宮殿へ向かう与那は、街に広がる不気味な光景に戦慄した。得体の知れない生物が空を支配し、地上の人間に襲いかかっていたのだ。

「なんだ、あの恐竜みたいな鳥は!」

与那が驚愕の声をあげると、ミグは冷静に答えた。

「ワイバーンですよ。爪に掴まれたらひ弱な人間なんてひとたまりもないですからね。ちなみに人間が大好物ですから」

「ひいい、怖いこと言うなよ! でも、なんであんな奴らが!」

「神々が語っていた内容からすれば、渦中のダイゾーン神が呼び寄せたのでしょう」

「えっ!? ミグ様って神の声が聞こえていたのかよ! っていうか、寝ていたんじゃないのか!?」

しれっと察するミグに与那は驚きを隠せない。

「ミグはエルフ同様、神に近い存在ですから睡眠学習は得意なのです」

「睡眠学習かよ! なんて羨ましいスキルなんだ!」

その時、ワイバーンがふたりに向かって滑空してきた。甲高い叫び声をあげて爪を立てる。

「やべえ、俺らを狙っているぞ」

「ヨナっちは臨戦態勢を!」

ミグはすかさず詠唱を始めた。

「あまねく空と大地に住まう精霊たちよ、ミューゼンバウロ・グルタリカスの名において命ずる。我が身を包み深淵の力を与える衣となれ!」

ミグの周囲が淡い橙色の球体に覆われた。その表面は不思議な力を湛えてさざ波を立てている。

「絶対無双領域。魔法拡張の範囲版です。この空間の中では、あらゆるアイテムに魔法効果を付与できます」

「さすが聖獣、さては真の能力を発揮したな!」

与那は感嘆の声をあげ、ポケットに手を突っ込む。

じゃじゃん! 『スリングショット』と『スーパーボール』!

与那はスリングのポーチにスーパーボールをセットして構え、近づいてくるワイバーンに狙いを定めた。スリングが光を帯びて、不思議な空気を纏っている。

「強行突破で仕留めてくださいね」

「了解!」

狙いをつけて相手を引きつける。距離が縮まったところでスーパーボールを放つ。

パアアアァァァン!

スーパーボールは弾丸のような勢いで硬い鱗を貫いた。与那はすかさず手綱を握って身を伏せる。ミグが身を翻すと、ワイバーンの爪が与那の髪の毛をかすめていった。

ワイバーンは断末魔をあげて地上へと落ちていく。

「ひゃっほう、1匹撃沈だ!」

「敵はまだまだいますよ~」

与那は次々とスーパーボールを取り出し、ワイバーンめがけて打ち込んでいく。百発百中の精度だ。

「ヨナっち、なかなかうまいものですね」

「100円アイテムは俺の遊び道具だったからな!」

感心するミグに、与那は誇らしい顔で答えた。

与那の家は貧しく、高いおもちゃを買えなかったが、そのぶん100円アイテムのおもちゃには馴染みがあった。今さらながら使い慣れた100円アイテムに感謝する与那である。

警戒したワイバーンが与那を遠巻きにする。与那は間隙を縫って宮殿へと向かった。すると――。

ピシャアッ!

宮殿のバルコニーから雷光が飛び散った。誰かが魔法でワイバーンを撃退したようだ。

もしかしたら、メイサの魔法なのか!? 

一瞬そう考えたが、魔法は連続して発射されている。だからメイサの魔法であるはずはなかった。

「でも、あの方向からメイサたんの匂いがします」

ミグは確信のある様子で言った。

「じゃあ、メイサはあの近くにいるっていうことなのか?」

「ええ、おそらくは」

目を凝らして魔法が放たれたほうを見ると、手をかざしてワイバーンに狙いをつけている男の姿があった。与那はその男に見覚えがあった。

――帝王アルトゥスだ。

アルトゥスは次々とワイバーンを撃退してゆく。しかし、魔法は次第に勢いを落としていき、ついに魔物を一撃で仕留められなくなった。

ふと、魔法の発動が止まった。直後、アルトゥスは足元に手を伸ばし、なにかを釣り上げる。

与那の目に映ったのは、髪を掴まれ、手足を縛られたメイサの姿だった。

「いた、メイサだ!」

アルトゥスは反対の手で杖を握りしめており、その杖をメイサに向かって振り下ろそうとした。

与那は、それが乃花の言っていた魔力を吸い取る杖なのだと、すぐに気づいた。

「やめろォォォー!」

与那は叫びながらアルトゥスとの距離を縮める。気づいたアルトゥスが手を止めて振り向いた。

「貴様、何者だ!?」

覇気を帯びた二筋の視線が空中で火花を散らす。

「メイサに手を出すなァァァ!」

与那の声は怒りに震えていた。けれど、その声を聞いたメイサの瞳には希望の光が宿った。

「ヨ……ヨナッ!」

「余の邪魔をするならば、いかなる者であろうとも、命を失う覚悟を決めるんだな!」

帝王は冷酷な声で言い放った。

「ヨナっち、メイサたんを縛っている魔法のロープは、アルトゥスの左腕に繋がっています!」

ミグが与那に伝えると、与那は手のひらでミグの背中を軽く叩いた。

「そんなもの、俺が断ち切ってやる!」

スリングを構え、アルトゥスの射程圏に飛び込んでゆく。与那の全身は痺れるような緊張感で満たされ、心臓の鼓動が耳元で響く。与那は自分自身を奮い立たせてアルトゥスを挑発した。

「エルフの命を弄び、死という等しき運命に盾突く愚者の帝王よ! 貴様の歪んだ正義の罪は、救世主であるこの俺が償わせてやる!」

「小癪な小僧がッ! 覚悟しろよ。――『雷光という戦慄の旋律(ガルミシャス・デ・ヴォーイス)!』」

アルトゥスもまた、反逆者を迎え撃つべく魔法を詠唱した。

しかし、与那は詠唱を終えるよりも早くスーパーボールを撃ち込んでいた。

ドゴオオォォォン!!

スーパーボールはアルトゥスの懐をかすめるように突き抜け、背後の壁に激しく衝突した。壁が砕けて破片が飛び散る。

「ぐっ……!」

帝王の持つ魔法のロープが緩んだ。メイサの束縛が緩み、手足が自由となった。

メイサはすぐに立ち上がり、弾かれたようにバルコニーの淵に飛び乗る。突風がメイサの白銀の髪を強くなびかせた。

「ちっ、逃がすか!」

アルトゥスは怒りに燃える目でメイサに手を伸ばす。けれど同時にメイサは空中に身を投げ出していた。

「ヨナァァァ!!」

メイサの叫びが空に響く。ミグは一気に旋回し、地上に吸い込まれていくメイサの後を追う。けれど、その瞬間――。

ピシャアッ!

雷の衝撃がミグの顔面に走った。ミグは「ギャッ!」と叫んだ。視界が遮られたが、それでも屈することなく、地上に向かってさらに速度を上げてゆく。

与那はめいっぱい身を乗り出して手を伸ばす。メイサも与那に向かって手を伸ばした。

「メイサァァァ!!」

互いの指が指を求め、ついに指先が触れた。与那はメイサの手を強く握り、一気に胸元に引き寄せた。

「ミグ様、急上昇だ!」

抱きとめると同時に与那は叫んだ。

「イエス! アイ・ハブ!」

ミグは全力で翼をはためかせる。落下速度が減速し、地面に衝突する直前に重力を打ち消した。

宮殿前の石畳をスレスレで滑空し、その勢いのまま空中へ再上昇する。人々が驚いて与那とミグを見上げていた。

空中に舞い上がった後、抱きとめたメイサと視線が交錯する。メイサの瞳は、恐怖から解放された安堵で潤んでいた。

「ヨナ、ヨナ……ッ! 遅いよバカバカバカ! 怖かったんだからねっ!」

メイサは肩を震わせながら与那の胸に顔をうずめた。

「ははっ、待たせてごめんよ。これでも必死で探していたんだ」

緊迫した場面を乗り切った与那も声が震えていた。

ミグがぶるぶると首を振り何度もまばたきをする。視力が戻ったようだ。

「まったくあの人間、この聖獣に向かってなんてことしてくれるんですか!」

ミグは怒り心頭だ。その様子にメイサは驚いた顔をした。

「あっ、この聖獣って……さては、ミグ様の真の姿なのね!」

すぐに契約を解除されたことを悟ったようだった。

「はい、メイサたんがご無事でなによりです!」

「ミグ様もありがと。真の姿、かっこいいんだね!」

「いやあ、かっこいいなんてそんな……ボッ!」

真の姿になっても、褒められるとデレデレするところはぜんぜん変わっていない。

与那はメイサを抱き上げて姿勢を立て直す。自分の前にメイサをまたがらせた。

「でも、メイサを助けたのはいいけど……」

空中に視線を送ると、ワイバーンの群れは攻撃が止んだのを察知したようで、上空の1か所に集まって輪を描いていた。

突然、ワイバーンは申しあわせたように街へ急降下してきた。地上で迎撃する矢嵐を凌駕するほどの勢いで。

アルトゥスは魔法を放って街を守ろうとしたが、もはや微弱な魔法しか放つことができなくなっていた。街はふたたび混乱の渦へと飲まれていった。

「やばい、空中戦に対応できる戦力がいないじゃん!」

その時、宮殿の扉が開き、一機の兵器が空に舞い上がった。

「アルトゥス様、ここは私にお任せを!」

全身が紅に染められた機動土器。手には大剣を握りしめている。背中のユニットには噴射口と大きく広がる翼が取り付けられていた。

「あっ! 空を飛べる機動土器があったのか!? しかもかっこよくて、姿がもはや土器じゃない!」

背後のユニットの下部は高温の空気が噴出しているようで、向こうの景色が揺らいで見える。ジェットエンジンだ。でも、どうしてそんな高度な文明がこの世界(ユーグリッド)に存在するのか、与那は不思議でならない。

バルコニーのアルトゥスが機動土器に向かって叫ぶ。

「機動土器・アルティメットよ、おまえの力でワイバーンを殲滅せよ!」

「お任せください!」

するとアルティメットと呼ばれた機動土器は、宙を舞いながら大剣を振るい、ワイバーンを華麗に斬り倒してゆく。

俊敏な滑空を見せながら剣を振るうさまは、まさに『究極(アルティメット)の兵器』と呼ぶにふさわしい凛々しい姿だった。

けれど与那にはもうひとつの驚きがあった。

――この機体の名前は回文じゃないのかよ!

与那は解けることのない謎を抱えたまま、空を躍動する機動土器の姿を見守る。空中でワイバーンをなぎ倒すごとに、地上から驚きのどよめきと希望の歓声が上がった。

アルティメットは与那の目前を旋回しながら声を響かせる。

「そこのペガサスに乗る若者よ! 空の戦いはこの私に任せて避難せよ!」

――え?

一瞬、その声が与那の記憶とデジャヴする。確かに、脳裏にくっきりと刻まれている声だ。優しくもありたくましくもある、現在の与那に似ている声。

――まさか。

与那はその操縦士の姿を確かめようと、コクピットに視線を向けて目を凝らす。

すると一瞬、見えた人物の姿に心臓が跳ね上がった。それは与那のよく知る人間に違いなかったからだ。

――父さん……!?

驚きで与那の思考が停止した。心臓の拍動だけが耳の奥でうるさく響く。記憶にある父の姿より老いて見えるが、その操縦士の姿を与那が見間違えるはずはなかった。機体が旋回し、その顔が視界から途切れるまで、まるでスローモーションのようだった。

けれど、運命は与那に動揺の余裕すら与えなかった。

「ヨナっち、あれを見てください!」

「え……?」

茫然とした心持ちのまま、ミグが向いた方向の地平線に視線を向ける。すると広がる平原に砂煙が起きていた。

「なんだ、あれは……」

ポケットから双眼鏡を取り出して拡大すると、その砂煙の中に二本足歩行で迫りくる数多の生物の姿が見えた。

その生物は人間よりも大きい者ばかりだ。手に棍棒のような武器を携えている。明らかにラスカ帝国を目指して進行していた。

「まずいですね。あれはゴブリンとオーガです。それも数百体はいます」

「なんだって!? 脳筋の魔物かよ!」

その頭上には黒霧が広がっていた。魔物たちは操られているに違いない。それも神の手によって。

アレンが語っていたことを思い出す。

『群れを作らないオーガが集まるってことは、誰かがオーガを操っている可能性が高いんだって。もしも誰かが魔物を操っているとすれば、目的はラスカ帝国に攻め入るためじゃないかってことらしい』

ダイゾーン神はいつでも街を滅ぼせるように、魔物を近隣の森に集めていたようだ。もしも街を囲まれたら逃げ場はない。けれど、街の人々を避難させられる場所など、どこにもない。

「どうしたらいいんだ……」

混迷に溺れる与那の眼下に、見覚えのある人物の姿が映った。それは両手を大きく広げて、こちらに向かって手を振る乃花の姿だった。街のそばまでたどり着いたようだ。

「ミグ様、乃花さんと合流してくれないか!」

「オッケーですよ!」

ミグは翼の動きを止め、乃花の元へと降下していった。