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半世紀以上前、ラスカは帝国ではなく辺境の村のひとつであった。農業で生計を立て、自然と調和して暮らす人々の平和な村だった。青々とした田園が広がり、四季折々の花々が咲き誇る風景は、まるで絵画のようであった。
けれど農作物の豊穣さゆえ、魔物の襲撃が絶えなかった。戦うすべを持たぬ民はしばしば魔物に襲われ、金品や農作物を奪われていった。魔物の咆哮が夜空に響き渡り、村人たちは恐怖に震えながら眠れぬ夜を過ごしていた。
そんな混沌の中で立ち上がったのがアルトゥスであった。若きアルトゥスは村で最も勇敢な戦士だった。
彼の剣術は誰もが目を瞠るものであった。しかし、アルトゥスひとりでは魔物の軍勢を打ち負かすことなどできなかった。
アルトゥスは果敢に立ち向かった仲間たちの亡骸を前にして、胸を痛めていた。彼らの無念を晴らすためにも、もっと強い力が必要だと痛感していた。
そして、アルトゥスは神に願った。
――おお神よ、どうか魔物に打ち勝つための力をお与えください!
すると神の声が空から降り注いだ。空は一瞬にして暗雲に覆われ、雷鳴が轟く。
応じたのは森羅万象を司る神の一柱であった。
『我が名はダイゾーン。望むならば、汝に特別な神具を与えよう』
突如、目の前に小さな杖が現れた。受け止めると、持ち手の部分は複雑な模様が描かれた真鍮製で、その先には細くて青白い光がゆらゆらと揺れていた。振ると光は鞭のようにしなやかに曲がる。
『それは罹災狂という神具だ』
「罹災狂……なんて神々しい名前なのだ。そして、その効果とは?」
『驚くがよい。それは相手の持つ力を我が物にできる神具である』
「なんと!」
アルトゥスは素直に驚愕した。魔物の力を奪えば、人間の限界を超越した力を手に入れることができるに違いない。
『ただし、ひとつ約束をするがよい』
「はっ、なんでも聞き入れます!」
『この街の者は皆、物を大切にし、質素に生きている。たとえ街が繫栄しようとも、その謙虚さをけっして忘れさせないことだ。物を尊ぶ美徳、それが神羅万象を司る神である我からの条件だ』
「御意!」
反射的にそう答えたものの、その言葉はアルトゥスの心に残らなかった。なぜなら、アルトゥスは手中にある神具、『罹災狂』の効果を試したいと胸を躍らせていたからだ。
それからアルトゥスは有志を募り、魔物を狩りに行った。
捕らえた魔物を縛りつけて罹災狂を心臓に突き立てる。すると全身に力がみなぎり、鋼鉄のように頑強な肉体を手に入れることができた。
――なんて素晴らしい神具なのだ! これで私はこの国を護ることができるではないか!
以来、アルトゥスはひたすら魔物狩りに明け暮れた。魔物は屈強なアルトゥスに恐れをなし、村に寄りつかなくなった。
魔物の脅威を克服したラスカには、次第に人々が移住するようになった。
村はアルトゥスの牽引により、四半世紀をかけて帝国へと発展した。魔物の襲来に耐えられる外壁を形成し、軍隊も整備された。
帝国に住むかぎり、人々が魔物の犠牲になることはなくなったのだ。市場は賑わい、子供たちの笑い声が響き渡る平和な日々が続く。
しかし、帝国に悠久の和平を約束するには、「後継人」が不可欠だった。
ところがアルトゥスが認める「後継人」は育たなかった。なぜなら帝王の存在が圧倒的、絶対的であったため、その地位までのし上がろうとする野心家が現れなかったのだ。
帝王は孤高であり、同時に孤独だった。
だから自身の血を継ぐ者の存在が必要だった。けれど、いくら新たな妃を迎えようとも、子には恵まれなかった。それは、アルトゥスが生涯で最も絶望したことであった。
――こうなったら、自分自身が永遠の命を手に入れるしかない!
そこで、アルトゥスは森の奥地に住むエルフという長寿の種族に白羽の矢を立てた。
エルフは体内に独特の魔力を宿し、そのため人間よりはるかに長く生きられるという。その魔力を手に入れることができれば、長きにわたり帝国を守り続けることができるのだ。
そして、アルトゥスはエルフを手にかけるにいたった。
放浪していたエルフに手を差しのべるふりをして宮殿に連れ帰る。騙して酒で眠らせ、礼拝堂で秘密の儀式をおこなう。
寝かせたエルフの胸に罹災狂を突き立てると、体に魔力が漲り、薄くなりかけた髪が生え、肌のはりが戻ってきた。
裸になると、明らかに若さを取り戻した身体つきになっていた。
――おおっ、これこそはエルフの神秘的な魔力の賜物だ!
さらに人間には困難であった魔法の発動が可能となり、アルトゥスは興奮でいてもたってもいられなくなった。
――もっともっと、エルフの魔力を我が身に受け容れたいッ!
呵責よりも、その恩恵の魅力がアルトゥスの心を支配していった。
さらにダークエルフという、エルフとは似て非なる存在が接触を図ってきたのも幸運だった。
彼らは大胆不敵にも人間に取り入り、戦いの裏で暗躍していると聞いていた。帝国にまで発展したラスカに目をつけたようだ。
彼らを利用すれば、効率的にエルフを捕えることができる。もしもエルフの捕獲にてこずるようであれば、今度はダークエルフを資源とすればよい。
そして、異世界の技術者が開発した『機動土器』をダークエルフに与えたところ、エルフ狩りはきわめて効果的に促進された。
アルトゥスにとっては、すべてがうまくいっていた、はずだった。
だが、そんな帝王の暴走に怒りを抱いたのがダイゾーン神であった。
繁栄した帝国の人々は謙虚な心を忘れ、あらゆる物資をたやすく破棄するようになった。かつて約束した『物を尊ぶ美徳』、それを民は忘れかけていた。
さらに、崇高な存在であるエルフを手にかけることもまた、ダイゾーン神の意に反していた。エルフは人間や魔物と異なり、はるかに神に近しい存在なのだ。
『アルトゥスよ、手を差し伸べた神に対し、貴様はどうして手のひらを返すことができようかッ!』
そうしてついに、ダイゾーン神の怒りは爆発した。その怒りは暴走し、ついにこのラスカ帝国を飲み込もうとしているのだ。
半世紀以上前、ラスカは帝国ではなく辺境の村のひとつであった。農業で生計を立て、自然と調和して暮らす人々の平和な村だった。青々とした田園が広がり、四季折々の花々が咲き誇る風景は、まるで絵画のようであった。
けれど農作物の豊穣さゆえ、魔物の襲撃が絶えなかった。戦うすべを持たぬ民はしばしば魔物に襲われ、金品や農作物を奪われていった。魔物の咆哮が夜空に響き渡り、村人たちは恐怖に震えながら眠れぬ夜を過ごしていた。
そんな混沌の中で立ち上がったのがアルトゥスであった。若きアルトゥスは村で最も勇敢な戦士だった。
彼の剣術は誰もが目を瞠るものであった。しかし、アルトゥスひとりでは魔物の軍勢を打ち負かすことなどできなかった。
アルトゥスは果敢に立ち向かった仲間たちの亡骸を前にして、胸を痛めていた。彼らの無念を晴らすためにも、もっと強い力が必要だと痛感していた。
そして、アルトゥスは神に願った。
――おお神よ、どうか魔物に打ち勝つための力をお与えください!
すると神の声が空から降り注いだ。空は一瞬にして暗雲に覆われ、雷鳴が轟く。
応じたのは森羅万象を司る神の一柱であった。
『我が名はダイゾーン。望むならば、汝に特別な神具を与えよう』
突如、目の前に小さな杖が現れた。受け止めると、持ち手の部分は複雑な模様が描かれた真鍮製で、その先には細くて青白い光がゆらゆらと揺れていた。振ると光は鞭のようにしなやかに曲がる。
『それは罹災狂という神具だ』
「罹災狂……なんて神々しい名前なのだ。そして、その効果とは?」
『驚くがよい。それは相手の持つ力を我が物にできる神具である』
「なんと!」
アルトゥスは素直に驚愕した。魔物の力を奪えば、人間の限界を超越した力を手に入れることができるに違いない。
『ただし、ひとつ約束をするがよい』
「はっ、なんでも聞き入れます!」
『この街の者は皆、物を大切にし、質素に生きている。たとえ街が繫栄しようとも、その謙虚さをけっして忘れさせないことだ。物を尊ぶ美徳、それが神羅万象を司る神である我からの条件だ』
「御意!」
反射的にそう答えたものの、その言葉はアルトゥスの心に残らなかった。なぜなら、アルトゥスは手中にある神具、『罹災狂』の効果を試したいと胸を躍らせていたからだ。
それからアルトゥスは有志を募り、魔物を狩りに行った。
捕らえた魔物を縛りつけて罹災狂を心臓に突き立てる。すると全身に力がみなぎり、鋼鉄のように頑強な肉体を手に入れることができた。
――なんて素晴らしい神具なのだ! これで私はこの国を護ることができるではないか!
以来、アルトゥスはひたすら魔物狩りに明け暮れた。魔物は屈強なアルトゥスに恐れをなし、村に寄りつかなくなった。
魔物の脅威を克服したラスカには、次第に人々が移住するようになった。
村はアルトゥスの牽引により、四半世紀をかけて帝国へと発展した。魔物の襲来に耐えられる外壁を形成し、軍隊も整備された。
帝国に住むかぎり、人々が魔物の犠牲になることはなくなったのだ。市場は賑わい、子供たちの笑い声が響き渡る平和な日々が続く。
しかし、帝国に悠久の和平を約束するには、「後継人」が不可欠だった。
ところがアルトゥスが認める「後継人」は育たなかった。なぜなら帝王の存在が圧倒的、絶対的であったため、その地位までのし上がろうとする野心家が現れなかったのだ。
帝王は孤高であり、同時に孤独だった。
だから自身の血を継ぐ者の存在が必要だった。けれど、いくら新たな妃を迎えようとも、子には恵まれなかった。それは、アルトゥスが生涯で最も絶望したことであった。
――こうなったら、自分自身が永遠の命を手に入れるしかない!
そこで、アルトゥスは森の奥地に住むエルフという長寿の種族に白羽の矢を立てた。
エルフは体内に独特の魔力を宿し、そのため人間よりはるかに長く生きられるという。その魔力を手に入れることができれば、長きにわたり帝国を守り続けることができるのだ。
そして、アルトゥスはエルフを手にかけるにいたった。
放浪していたエルフに手を差しのべるふりをして宮殿に連れ帰る。騙して酒で眠らせ、礼拝堂で秘密の儀式をおこなう。
寝かせたエルフの胸に罹災狂を突き立てると、体に魔力が漲り、薄くなりかけた髪が生え、肌のはりが戻ってきた。
裸になると、明らかに若さを取り戻した身体つきになっていた。
――おおっ、これこそはエルフの神秘的な魔力の賜物だ!
さらに人間には困難であった魔法の発動が可能となり、アルトゥスは興奮でいてもたってもいられなくなった。
――もっともっと、エルフの魔力を我が身に受け容れたいッ!
呵責よりも、その恩恵の魅力がアルトゥスの心を支配していった。
さらにダークエルフという、エルフとは似て非なる存在が接触を図ってきたのも幸運だった。
彼らは大胆不敵にも人間に取り入り、戦いの裏で暗躍していると聞いていた。帝国にまで発展したラスカに目をつけたようだ。
彼らを利用すれば、効率的にエルフを捕えることができる。もしもエルフの捕獲にてこずるようであれば、今度はダークエルフを資源とすればよい。
そして、異世界の技術者が開発した『機動土器』をダークエルフに与えたところ、エルフ狩りはきわめて効果的に促進された。
アルトゥスにとっては、すべてがうまくいっていた、はずだった。
だが、そんな帝王の暴走に怒りを抱いたのがダイゾーン神であった。
繁栄した帝国の人々は謙虚な心を忘れ、あらゆる物資をたやすく破棄するようになった。かつて約束した『物を尊ぶ美徳』、それを民は忘れかけていた。
さらに、崇高な存在であるエルフを手にかけることもまた、ダイゾーン神の意に反していた。エルフは人間や魔物と異なり、はるかに神に近しい存在なのだ。
『アルトゥスよ、手を差し伸べた神に対し、貴様はどうして手のひらを返すことができようかッ!』
そうしてついに、ダイゾーン神の怒りは爆発した。その怒りは暴走し、ついにこのラスカ帝国を飲み込もうとしているのだ。



