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ギャンドゥ神が語り終えると、与那は深々とうなずいた。
「そうか……。帝王は、永く国を守ろうとして、エルフを手にかけていたのか」
心の中では、アルトゥスの主義主張を肯定したい気持ちもあった。しかし、エルフの命を奪うことは絶対に許せない。エルフと暮らしていると、人間との線引きをすること自体が愚かに思えたのだ。
「へー、神様にも堪忍袋の緒ってあったんですね」
乃花が初めて知ったという雰囲気でそう口にすると、ゼーリア神の刺々しい声が飛んできた。
『あたりまえでしょ!? ちなみに私、あなたに対してはとっくにそれが切れているのよ!』
ぜーリア神は怒り心頭だった。乃花は軽くやり過ごしたが、与那はそのふたりの奇妙な空気感に身震いを覚えた。
その時、地下道からたくさんの足音が響いてきた。
次々とエルフたちが地上に流れ出してくる。乃花はぱっと顔を明るくしてエルフの脱出を迎えた。
「みんな、無事だったのね!」
「ああ、ほんとうに助かりました」
ついに束縛から解き放たれたエルフたちは、一様に安堵の表情を浮かべている。
「与那さん、メイサちゃんの両親もいらっしゃるわ!」
乃花が手のひらをすっと伸ばして与那を指す。すると、メイサの父と母が与那の前に歩み出た。
「おお! あなたがメイサの言っていた救世主ですか!? 娘から話は聞いています。感謝してもしきれません!」
「いやぁ、むしろこちらが助けられていたくらいです。ははっ……」
大人のエルフふたりに畏まられ、与那は気後れしてしまう。反射的にぺこぺこと頭を垂れる姿は、まさに下っ端店員そのものである。
「ところで、肝心のメイサはどこに……?」
両親も背後にいるエルフの集団に目を向ける。しかし、そこにメイサの姿はない。
「いや、一緒に脱出したはずなんだが……」
両親も柔和になった顔が狼狽する。
「え……」
いくら目で探してもメイサの姿はない。与那は焦りを覚え、エルフたちの中をかき分けてメイサを呼ぶ。
「メイサ、いるんだろ? 隠れていないで出てきてくれよ!」
しかし返事がない。その瞬間――。
突然、左頬に3回、パパパンと平手の衝撃を覚えた。続いてゆっくりと3回、さらに素早く3回。そして衝撃は止んだ。
――まさか!
そのリズムには心当たりがあった。
与那はヴェンタスでのダークエルフとの戦いの時、現実世界に向けてモールス信号でSOSを発した。
そして戦いの後、物資を調達できた経緯をメイサに語っていた。だから、メイサはその意味をわかって与那の頬を叩いたはずなのだ。
つまり、メイサは危機に陥り、与那に助けを求めているに違いなかった。
「まずい! メイサが誰かに捕まったみたいだ! すぐに助けなくちゃ!」
その一言で、乃花の顔から血の気がさっと引く。
「待って。エルフを捕えに来た人物がいるとすれば、アルトゥス以外には考えられないわ。しかもアルトゥスはエルフの魔力を吸い取る杖、『罹災狂』を持っているの。このままだと、メイサちゃんが殺されちゃう!」
「なんだって!?」
与那はすぐさま背中のバックパックを下ろし、夢の中にいるミグを引きずり出す。体を揺さぶり、耳元で「起きろー!」と叫ぶ。
「んん……なんですか騒々しいですね。せっかく寝ているというのに邪魔しないでくださいよ」
面倒くさそうな顔で目を覚ました。
「ミグ様、聞いてくれ! メイサが帝王に殺されそうなんだ!」
するとミグは驚き、与那の腕の中から勢いよく飛び出した。
「ひゃっ! グータラ救世主がなにやっているんですか! 寝ている間にメイサたんを救い出しておくのが礼儀ってもんでしょ!」
ミグは怒って与那の頭に飛びつき、髪の毛をわしゃわしゃとかき混ぜる。
「ミグは……ミグはヨナっちが絶対に救ってくれると信じていたから、安心して寝ていたんですからね!」
「そんな安心のしかたがあるかよ! メイサを助けたいなら、少しは俺に協力しろよ!」
「だって契約がこの身を縛るから、ヨナっちへの協力は無理なのです!」
両手でミグを掴んで頭から引き離す。向かいあうミグの顔には悔しさがにじみ出ていた。その表情を目の当たりにした与那は、ミグだってほぞを噛む思いなのだろうと気づいた。それほどまでに『契約』とは厳格なものらしい。
すると、メイサの母がミグに手を伸ばす。
「ミグ様、こっちへ来て」
胸元に引き寄せてぎゅっと抱きしめ、優しげな声で言う。
「ミグ様、今までメイサを見守ってくれてありがとう。でも、もうここで契約はおしまい。これから先は、ミグ様の心の赴くままに生きてほしい」
ミグはかつて魔物に襲われて瀕死の状態となったが、メイサの父と母に救出されて一命をとりとめた。それゆえ幻獣界の掟に則り、恩を返すためにメイサの家族に従事する契約を交わしていた。
父と母はミグを天に掲げ、契約解除の魔法を唱える。
「「100年の契約よ! 繋がれた絆を解き放ち、星屑の光として永遠へ還らん!」」
するとミグの体がぱあっと光り出した。三角の翼は長く伸び、ぽってりした体は美しい流線型の姿へと変貌する。
ミグは全身を光り輝かせながら地面に降り立った。
与那はミグに起きた変化に驚いて目を瞠る。息を飲むほどの劇的な変化だった。
その体は新雪のように輝く白馬のようで、けれど背中には大きな翼が広がっている。神々しいその姿はまさに、伝説の幻獣ペガサスに違いなかった。
「ぺ……ペンギンがペガサスに!? 『ぺ』しか引き継いでないっ!」
「その驚き方、なんだか失礼ですね! ミグは崇高な幻獣だと言ったでしょ? 本来の姿に戻ったにすぎません!」
ミグの声と口調はかつての姿だった時と変わらなかった。
メイサの父が与那の目前に片膝をついて頭を垂れる。
「救世主様、あなたは私たちの希望です。どうか、メイサを助けてあげてください!」
「もちろんです! 絶対に助けてみせます!」
振り向くと、ミグが首を下げて待っている。気を利かせたのか手綱を装着していた。
「風の中にメイサたんの魔力を感じます。たぶん、宮殿の上階に連れていかれたのでしょう」
「瞬時にそこまでわかるのかよ、ミグ様は!」
「謙遜して幻獣と言っていましたけど、ほんとは聖獣ですので。さあ、乗りなさい。メイサたんを助けに行くんでしょう?」
「わかった! 頼むぜミグ様!」
「イェス! ユー・ハブ!」
与那はミグの背中に乗り、手綱をしっかりと握った。
「俺は先に宮殿へ向かう! 乃花さんは魔物の襲撃に備えるように、軍の兵士たちに伝えてくれ!」
「わかっているって! 妃っていう偉そうな立場、存分に使わせてもらうわ!」
与那は親指を立ててウインクし、空へと舞い上がった。
ミグは一度、空を旋回すると、一気に加速して宮殿を目指す。
「メイサ、俺がおまえを救ってやるからなー!」
一陣の風となった与那は、暗雲が立ち込める宮殿に向かって叫んだ。
ギャンドゥ神が語り終えると、与那は深々とうなずいた。
「そうか……。帝王は、永く国を守ろうとして、エルフを手にかけていたのか」
心の中では、アルトゥスの主義主張を肯定したい気持ちもあった。しかし、エルフの命を奪うことは絶対に許せない。エルフと暮らしていると、人間との線引きをすること自体が愚かに思えたのだ。
「へー、神様にも堪忍袋の緒ってあったんですね」
乃花が初めて知ったという雰囲気でそう口にすると、ゼーリア神の刺々しい声が飛んできた。
『あたりまえでしょ!? ちなみに私、あなたに対してはとっくにそれが切れているのよ!』
ぜーリア神は怒り心頭だった。乃花は軽くやり過ごしたが、与那はそのふたりの奇妙な空気感に身震いを覚えた。
その時、地下道からたくさんの足音が響いてきた。
次々とエルフたちが地上に流れ出してくる。乃花はぱっと顔を明るくしてエルフの脱出を迎えた。
「みんな、無事だったのね!」
「ああ、ほんとうに助かりました」
ついに束縛から解き放たれたエルフたちは、一様に安堵の表情を浮かべている。
「与那さん、メイサちゃんの両親もいらっしゃるわ!」
乃花が手のひらをすっと伸ばして与那を指す。すると、メイサの父と母が与那の前に歩み出た。
「おお! あなたがメイサの言っていた救世主ですか!? 娘から話は聞いています。感謝してもしきれません!」
「いやぁ、むしろこちらが助けられていたくらいです。ははっ……」
大人のエルフふたりに畏まられ、与那は気後れしてしまう。反射的にぺこぺこと頭を垂れる姿は、まさに下っ端店員そのものである。
「ところで、肝心のメイサはどこに……?」
両親も背後にいるエルフの集団に目を向ける。しかし、そこにメイサの姿はない。
「いや、一緒に脱出したはずなんだが……」
両親も柔和になった顔が狼狽する。
「え……」
いくら目で探してもメイサの姿はない。与那は焦りを覚え、エルフたちの中をかき分けてメイサを呼ぶ。
「メイサ、いるんだろ? 隠れていないで出てきてくれよ!」
しかし返事がない。その瞬間――。
突然、左頬に3回、パパパンと平手の衝撃を覚えた。続いてゆっくりと3回、さらに素早く3回。そして衝撃は止んだ。
――まさか!
そのリズムには心当たりがあった。
与那はヴェンタスでのダークエルフとの戦いの時、現実世界に向けてモールス信号でSOSを発した。
そして戦いの後、物資を調達できた経緯をメイサに語っていた。だから、メイサはその意味をわかって与那の頬を叩いたはずなのだ。
つまり、メイサは危機に陥り、与那に助けを求めているに違いなかった。
「まずい! メイサが誰かに捕まったみたいだ! すぐに助けなくちゃ!」
その一言で、乃花の顔から血の気がさっと引く。
「待って。エルフを捕えに来た人物がいるとすれば、アルトゥス以外には考えられないわ。しかもアルトゥスはエルフの魔力を吸い取る杖、『罹災狂』を持っているの。このままだと、メイサちゃんが殺されちゃう!」
「なんだって!?」
与那はすぐさま背中のバックパックを下ろし、夢の中にいるミグを引きずり出す。体を揺さぶり、耳元で「起きろー!」と叫ぶ。
「んん……なんですか騒々しいですね。せっかく寝ているというのに邪魔しないでくださいよ」
面倒くさそうな顔で目を覚ました。
「ミグ様、聞いてくれ! メイサが帝王に殺されそうなんだ!」
するとミグは驚き、与那の腕の中から勢いよく飛び出した。
「ひゃっ! グータラ救世主がなにやっているんですか! 寝ている間にメイサたんを救い出しておくのが礼儀ってもんでしょ!」
ミグは怒って与那の頭に飛びつき、髪の毛をわしゃわしゃとかき混ぜる。
「ミグは……ミグはヨナっちが絶対に救ってくれると信じていたから、安心して寝ていたんですからね!」
「そんな安心のしかたがあるかよ! メイサを助けたいなら、少しは俺に協力しろよ!」
「だって契約がこの身を縛るから、ヨナっちへの協力は無理なのです!」
両手でミグを掴んで頭から引き離す。向かいあうミグの顔には悔しさがにじみ出ていた。その表情を目の当たりにした与那は、ミグだってほぞを噛む思いなのだろうと気づいた。それほどまでに『契約』とは厳格なものらしい。
すると、メイサの母がミグに手を伸ばす。
「ミグ様、こっちへ来て」
胸元に引き寄せてぎゅっと抱きしめ、優しげな声で言う。
「ミグ様、今までメイサを見守ってくれてありがとう。でも、もうここで契約はおしまい。これから先は、ミグ様の心の赴くままに生きてほしい」
ミグはかつて魔物に襲われて瀕死の状態となったが、メイサの父と母に救出されて一命をとりとめた。それゆえ幻獣界の掟に則り、恩を返すためにメイサの家族に従事する契約を交わしていた。
父と母はミグを天に掲げ、契約解除の魔法を唱える。
「「100年の契約よ! 繋がれた絆を解き放ち、星屑の光として永遠へ還らん!」」
するとミグの体がぱあっと光り出した。三角の翼は長く伸び、ぽってりした体は美しい流線型の姿へと変貌する。
ミグは全身を光り輝かせながら地面に降り立った。
与那はミグに起きた変化に驚いて目を瞠る。息を飲むほどの劇的な変化だった。
その体は新雪のように輝く白馬のようで、けれど背中には大きな翼が広がっている。神々しいその姿はまさに、伝説の幻獣ペガサスに違いなかった。
「ぺ……ペンギンがペガサスに!? 『ぺ』しか引き継いでないっ!」
「その驚き方、なんだか失礼ですね! ミグは崇高な幻獣だと言ったでしょ? 本来の姿に戻ったにすぎません!」
ミグの声と口調はかつての姿だった時と変わらなかった。
メイサの父が与那の目前に片膝をついて頭を垂れる。
「救世主様、あなたは私たちの希望です。どうか、メイサを助けてあげてください!」
「もちろんです! 絶対に助けてみせます!」
振り向くと、ミグが首を下げて待っている。気を利かせたのか手綱を装着していた。
「風の中にメイサたんの魔力を感じます。たぶん、宮殿の上階に連れていかれたのでしょう」
「瞬時にそこまでわかるのかよ、ミグ様は!」
「謙遜して幻獣と言っていましたけど、ほんとは聖獣ですので。さあ、乗りなさい。メイサたんを助けに行くんでしょう?」
「わかった! 頼むぜミグ様!」
「イェス! ユー・ハブ!」
与那はミグの背中に乗り、手綱をしっかりと握った。
「俺は先に宮殿へ向かう! 乃花さんは魔物の襲撃に備えるように、軍の兵士たちに伝えてくれ!」
「わかっているって! 妃っていう偉そうな立場、存分に使わせてもらうわ!」
与那は親指を立ててウインクし、空へと舞い上がった。
ミグは一度、空を旋回すると、一気に加速して宮殿を目指す。
「メイサ、俺がおまえを救ってやるからなー!」
一陣の風となった与那は、暗雲が立ち込める宮殿に向かって叫んだ。



