与那はアスタロットが教えてくれた森の小道を抜けていく。ダークエルフと戦った小屋よりもさらに村の外縁に位置する場所に、空に向かってぽっかりと口を開けたような広場があった。平坦な地面は乾いた赤土で覆われている。

――ここが『ゲート・オブ・ヴェンタス』か。

広場の周囲は鬱蒼とした木々で囲まれている。だが、木々は広い範囲で踏み倒されていて、それが戦いの痕跡なのだと与那はすぐに気づいた。

その荒れた木々の前に立つメイサの後ろ姿を見つけた。

「メイサ、こんなところにいたのか」

声をかけると、メイサはびくっと肩を跳ねさせ、あわてて立ち上がり与那のほうを振り向いた。

「ヨナ、なんでここに来たの!?」

視線がうろうろしていて、動揺しているように見えた。

「メイサの姿が見えなかったから、心配になって探していたんだ。単独行動は危ないんじゃないか」

「あっ、うん。もうすぐ戻るから心配しないで!」

大げさな身振り手振りで与那を払いのけようとする。メイサの様子は明らかに不自然だった。

「なにか隠しているのか?」

「な、なんにも隠していないってば!」

怪しいなと思っていると、メイサの足元から鳥のさえずりのような音が聞こえてきた。

その瞬間、メイサが「あ~ああ~ぴよぴよぉぉぉ~!」と、裏返った奇妙な声をあげた。まるで足元の音をかき消すかのように。

「ははーん、さてはなにか生き物を隠しているんだな?」

与那が指をひたいに当てて探偵のように察すると、メイサは与那を遮るように前に出て両手を広げた。

「いません、なーんにもいません!」

「おいおい、なんで隠すんだよ。ただの鳥の巣だろ?」

するとメイサは隠しきれないと悟ったようで、むきになって言い返した。

「こっ、この子たちはダメだからね!」

「は? ダメってなにがダメなんだよ」

「ご飯の具材になんかさせないからねっ!」

どうやらメイサは、鳥たちが見つかったら与那に料理されてしまうのではないかと心配していたらしい。事情を察した与那は思わずぷっと吹き出した。

「大丈夫だよ、食べないから」

「だってヨナ、言っていたじゃん。鳥は食べるものだって!」

現実世界で食べている動物の肉について答えた時、メイサの表情が一瞬、固まったのを思い出す。どうやら「鶏肉」のところで反応したようだ。ここにいる鳥を思い浮かべていたに違いない。

「ほんとうに、ほんとうに食べない? 騙しているなんてことないよね! ねぇ!」

「ははっ、俺の住んでいる国では、おなじ鳥を食べもするし、ペットとして愛でたりもするんだ。ちょっとおかしな話だけどさ」

与那の脳裏には、カルガモ家族の引越しと、熱々の鴨鍋が同時に浮かんでいる。

説明を聞いたメイサはジト目で与那を見上げた。

「ふーん、なんか半信半疑だなぁ。じゃあもしも食べたら、頬が巨大キノコになるくらいタコ殴りにするからね!」

「俺の一番の願いは生きて現実世界に帰ることだ。鶏肉のために死にたくはない。だから誓うよ」

「それなら信じるとしよう」

メイサは鳴き声のするあたりでしゃがみ込む。のぞき込むと倒れた木の幹の間に巣があり、たくさんの雛たちが鳴き声をあげていた。覆い被さるように二匹の親鳥がいて、翼を広げて警戒心をあらわにしている。スズメくらいの大きさで、虹の七色に彩られたきれいな小鳥だ。

「ははっ、大丈夫だよ。捕まえたりしないから」

与那は鳥たちをなだめるように、そう言って微笑んだ。

「つまり、戦いのせいで木々が倒され、巣が落とされたっていうことなのか」

「……うん」

メイサはしんみりとした雰囲気で小さくうなずいた。

「だけど、この派手な木の倒れ方……なにか派手な魔法でも使ったのか?」

「ううん。ダークエルフの奴らは、魔法陣を使って村の近くにアクセスしてくることができるんだ。それで、兵器を移送して攻撃を仕掛けてきたの」

「兵器!? ダークエルフには、そんなものを作る技術があるっているのか」

「その兵器はラスカ帝国が製造して、ダークエルフたちに与えたものなんだ。戦いを有利に進めさせるためだよ」

「そういうことか、厄介だな……」

このヴェンタスのエルフたちは皆、魔法を使えるようだし、村長は異次元の迫力を醸している。けっして弱くないはずなのに不利な立場に追い込まれているのは、ラスカ帝国がダークエルフに加担しているからなのか。

「メイサの両親が連れ去られたこと、アスタロットから聞いたよ。身を挺して村を守ったんだな」

「うん……その兵器を撃退するために、魔力を使い切って倒れちゃったんだ」

「っていうことは、メイサが魔法を使うと失神しちゃうのは、親譲りだってことなんだな」

「どうせポンコツ魔法使いですよーだ」

低い声でぼやき、無力感に打ちひしがれるように肩を落とした。両親を助けられなかった後悔が垣間見える。

「帝都に連れていかれて、どうなったのか……もう生きていないかもしれないよね」

メイサは目に涙を溜めている。いつもは勝気な性格のメイサの落ち込んだ姿はなおさら痛ましい。

「しかも最近、帝都に不思議な力を持つ女が現れて、それから帝王が侵略に精力的になったって言われている。その女、ノハナっていうの」

「ノハナ……か」

人間の世界の頂点に君臨するであろう存在の帝王。その帝王を操るノハナという女はおどろおどろしい魔女に違いない。魔女が魅惑的な女性の姿となり帝王を虜にしているのではないか。そして魔女はエルフの寿命を奪って自身の命に換えているのではないか。与那はそんな童話のような想像をした。

メイサは「じゃあ、結界を張るから見張っていて」と与那に伝えた。魔法の結界で鳥が外敵に襲われないようにしているようだ。しかも、結界は定期的に張り直す必要があるのだろう。村にいなかった理由が腑に落ちた。

与那は魔法の結界を肉眼で捉えることはできない。けれど落ちた巣が無事なのは、メイサの努力の賜物なのだと思えた。

メイサは詠唱の前に与那を冷ややかなまなざしで見、「失神しちゃうけどわかっているよね」と釘を刺した。

「わかっているって。いかがわしいことをしたりするわけないだろ!」

胸を触ったことを、まだ根に持っているらしい。

「どーだか。でもあとで鳥さんたちに聞いてみるもん」

メイサは振り向き、倒れた木々に向かって魔法の詠唱を開始した。

――『防護の結界を張る魔法(エスメラース・ファブリム)!』

魔法を唱え終わったメイサは、「う~ん」とうめき声をあげてその場に倒れ込んだ。さっそく失神したようだ。

大の字で倒れたメイサを抱えて木の幹によりかからせる。すやすやと寝息を立てて眠っているだけのように見えた。年齢は与那よりずっと上のはずだが、中身はどうしても子供にしか思えない。

両親がいなくてさみしいはずなのにと、メイサの憂いを想像する。

ふと、与那は思いついたことがあった。

ポケットの中に手を突っ込み、目的の品物を次々と取り出す。

じゃじゃん! 『スッキリ収納ラック』と『ビニールの紐』、そして『万能ハサミ』!

与那は葉の茂った幹の枝分かれしたところにラックを置き、適度な長さに切ったビニールの紐をラックの穴に通して幹にしっかりと固定した。

雛の入った鳥の巣を取り上げると、親鳥たちは大騒ぎで与那をつっついた。けれど、ラックの上に巣を置くと意図を察して喜び、与那の頭上をぐるぐると回り始める。

与那は100円アイテムを使って小鳥たちの巣台をこしらえたのだ。

けれど、さほど高くない位置のため、へびやねずみのようないきものに狙われてしまうかもしれない。

与那はそう心配し、広げたビニールの紐を木の幹に巻いた。小動物が登ろうとしてもビニールで滑って阻まれるはずだ。

「ふぅ、これで大丈夫かな」

納得して鳥の様子を見ていると、いつのまにかメイサが目を覚まして隣に立っていた。

「おお~、これはいい工夫だねー。救世主は鳥さんも救えるんだ」

「まあな。他の巣もやろうと思うから協力してくれ。これでもう、結界を張らなくても大丈夫だろ?」

「助かるよー、ほんとうは怖かったんだ。いつ誰が襲ってくるかわからないし」

メイサは心底ほっとした顔をしている。

「メイサにも慈愛の心があるんだな。意外だったよ」

「意外とか言わない!」

左頬にぺちんと軽い刺激が走り、メイサは腕を組んでそっぽを向いた。

その時突然、ビリビリとした振動を足元に感じた。続いて森の奥のほうに青い光が立ち昇った。円筒形の光が地面から天に向かって徐々に伸びてゆく。一瞬にして森の周囲は緊張感に包まれた。嫌な予感しかしない現象だ。

「メイサ、あれはいったい、なんなんだ?」

尋ねるとメイサは青ざめていて、唇をかすかに震わせていた。けっして穏便なものではないことを、メイサの表情が物語っていた。

絞り出すように発した声には、恐怖の感情が混ざっている。

「ダークエルフが……ダークエルフが魔法陣を張ったんだ!」

「ええっ!? っていうことは、また攻めてくるっていうことか!?」

ダークエルフを追い払った時、小屋の中に描かれていたものとは比べ物にならない大きさだ。

「うん、あの大きさの魔法陣ってことは、帝都の兵器を持ち込んでくるはずよ!」

メイサは懐から呼子笛を取り出し、思いっきり吹き鳴らした。

「ピィーッ!」

その笛の音は、開戦を告げる警鐘に違いなかった。音を聞きつけたヴェンタスの村人たちは、騒然としているはずだ。与那は武者震いを覚え、立ち上る魔法陣の光をずっと見つめていた。

これからヴェンタスの命運をかけた、ダークエルフとの戦いが始まるのだ。

そうしてエルフの村でのスローライフは、突然に終わりを告げることとなった。