帝都は延々と続く城壁によって外界との接触を絶たれ、まるでひとつの独立した宇宙のように息づいている。唯一見える巨大な城門の周囲には、剣と鎧で武装した兵士たちが立ち並び、その背後には4体の機動土器が威圧的にそびえ立っていた。

「周囲には魔物がいるから、帝都の防御は堅牢だって聞いたことがあるんすよ。部外者のチェックは厳しいらしいっすよ」

ルーザーはさまざまな街や村を行き歩いていただけに、多少なりとも帝都の知識を持っているようだ。

「うーん、そうなると簡単には入れそうにないな」

入国審査でニット帽を剥ぎ取られればエルフだと気づかれてしまう。帝王が獲物としているエルフが捕えられないはずがない。

「正面の城下町からの突破は無理よね。夜まで待とうよ。いい考えがあるから」

メイサがそう言うので、皆は兵士に気づかれないように迂回して外壁の裏側へと回り込む。監視の目が行き届かない場所へ移動するのには半日を要した。

夜の帳が降りると、帝都のほうでは魔法の光が宮殿を照らし、その眩さは夜の雲を染めあげるほどであった。けれど壁の裏側は鬱蒼とした森が続いていて、人の気配は感じられない。忍び込むには絶好の場所だ。

与那は壁を仰いでからメイサに尋ねる。

「魔法で飛んで壁を乗り越えるのか?」

「ううん、魔法の結界が上空まで続いているわ。触れたらきっと大惨事よ。視えないの?」

「ああ、俺には魔法を視る能力がないからな。じゃあどうやって潜入するんだ?」

「これよ、これ」

メイサが与那に手渡したのは、100円アイテム『おもちゃの弓矢』。

ミグの魔法拡張でルーザーを殺め損ねた凶器だ。いくばくか魔法の力が残っているため、護身用に持っていたようだ。

「これをまた、ミグ様の魔法拡張で強化してぶち破るのよ。今なら誰もいないから!」

「いい考えって、力技かよ!」

「力は力でも、精霊の力よ! じゃあミグ様お願い!」

するとミグが「イエス・アイ・ハブ!」と言って背中から飛び出した。さっそく魔法拡張を詠唱し始める。

「あまねく空と大地に住まう精霊たちよ――以下省略!」

すると弓矢に不思議な力が宿った気がした。

「じゃあ、行くぜ!」

与那は壁に近づいて狙いを定め、矢を放つ。

ドゴォォォーーーン!!

壁が砕け、ぽっかりと人が通れるほどの穴が開いた。

「よっしゃ、さすが兄貴っす!」

「なに言っているのよ、ミグ様の力だって。さあ、いくわよ!」

壁の穴を通り抜けると森の中に出た。密集した木々が街の光を遮り、あたりは深い闇に覆われていた。

「やべえっす、なにも見えないっす」

「待っていてくれ。今、光を準備するから」

じゃじゃん! 『懐中電灯(300円)』と『単一電池(2個)』!

与那はポケットから取り出したアイテムを手探りでセットする。光があたりの光景を映し出した。

「おおっ、鮮やかな光っすね! 魔力を使わずに明かりを灯せるなんて贅沢極まりないっす!」

「うう、あたしのへっぽこ魔法、完全に100円ショップに負けている……」

メイサは与那のアイテムの便利さに打ちのめされている。

「そんなことないよ。メイサはいざという時に『最高の一撃』を放ってもらうからさ!」

「そっすよね、ふたりは同棲していた仲っすからね」

「「同棲とか言うなぁ!!」」

ルーザーがからかうように言うと、与那とメイサは同時に叫んだ。

「まあ、兄貴にかぎっていかがわしいことなんてないって信じていますけど。じゃあ行きますか」

「ちょっと待って!」

与那はふたりを引き止めた。

「このままじゃ、いずれ侵入したことがばれちゃうよ」

「ええっ、そんなの覚悟の上じゃないの!? 壁の修復なんて無理でしょ」

「修復は無理だけど、ごまかすことはできると思う」

与那はそう言って飛び散った壁のかけらを掴み、穴の外へと放り出す。

「あっ、なるほど、これなら『潜入』ではなく『脱出』と思われるっていうわけね!」

ふたりもかけらを次々と外へ投げ出した。与那はさらに万全を尽くす。

じゃじゃん! 『屋内用ほうきとちりとりセット』!

一体型のほうきをちりとりから外し、掃いて細かい破片を集め、外に投げ捨てる。

「ここまでやっておけば、潜入がばれることはないだろう。それじゃ行くか!」

そして三人は森の奥へと進んでゆく。与那は途中でふと足を止めた。低い唸り声が聞こえた気がしたのだ。

――おおおん、おおおん。

音を感じた方向にライトを当てると、そこにはごみが山のように積み上げられていた。近づいてみると、日用品や雑貨など、使われなくなった品物ばかりだ。ごみの奥底から悲嘆の声が漏れ聞こえてくるようだ。しかし、そこに生き物の姿はない。

「なあ、誰かが唸り声をあげていないか?」

与那が尋ねると、ルーザーは不思議そうな顔をした。

「いや、拙者にはなにも聞こえないっす」

メイサも首を傾げる。

「あたしにも。空耳じゃないの?」

ふたりの聴覚が優れているだけに、自分だけに聞こえることを不思議に思う。メイサに背負われた幻獣に目を向けるが、すでに夢の中のようだ。

「なんだろう……。声がしたような気がしたんだけど……」

しばらく様子を見ていたが、いつのまにか唸り声のような音は止んでいた。気のせいだと思い、慎重に足を進めていくことにした。

森を抜けると、住宅街のような場所に出た。迷路のように張り巡らされた石畳の道の先に、優雅な屋敷が立ち並んでいる。屋敷の灯りがほのかに漏れ出し、温かな光が通りを照らしていた。塀の上には古典的な装飾が施され、帝都の歴史を紡いでいるかのようだ。

三人は住宅街から距離のある公園の一角で野宿をした。

着火ライターと着火剤で火をくべ、持ち込んだパチェットの干し肉と、100円ショップのパンとスープでお腹を満たす。

「いつでも食べ物を調達できるって、便利で羨ましいわぁ」と、メイサはかぼちゃスープを飲みながら頬を緩める。

三人は身を寄せあって眠りについた。

朝が訪れると、公園には絢爛(けんらん)な花畑が広がっていた。色とりどりの花々が風に揺れ、静かに流れる小川が園内を巡っている。まるで風景画のような光景に、鳥たちのさえずりが音の彩りを添えていた。

「帝都って、楽園みたいな場所っすね。人間にとっては、っすけど」

「そうだよな、でも眩しいほど影の暗さも深いっていうからなぁ」

「その影の中に、あたしの両親が閉じ込められているのよね」

メイサは両手を握りしめて鼻息を荒げた。

すると、宮殿のほうから盛大な歓声が沸き起こり、花火を連発で打ち上げる音がした。トランペットの多重奏が響きわたる。

「なにか始まったみたいだぞ。行ってみよう!」

宮殿の前面には壮大な広場があり、たくさんの人が押し寄せていた。広場の左右には豪奢な噴水の水しぶきが舞い、大きな虹を描いている。警備にあたる兵士たちが中央に道の空間を作りあげていた。

宮殿の扉が開かれ、鎧に身を包んだ王の近衛隊が姿を見せた。龍を模したラスカ帝国の旗が高々と翻り、ラッパの響きとともに歓声がいっそう盛り上がる。

続いて華やかな衣装に身を包んだ騎士や貴族たちの行進。そして最後に、輝く王冠を冠した帝王が、優雅に黒馬に乗って現れる。どうやらパレードが始まったようだ。

「パレードって、なにかめでたいことでもあったんすかね?」

ルーザーの疑問に答える材料を、与那は持ちあわせていない。

三人は群衆に紛れてその様子をうかがう。帝王は齢五十ほどに見えるが、威風堂々とした風格は途方もない力強さをみなぎらせている。

与那は喧騒の中で人々の会話に耳を傾ける。パレードが開かれた理由を語っている者がいた。

「軍がダークエルフの街をひとつ、落としたらしい。魔法のアイテムが出回るから、街は大賑わいになるぞ。楽しみだな、ははは!」

ラスカ帝国はエルフたちから略奪を繰り返し、富を築いていたということか。襲われたのはハーネスたちの街に違いない。与那は怒りでこぶしを握りしめた。

「しかしアルトゥス帝王だが、あれで齢八十とは驚きだな。どうすればあんなに若くいられるんだ」

――諸悪の根源、アルトゥス帝王か。

「それこそが、帝王が神の忖度を受けている証らしいぜ。ところで、ラファエル王妃はどうなったのか知っているか?」

「いや知らんが捨てられたんだろう」

「しかし今度の王妃は、やけに若いな。どこの出身だ?」

アスタロットが言っていた、「帝王はとっくによぼよぼの年齢のはずなのに、いまだ色気は衰えず、若い娘をはべらせている」というのは周知の事実のようだ。

「それが――ノハナ王妃の出自は秘密のベールに包まれているらしいぜ」

ノハナ王妃――身元不明の美女となれば、魔女ではないかと疑うのは当然のことだった。

その『ノハナ』という人物は帝王の左脇にいて、従者が引く馬に跨っていた。帝王の陰に隠れて見えなかったが、近づくとその姿があらわになった。

彼女の長い黒髪は絹のように艶やかで、光を反射して輝いている。愛らしいやわらかな小顔なのに、瞳は大きく、星空を宿したかのように輝いていた。

メイサが腕を組み、むすっとした顔で言う。

「やっぱり噂通りの美人さんね。けど、なんだか性格悪そう」

同意を求めるように与那を見上げると――与那は茫然とした顔で、わなわなと全身を震わせていた。

「ヨナ、どうしたの?」

メイサが心配そうに尋ねると、与那は小声でぽつりともらす。

「まさか、そんなことが……信じられない……」

なぜなら、与那の目に映る王妃の姿は、100円ショップの新しい店員――『高根さん』そのものだったのだ。

「なんで、彼女が……」

「え? まさかヨナの言っていた、一緒に戦う人って……」

「ああ。だけどあの帝王の妃だなんて、ありえるはずがないよ……」

パレードは盛大な拍手と歓声に包まれて進んでいく。何度見直しても、王妃の姿は『高根』本人そのものに違いなかった。

帝王とノハナが目の前を通り過ぎた瞬間――与那は我を忘れて叫んでいた。

「高根さん! 気づいてくれ!」

すると『ノハナ』は反射的に与那に振り向いた。ふたりの視線が絡みあう。一瞬の微笑が与那を安堵させた。

「その者、わたしのことを今、『タカネ』と呼んだな?」

あたりの群衆が一瞬、鎮まりかえる。

「そうだよ、高根さんなんだろ? なんでこんなところにいるんだよ!」

帝王も気づいたようで、無表情で与那を見下ろした。

この世界の『高根さん』は、与那とは面識がない。けれど、ともに戦う仲間なら、今、この場所で運命が交錯するはずだと与那は願っていた。

ところが、『ノハナ』は突然、憎しみを込めたような歪んだ顔となり、すぐさま兵士に命令を下した。

「その男はわたしの命を狙っている一味のひとりだ! 捕えてすぐさま始末せよ!」

「なっ……なんでっ!?」

あたりから悲鳴が上がり、群衆が与那を中心に距離を置く。

なにが起きたのか理解できないまま兵士に囲まれ、槍を突きつけられる。背中から突き飛ばされて地面に倒れ込むと、数人の兵士が馬乗りになって押さえつけてきた。

「高根さん、どうしてこんなことを!」

与那は『ノハナ』を見上げて声をあげる。けれど彼女に言葉はなく、ただ氷のように冷たい視線を突き刺してくるだけだった。

「ヨナを離してっ!」

メイサは叫んだが、兵士たちが腕を広げ近づくことすらできない。

「兄貴ィ……なんでこんなことに……」

涙目になるルーザー。

するとメイサはバックパックを外し、「これお願い!」とルーザーに渡して飛び出した。

「あたしがヨナを助ける!」

兵士の隙間をかいくぐりながら魔法を詠唱する。

――『暴風で吹き飛ばす魔法(アゲンストム・シルフィーヌ)!』

強烈な竜巻が与那を中心に巻き起こり、兵士たちが勢いよく上空に舞い上げられる。与那はすぐさま立ち上がり、メイサを抱きかかえようとした。

けれど、メイサは与那の手を払いのけた。

「ヨナはあたしたちの希望だ。あたしを見捨てて、ここから早く逃げ……う~ん」

言葉の途中で気を失ってしまった。するとルーザーが与那の手を掴み、無理やり群衆の中に引き込んだ。メイサだけが取り残された。

「だめだルーザー、メイサが捕まっちゃう!」

戻ろうとする与那をルーザーは必死に制する。涙顔に断腸の思いが見て取れた。

「兄貴、メイサ殿の心意気を無下にしないでください! メイサ殿は兄貴に託したんですから!」

すでにメイサは兵士たちに身柄を拘束され、救出は困難だった。

『ノハナ』は「あの男を逃がすな!」と与那を指さす。群衆の視線が敵を見る目に変わり、与那とルーザーを包囲した。

「まずいっす、ここから逃げましょう!」

「でもっ!」

「拙者、逃げるのだけは得意っすから任せてください!」

ルーザーは有無を言わさず左腕で与那を抱きかかえ、右手で剣を抜いて構える。白銀の刀剣を目にした群衆は一歩、後ずさりをした。

「喰らえ! ボクデン殿直伝、雲隠れの舞!」

ルーザーが目にも止まらぬ速さで剣を乱舞させる。砂嵐が舞い上がって群衆の視界を閉ざした。砂嵐の中で与那が叫ぶ。

「メイサ、絶対に助けるから待っていろよ!」

しばらくして砂嵐が落ち着きを取り戻す。ふたりの姿は、風景の中から消えてなくなっていた。