戦いが終焉を迎えたのは、最後の防衛線が崩壊した瞬間だった。かろうじて魔物の侵攻を食い止め街は救われた。
安堵とともに我に返った与那は、地に伏したアルティメットの元に駆けてゆく。
「父さん! 大丈夫!?」
横向きになった操縦席の扉が開き、セールが姿を現した。軽やかに飛び降りる姿に与那は胸を撫でおろす。
「無事だったんだね! 機動土器での戦い、すごかったよ!」
「与那、まさかおまえがこの世界に来て、救世主になるなんて思ってもいなかったぞ」
セールは与那の全身を頭から足の先までまじまじと眺め、感無量の表情を浮かべた。それから子供を扱うかのように、与那の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「ちょっとやめてよ恥ずかしい!」
「それにしても立派になったな。もう十九歳か」
「うん、でも父さんが元気でいてくれてよかった! 母さんだってひどく心配していたんだから!」
そう言われてセールは申しわけなさそうな顔をする。
「いやな、現実世界に戻れる方法がわからなくて。時空を超える方法を試行錯誤しているうちに、もう7年も経ってしまったんだ」
けれど、世界を救えたのだから現実世界に戻ることができるはず。その時は父もともにと、与那は期待に胸を膨らませていた。
「そうだ、ダイゾーン神が乗り移っていた帝王はどうなったんだ!?」
思い出してアルトゥスに目を向けると、アルトゥスは年老いた姿のまま小さくうずくまっている。エルフから奪った魔力が尽き、肉体が急速に老化したようだ。
震える足で立ち上がろうとするも、足がおぼつかず地面に倒れこんでしまう。
「アルトゥス様、大丈夫ですか?」
兵士たちが駆け寄ってきた。
「ううう……余はついに力を失ってしまった。もはや、国を支えることはできないか……」
アルトゥスは力なくつぶやき、その視線を与那へと向けた。
「だが、後継者には相応の人材が望ましい。だから若き救世主よ、おぬしがこの帝国を引き継いでもらえないだろうか」
与那はびくりと肩を跳ねさせて驚きを示した。まさか帝王からラスカ帝国を任されるなんて思ってもいなかったことだ。
けれど、これまでの戦いは、現実世界へ戻るための努力に他ならない。だから了承する理由なんてどこにもない。
それでも後ろ髪を引かれてしまうのは――この世界には与那にとって大切な人、いや、大切なエルフがいるからだ。
メイサに視線を向けると、メイサは少しだけ寂しそうな表情で顔をふるふると横に振った。あたしに気を遣うことなんてないよ、という意味なのだと思えた。
乃花が心配そうな顔で歩み寄る。
「与那さん、まさかラスカ帝国を引き継ぐなんてありえないわよね?」
そう聞かれたが、与那の返事にためらいはなかった。
「当然だよ。俺が生きていくのはこの世界ではないから」
人間とエルフ――その生物としての隔たりを埋めることはできない。メイサからすれば、人間はどんどん歳をとり、流れ星のように消えてしまう存在なのだ。だから、自分自身がこの世界に残ることは、メイサを悲しませることにしかならない。
与那の意思を確かめた乃花は、安心したようにほっとため息をついた。
それから乃花は柔和な表情でアルトゥスに歩み寄り、隣にしゃがみ込んだ。アルトゥスだけに聞こえるよう、耳元でそっと囁く。
――このクソボケカスクズ無能の国主が! あんたに与那さんはあげないんだから!
その瞬間、アルトゥスは顔面蒼白になり、恐怖で全身を硬直させた。乃花は立ち上がり、アルトゥスに向かって丁寧な所作で頭を下げてみせる。
「ということで、帝王の申し出は丁重にお断りさせていただきました。だから与那さん、気にしないでね」
そう言ってから与那に向けて、可愛らしくウインクをした。
与那は説得が通じたのだろうと安心したが、耳が鋭いエルフのふたりは乃花の言葉に震え上がっている。
するとセールが歩み出てアルトゥスの隣で片膝をつき、こう申し出た。
「アルトゥス様、どうか私の息子には自由をお与えください。そのかわり、ラスカ帝国の未来は、この私が責任を持って引き受けます」
「セール、おまえが……?」
アルトゥスは目を丸くしてセールの顔を見上げている。
けれど、それ以上にセールの決断に驚いたのは、他でもなく与那だった。
「ちょっと待ってよ父さん! 俺と現実世界に帰るんじゃなかったの!?」
するとセールはすまなそうな顔で与那に告げる。
「私はすっかりこの世界が気に入ってしまった。未開の世界での機器開発は魅力的だし、存外に慕ってくれる者も多いようだ。新たな生き場所を見つけたと言うべきだろうか」
すると、国を救った英雄のひとりであるセールの言葉に、兵士たちからどよめきが起きた。さらにどこからともなく拍手が沸き起こり、喝采へと昇華した。
セールは先進機器を開発し戦いに貢献しただけでなく、元々人望が厚かったため、誰もが新しき王として認める存在となっていた。
アルトゥスは納得の表情で首を縦に振る。
「なるほどな、おまえは余が思う以上に、重責を担う胆力をつけていたということか。孤軍奮闘だと思っていた余は、独りよがりだったのかもしれないな」
そう言うアルトゥスは、双肩にかかる重荷を下ろしたような安堵感を漂わせている。
そのやり取りに、与那は再会に続く別れを覚悟した。
「そうなのか……また離れ離れになってしまうんだね」
「すまない、おまえが元の世界に戻ったら、母さんをよろしく頼む。それから、今でも愛していると伝えてほしい」
「うん、わかったよ……じゃあ俺からもお願いがあるんだ」
「なんだ、言ってみろ」
与那はアレンたちに視線を向けた。
「あの子供たちを、宮殿で働かせてほしい。きっと神の望む、持続可能な再生世界を創ってくれるから」
アレンたちは与那の意外な提案にざわついた。セールの逡巡はほんの一瞬だった。
「ああ、俺はおまえに対して、十分父親らしいことをしてやれなかった。だから、少しでもそのぶんを返させてもらうよ」
「ありがとう、父さん……」
しんみりとした雰囲気に包まれていた時、与那の目前に半透明のスクリーンが出現した。
格子状のゲージが映り、空白のゲージに、ぽぽぽぽーん、とギャンドゥ神の顔の印鑑が押された。
『安井与那よ、おぬしはここまで到達するまでに、多くの者を救ってきた。それは人間だけでなく、棄てられた雑貨品に対してもだ。神として礼を言いたい』
ファンファーレさながらの優雅な音楽が流れ、メッセージが映し出される。
『異世界貢献ポイント+10 LV3 上限500円』
「ええっ、上限500円!? でも俺、もう現実世界に帰るつもりなんですけど!」
余計な大盤振る舞いにうろたえる与那。けれど神には別の思惑があったようだ。
『そして、おぬしが現実世界に戻ることができるか、それとも時空の狭間で塵と化すか、それが試される時が来たのだ』
「えええ! ここまで来たんですから、無事に帰れる確率100%じゃないんですかあああ!?」
『世の中に100円アイテムは多数存在するが、100%成功するなどという虫のいい話はどこにもぬゎあい!』
穏やかでない運命の分かれ道を突きつけられ、与那は戦慄を覚えた。
すると、ゲートの前の平原に7つの光り輝く扉が現れた。虹に見立てているのか、赤から紫までの色が順番に並んでいる。
『この中で、おぬしが住む世界に戻れる扉はひとつだけだ』
さらにゼーリア神の声が続く。
『ちなみに高根乃花もまた、己の運命をこの選択に委ねなければなりません』
乃花の表情にもぴりりと緊張感が走る。
「いったい、どうすれば正解の扉を選べるんだ……」
現実世界に戻るためには、正しい扉を選択すること。そして、500円アイテムは、正解を引き当てるために必要なこと。神々が示唆するのは、そういう意味に違いない。
すると、乃花が片方の手のひらの上に拳をポンと乗せて、なにかひらめいたような顔をした。
「ねえ、もしかして、500円あればあれが手に入るかも。そうすればわたしの愛用ガジェットが駆動できるから!」
そう言い放った乃花は、勝手に与那のポケットに自分の手を突っ込み、中をゴソゴソとまさぐった。
「の……乃花さん、ちょっとなにするんだよ!」
「わたしだって一度くらい、与那さんのスキルを使ってみたいの!」
すると、取り出した乃花の手には、とあるアイテムが握られていた。正方形の平らなケースに、ケーブルが繋がっている。
「じゃじゃん! 『モバイルバッテリー 乾電池式充電器(500円)』!」
「あっ、俺の真似したなー!」
「ふふん、わたしも言ってみたかったんだ♪」
乃花は得意げにLEDライトから単三電池を取り出しモバイルバッテリーにセットする。さらに胸元からスマホを取り出し、バッテリーのケーブルをスマホに挿し込んだ。
すると、ぱっとスマホの充電マークが表示された。乃花はぐっと拳を握りしめた。
「このスマホ、現実世界の電波と繋がっているの。わたしたちの世界が近づくと、電波が強くなるんだよ」
「おおっ! それならどの扉を開ければ元の世界に戻れるか、判別できるっていうことか! っていうかスマホってすげえポテンシャルだ!」
この世界に飛ばされた乃花が生き渡ることができたのは、スマホのおかげだったんだなと気づいた与那である。現実世界に戻ったら、バイトにいそしみスマホを手に入れようと決心した。
「でも、充電には少しだけ時間がかかるわ。だから与那さん、それまでにこの世界の人たちに別れを言ってきたらどう?」
乃花の声は優しく、しっとりとしている。与那は無言でうなずき、仲間たちへと振り向いた。
運命的な時間を過ごしたこの世界とも、いよいよお別れになるのだ。
最初にミグと視線を合わせる。
「ミグ様、いっしょに戦えてスリリングだったよ。ミグ様がいなかったら、俺がこんなに活躍できるはずがなかった。俺に力を与えてくれてありがとう」
「い……いやぁ、聖獣のミグにとってはたいしたことではないんですけどね。でも、そんなに真顔で褒められると……ボッ」
ミグはペガサスになっても褒められると照れていた。与那はその美しい体躯をしっかりと目に焼きつけた。
それからルーザーに手を差し出して握手を交わす。
「俺、まさかエルフと友達になれるなんて思っていなかった。これからもルーザーの剣技が世界の平和に役立つことを願っているよ」
「ううう兄貴ぃ……拙者、兄貴のおかげでヴェンタスの一員にしてもらえて、居場所を見つけることができたんす。兄貴には100%感謝しかありませんよぉぉぉ」
ハンマーで殴る作戦を企てたことは水に流してもらえたらしい。人情が厚くてひょうきんなルーザーは、最高の相棒だったと、思わず目頭が熱くなる。
そして最後にメイサと向かいあう。きゅっと締めつけるような胸の痛みをごまかし、笑顔を見せて別れの言葉を切り出した。
「メイサ、俺はメイサを助けるためにこの世界に呼ばれたんだ。でも、これでミッション達成だから、晴れやかにバイバイしようぜ」
与那を見上げるメイサの瞳は潤んでいた。そんな顔、メイサには似合わないと思う。けれど、憂いた顔はかすかに大人の女性の雰囲気を醸していて、妙にきれいに見えた。
「ヨナ、あたし、ちゃんと部屋を片付けられる女の子になるね!」
「ああ、俺のあげた整理整頓アイテムを有効活用してくれよな」
「それに、不器用なのを直して、編み物も料理も上手になるから!」
「ああ、頑張れよ。誰だって練習すればできるようになるんだから」
「それで、与那が見とれちゃうような、美人で素敵なお姉さんになるんだ。見られないの、ざまあみろだ!」
「ははっ、そこまで自信があるのなら、大人になってから夢の中で会おうぜ。楽しみにしているよ」
与那はつとめて笑顔を崩さなかった。自分が寂しそうな顔をしたら、きっとメイサが涙をこぼしてしまうから。
いつのまにか、互いの心をわかちあうような、深い絆で結ばれていたのだと実感する。そう思えるほど、別れはえもいわれぬ痛みを伴っていた。
「あと、最後だからひとつ頼みを聞いてくれ」
「なっ……なに?」
「そのぴょこんと立った耳を触らせてもらう。覚悟しろよ」
「ひゃっ、ひゃいっ!」
与那がメイサに歩み寄ると、メイサは緊張をあらわにして目を強く閉じる。けれど抵抗はしなかった。
与那の手が右の耳、そして左の耳に優しく触れてゆく。メイサはその感触にぞくぞくっと身体を震わせた。
しばらくすると、与那の手が耳から離れた。
「はい、目を開けてみて」
まぶたを開いたメイサの眼前には、メイサ自身の顔が映し出されていた。与那が手鏡をかざしていたのだ。
「あ……」
メイサは耳たぶになにかがぶら下がっているのに気づいた。
それは、真珠を模したイヤリング(両方セットで300円)。トワイライトの光が小さな球体の輪郭を淡く照らし出していた。
メイサは目を細めて、うれしそうな顔をした。
「これ、きれい……」
「まぁ、本物の真珠じゃないんだけど、俺と出会った記念にはなると思ってな」
メイサはうれしそうに頬を赤く染めた。与那のほうも、いくぶん顔を赤らめていた。女子にプレゼントを送るなんて、生涯で初めてのことだった。
「古くなったら捨てていいからな」
けれど、メイサはふるふると首を横に振った。
「ううん、ちゃんと手入れをして、ずっと大切に使うよ」
「そうか。それならイヤリングも幸せだろうな。――あっ、そうだ!」
与那は手鏡を自分に向けて確かめた。左頬のエロフ反射痕が、くっきりと残ったままだ。
「これってどうすれば消してもらえるんだっけ!?」
すると、メイサは恥ずかしそうな顔をしてうつむいた。勝気なメイサらしくないその様子を与那は不思議に思う。
「ええっと、うん。それね……消してあげられるんだけど……かがんで目を閉じてもらえるかな」
そう言われたので目を閉じて腰を落とす。きっと、これがこの世界で体験する最後の魔法なんだなと想像した。
すると突然、左の耳元でメイサのささやく声がした。
「あたし、ヨナのこと――」
消えてしまいそうな声に続いて、頬にやわらかくて生温かい感触を覚えた。驚いて振り向くと、閉眼したメイサの顔がすぐそばにあった。
メイサはすぐに目を開けて距離を置き、両手をブンブンと顔の前で振る。
「だ……だ……だってしょうがないでしょ! こうしないと解除できないんだからっ!」
メイサは顔を紅潮させてそう主張した。与那はメイサの不意打ちに胸が高鳴りめまいを覚える。
「ほらっ! ちゃんと確かめてっ!」
「あっ、ああ」
メイサが手鏡をぐいっと与那のほうに向けた。確かめると、左の頬から青い煙が立ち上り、痣が消えていった。
勘違いでつけられた痣は、最初は疎ましかったが、メイサとの確かな繋がりでもあった。それが消えてしまうことに切なさを感じてしまう。
「ヨナにはもう必要ないものでしょ。どうせ時空を超えたら、あたしのビンタも届かないだろうし」
その振り切るような言葉は、メイサの強がりなのだと与那には思えた。
そこで乃花がスマホを差し出してみせた。
「与那さん、充電できたみたい。スマホが起動したから使ってみて」
「ああ、ありがとう!」
確かに電波を受信しているマークがあった。
「今、現実世界はこの世界のそばにきているはずよ」
「電波が届くって、そういうことなのか」
「うん、そうみたい」
スマホを手にし、扉の前をゆっくりと歩いてゆく。すると黄色の扉の前で電波が最大となった。
「俺の世界は、きっとこっちだ」
「じゃあ、わたしも一緒に帰ろっと!」
乃花は与那の隣にたたんと寄り添った。けれど与那は乃花にスマホを返して言う。
「いや、乃花さんはたぶん、違う扉だと思う」
「へ?」
「いいから試してみて」
「う、うん……」
乃花は不思議そうな顔をして扉の前を歩く。すると藍色の扉で電波が最大になった。
「あっ! わたしはこっちの扉みたい。なんで!?」
「そういうこともあるんだよ、きっと」
ふたりは同じ世界の住人といえども、異なる時間軸からこの世界に転移した。だから出口も違うのだろうと与那は想像していた。その想像は的を射ていたようだ。
けれど、与那は時間軸のずれがあるという事実をけっして乃花には伝えなかった。
なぜなら、100円ショップで再会した乃花は、与那との時間軸の違いにまるで気づいていなかった。出会った瞬間に親しげな態度をとったのがその証拠だった。
与那は100円ショップで交わした言葉を思い出す。
――まさか俺のこと、探していたのか?
――当然でしょ。約束したじゃない。
もしも時間軸がずれていることを知っていたのなら、現実世界に戻った後に親しげな態度をとるはずはない。それどころか、他人である与那を探し出そうと思わなかったはず。そうなれば、与那は乃花と出会うことなくこの世界に転移してしまう。結果、異世界で乃花と巡りあうことはなく、現実世界に戻る道が閉ざされてしまう。まさにパラドックスに巻き込まれてしまうのだ。
だから今、俺がするべきことは――与那はそう考え、乃花と向きあった。
「乃花さん、この扉を抜けたら俺たちの世界で再会しよう。でも、乃花さんが俺を探し出してほしい。俺は100円ショップの店員をしているから、きっと見つかるよ」
乃花は疑問を漂わせながらも納得してくれた。
「うん、わかった。わたし、必ず与那さんを見つけ出すって約束するから」
その答えを聞いて与那は穏やかな表情になる。
「うん、約束だ」
ふたりは小指を絡めあった。解くと同時に決心した顔でうなずく。
「じゃあ、帰ろうか!」
「うんっ!」
そして、ふたりはそれぞれの扉を開く。まばゆい光が溢れ出し、先に乃花が、次に与那の姿が光の中に溶けてゆく。
与那は最後に一瞬だけ振り向いた。涙を浮かべたメイサと視線が交錯する。
頬にくちづけされる瞬間の、振り絞ったかすかな声を思い出す。
『あたし、ヨナのことが大好き。だから、絶対に忘れないよ――』
その言葉は魔法のように煌めいて、与那の心に沁みわたった。
同時に、唇が触れないと解除できないというのは嘘なのだろうと気づいた。絶対に忘れてほしくないから、記憶に残る別れ方をしようとしたということも。
同じ時間をともにしてきた大切な仲間だから、言わずとも自然に伝わってしまうのだと実感する。
与那は最後の微笑みをメイサに向けた。
『ああ、俺もメイサのことを――』
与那は唇で思いを伝えると、光が包む世界へと静かに消えていった。
閉じた扉は溶けるように消え、何事もなかったかのような空虚な平原に戻っていた。さっきまでの激しい戦いが嘘だったかのような静寂で満たされている。
メイサはその場に立ち尽くし、涙を拭いながら空を見上げた。
紺色のカーテンに覆われた空には銀色の光が溢れ出し、まるでこの世界に生きる者たちの未来を讃えているかのようだった。
「ヨナ、ありがとう。あたし、世界中のエルフが幸せになれる世界を創るから」
その言葉は静かに、けれど力強く響き渡った。たとえ違う世界で生きていたとしても、与那との絆は永遠に続くのだと信じるかのように。
安堵とともに我に返った与那は、地に伏したアルティメットの元に駆けてゆく。
「父さん! 大丈夫!?」
横向きになった操縦席の扉が開き、セールが姿を現した。軽やかに飛び降りる姿に与那は胸を撫でおろす。
「無事だったんだね! 機動土器での戦い、すごかったよ!」
「与那、まさかおまえがこの世界に来て、救世主になるなんて思ってもいなかったぞ」
セールは与那の全身を頭から足の先までまじまじと眺め、感無量の表情を浮かべた。それから子供を扱うかのように、与那の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「ちょっとやめてよ恥ずかしい!」
「それにしても立派になったな。もう十九歳か」
「うん、でも父さんが元気でいてくれてよかった! 母さんだってひどく心配していたんだから!」
そう言われてセールは申しわけなさそうな顔をする。
「いやな、現実世界に戻れる方法がわからなくて。時空を超える方法を試行錯誤しているうちに、もう7年も経ってしまったんだ」
けれど、世界を救えたのだから現実世界に戻ることができるはず。その時は父もともにと、与那は期待に胸を膨らませていた。
「そうだ、ダイゾーン神が乗り移っていた帝王はどうなったんだ!?」
思い出してアルトゥスに目を向けると、アルトゥスは年老いた姿のまま小さくうずくまっている。エルフから奪った魔力が尽き、肉体が急速に老化したようだ。
震える足で立ち上がろうとするも、足がおぼつかず地面に倒れこんでしまう。
「アルトゥス様、大丈夫ですか?」
兵士たちが駆け寄ってきた。
「ううう……余はついに力を失ってしまった。もはや、国を支えることはできないか……」
アルトゥスは力なくつぶやき、その視線を与那へと向けた。
「だが、後継者には相応の人材が望ましい。だから若き救世主よ、おぬしがこの帝国を引き継いでもらえないだろうか」
与那はびくりと肩を跳ねさせて驚きを示した。まさか帝王からラスカ帝国を任されるなんて思ってもいなかったことだ。
けれど、これまでの戦いは、現実世界へ戻るための努力に他ならない。だから了承する理由なんてどこにもない。
それでも後ろ髪を引かれてしまうのは――この世界には与那にとって大切な人、いや、大切なエルフがいるからだ。
メイサに視線を向けると、メイサは少しだけ寂しそうな表情で顔をふるふると横に振った。あたしに気を遣うことなんてないよ、という意味なのだと思えた。
乃花が心配そうな顔で歩み寄る。
「与那さん、まさかラスカ帝国を引き継ぐなんてありえないわよね?」
そう聞かれたが、与那の返事にためらいはなかった。
「当然だよ。俺が生きていくのはこの世界ではないから」
人間とエルフ――その生物としての隔たりを埋めることはできない。メイサからすれば、人間はどんどん歳をとり、流れ星のように消えてしまう存在なのだ。だから、自分自身がこの世界に残ることは、メイサを悲しませることにしかならない。
与那の意思を確かめた乃花は、安心したようにほっとため息をついた。
それから乃花は柔和な表情でアルトゥスに歩み寄り、隣にしゃがみ込んだ。アルトゥスだけに聞こえるよう、耳元でそっと囁く。
――このクソボケカスクズ無能の国主が! あんたに与那さんはあげないんだから!
その瞬間、アルトゥスは顔面蒼白になり、恐怖で全身を硬直させた。乃花は立ち上がり、アルトゥスに向かって丁寧な所作で頭を下げてみせる。
「ということで、帝王の申し出は丁重にお断りさせていただきました。だから与那さん、気にしないでね」
そう言ってから与那に向けて、可愛らしくウインクをした。
与那は説得が通じたのだろうと安心したが、耳が鋭いエルフのふたりは乃花の言葉に震え上がっている。
するとセールが歩み出てアルトゥスの隣で片膝をつき、こう申し出た。
「アルトゥス様、どうか私の息子には自由をお与えください。そのかわり、ラスカ帝国の未来は、この私が責任を持って引き受けます」
「セール、おまえが……?」
アルトゥスは目を丸くしてセールの顔を見上げている。
けれど、それ以上にセールの決断に驚いたのは、他でもなく与那だった。
「ちょっと待ってよ父さん! 俺と現実世界に帰るんじゃなかったの!?」
するとセールはすまなそうな顔で与那に告げる。
「私はすっかりこの世界が気に入ってしまった。未開の世界での機器開発は魅力的だし、存外に慕ってくれる者も多いようだ。新たな生き場所を見つけたと言うべきだろうか」
すると、国を救った英雄のひとりであるセールの言葉に、兵士たちからどよめきが起きた。さらにどこからともなく拍手が沸き起こり、喝采へと昇華した。
セールは先進機器を開発し戦いに貢献しただけでなく、元々人望が厚かったため、誰もが新しき王として認める存在となっていた。
アルトゥスは納得の表情で首を縦に振る。
「なるほどな、おまえは余が思う以上に、重責を担う胆力をつけていたということか。孤軍奮闘だと思っていた余は、独りよがりだったのかもしれないな」
そう言うアルトゥスは、双肩にかかる重荷を下ろしたような安堵感を漂わせている。
そのやり取りに、与那は再会に続く別れを覚悟した。
「そうなのか……また離れ離れになってしまうんだね」
「すまない、おまえが元の世界に戻ったら、母さんをよろしく頼む。それから、今でも愛していると伝えてほしい」
「うん、わかったよ……じゃあ俺からもお願いがあるんだ」
「なんだ、言ってみろ」
与那はアレンたちに視線を向けた。
「あの子供たちを、宮殿で働かせてほしい。きっと神の望む、持続可能な再生世界を創ってくれるから」
アレンたちは与那の意外な提案にざわついた。セールの逡巡はほんの一瞬だった。
「ああ、俺はおまえに対して、十分父親らしいことをしてやれなかった。だから、少しでもそのぶんを返させてもらうよ」
「ありがとう、父さん……」
しんみりとした雰囲気に包まれていた時、与那の目前に半透明のスクリーンが出現した。
格子状のゲージが映り、空白のゲージに、ぽぽぽぽーん、とギャンドゥ神の顔の印鑑が押された。
『安井与那よ、おぬしはここまで到達するまでに、多くの者を救ってきた。それは人間だけでなく、棄てられた雑貨品に対してもだ。神として礼を言いたい』
ファンファーレさながらの優雅な音楽が流れ、メッセージが映し出される。
『異世界貢献ポイント+10 LV3 上限500円』
「ええっ、上限500円!? でも俺、もう現実世界に帰るつもりなんですけど!」
余計な大盤振る舞いにうろたえる与那。けれど神には別の思惑があったようだ。
『そして、おぬしが現実世界に戻ることができるか、それとも時空の狭間で塵と化すか、それが試される時が来たのだ』
「えええ! ここまで来たんですから、無事に帰れる確率100%じゃないんですかあああ!?」
『世の中に100円アイテムは多数存在するが、100%成功するなどという虫のいい話はどこにもぬゎあい!』
穏やかでない運命の分かれ道を突きつけられ、与那は戦慄を覚えた。
すると、ゲートの前の平原に7つの光り輝く扉が現れた。虹に見立てているのか、赤から紫までの色が順番に並んでいる。
『この中で、おぬしが住む世界に戻れる扉はひとつだけだ』
さらにゼーリア神の声が続く。
『ちなみに高根乃花もまた、己の運命をこの選択に委ねなければなりません』
乃花の表情にもぴりりと緊張感が走る。
「いったい、どうすれば正解の扉を選べるんだ……」
現実世界に戻るためには、正しい扉を選択すること。そして、500円アイテムは、正解を引き当てるために必要なこと。神々が示唆するのは、そういう意味に違いない。
すると、乃花が片方の手のひらの上に拳をポンと乗せて、なにかひらめいたような顔をした。
「ねえ、もしかして、500円あればあれが手に入るかも。そうすればわたしの愛用ガジェットが駆動できるから!」
そう言い放った乃花は、勝手に与那のポケットに自分の手を突っ込み、中をゴソゴソとまさぐった。
「の……乃花さん、ちょっとなにするんだよ!」
「わたしだって一度くらい、与那さんのスキルを使ってみたいの!」
すると、取り出した乃花の手には、とあるアイテムが握られていた。正方形の平らなケースに、ケーブルが繋がっている。
「じゃじゃん! 『モバイルバッテリー 乾電池式充電器(500円)』!」
「あっ、俺の真似したなー!」
「ふふん、わたしも言ってみたかったんだ♪」
乃花は得意げにLEDライトから単三電池を取り出しモバイルバッテリーにセットする。さらに胸元からスマホを取り出し、バッテリーのケーブルをスマホに挿し込んだ。
すると、ぱっとスマホの充電マークが表示された。乃花はぐっと拳を握りしめた。
「このスマホ、現実世界の電波と繋がっているの。わたしたちの世界が近づくと、電波が強くなるんだよ」
「おおっ! それならどの扉を開ければ元の世界に戻れるか、判別できるっていうことか! っていうかスマホってすげえポテンシャルだ!」
この世界に飛ばされた乃花が生き渡ることができたのは、スマホのおかげだったんだなと気づいた与那である。現実世界に戻ったら、バイトにいそしみスマホを手に入れようと決心した。
「でも、充電には少しだけ時間がかかるわ。だから与那さん、それまでにこの世界の人たちに別れを言ってきたらどう?」
乃花の声は優しく、しっとりとしている。与那は無言でうなずき、仲間たちへと振り向いた。
運命的な時間を過ごしたこの世界とも、いよいよお別れになるのだ。
最初にミグと視線を合わせる。
「ミグ様、いっしょに戦えてスリリングだったよ。ミグ様がいなかったら、俺がこんなに活躍できるはずがなかった。俺に力を与えてくれてありがとう」
「い……いやぁ、聖獣のミグにとってはたいしたことではないんですけどね。でも、そんなに真顔で褒められると……ボッ」
ミグはペガサスになっても褒められると照れていた。与那はその美しい体躯をしっかりと目に焼きつけた。
それからルーザーに手を差し出して握手を交わす。
「俺、まさかエルフと友達になれるなんて思っていなかった。これからもルーザーの剣技が世界の平和に役立つことを願っているよ」
「ううう兄貴ぃ……拙者、兄貴のおかげでヴェンタスの一員にしてもらえて、居場所を見つけることができたんす。兄貴には100%感謝しかありませんよぉぉぉ」
ハンマーで殴る作戦を企てたことは水に流してもらえたらしい。人情が厚くてひょうきんなルーザーは、最高の相棒だったと、思わず目頭が熱くなる。
そして最後にメイサと向かいあう。きゅっと締めつけるような胸の痛みをごまかし、笑顔を見せて別れの言葉を切り出した。
「メイサ、俺はメイサを助けるためにこの世界に呼ばれたんだ。でも、これでミッション達成だから、晴れやかにバイバイしようぜ」
与那を見上げるメイサの瞳は潤んでいた。そんな顔、メイサには似合わないと思う。けれど、憂いた顔はかすかに大人の女性の雰囲気を醸していて、妙にきれいに見えた。
「ヨナ、あたし、ちゃんと部屋を片付けられる女の子になるね!」
「ああ、俺のあげた整理整頓アイテムを有効活用してくれよな」
「それに、不器用なのを直して、編み物も料理も上手になるから!」
「ああ、頑張れよ。誰だって練習すればできるようになるんだから」
「それで、与那が見とれちゃうような、美人で素敵なお姉さんになるんだ。見られないの、ざまあみろだ!」
「ははっ、そこまで自信があるのなら、大人になってから夢の中で会おうぜ。楽しみにしているよ」
与那はつとめて笑顔を崩さなかった。自分が寂しそうな顔をしたら、きっとメイサが涙をこぼしてしまうから。
いつのまにか、互いの心をわかちあうような、深い絆で結ばれていたのだと実感する。そう思えるほど、別れはえもいわれぬ痛みを伴っていた。
「あと、最後だからひとつ頼みを聞いてくれ」
「なっ……なに?」
「そのぴょこんと立った耳を触らせてもらう。覚悟しろよ」
「ひゃっ、ひゃいっ!」
与那がメイサに歩み寄ると、メイサは緊張をあらわにして目を強く閉じる。けれど抵抗はしなかった。
与那の手が右の耳、そして左の耳に優しく触れてゆく。メイサはその感触にぞくぞくっと身体を震わせた。
しばらくすると、与那の手が耳から離れた。
「はい、目を開けてみて」
まぶたを開いたメイサの眼前には、メイサ自身の顔が映し出されていた。与那が手鏡をかざしていたのだ。
「あ……」
メイサは耳たぶになにかがぶら下がっているのに気づいた。
それは、真珠を模したイヤリング(両方セットで300円)。トワイライトの光が小さな球体の輪郭を淡く照らし出していた。
メイサは目を細めて、うれしそうな顔をした。
「これ、きれい……」
「まぁ、本物の真珠じゃないんだけど、俺と出会った記念にはなると思ってな」
メイサはうれしそうに頬を赤く染めた。与那のほうも、いくぶん顔を赤らめていた。女子にプレゼントを送るなんて、生涯で初めてのことだった。
「古くなったら捨てていいからな」
けれど、メイサはふるふると首を横に振った。
「ううん、ちゃんと手入れをして、ずっと大切に使うよ」
「そうか。それならイヤリングも幸せだろうな。――あっ、そうだ!」
与那は手鏡を自分に向けて確かめた。左頬のエロフ反射痕が、くっきりと残ったままだ。
「これってどうすれば消してもらえるんだっけ!?」
すると、メイサは恥ずかしそうな顔をしてうつむいた。勝気なメイサらしくないその様子を与那は不思議に思う。
「ええっと、うん。それね……消してあげられるんだけど……かがんで目を閉じてもらえるかな」
そう言われたので目を閉じて腰を落とす。きっと、これがこの世界で体験する最後の魔法なんだなと想像した。
すると突然、左の耳元でメイサのささやく声がした。
「あたし、ヨナのこと――」
消えてしまいそうな声に続いて、頬にやわらかくて生温かい感触を覚えた。驚いて振り向くと、閉眼したメイサの顔がすぐそばにあった。
メイサはすぐに目を開けて距離を置き、両手をブンブンと顔の前で振る。
「だ……だ……だってしょうがないでしょ! こうしないと解除できないんだからっ!」
メイサは顔を紅潮させてそう主張した。与那はメイサの不意打ちに胸が高鳴りめまいを覚える。
「ほらっ! ちゃんと確かめてっ!」
「あっ、ああ」
メイサが手鏡をぐいっと与那のほうに向けた。確かめると、左の頬から青い煙が立ち上り、痣が消えていった。
勘違いでつけられた痣は、最初は疎ましかったが、メイサとの確かな繋がりでもあった。それが消えてしまうことに切なさを感じてしまう。
「ヨナにはもう必要ないものでしょ。どうせ時空を超えたら、あたしのビンタも届かないだろうし」
その振り切るような言葉は、メイサの強がりなのだと与那には思えた。
そこで乃花がスマホを差し出してみせた。
「与那さん、充電できたみたい。スマホが起動したから使ってみて」
「ああ、ありがとう!」
確かに電波を受信しているマークがあった。
「今、現実世界はこの世界のそばにきているはずよ」
「電波が届くって、そういうことなのか」
「うん、そうみたい」
スマホを手にし、扉の前をゆっくりと歩いてゆく。すると黄色の扉の前で電波が最大となった。
「俺の世界は、きっとこっちだ」
「じゃあ、わたしも一緒に帰ろっと!」
乃花は与那の隣にたたんと寄り添った。けれど与那は乃花にスマホを返して言う。
「いや、乃花さんはたぶん、違う扉だと思う」
「へ?」
「いいから試してみて」
「う、うん……」
乃花は不思議そうな顔をして扉の前を歩く。すると藍色の扉で電波が最大になった。
「あっ! わたしはこっちの扉みたい。なんで!?」
「そういうこともあるんだよ、きっと」
ふたりは同じ世界の住人といえども、異なる時間軸からこの世界に転移した。だから出口も違うのだろうと与那は想像していた。その想像は的を射ていたようだ。
けれど、与那は時間軸のずれがあるという事実をけっして乃花には伝えなかった。
なぜなら、100円ショップで再会した乃花は、与那との時間軸の違いにまるで気づいていなかった。出会った瞬間に親しげな態度をとったのがその証拠だった。
与那は100円ショップで交わした言葉を思い出す。
――まさか俺のこと、探していたのか?
――当然でしょ。約束したじゃない。
もしも時間軸がずれていることを知っていたのなら、現実世界に戻った後に親しげな態度をとるはずはない。それどころか、他人である与那を探し出そうと思わなかったはず。そうなれば、与那は乃花と出会うことなくこの世界に転移してしまう。結果、異世界で乃花と巡りあうことはなく、現実世界に戻る道が閉ざされてしまう。まさにパラドックスに巻き込まれてしまうのだ。
だから今、俺がするべきことは――与那はそう考え、乃花と向きあった。
「乃花さん、この扉を抜けたら俺たちの世界で再会しよう。でも、乃花さんが俺を探し出してほしい。俺は100円ショップの店員をしているから、きっと見つかるよ」
乃花は疑問を漂わせながらも納得してくれた。
「うん、わかった。わたし、必ず与那さんを見つけ出すって約束するから」
その答えを聞いて与那は穏やかな表情になる。
「うん、約束だ」
ふたりは小指を絡めあった。解くと同時に決心した顔でうなずく。
「じゃあ、帰ろうか!」
「うんっ!」
そして、ふたりはそれぞれの扉を開く。まばゆい光が溢れ出し、先に乃花が、次に与那の姿が光の中に溶けてゆく。
与那は最後に一瞬だけ振り向いた。涙を浮かべたメイサと視線が交錯する。
頬にくちづけされる瞬間の、振り絞ったかすかな声を思い出す。
『あたし、ヨナのことが大好き。だから、絶対に忘れないよ――』
その言葉は魔法のように煌めいて、与那の心に沁みわたった。
同時に、唇が触れないと解除できないというのは嘘なのだろうと気づいた。絶対に忘れてほしくないから、記憶に残る別れ方をしようとしたということも。
同じ時間をともにしてきた大切な仲間だから、言わずとも自然に伝わってしまうのだと実感する。
与那は最後の微笑みをメイサに向けた。
『ああ、俺もメイサのことを――』
与那は唇で思いを伝えると、光が包む世界へと静かに消えていった。
閉じた扉は溶けるように消え、何事もなかったかのような空虚な平原に戻っていた。さっきまでの激しい戦いが嘘だったかのような静寂で満たされている。
メイサはその場に立ち尽くし、涙を拭いながら空を見上げた。
紺色のカーテンに覆われた空には銀色の光が溢れ出し、まるでこの世界に生きる者たちの未来を讃えているかのようだった。
「ヨナ、ありがとう。あたし、世界中のエルフが幸せになれる世界を創るから」
その言葉は静かに、けれど力強く響き渡った。たとえ違う世界で生きていたとしても、与那との絆は永遠に続くのだと信じるかのように。



