギャンドゥ神が清算カウンターの前で手をかざすと、レンガ造りの円形の水槽がカウンター上に現れる。満ちた水は透き通っていて、のぞき込むと、その向こうには自然の豊かな景色が広がっていた。

「よく見るがよい、安井与那よ」

泉に映る風景が森の一角にズームアップしていく。そこには石造りの祭壇のような場所があり、誰かがその前でうつむき膝をついていた。与那は目を凝らしてその姿を確かめる。

泉に映る人物は尖った耳を有していて、種族はエルフなのだとわかった。

「彼女は若くしてエルフ界を束ねている、女王と呼ばれる存在だ」

ギャンドゥ神が意味ありげに口元を緩めた。

その女性は両手を合わせ、祈りを捧げていた。白銀の髪が美しく流れるその体躯は、まさに女王と呼ぶにふさわしい威厳を漂わせている。しかし同時に、触れると壊れてしまいそうなか弱さも感じさせた。

その女性がふと顔を上げた。涙を浮かべた深刻な表情が目に映る。その両耳には記憶に刻まれた真珠のイヤリングが光っていた。

見た瞬間、与那の胸は早鐘を打つ。

――メイサ!?

驚きの表情を隠せない与那に、ギャンドゥ神が語りかける。

「エルフ界は今、未知の魔物の襲来により、未曽有の危機を迎えている。救いを求めて祈りを捧げている彼女は――おぬしも知っている者だろう?」

与那の脳裏には過去の戦いが鮮明に蘇る。全身を流れる血が熱を帯びてゆく感覚が湧き上がり、胸の奥底で決意が固まっていく。

――大切な人が俺を呼んでいる。俺に課せられた運命は、救いを求める者に手を差し伸べ、異世界を守り抜くことだ。

社畜ならば、返事はイエスとゴーしかない――実にシンプルな結論だった。与那は意を決して母に向きあう。

「俺、世界を救う戦いに行かなければならない。だって、それが俺の使命だから」

与那の真剣な声に、母は一瞬寂しそうな顔を浮かべたものの、振り切るように笑顔を作った。

「与那、いつのまにか立派になったのね。でも、必ず生きて帰るって約束してちょうだい」

「もちろんだって!」

与那はたくましくガッツポーズを作って見せた。するとギャンドゥ神は満面の笑みで陳列棚に手を当てる。空間が切り取られ、光り輝く金色の扉が現れる。

「では、行ってきます!」

扉のノブに手をかけようとしたその時、突然、乃花が与那の腕に飛びついてきた。

与那の手を止めると、くるりと扉の前に身体を滑り込ませ、両手を腰に当てて怒り顔になる。

「ちょっと待ってよ! 与那さんをひとりで行かせるわけないじゃない!」

「なっ、なんでだよ! もう乃花さんまで巻き込めないって!」

けれど、与那を睨みつける乃花の目には、確固たる決心が宿っていた。

「あっ、あたりまえでしょ! だって与那さんが心変わりしちゃったら、わたしの将来設計が台無しになっちゃうんだから!」

切羽詰まった言い方に、与那は乃花の真意を汲み取る。

思えば現実世界に戻る際、乃花は与那がメイサにキスされる場面を目撃していた。美しい大人の女性となったメイサと与那が再会すれば、与那の気持ちが揺らがないはずはない、そう懸念しているはずなのだ。

とはいえ、与那は乃花に恋人宣言をした覚えはまったくない。それなのに、乃花は紅潮した顔で力説する。

「だって、与那さんはこれからお父様の計らいでわたしと同じ大学に入学して、卒業後はわたしのお婿さんになって、それから父の会社アーキテクチャの跡取りとなって、敵対する企業をバッタバッタと倒してもらうの。もちろん、救世主の与那さんなら、企業ひとつを勝ち組にするなんてお安い御用よね? ね?」

乃花は必死の形相で、体を上下に揺らしながら与那を説得する。その姿はまるで兎を狩る獅子のごとき本気モードである。

「ちょっと、俺の将来を勝手に決めないでよ!」

「もうっ! これは世間で言う逆玉の輿っていうやつよ! 断る理由がどこにあるっていうの!?」

「っていうか俺、100円ショップのアイテム開発に携わりたいって言ったじゃん!」

名声や財産よりも、100円アイテムへの愛が勝っている与那のことである。乃花の言うことは破格の条件に思えるが、そうやすやすとは承諾できなかった。

「いい? わたしは身も心も人生も与那さんに捧げるって言っているの。だから、命がけだろうがなんだろうが、与那さんと異世界に行って、わたしの覚悟を認めてもらわなくちゃいけないの!」

「なっ……なんか乃花さんの覚悟ってやつが怖いんだけど!」

「誰がなんと言おうと、わたし、与那さんと一緒にあの世界(ユーグリッド)に行きまーす!」

乃花が一緒だと聞いて安心したのか、母はうれしそうに手を叩いていた。そんな母の様子に気づいた与那は、乃花の意思を無下にすることはできなかった。

「わかったよ、それなら戦友ってことでよろしくな!」

「まあいいわ、だって与那さんとの未来は、まだまだ続くんだから!」

ふたりは目を合わせて力強くうなずき、一緒に金色の扉へ手をかける。扉が開くと、まばゆい光が放たれた。その光はふたりを包み込み、新たな世界へと導いていく。

真っ白な未来のページには、まだなにも描かれていない。けれど、この第一章がめくられる時、冒険のファンファーレが鳴り響く。

風の音に溶け込むエルフたちの歌声、恐るべき魔物たちの咆哮、そしてふたりが繰り出す数多の雑貨品たち。これらすべてが協奏曲となり、未知なる世界(ユーグリッド)に戦いの章を刻んでいく。

ここから新たな物語が、幕を開けるのだ――。

Fin