「うううっ……ヨナ、ヨナァァァ!!」

ミグの『絶対無双領域』の中で悲しみに打ちひしがれるメイサ。乃花もルーザーも、信じられないといった顔で立ちすくんでいる。

光を遮られた黒い空から冷たい風が吹き抜ける。

すると、メイサの背後に迫る人の影があった。ぽん、と軽く背中を叩かれる。

「ううう……こんな時に誰よ?」

振り向くと、目に飛び込んできたのは、オーガの棍棒に潰されたはずの与那の姿だった。

「よっ!」

「ぎゃ……α#β$γ%Δ&@!!!」

さっぱりとした与那の顔を見て、メイサは宇宙の果てまで飛んで行けそうな勢いで飛び上がった。

「ヨナっち!」

「あああ兄貴!」

「与那さん! 生きていたの!?」

絶望の闇に覆われた皆の表情が、一瞬にして晴れ渡る。

「悪い悪い。さいわい、また神に助けられたみたいなんだ」

頭をぽりぽりと掻くと、メイサは泣き顔のまま与那の顔に一発、生のビンタを食らわせた。

「へぶぅ! いきなりなにするんだよメイサ!」

「生きているなら生きているって言ってよ! 死ぬほど心配したんだからねっ!」

エロフ反射痕を通じた衝撃とおなじ痛みだ。けれど、メイサの手のひらから伝わる温もりが、与那の心に沁み込んでゆく。

「心配かけてすまない。とにかく一度退いて、俺の作戦を実行してほしいんだ」

「作戦!? 兄貴、この状況で打開策があるっていうんっすか!?」

ほとんどの戦力が削がれ、アルティメットが最後の防波堤となっていた。しかし、アルティメットはすでに片腕を吹き飛ばされていた。まさに風前の灯火といった状態だ。

「じつは、ギャンドゥ神の暗示の解釈が正しければ、ダイゾーン神の怒りを鎮められるかもしれないと思っている」

「神と会話して突破口を!? まじっすか!」

「まあな。これでも一応、神に呼ばれた救世主だからな」

見上げると、アルトゥスの頭上にある雑貨品のゲートから、悲し気な呻き声が聞こえてくる。やはり、超聴覚というスキルは本物のようだ。

ゲートの周囲には黒霧が集まり、不気味な雰囲気を醸し出していた。

すると、与那たちに気づいた地下道の子供たちが駆け寄ってきた。

「ヨナ、ルーザー、俺たちも戦いに加わらせてくれ! どうせ失うものはなにもないんだから!」

「だーっ! 子供は危ないからどっか行ってろっつーの!」

ルーザーはアレンたちを払いのけるような仕草を見せた。けれど与那がその手を掴んで止める。

「いや、アレンたちにも手伝ってもらいたいんだ」

「えっ、兄貴、いったいなにを考えているんっすか!? 子供たちに戦いは無理っしょ!」

ルーザーは驚きをあらわにした。

「そうじゃない、作戦を実行するのには、できるだけたくさんの人手が必要なんだよ」

「はぁ? 兄貴はいったいなにをやろうとしているんですか!?」

「まあ、見ていてくれよな!」

怪訝そうなルーザーとは対照的に、与那は満を持してポケットに手を突っ込んだ。乃花に語りかけながらアイテムを探索する。

「乃花さんは、ここで使うアイテムを必ず覚えておいてほしいんだ」

「……どういうこと?」

「きっと、あとでわかるけど、とっても重要なことなんだよ」

「ええ、それなら忘れないようにするけど……」

不思議そうな顔の乃花を尻目に、与那は100円アイテムをポケットから取り出した。

じゃじゃん! 『蓋つきキャニスター』、『ミネラルウオーター 富士のナミダ』、『万能ハサミ』、『万能のり』、『強力LEDライト』、『単三乾電池』、そして『厚紙(黒)』!

さまざまなアイテムが皆の目の前に並べられる。それも、在庫に置いてあるよりも、はるかに多数のアイテムたち。

その理由は、現実世界の100円ショップで与那の意図を汲む人物がいるからに他ならない。その助力をしているのが未来の乃花なのだと、与那は確信を持っていた。

だから、この作戦に使うアイテムを、乃花に覚えてもらう必要があった。

「みんな、俺の組み立て方を見て、同じようにやってほしい」

与那は最初に、円筒形のキャニスターにミネラルウオーターを満たして蓋をした。

次に、万能ハサミで厚紙をカットし、キャニスターの半面を包む大きさに仕上げる。

その厚紙に細いスリット状の切れ込みを入れてから、万能のりでキャニスターに貼りつける。

「あとは強力LEDライトに単三乾電池をセットして準備完了だ」

皆、真似をして同じものを作りあげていく。上空では老人が魔物たちを操り続けていた。魔物が街に流れ込めば壊滅は必至だ。急がなければならない。

「兄貴、完成したっす!」

「あたしだって頑張った!」

「わたしの作ったのだって完璧よ。子供たちもできたみたい!」

「ありがとう! じゃあ、横一列に並んでくれ!」

皆が与那に従って横一列に並び、加工したキャニスターとLEDライトを両手に持って構える。

「いいか、これが神の裁きに打ち克つための最後のチャンスだ。みんな、行くぞ!」

「「「「「オーッ!!」」」」」

与那は腹をくくり、老人に向かって大声で叫ぶ。

「人間に対する失望の末に闇落ちした悲しき神よ、聞くがよい!」

振り向いた老人の視線が与那たちを突き刺す。与那も恐怖心を呑み込み、老人を凝視する。大地を震わすかのような、重厚な声が響き渡った。

「このダイゾーンの逆鱗に触れ、滅びゆくさだめにある人間どもよ! 今さら命乞いならば無駄と知るがよい」

与那は魂の叫びでダイゾーン神の威圧感を打ち破る。

「命乞いなどではない。確かに富を築いた人間は驕り高ぶり、さまざまな無駄を生み出してきた。
けれど、人間は己を省みて新たな道を模索することができる生き物だ。
人間の想像力がもたらす創意工夫は、森羅万象に命を与え、棄てられる運命の者を救うことができるんだ!
その人間が照らす未来を信じてはもらえないか!」

だが、老人は歪んだ笑みを浮かべる。ダイゾーン神が承服する気配はないようだ。

「くくく、笑止な。愚かな人間の創意工夫などで、我が絶望の闇を晴らすことなどできるはずがあろうか!」

老人は両腕を掲げて黒霧を操り、アーチを描く雑貨品を包み込む。濃密な闇の塊となったアーチからは、ダイゾーン神の怒りを具現化したような雷光が瞬く。猛獣の唸り声のような雷鳴が鼓膜を震わせた。

「あ……あれにやられたらイチコロっすよ!」

「イチコロだと思うなら、ルーザーが剣を出して避雷針になりなさいよ!」

「メイサ殿ひでえ! おなじエルフなのに、拙者を人柱、いやエルフ柱にするなんて!」

「ふたりとも怯えないで。じゃあみんな、いくぞっ!」

与那の号令に合わせて、皆がLEDライトのスイッチをオンにする。眩い白色の光が闇に包まれた街に数多の光をもたらす。

空に浮く闇の塊は巨大な手の形となって、与那たちに覆いかぶさってくる。まるで皆が胸に抱く希望を塗りつぶすかのように。

「さあ、俺たちの創意工夫で描く、未来を照らす色彩を神に見せるんだ!」

与那はキャニスターを空に掲げ、スリットにLEDライトを当てる。

ぱあああぁぁぁ――。

スリットを通り抜けた光はキャニスターの中で屈折して広がり、幻想的な光の帯へと変貌する。

赤、橙、黄、緑、青、藍、紫――7色のグラデーションを持つ光が漆黒の空に描き出された。

「この光を、闇の塊に包まれたアーチに向けて、繋げていくんだ!」

皆が与那を真似て光を展開させる。数多の光の帯が空に浮かび上がる。

それらの光を雑貨品のアーチに沿って繋げていくと、漆黒のアーチはまばゆい虹色の帯に塗り替えられた。闇の中に美しい光のアーチが描かれる。

「すげえ、この闇の空に虹が灯った……」

アレンが感嘆の声をあげた。

光の帯が闇を切り裂いてゆく。すると、闇の中に隠れていた雑貨品が姿を見せ、さまざまな色に輝きだす。

雑貨品は喜びを表すかのように空で軽やかに踊りだし、まばゆい光を周囲にまき散らす。

カラカラ、コロコロ、リリリリ……。

まるで讃美歌を合唱しているような、幸福に満ちた音色が与那の心に響く。

「雑貨品の魂が、喜びの歌を歌っている……」

その光景を目のあたりにした老人は言葉を失い、震える手を輝く虹に包まれた雑貨品へと伸ばす。雑貨品はうれしそうに老人のまわりをくるくると回り始めた。

「なんてことだ……。人間に棄てられたはずの者たちが、こんなにも美しく輝き、未来への希望を抱いているとは……!」

空に広がる輝かしい光景は、ラスカ帝国を滅ぼすというダイゾーン神の信念を揺るがせたようだった。老人は天を仰ぎ、腹の底から叫んだ。

「これは、これこそは……素晴らしき持続可能な再生世界の幕開けだァァァ!!!」

開いた老人の口から、おびただしい量の黒霧が吐き出された。

黒霧は巨大な竜巻となって、街路樹を激しく揺らし、戦いで壊された建物の残骸を巻き上げ、空高く昇っていった。

ダイゾーン神の怒りが浄化されるにつれて、空を覆っていた闇が次第に薄くなってゆく。闇の隙間から、一筋、さらに一筋と、世界を照らす光が差し込んでくる。黒霧は解き放たれ、風の中に溶けるように消えていった。

落ち着きを取り戻した神の声が、はるか上空からラスカの街に降り注ぐ。

『人間とは、醜く争い、奪いあう生き物。世界を蝕みながら生きて死ぬ、罪深き生き物。そう思っていたのだが――まさか、森羅万象を尊び、創意工夫で美しい未来を描けるものだとは……恐れ入ったと言うべきか』

すると、浮遊する力が失われたのか、老人は脱力して枯葉のように揺られながら地上にゆっくりと横たわった。老人の身体から発せられていた威圧的な雰囲気はすっかり失われていた。

『だが、次に我が世界を眺める時――その世界が森羅万象の理想郷でなかったのならば、ふたたび(わざわい)が訪れるであろう』

空の彼方から届いたその言葉が、ダイゾーン神の最後の声だった。

魔物たちは戦う意欲を失い、その場に立ちすくんでいた。うつろな目のまま踵を返し、己の住みかへと帰ってゆく。

いつのまにかラスカ帝国には夕暮れの光が差し込んでいた。沈みゆく太陽は、世界を美しい橙色に染めあげ、皆が浮かべる安堵の表情を優しく縁取っている。

この世界(ユーグリッド)に訪れる平和を象徴するような、やわらかくて力強い光。それは神による、人間とエルフを巻き込んだ戦いが終わりを告げた瞬間であった。