★
遡ること、約1時間前――。
アルトゥスは昼食を途中で切りあげ、テーブル席から立ち上がった。
「今日も軍事会議の予定だ。ノハナは食べ終わったら部屋に戻るがよい」
「承知しました、アルトゥス様。ご無理なさらないでくださいませ」
最近のアルトゥスは思い詰めたような顔をしており、食事が喉を通らないようだ。シェフたちがそそくさと食べ残しの皿を下げていく。
去りゆくアルトゥスの足取りは重く、疲れが溜まっているように見える。
――これから、どこへ行くのかしら?
乃花は軍事会議が嘘だと気づいていた。いつも宮殿の大広間を上階から見張っていたのだが、軍の幹部が姿を現すことはなく、アルトゥス自身が宮殿を出ていく様子もなかったのだ。
ということは、乃花にひた隠しにするなにかが、この宮殿のどこかで行われているということだ。そして、乃花はその「どこか」に心当たりがあった。
地下牢とは逆の方向に続く通路の先は、露骨に立ち入り禁止となっているのを思い出す。
宮殿は5階建てで多くの窓があり、きらびやかなステンドグラスで彩られている。玉座の間、舞踏室、謁見室、衛兵の駐地や調理室――思いつく部屋のほとんどは、宮廷の中に揃っていた。けれど――礼拝堂だけが見当たらない。
おそらくその場所が礼拝堂ではないか。だからアルトゥスはその場所で儀式的ななにかを行っているのではないか。そう想像し、こっそりと探りを入れることにした。
石造りの壁は湿気を帯び、苔を生やしている。天井は低く、ところどころに古びたランタンが吊るされていた。かすかな光が揺らめいている。
壁の柱に身を隠して待ち構えると、しばらくして足音が近づいてきた。乃花は勘が当たったと胸を高鳴らせた。
スマホを起動させ、カメラの部分を柱から出して様子をうかがう。映ったのはアルトゥスの側近のふたりと、鎖を両手につながれた若い男性のエルフがひとり。
――なにをするつもりなんだろう?
アルトゥスたちは、立ち入り禁止の通路へと進んで行った。乃花は姿が見えなくなったところで足音を忍ばせ後を追う。
すると壁際にある、古びた木製の扉の前で足を止めた。アルトゥスは腰をかがめ、覗き穴から中をのぞき込むような姿勢をした。
扉がひとりでに開く。アルトゥスたちは言葉を発することなく、その中に足を踏み入れていった。
扉はひとりでに閉じた。数分待つと、側近のふたりが部屋を出て戻ってゆく。彼らの姿が消えてからアルトゥスの後を追う。
扉の正中には直径1センチメートル程度の円形のへこみがあった。のぞくとレンズのような透明な構造物が設置してある。けれど、部屋の中の様子は見えない。ただ、レンズの中で時折、点滅するような光があった。
――もしかしてこれ、生体認証セキュリティのようなものじゃないかしら。セールが作ったのかも。
乃花はスマホのアルバムを開き、アルトゥスの画像を表示した。
――このカメラ、解像度はめちゃくちゃいいのよね。
右の瞳を拡大してかざすが反応はない。今度は左の瞳を拡大して扉の穴にあてがう。
すると、カチリと留め金が外れる音がして、扉がひとりでに開いた。
――やっぱりそうだ! わたし、探偵の才能があるかも!
乃花は扉の隙間から中の様子をうかがう。アルトゥスの姿が見えなかったので、すばやく体を滑り込ませた。湿った土と石の匂いの中には、かすかな生臭さが漂っていた。柱の陰からスマホのカメラで中の様子をうかがう。
部屋の中央には石造りの祭壇があり、天井から垂れ下がる鎖には古びた鉄の燭台が取り付けられている。蝋燭の炎が物悲しく揺れ、壁に掛けられた神を模した絵がさまざまな表情を見せているようだ。
祭壇の上には、先ほど見たエルフが横たわっていた。さるぐつわを噛まされ、体を拘束されていた。
その祭壇の前に、アルトゥスの背中姿があった。手には小さな魔法の杖のようなステッキを持っていた。そのステッキの杖身は、波打つように青白い光を放っている。
――あのエルフになにをする気なの?
息を殺して様子をうかがうと、アルトゥスはそのステッキを振り上げ、ためらうことなくエルフの胸元に突き刺した。
あっ、と声をあげそうになり、あわてて自分の口を押える。
見ているとステッキの先端がエルフの胸元に吸い込まれていく。すると、エルフの体が痙攣を起こし、青白い光を発し始める。
その光は心臓へと集まり、ステッキに吸い込まれ、脈打ちながらアルトゥスの体の中へ流れ込んでいった。
エルフは瞬く間にやせ細り、まるでしおれた花のように枯れ果ててしまった。
――なんてことを!
長寿の根源となる、エルフの肉体に込められた魔力を奪うことで、アルトゥスは生命力を維持していた。凄惨な現場を目の当たりにした乃花は心が凍りつきそうになった。
アルトゥスは祭壇の前で、倒れ込むようにうずくまった。
「がはっ……はぁはぁはぁ……」
流れ込んだ光が収束すると同時に、落ち着きを取り戻す。
「だが、まだ足りない……もっと生きのいいエルフの命が必要だ……」
立ち上がると、エルフの死骸を掴んで隣にある大きな木箱の中へと放り込む。箱の中からは枯れ枝のような手足が数本、外に飛び出していた。
アルトゥスはよろよろと入り口に歩を進める。
――まずい! こっちに向かってくる!
逃げ出せば部屋に侵入していたことに気づかれてしまう。スマホの画面にアルトゥスの画像を映し出し、どう脅せば効果的か、急ピッチで思考を働かせる。
すると突然、スマホの画面が漆黒に塗り替わる。ついに電源が消滅したのだ。
――ああっ! やばやばやばーい! ついに、わたしの武器がなくなっちゃった――ッ!
動揺で心臓が爆音を奏で、喉から飛び出しそうになる。ところが、こちらに向かうアルトゥスの足音が急に止まった。続いて礼拝堂に重々しい低音の声が響く。
「貴様、またもや清冽なエルフの命を奪ったのか」
声は怒りに満ちており、まるでアルトゥスを叱責しているようだ。
――帝王を叱る人物って、いったい誰なの?
そろりと顔をのぞかせる。その光景に乃花は目を疑った。
アルトゥスは歪んだ表情で宙を見上げていた。その視線の先には――禍々しい黒い影が広がっている。その黒い影は神の絵画から湧き出ていた。
「我が貴様にその魔具――罹災狂を与えたのは、貴様が魔物に抗うための力を欲したからだ! 生に縋りつくために与えたわけではないぞ!」
影は威嚇するように幾度となく膨張し、アルトゥスを呑み込もうとする。
――なんなのよ、あの禍々しいまっくろくろすけは!
乃花は物々しい雰囲気に恐れをなし、全身の肌が粟立った。
「人間は人間として与えられた時間があるのだ。そのさだめに盾突くとは、神への冒涜に等しい行為であるぞ!」
影の声は雷鳴のように轟き、空気を震わせた。
だが、アルトゥスは影の威圧的な叱責に毅然として立ち向かう。
「なんとでも言うがいい、ダイゾーン神よ! 余は余のやり方でこの帝国を築きあげてきたのだ!」
――ダイゾーン!?
それはセールを事故から救い、この世界へ転移させた神の名だ。乃花は神と面識があるだけに、神が降臨した事実を抵抗なく受け入れていた。
「余は人間として人間を護り、国を繁栄させるために生きているのだ! かつてのように魔物の襲来から民を護るためには、手段を選ぶはずなどない!」
アルトゥスの声は荒々しさを増している。しかし、ダイゾーン神も黙ってはいない。
「かつて、ラスカの人間は神を崇め、自然と調和し、物を大切にする謙虚な民族であったはずだ。しかし、繁栄というおごりのもとに神への感謝を忘れ、命や物に対する慈愛の心を失ってしまったではないか!」
乃花は神の言動に胸がちくりと痛む。現実世界の贅沢な生活の中では、気に入らなかった物はことごとく棄ててきたのを思い出したからだ。染みのついた服、小傷の付ついた装飾品、軋みが目立つチェアー。今になってそれらの棄てた品々が脳裏をよぎる。
思えば帝国の森の中で、しばしばごみの山を目にすることがある。それが大切に扱われることのなかった品々の末路なのだと思えた。
わたしも罪を背負っているのだろうかと考えたのは、乃花にとって初めてのことであった。
「寿命を持たない神などに、人間の苦悩がわかってたまるか!」
「貴様、まだわからぬというのか! ならば、貴様が護ろうとするこの街を無に帰せなければなるまい。かつての謙虚さを内包する、新世界の創生のためにな!」
すると神の絵画から恐ろしい勢いで黒霧が吹き出した。まるで絵の背景が、別の世界と繋がっているかのように。
黒霧が礼拝堂全体に広がると、礼拝堂が激しく縦揺れの振動を起こした。天井の岸壁に亀裂が入り、次第に広がってゆく。ついに天井が音を立てて崩落した。
「覚悟するがよい。貴様の傲慢さがもたらす未来、それはラスカが魔物によって消し去られるという運命だ!」
ダイゾーン神は吹き抜けを通って上空へ舞い上がる。宮廷の窓にあるステンドグラスが派手な音を立てて次々と弾け飛ぶ。黒霧は宮廷の外へと溢れ出していた。
――ここから逃げなくちゃ!
乃花は礼拝堂から逃げ出そうと扉を目指す。しかし突然、目前まで迫った黒霧の中からアルトゥスが姿を見せた。血走った目が乃花を捉える。
「ひっ……!」
アルトゥスは乃花の首に手をかけて叫ぶ。
「ノハナよ、今すぐエルフを連れてこい! 若くて活きのいいエルフをだ!」
アルトゥスはエルフの命を吸収した瞬間に五感が研ぎ澄まされ、乃花の存在すら見通していたようだ。
「うっ……うぐぐっ……!」
胸元からスマホを取り出して電源ボタンに指をかける。けれど、画面に表示されたのは、バッテリー切れを知らせる淡白な乾電池の図だった。乃花の動揺に気づいたアルトゥスは口元を歪めて笑う。
「ふふふ、その絶望の表情――ノハナよ、どうやら貴様の能力は無限ではなかったということだな」
「……ッ!」
乃花は意を決し、握りしめたスマホを振りかざしてアルトゥスの目に叩きつけた。
「ぐっ、貴様……ッ!」
呻き声とともに手が離れる。その隙を狙い、乃花はアルトゥスの股間を蹴り上げた。すぐさま振り向いて礼拝堂を飛び出す。
――アルトゥスは力を求めてエルフを犠牲にするつもりだ! エルフたちを逃がさなくちゃ!
――それに、神は魔物を操って街を襲わせるつもりだ! 総力を結集して立ち向かわなくちゃ!
乃花は人間もエルフも、誰も犠牲にしたくはなかった。
牢獄の鍵を入手し、エルフの元へと急いだ。鍵を握る手のひらに冷たい汗が滲む。
「みんな! 帝王のもとに神が現れて宮殿が混乱しているの! この隙に逃げて!」
牢獄の鍵を開けると、エルフとダークエルフが次々と牢獄から逃げ出していく。
「アルトゥスが追ってきたら絶対に逃げて。捕まったら命を奪われるわ。あいつはエルフの命を奪って生きてきたの!」
皆、驚きの声をあげる。エルフたちの目は不安に揺れていた。
「でも、ここからどうやって逃げるんだ」
エルフのひとりが尋ねると、乃花は自信に溢れた声を発する。
「じつは、逃がす時のためのルートを確保していたの。地下通路を通って逃げられるから。あとはなんとかこの街を脱出して」
「承知した。恩に着る」
すると、黒霧が地下牢のほうまで広がってきた。黒霧は冷たく、肌に触れると不気味な感触がした。
「早くしないと視界が閉ざされちゃう。急いで!」
乃花はエルフを連れて地下道に通じる扉を目指し、着くとすかさず取っ手を握った。
扉がガタン、と一揺れする。重々しい軋音を立ててゆっくりと開く。その向こうには地下道が広がっていた。ランタンで足元を確かめ、勢いよく飛び出す。地下道は暗く、湿気が漂っていた。
扉の向こうに手のひらを差し向け、ジェスチャーで待つように指示をする。
その瞬間、かつんとなにかが落ちる音がした。
――誰かがいる!?
はっとして目を向けると、この世界では見たことのない、煌々とした光が灯っていた。光は暗闇の中にはっきりと人の顔を映し出している。どきりと心臓が跳ねたのは、その顔が記憶の中にあったものだからだ。
「――ヨナさん……?」
賞金首として街中に看板を立てたものの見つけることができなかった人物。メイサが乃花の味方になると言っていた救世主。そして、現実世界へ戻るための鍵でもある青年。
どうしてここにいるのかわからなかったが、この偶然を奇跡と言わずになんと呼ぶのだろう。
どうか手を貸してほしい。この帝国を救ってほしい。乃花の目には切実な願いが込められていた。
「い、いや……本人の空似で……」
けれど、乃花の願いは虚しく、与那はごまかすようにそう言って後ずさる。
その瞬間、手に持つランタンが弾き飛ばされた。あっ、と思った時にはもう遅く、彼らは走り出していた。呼び止めようと、必死の思いを込めて叫ぶ。
「待って! 待ちなさいってばヨナさん!」
――どうか行かないで。この帝国は、大変なことになっているの。だからあなたに助けてほしい!
けれど与那は逃げるように走り去ってしまった。
――追わなくちゃ。絶対に追いついて、みんなを救ってほしいってお願いしなくちゃ!
けれど、今から追いかけても追いつく自信なんてない。諦めかけた時、エルフたちが地下道に踏み出して来た。乃花は彼らを見て妙案を思いついた。
「聞いて! 今ここに救世主がいたの! 誰か、彼を追いかけるための魔法を使えない?」
牢獄には魔法を無効化する魔法がかけられていた。だから、牢獄を抜けたら魔法が使えるはずなのだ。
すると、メイサの父と母が名乗りをあげた。
「逃がしてもらえた恩を返したい。なんでも協力するさ。――よし、これが最適だろう」
父は即座に魔法を詠唱した。
「古の力よ、我が意志に従い、魔法のほうきを具現化させよ! 天空の遊戯!」
すると、長い柄に箒草が束ねられた形の、魔女に似つかわしいほうきが目の前に出現した。
「わぁ、エルフの魔法ってすごい!」
乃花はすぐさまほうきにまたがり、両手でしっかりと柄を握る。するとほうきはふわりと宙に浮いた。
「ひゃあっ!」
ほうきに乗るなんて人生初の体験で驚いた。お尻に食い込むほうきの感触がちょっとサディスティックだ。バランスを取り体勢を維持する。
すると、魔法を唱えた父が「う~ん」と唸り声をあげて倒れた。
乃花はぎょっとしたが、母が「心配しないで。我が家はみんなこうだから」と愛想笑いを浮かべた。
次に母が両手をかざして魔法を唱える。
「風よ、かの者の友となり、自由なる空の道を開きたまえ! 疾風の旋律!」
その瞬間、ほうきがアクセル全開のバイクのように急発進した。
「あっ……あわわわわわ!!」
容赦なく加速し張り出す岩肌を巧みに避けてゆく。
「うっぷ……」
暗闇の中で脳が派手に揺さぶられ、酔いが回って吐きそうになる。
しばらくすると、地下道がうっすらと明るくなってきた。出口が近い。外の光が徐々に迫り、ぱっと目の前に広がった。視界がまっしろになる。
同時に魔法の効力が切れたのか、ほうきは糸が切れた凧のようにぐるぐると宙を舞う。
「ひゃああああ………っ! お……おうええええっ!!」
乃花は目を回し、ああ、この世界は地球と同じく丸いんだ、と悟るのであった。
遡ること、約1時間前――。
アルトゥスは昼食を途中で切りあげ、テーブル席から立ち上がった。
「今日も軍事会議の予定だ。ノハナは食べ終わったら部屋に戻るがよい」
「承知しました、アルトゥス様。ご無理なさらないでくださいませ」
最近のアルトゥスは思い詰めたような顔をしており、食事が喉を通らないようだ。シェフたちがそそくさと食べ残しの皿を下げていく。
去りゆくアルトゥスの足取りは重く、疲れが溜まっているように見える。
――これから、どこへ行くのかしら?
乃花は軍事会議が嘘だと気づいていた。いつも宮殿の大広間を上階から見張っていたのだが、軍の幹部が姿を現すことはなく、アルトゥス自身が宮殿を出ていく様子もなかったのだ。
ということは、乃花にひた隠しにするなにかが、この宮殿のどこかで行われているということだ。そして、乃花はその「どこか」に心当たりがあった。
地下牢とは逆の方向に続く通路の先は、露骨に立ち入り禁止となっているのを思い出す。
宮殿は5階建てで多くの窓があり、きらびやかなステンドグラスで彩られている。玉座の間、舞踏室、謁見室、衛兵の駐地や調理室――思いつく部屋のほとんどは、宮廷の中に揃っていた。けれど――礼拝堂だけが見当たらない。
おそらくその場所が礼拝堂ではないか。だからアルトゥスはその場所で儀式的ななにかを行っているのではないか。そう想像し、こっそりと探りを入れることにした。
石造りの壁は湿気を帯び、苔を生やしている。天井は低く、ところどころに古びたランタンが吊るされていた。かすかな光が揺らめいている。
壁の柱に身を隠して待ち構えると、しばらくして足音が近づいてきた。乃花は勘が当たったと胸を高鳴らせた。
スマホを起動させ、カメラの部分を柱から出して様子をうかがう。映ったのはアルトゥスの側近のふたりと、鎖を両手につながれた若い男性のエルフがひとり。
――なにをするつもりなんだろう?
アルトゥスたちは、立ち入り禁止の通路へと進んで行った。乃花は姿が見えなくなったところで足音を忍ばせ後を追う。
すると壁際にある、古びた木製の扉の前で足を止めた。アルトゥスは腰をかがめ、覗き穴から中をのぞき込むような姿勢をした。
扉がひとりでに開く。アルトゥスたちは言葉を発することなく、その中に足を踏み入れていった。
扉はひとりでに閉じた。数分待つと、側近のふたりが部屋を出て戻ってゆく。彼らの姿が消えてからアルトゥスの後を追う。
扉の正中には直径1センチメートル程度の円形のへこみがあった。のぞくとレンズのような透明な構造物が設置してある。けれど、部屋の中の様子は見えない。ただ、レンズの中で時折、点滅するような光があった。
――もしかしてこれ、生体認証セキュリティのようなものじゃないかしら。セールが作ったのかも。
乃花はスマホのアルバムを開き、アルトゥスの画像を表示した。
――このカメラ、解像度はめちゃくちゃいいのよね。
右の瞳を拡大してかざすが反応はない。今度は左の瞳を拡大して扉の穴にあてがう。
すると、カチリと留め金が外れる音がして、扉がひとりでに開いた。
――やっぱりそうだ! わたし、探偵の才能があるかも!
乃花は扉の隙間から中の様子をうかがう。アルトゥスの姿が見えなかったので、すばやく体を滑り込ませた。湿った土と石の匂いの中には、かすかな生臭さが漂っていた。柱の陰からスマホのカメラで中の様子をうかがう。
部屋の中央には石造りの祭壇があり、天井から垂れ下がる鎖には古びた鉄の燭台が取り付けられている。蝋燭の炎が物悲しく揺れ、壁に掛けられた神を模した絵がさまざまな表情を見せているようだ。
祭壇の上には、先ほど見たエルフが横たわっていた。さるぐつわを噛まされ、体を拘束されていた。
その祭壇の前に、アルトゥスの背中姿があった。手には小さな魔法の杖のようなステッキを持っていた。そのステッキの杖身は、波打つように青白い光を放っている。
――あのエルフになにをする気なの?
息を殺して様子をうかがうと、アルトゥスはそのステッキを振り上げ、ためらうことなくエルフの胸元に突き刺した。
あっ、と声をあげそうになり、あわてて自分の口を押える。
見ているとステッキの先端がエルフの胸元に吸い込まれていく。すると、エルフの体が痙攣を起こし、青白い光を発し始める。
その光は心臓へと集まり、ステッキに吸い込まれ、脈打ちながらアルトゥスの体の中へ流れ込んでいった。
エルフは瞬く間にやせ細り、まるでしおれた花のように枯れ果ててしまった。
――なんてことを!
長寿の根源となる、エルフの肉体に込められた魔力を奪うことで、アルトゥスは生命力を維持していた。凄惨な現場を目の当たりにした乃花は心が凍りつきそうになった。
アルトゥスは祭壇の前で、倒れ込むようにうずくまった。
「がはっ……はぁはぁはぁ……」
流れ込んだ光が収束すると同時に、落ち着きを取り戻す。
「だが、まだ足りない……もっと生きのいいエルフの命が必要だ……」
立ち上がると、エルフの死骸を掴んで隣にある大きな木箱の中へと放り込む。箱の中からは枯れ枝のような手足が数本、外に飛び出していた。
アルトゥスはよろよろと入り口に歩を進める。
――まずい! こっちに向かってくる!
逃げ出せば部屋に侵入していたことに気づかれてしまう。スマホの画面にアルトゥスの画像を映し出し、どう脅せば効果的か、急ピッチで思考を働かせる。
すると突然、スマホの画面が漆黒に塗り替わる。ついに電源が消滅したのだ。
――ああっ! やばやばやばーい! ついに、わたしの武器がなくなっちゃった――ッ!
動揺で心臓が爆音を奏で、喉から飛び出しそうになる。ところが、こちらに向かうアルトゥスの足音が急に止まった。続いて礼拝堂に重々しい低音の声が響く。
「貴様、またもや清冽なエルフの命を奪ったのか」
声は怒りに満ちており、まるでアルトゥスを叱責しているようだ。
――帝王を叱る人物って、いったい誰なの?
そろりと顔をのぞかせる。その光景に乃花は目を疑った。
アルトゥスは歪んだ表情で宙を見上げていた。その視線の先には――禍々しい黒い影が広がっている。その黒い影は神の絵画から湧き出ていた。
「我が貴様にその魔具――罹災狂を与えたのは、貴様が魔物に抗うための力を欲したからだ! 生に縋りつくために与えたわけではないぞ!」
影は威嚇するように幾度となく膨張し、アルトゥスを呑み込もうとする。
――なんなのよ、あの禍々しいまっくろくろすけは!
乃花は物々しい雰囲気に恐れをなし、全身の肌が粟立った。
「人間は人間として与えられた時間があるのだ。そのさだめに盾突くとは、神への冒涜に等しい行為であるぞ!」
影の声は雷鳴のように轟き、空気を震わせた。
だが、アルトゥスは影の威圧的な叱責に毅然として立ち向かう。
「なんとでも言うがいい、ダイゾーン神よ! 余は余のやり方でこの帝国を築きあげてきたのだ!」
――ダイゾーン!?
それはセールを事故から救い、この世界へ転移させた神の名だ。乃花は神と面識があるだけに、神が降臨した事実を抵抗なく受け入れていた。
「余は人間として人間を護り、国を繁栄させるために生きているのだ! かつてのように魔物の襲来から民を護るためには、手段を選ぶはずなどない!」
アルトゥスの声は荒々しさを増している。しかし、ダイゾーン神も黙ってはいない。
「かつて、ラスカの人間は神を崇め、自然と調和し、物を大切にする謙虚な民族であったはずだ。しかし、繁栄というおごりのもとに神への感謝を忘れ、命や物に対する慈愛の心を失ってしまったではないか!」
乃花は神の言動に胸がちくりと痛む。現実世界の贅沢な生活の中では、気に入らなかった物はことごとく棄ててきたのを思い出したからだ。染みのついた服、小傷の付ついた装飾品、軋みが目立つチェアー。今になってそれらの棄てた品々が脳裏をよぎる。
思えば帝国の森の中で、しばしばごみの山を目にすることがある。それが大切に扱われることのなかった品々の末路なのだと思えた。
わたしも罪を背負っているのだろうかと考えたのは、乃花にとって初めてのことであった。
「寿命を持たない神などに、人間の苦悩がわかってたまるか!」
「貴様、まだわからぬというのか! ならば、貴様が護ろうとするこの街を無に帰せなければなるまい。かつての謙虚さを内包する、新世界の創生のためにな!」
すると神の絵画から恐ろしい勢いで黒霧が吹き出した。まるで絵の背景が、別の世界と繋がっているかのように。
黒霧が礼拝堂全体に広がると、礼拝堂が激しく縦揺れの振動を起こした。天井の岸壁に亀裂が入り、次第に広がってゆく。ついに天井が音を立てて崩落した。
「覚悟するがよい。貴様の傲慢さがもたらす未来、それはラスカが魔物によって消し去られるという運命だ!」
ダイゾーン神は吹き抜けを通って上空へ舞い上がる。宮廷の窓にあるステンドグラスが派手な音を立てて次々と弾け飛ぶ。黒霧は宮廷の外へと溢れ出していた。
――ここから逃げなくちゃ!
乃花は礼拝堂から逃げ出そうと扉を目指す。しかし突然、目前まで迫った黒霧の中からアルトゥスが姿を見せた。血走った目が乃花を捉える。
「ひっ……!」
アルトゥスは乃花の首に手をかけて叫ぶ。
「ノハナよ、今すぐエルフを連れてこい! 若くて活きのいいエルフをだ!」
アルトゥスはエルフの命を吸収した瞬間に五感が研ぎ澄まされ、乃花の存在すら見通していたようだ。
「うっ……うぐぐっ……!」
胸元からスマホを取り出して電源ボタンに指をかける。けれど、画面に表示されたのは、バッテリー切れを知らせる淡白な乾電池の図だった。乃花の動揺に気づいたアルトゥスは口元を歪めて笑う。
「ふふふ、その絶望の表情――ノハナよ、どうやら貴様の能力は無限ではなかったということだな」
「……ッ!」
乃花は意を決し、握りしめたスマホを振りかざしてアルトゥスの目に叩きつけた。
「ぐっ、貴様……ッ!」
呻き声とともに手が離れる。その隙を狙い、乃花はアルトゥスの股間を蹴り上げた。すぐさま振り向いて礼拝堂を飛び出す。
――アルトゥスは力を求めてエルフを犠牲にするつもりだ! エルフたちを逃がさなくちゃ!
――それに、神は魔物を操って街を襲わせるつもりだ! 総力を結集して立ち向かわなくちゃ!
乃花は人間もエルフも、誰も犠牲にしたくはなかった。
牢獄の鍵を入手し、エルフの元へと急いだ。鍵を握る手のひらに冷たい汗が滲む。
「みんな! 帝王のもとに神が現れて宮殿が混乱しているの! この隙に逃げて!」
牢獄の鍵を開けると、エルフとダークエルフが次々と牢獄から逃げ出していく。
「アルトゥスが追ってきたら絶対に逃げて。捕まったら命を奪われるわ。あいつはエルフの命を奪って生きてきたの!」
皆、驚きの声をあげる。エルフたちの目は不安に揺れていた。
「でも、ここからどうやって逃げるんだ」
エルフのひとりが尋ねると、乃花は自信に溢れた声を発する。
「じつは、逃がす時のためのルートを確保していたの。地下通路を通って逃げられるから。あとはなんとかこの街を脱出して」
「承知した。恩に着る」
すると、黒霧が地下牢のほうまで広がってきた。黒霧は冷たく、肌に触れると不気味な感触がした。
「早くしないと視界が閉ざされちゃう。急いで!」
乃花はエルフを連れて地下道に通じる扉を目指し、着くとすかさず取っ手を握った。
扉がガタン、と一揺れする。重々しい軋音を立ててゆっくりと開く。その向こうには地下道が広がっていた。ランタンで足元を確かめ、勢いよく飛び出す。地下道は暗く、湿気が漂っていた。
扉の向こうに手のひらを差し向け、ジェスチャーで待つように指示をする。
その瞬間、かつんとなにかが落ちる音がした。
――誰かがいる!?
はっとして目を向けると、この世界では見たことのない、煌々とした光が灯っていた。光は暗闇の中にはっきりと人の顔を映し出している。どきりと心臓が跳ねたのは、その顔が記憶の中にあったものだからだ。
「――ヨナさん……?」
賞金首として街中に看板を立てたものの見つけることができなかった人物。メイサが乃花の味方になると言っていた救世主。そして、現実世界へ戻るための鍵でもある青年。
どうしてここにいるのかわからなかったが、この偶然を奇跡と言わずになんと呼ぶのだろう。
どうか手を貸してほしい。この帝国を救ってほしい。乃花の目には切実な願いが込められていた。
「い、いや……本人の空似で……」
けれど、乃花の願いは虚しく、与那はごまかすようにそう言って後ずさる。
その瞬間、手に持つランタンが弾き飛ばされた。あっ、と思った時にはもう遅く、彼らは走り出していた。呼び止めようと、必死の思いを込めて叫ぶ。
「待って! 待ちなさいってばヨナさん!」
――どうか行かないで。この帝国は、大変なことになっているの。だからあなたに助けてほしい!
けれど与那は逃げるように走り去ってしまった。
――追わなくちゃ。絶対に追いついて、みんなを救ってほしいってお願いしなくちゃ!
けれど、今から追いかけても追いつく自信なんてない。諦めかけた時、エルフたちが地下道に踏み出して来た。乃花は彼らを見て妙案を思いついた。
「聞いて! 今ここに救世主がいたの! 誰か、彼を追いかけるための魔法を使えない?」
牢獄には魔法を無効化する魔法がかけられていた。だから、牢獄を抜けたら魔法が使えるはずなのだ。
すると、メイサの父と母が名乗りをあげた。
「逃がしてもらえた恩を返したい。なんでも協力するさ。――よし、これが最適だろう」
父は即座に魔法を詠唱した。
「古の力よ、我が意志に従い、魔法のほうきを具現化させよ! 天空の遊戯!」
すると、長い柄に箒草が束ねられた形の、魔女に似つかわしいほうきが目の前に出現した。
「わぁ、エルフの魔法ってすごい!」
乃花はすぐさまほうきにまたがり、両手でしっかりと柄を握る。するとほうきはふわりと宙に浮いた。
「ひゃあっ!」
ほうきに乗るなんて人生初の体験で驚いた。お尻に食い込むほうきの感触がちょっとサディスティックだ。バランスを取り体勢を維持する。
すると、魔法を唱えた父が「う~ん」と唸り声をあげて倒れた。
乃花はぎょっとしたが、母が「心配しないで。我が家はみんなこうだから」と愛想笑いを浮かべた。
次に母が両手をかざして魔法を唱える。
「風よ、かの者の友となり、自由なる空の道を開きたまえ! 疾風の旋律!」
その瞬間、ほうきがアクセル全開のバイクのように急発進した。
「あっ……あわわわわわ!!」
容赦なく加速し張り出す岩肌を巧みに避けてゆく。
「うっぷ……」
暗闇の中で脳が派手に揺さぶられ、酔いが回って吐きそうになる。
しばらくすると、地下道がうっすらと明るくなってきた。出口が近い。外の光が徐々に迫り、ぱっと目の前に広がった。視界がまっしろになる。
同時に魔法の効力が切れたのか、ほうきは糸が切れた凧のようにぐるぐると宙を舞う。
「ひゃああああ………っ! お……おうええええっ!!」
乃花は目を回し、ああ、この世界は地球と同じく丸いんだ、と悟るのであった。



