その夜、ヴェンタスの居住区の一角では――。

「信じられない! だからってなんでヨナがあたしの家で同居することになっていんのよーー!」

瞳を見開き、頬を真っ赤に染めて両手をばたつかせるメイサ。

「だって、ラウロ村長の命令だし……」

ヨナは困惑した表情で肩をすくめる。自分に非がないとわかっていながら、思わず小声になってしまう。

「あたし女子だから! 花も恥じらう乙女だから! これ、老害よ老害!」

アスタロットの話では、ダークエルフの女性や子供たちをいつまでも野宿させるわけにはいかないため、居住区の再編成をおこなったとのこと。村長の決定事項であり、居住区も限られているゆえ、断ることは許されなかった。

そのため昼間の居住区は引っ越しラッシュで騒々しかった。ちなみに与那は、それぞれの部屋の前に100円ネームプレートを設置する役割を担った。

夜になって、ようやっと喧騒が落ち着いた。静寂の部屋には月の明かりが差し込んでいる。

「俺だったら、エロフ反射痕があるから変な気は起こせないだろうし、俺を連れてきたのはメイサだから責任を取ってもらえって……」

「ヨナは救世主なのよ! もっといい待遇受けなさいよー!」

与那はあきらめを織り交ぜた苦笑いを浮かべる。村長の采配とはいえ、まさか人生初の異性との同居がエルフとだなんて想像だにしなかった。

「こうなったら、メイサを長寿の婆さんとして扱うから気にしないでくれ」

「婆さんとか、即死する種族に言われたくないわ! あたしの人生はまだ始まったばかりなんだからね!」

エルフは長寿の民族だ。人間の寿命など、エルフの一生からすれば星の瞬きのようなものなのだろうと与那は思う。

「悪かったな、人間がエルフほど長生きじゃなくて。でも即死とか言うな、これでも濃厚に生きているつもりだ」

「あっ、ごめん……ちょっと言いすぎた、かな?」

与那がしんみりした顔をしたせいか、メイサも好き放題言っていた口をつぐんだ。

「だけど、すぐにプンスカするメイサはやっぱり子供だな。婆さんは撤回して子ども扱いすることにするよ」

「子ども扱いもやぁだ!」

今度は頬をぷうっと膨らませてふてくされる。ポンコツ魔法使いの負い目のせいなのか、それとも子供にありがちな大人への背伸びなのか、とにかく見た目の年齢相応に扱われると不機嫌になるきらいがある。

「メイサの部屋には入らないって誓うから」

「当然でしょ!」

「っていうか、この部屋には物理的に入れないと思うけど……」

メイサの部屋を眺めると、さまざまな書物や生活用品が散らばって足の踏み場もない。本を一冊、手に取り開いてみると、象形文字のような不思議な字が書かれている。

「だって……だってなんだもん」

気まずそうにもじもじとするメイサ。それとなく気づいてはいたが、メイサは片付けるのが苦手なズボラエルフなのだ。

「じゃあ片付けを手伝うよ。整理整頓はこの俺に任せろ!」

「えっ、ほんと!?」

メイサの表情がぱっと花開く。

じゃじゃん! 『ジョイントラックのポール』、『ジョイントラックのバスケット』、それに『プラスチック製収納ケース』!

与那が取り出したのは、パーツを組みあわせるジョイントラック。サイズや形状を調整できるため、部屋の形に合わせてぴったりと収まるのだ。鮮やかに三段の棚を作りあげた。

「ほおお、縦方向に収納するのかー。これなら床が広く使えるねぇ」

メイサにとっては立体的な収納が画期的だったのか、四方からラックをのぞき込み、しきりに感心している。

「あと、細かなものは収納ケースに入れておけば、なくさないだろ」

髪を結ぶ紐や、木を削った首飾り、それに与那からもらった食べかけのお菓子の箱まで。分別しながら収納ケースに収めていく。

「よかったー、いつも探すの苦労するのよね。毎日が発掘作業だわ」

「発掘作業の労力をいとわないのに、片付けられないのが不思議すぎるよ」

「ぶー、それとこれとは別問題」

書物や小物はきれいに壁際に整頓され、広々とした岩肌の床が姿を現した。ほとんど与那が片付けたのに、メイサのほうがやり切ったような爽やかな顔をしていた。

「さて、それじゃいよいよだな」

作業を終えたところで、与那は床にあぐらをかき、目の前を人差し指でさした。メイサにこっちに来てという意味だ。メイサは不思議な顔をして与那の目前で正座をする。

「メイサ、よく聞いてほしい」

「どうしたの、そんなにあらたまっちゃって」

メイサが不安そうな顔をした瞬間――与那の視線はメイサの目の左右に移動した。与那の瞳には真剣な光が宿っている。

「いいか、これから10分間、その長い耳をいじらせてもらう」

「ひゃっ、なに言っているのよ! そんな恥ずかしいこと、できるわけないじゃん!」

メイサは驚き、即座に断った。けれど与那が引くことはない。

「だって、戦いの時、触らせてもらうって言ったじゃないか」

「ああっ、考えるとは言ったけど、承諾したわけじゃないからね!」

与那はあわてふためくメイサにずいっと迫る。「だめだ、ちゃんと見せてくれ」と言いながら、あらかじめ準備したアイテムを持って構え、スイッチを入れる。

それは『ペンライト あかりちゃん』。小さな光がメイサの耳元を照らし出す。

「ちょっ……なにするのよ!」

逃げようとするメイサの頭を押さえ、すばやく耳の穴をのぞき込んだ。

「ほら、耳垢が溜まっているじゃん!」

メイサの耳の洞穴では、数多の耳垢が煌々と輝きを放っている。与那はメイサの耳を触りたいなあと見ているうちに、耳垢がたまっていることに気がついたのだ。

「みっ、見るなああぁぁぁ!」

メイサは顔を紅潮させて両耳を手のひらで塞いだ。与那は諭すように言う。

「いいか、耳垢がたまりすぎると聴力が落ちてしまうんだ。それにばい菌が湧く原因にもなるんだ」

「そう言われたって、自分ひとりじゃうまく取れないんだもん!」

とうに気づいていたが、メイサはエルフとは思えないほど不器用だ。それまで耳掃除は両親にやってもらっていたのだろう。だから親がいなくなった今、メイサの耳は荒地と化したのだ。

「それに、耳をいじられる羞恥なんて、頼まれても許せるわけないじゃない!」

「だろうな。だけど俺はメイサの奴隷だ、面倒を見させていただく義務がある」

言葉は謙譲語だが、与那は有無を言わさないつもりだった。

「それに俺にはとっておきのアイテムがあるんだから」

じゃじゃん! 100円ショップ定番の衛生用品、『ブラック綿棒』!

与那は綿棒を一本、メイサの目の前に差し出した。

「いつかこれで耳かきしてあげたいと思っていたんだ。めちゃくちゃ気持ちいいからさ」

「なっ、なによこの先っちょが膨らんでいるやつ。魔法がかかっていないのに、こんなので取れるの?」

綿棒を指先でつまんで感触を確かめ、怪訝そうな顔をするメイサ。

「まあな、とにかくこの異次元の感覚を味わってくれ」

あぐらをかいた自分の膝を指さす。

意図を察したメイサはしばらくもじもじとしていたが、正座のまま遠慮がちに与那に近づき、「これは義務。うん、義務よ」とつぶやきながらころんと寝転がって膝の上に頭を乗せた。

「人間にされるのなんて初めてなんだから、慎重にやってよね!」

羞恥に耐えるように言い捨て、警戒して目をぎゅっと瞑った。与那はそっと綿棒をメイサの耳に忍ばせ、先端を耳の内側に滑らせる。

「あっ……」

メイサの身体がぴくんと反応した。けれど痛がる様子はない。優しく、しかし確実に、耳かきを動かしながら耳垢を掻き出していく。

「あっ、うう……はふっ、くふっ……」

耳の奥に進むと、ぞくっとしたようで肩を震わせる。けれど徐々に緊張は抜けてゆき、硬い息遣いはやわらかな吐息にかわってゆく。

与那はエルフの長い耳を引きながら耳の穴をのぞき、慎重に綿棒を耳の形に沿って回転させる。

「んんっ……あんっ♡」

いつのまにかメイサはとろんと溶けた顔になっていた。綿棒を引き抜いて耳垢をまとめると、続きをせがむように頭をぷるぷると動かした。

最初は嫌がっていたくせに、すっかり耳かきの虜になったようだ。

最初は10分だけと言ったが、結局は予定時間を大幅に超えていた。セットした100円タイマーが鳴ってもガン無視している。

「よし、きれいになった!」

メイサはむくりと起き上がり、天に昇ったような顔のまま身を反転させる。遠慮なくこてんと膝の上に横たわり、指先で耳を指さした。こっちもやれという意味らしい。口元にはよだれの跡がついていた。

与那はやれやれと思いながら、無言でもう片方の耳を掃除する。優しい手つきで、メイサの耳を丁寧に扱っている。思う存分、エルフの耳を触ることができた。

静かなふたりだけの時間が流れてゆく。メイサは甘えた少女の顔をしていて、長い時間の中で生きていてもやっぱり子供なんだなと与那には思えた。

耳かきの時間の終わりが近づいた頃、与那はぽつりとつぶやいた。

「メイサ、両親はきっと生きているよ。俺がこの戦いに終止符を打って、幸せな毎日を取り戻してやるからな」

メイサはちゃんと聞いていたようで、うなずくように深く息を吐き、目に涙を溜めた。

頬をひとつぶの涙がつたう。希望と感謝の光を宿した涙のように思えた。

その涙を見て、与那は気持ちを新たにする。たとえ100円ショップのしがない店員でも、誰かを、なにかを大切にする気持ちがあれば、きっと世界を救うことだってできるのだと。