「しばらくは、この地下道に身を隠すしかないな」

「そうっすね。雨風が凌げるだけでもありがたいっす」

与那は地下道の奥に足を進めていく。けれど外の眩しさに目が慣れていたせいで、地下道の中の様子はよく見えない。

バックパックからヘッドライトを取り出し装着すると、岩肌があらわな通路の輪郭が浮き出て見えた。ぐにゃぐにゃに折れ曲がり、奥の様子はよくわからないが、いくつか枝分かれの道があった。

「この通路、なんのために作られているんだろう」

尋ねると、ルーザーは思い出すように視線をさまよわせてから答えた。

「ああ……この帝国、ひと昔前は無防備な街だったんで、よく魔物に襲われていたらしいっす。だから、逃げ込める隠れ家を作ったんじゃないっすかね。ぐにゃぐにゃで分かれ道が多いのは、敵の目をくらますためじゃないかと」

ルーザーは伊達に長生きをしていない。しかも、街を渡り歩いているだけに、人間の街についてもそれなりに知識があるようだ。

「昔は帝国じゃなかったのか。いつ頃のことだ?」

「ボクデン殿の弟子になるちょっと前なんで、五、六十年前くらいっすかね。帝国は今の帝王が一代で築いたみたいっす」

半世紀で帝国を築きあげるとは、恐るべき行動力。それに、民衆の支持も高いのかもしれない。

「指導者としても凄腕なんだな、帝王ってのは」

「嫁をとっかえひっかえってのはほんとうらしいっすけど。あっちも凄腕なんすかね」

与那は『ノハナ』が帝王の妃となっていたことを思い出し、ふるふると怒りがこみあげる。高根さんは帝王に精神を支配され、いいように操られているのでは、と思えてならない。

ふと、あたりに人の気配を感じた。

岩陰に隠れて見えないが、じりじりと近づく足音や息遣いからして、10人以上はいるようだ。

「……あ、ここ、やばいかもです」

ルーザーは小声で与那に耳打ちする。その声には普段の軽妙さがいっさいない。

「やばいって……?」

「声をかけないで近づく者に、怪しくない者なんていませんから。すぐに逃げましょう」

すると、息を合わせたようにいくつもの足音がふたりの背後に現れた。瞬時に囲まれてしまったようだ。足音が地面を這う蛇のようにじわじわと近づいてきた。冷たい汗が背中を伝う。

「ルーザー、これじゃ逃げ――」

振り向いた与那は目前の光景に息を呑んだ。そこには固まった表情のルーザーと――彼の喉元に突き付けた刃物の姿があった。

「持っているものをすべて置いていけ。でないと命はないぞ」

ルーザーの首に小刀を突き立てているのは、みすぼらしい格好をした細身の少年だった。見た目はメイサと同じくらいの年頃だろうか。周囲に光を向けると、同年代の子供ばかりで、皆、ナイフや棍棒を手にしていた。

「ちょっと待ってくれ。俺たち、この国のお金なんて持っていないんだ」

「そんなわけない。金を持たずに街で生きていけるわけないだろ」

与那は弁明したが、少年は疑いの目で与那を睨む。

「ほ……ほんとっすよぉ……ほらっ!」

小刻みに身体を震わせるルーザーは、その場でニット帽を外し、耳を立ててみせた。少年たちははっとなった。

「おまえは、まさかエルフ!? なんでこんなところに……」

「拙者たち、じつは帝王に捕らえられた仲間を救うために絶賛潜入中なんす。だから金目のものなんて持ってないの、納得っしょ?」

「まじか……」

少年たちは、来訪者の意外すぎるプロフィールに困惑している。

さらにルーザーのバックパックから、ミグがひょこっと顔を出した。

「この崇高な幻獣のミグもお忘れなく!」

「げっ、幻獣だとっ!?」

子供たちは初見の幻獣の姿にざわめいた。

「で、兄貴は救世主。エルフたちのために力を貸してくれているっす」

「きゅ、救世主までっ!!!」

見開いた全員の瞳が、瞬時に与那に集中する。与那は真剣な面持ちで言った。

「ああ、俺はこの世界を混沌から救うために舞い降りた救世主だ」

少年たちは驚愕の表情で互いを見つめあった。数人が集まり小声で相談し始める。

その後、ひとりが与那へ振り向いた。期待と疑いを織り交ぜた表情で重々しく言う。

「ほんとうにおまえが救世主なら、その証拠を見せてもらいたい。いいな?」

「ああ、俺にできることがあるのなら」

ふたりは少年たちに囲まれて地下道の奥へと連れていかれた。冷たく湿った地下道を無言で進んでゆく。

時々、蝙蝠のような生き物が目の前を横切ってゆく。周囲の壁には淡い青緑の光が点在し、通路の輪郭を淡く染め出していた。発光虫のようだ。

細い通路に入ると、背丈の三倍ほどの幅の空間に出た。蠟燭が灯す部屋の隅には、質素な布団が敷かれ、その上に少女がひとり、横たわっていた。あらわになった足には深い傷が見えた。

与那はこんな子供たちが人を襲うのには、なんらかの理由があると察していた。その理由は少女を助けるためなのだと、すぐに気がついた。少年のひとりが悲痛な面持ちで与那に言う。

「治療を受けるには、結構な金がいるからな」

「そういうことか……」

聞けば街中で(のみ)の市の準備をしていた時、兵士に怪我を負わされたとのこと。兵士はパレードの邪魔だと言って出店を槍で払いのけようとし、止めようとした少女の足を槍がかすめた。兵士は気まずそうな顔をしたが、少女を見捨てて兵士たちの隊列に身を隠してしまった。

「おれたちは孤児だ。みんな怪我や病気、事故で親を失った者ばかりで、行き場なく地下道に集まって暮らしているんだ」

この地下道は、生きる手段を失い、救いの手さえ差し伸べられない者たちの世界。帝国の街並みは華やかだが、その裏には影が潜んでいる。与那はまさにその影の部分を垣間見た気がした。

「怪我したまま放っておくと呪われちまうだろ? はやく手当をしてもらわないと、こいつの命が危ないんだ!」

「呪いって、どんな呪いなんだ?」

「傷口から臭くて汚い液体が出て、足が腐っていく呪いだよ!」

少年の言動はどうも引っかかる。

「手当って、誰がどんなことをするんだ?」

「偉い解呪者(シャーマン)に手を当ててもらうんだ! うまくいけば助かる可能性があるんだって!」

少年は焦燥で声を荒らげたが、与那は開いた口がふさがらなかった。どうやら、この世界(ユーグリッド)では医学は未開の領域のようだ。感染症という概念が存在していないらしい。

「だったら解呪者(シャーマン)より俺の手当のほうがましかもな」

「はああ!? おまえ、呪いを祓える能力者だっていうのかよ!」

「能力者じゃないけど、解呪者(シャーマン)よりは、傷を治せる可能性が高いと思う」

「な……なんだって!?」

「とにかく急いだほうがいいと思う。身ぐるみ剥がされるのは御免だけど、ひと肌脱ぐのはオッケーさ」

「たっ、頼む!」

すかさずポケットに手を突っ込み、創傷治癒の魔法っぽい言葉を詠唱する。

「血と水の調和を司る聖水よ! この不浄なる傷口を浄化し、ふたたび細胞に生命の旋律を奏でさせたまえ!」

じゃじゃん! 『ミネラルウオーター 富士のナミダ』、『消毒液 キンタオース』、『滅菌ガーゼ モフモフホワイト』、『絆創膏 バンババン』、そして『包帯 ミイラのたしなみ』!

「ルーザー、傷口に光を当ててくれ」

「了解っす!」

与那はルーザーにヘッドライトを渡し、少女の隣に膝をつく。少女は心配そうな顔で与那を見上げた。

「少し痛いかもしれないけど我慢して。必ず助けるから」

このまま放置すれば、傷が化膿して命が危うくなるかもしれない。けれど与那には少女を救えるという確信があった。100円アイテムとはいえ、これらの効能効果はお墨付きだ。

最初にミネラルウオーターを開け、その水で傷口を洗浄する。次にガーゼで水気をふき取って消毒液をまんべんなくかける。

傷口からはじわじわと出血が続いていた。与那は傷口を寄せ、傷に垂直に絆創膏を貼る。次々に貼り付けていくと、傷口がふさがり、出血はみられなくなった。最後にガーゼをあて、その上から丁寧に包帯を巻く。

ふぅ、と一息ついて、ひたいに浮かんだ汗を腕でぬぐう。

「これで大丈夫。毎日、処置をしなくちゃいけないけど、化膿……いや、呪いは避けられると思う」

「まっ、まじか!」

周囲からは安堵のため息が盛大にもれた。一方で「お兄ちゃん」と呼ばれた少年は、与那の目の前で片膝をつき、神妙な顔でお礼を言う。

「すまない、救世主に向かってあんな脅迫をしてしまって……」

その声には震えが混じっていた。彼らもまた、生き延びるため必死だったのだろうと与那は寛容な気持ちになった。

「ほらぁ、信じた者は救われるっていうでしょ。なにせ拙者の兄貴は八方イケメンっすから!」

ルーザーは造語を繰り出してドヤ顔をする。けれど、八方イケメンとは褒めているのかどうなのか、さっぱり不明である。

「頭を上げて。役に立ててさいわいだったよ」

与那が優しい笑顔を見せる。少女はちょこんと正座をして、少年と同じように頭を下げた。気づくとその場にいる全員がひざまずき、与那とルーザーに向かって首を垂れていた。

まるで手を差しのべた救世主を、心から崇めるように。