乃花は与那を逃すまいと手に力を込め、これまでの経緯を早口でまくし立てる。与那は乃花の必死の形相に戦慄を覚え、身が凍りついた。

「ヨナさん、聞いて! わたし、会社の実権を狙った父の部下に殺されそうになって、女神に救われたけど、100円アイテムを使えとか言われたから喧嘩になって、エロボケ帝王の餌食にさせられそうになったの!」

「で……出会い頭なのに情報量が多すぎるっ!」

興奮した表情の顔がぐいぐいと近づいてきた。甘い素肌とほどよい汗の香りが与那の鼻腔をくすぐり、ただでさえ混乱した脳髄をさらに攪乱する。

「あっ、でもヨナさんを始末しようとしたのは、暗殺者だと勘違いしたからで、今はそうは思っていないから安心して!」

「ひいいっ! 誤解の末に始末されるところだったのかよ!」

「あと、エロボケ帝王はスマホを使って脅したから、弄ばれたりしていないわよ。身も心も潔白だから安心して!」

「安心できるんだかできないんだか、さっぱりわからねえ!」

「っていうかわたし、捕まったエルフたちも逃がしてあげたんだから、これで救世主の仲間入りでしょ? えっへん!」

その瞬間、ドン引きだった与那の顔がさっと真顔に変貌する。

「え……エルフたちを助けた、のか……?」

エルフを救出しようと必死だったのに、まさか高根さんが解放してしまうとは。それも帝王の懐に入り込んで攻略するとは。

「いったい何者なんだ高根さんは!」

「異世界から転移してきた、清く正しく美しい社長令嬢よ!」

「しゃ、社長令嬢!? ってことはやっぱり、俺の世界と同じ出身(・・)なのか!?」

「そう言われてもわからないわよ。でも、知識に共通項があればビンゴよね」

ふたりは人気のアニメやヒットソングなど、さまざまな世間のネタを繰り出した。

「すごい、間違いなく同じ世界だ……」

「わぁ、なんて偶然!」

ふたりは驚愕し、丸くなった目で見つめあう。

ただ、乃花の話題は一年ほど前に遡っているようだった。ふたりの転移の間には時間軸のずれがあるという仮説が的を射ていたのだと与那は納得した。

「わたしの本名は高根乃花(たかねのはな)。高根さん、なんて他人行儀な呼び方しないで、名前で呼んでほしいな」

乃花は可愛らしい微笑みでそう言った。

「高根乃花さんかぁ、素敵な名前だね。俺には手の届かなそうな名前だ」

与那は少し照れくさそうに答えた。

「ヨナさんにも本名ってあるんでしょう?」

「もちろんだよ。俺は安井与那(やすいよな)。100円ショップの店員をやっていたんだ」

「へぇ、安井与那さんかー。うふふ。庶民的で、親しみがわく名前ね。もしかして100円ショップ店員って天職なの?」

100円アイテムを卑下していた乃花だったが、救世主のスキルとなれば心の中での評価は爆上がりだ。

「まあね。家の経済事情で就職したんだけど、100円ショップのアイディア商品ってすごいのがたくさんあるんだ。だから俺、頑張って働いて、将来開発部に抜擢されたら、いろんな便利商品を自身の手で生み出したいと思っているんだ」

希望があるから頑張れるんだよと、最後に付け足して微笑んだ。

与那は滾る思いが止められなくなっていた自分に気づいた。申しわけなさそうな顔をする。

「あ……ごめん。つい熱くなっちゃって」

「ううん、与那さんって……すごくいい!」

「は?」

「あ……なんでもない、気にしないで」

乃花は顔を赤らめてうつむいた。なぜなら与那は乃花が思い描く理想の男性そのものだったのだから。

『財産なんてなくていいから、誠実で笑顔が眩しくて、いつもなにかに一生懸命になっているようなひとがいい』

今まで出会う男性は、おごり高ぶるろくでなしか、さもなくば金目当てのクズばかり。その真逆であった与那に、乃花はさっそく好感を抱いていた。

突然、乃花が身を寄せて与那の手を握りしめる。与那の心臓がうれしそうに跳ねた。

「ねぇ、与那さんは100円アイテムで無双して、この世界の救世主になったのよね?」

「え、なんでそのことを知っているんだ?」

「メイサちゃんっていうエルフの女の子から聞いたの」

乃花は得意げに答えた。その一言に与那は驚いた。

「えっ、メイサを知っているのか! じゃあ、救出したエルフの中に、メイサもいたのか!?」

今度は与那が乃花の手を強く握り返した。

「うん。牢獄を脱出してこっちに向かってきていると思う。もうじき着くんじゃないかな」

「まじか!」

「うん、まじ!」

乃花は地下道の入り口に目を向けて自信満々に答えた。

なるほど、乃花さんは宮殿に混乱が起きたタイミングで、エルフたちを地下道に逃がしたということか。

与那の表情は溢れる希望で輝き出す。

「グッドジョブだ、乃花さん!」

親指を立ててウインクする与那。

「えへへ、それほどでもあるけどね~♬」

肩をすくめて軽くはにかむ乃花。

その時、ふたりの脳内に神の声が響いた。威勢のよい男性の声、ギャンドゥ神だ。

『安井与那よ、素晴らしい味方を得たようだな。この調子で一気に救世主として突っ走るのだ!』

「ギャンドゥ神だ! でもこの声、乃花さんは聞こえているの?」

乃花はじっと神経を集中させた顔のまま、首を縦に振った。ひたいには薄く汗が浮かび、緊張感が漂っている。

「ええ。わたしも神に呼ばれた立場だからかしら。でも、わたしの神は別の柱だったわ」

すると次に響くのは女性の声。ゼーリア神だ。

『高根乃花よ、いくらエルフを救出したとはいえ、あなたの活躍は彼の足元にも及ばない。けれどあなたはエロボケ帝王の秘密を握ったわ。そのアドバンテージを有効に使うのよ!』

与那と乃花はアイコンタクトで「この神様だった?」「うん、そうよ」と意思疎通を図る。

『こうなったらあなた、あの宮殿に起きた混沌の根源を解消し、一発逆転を狙いなさい!』

『なぬ!? 一発逆転とは困る! 世界を救うためには情報を共有し、協力するべきではないか!』

『ちょっと! 協力なんて余計な入れ知恵しないで。このまま等しく活躍したら、差が埋められないじゃないの!』

『うぬぅ、ゼーリアよ。おぬし、勝つためには手段を選ばないつもりだな?』

『当然よ! だって、絶対に負けられない戦いがここにはあるのだから!』

二柱の神はふたりの脳内で言いあいを始めた。状況を察すると、むきになって勝負をしているっぽい。けれど、なんの勝負だか理解できず、与那と乃花は困惑しながら顔を見合わせた。

乃花は与那にそっと耳打ちする。

「あの宮殿から立ち込める煙は、ダイゾーン神が具現化した姿だと思う。魔物を呼び寄せてラスカ帝国を滅ぼすと言っていたから」

「まじか!? じゃあ、街のみんなに伝えなくちゃ、やばいじゃん!」

与那の表情がさっと青くなった。同時にゼーリア神も憔悴の混ざる声で叫ぶ。

『ちょっと、なに重要な情報をばらしちゃっているのよ! ギャンドゥの手下はほうっておいて、あなたがうまいことやって世界を救いなさいよ!』

けれど乃花はゼーリア神の主張をすまし顔でスルーした。与那の存在なしにして、世界を救えるはずはないからだ。脳内の声を無視して与那に語りかける。

「わたしが聞いた会話の内容から察すると、ダイゾーン神はアルトゥスがエルフの命を奪ったり、さまざまな物を破棄したりすることに怒っているみたい」

「なんだって! 帝王はエルフの命を奪っているのか!?」

「うん、神から受け取った不思議な道具で、相手の持つ力を吸い取ることができるみたいなの」

アスタロットが『ラスカ帝国の軍は、我々の生命を用いて不老不死の秘薬を作る研究をしている』と言っていたのを思い出す。寿命を延ばすための薬どころか、エルフ自身の『命』を呑み込んでいるということなのか。

「でも、どうして帝王はそんなことを……」

疑問を口にすると、ギャンドゥ神がひとつ咳払いをして言う。

『それは、ダイゾーンが己の理想を求めるがゆえに起こした暴走が原因だ』

「かっ、神の暴走!?」

『うむ。だから、同じ神である私から、救世主のおぬしたちに伝えなければならないことでもある』

するとギャンドゥ神は神妙な声で、アルトゥスとダイゾーン神の接点について語り始めた。