おばあちゃんが死んだ。


 笑ったり怒ったりしていた顔が気持ち悪い色になって、ピクリとも動かない。棺桶の中で死んでいる姿はなんだか怖くて、近寄れなかった。

 火葬場で、小さな窓が開かれて、これで最後だからと言われておばあちゃんの顔を見たけど、やっぱり怖かった。でも、次に見た時は、もっと怖かった。だって骸骨だったから。

 漫画とかアニメでよく見た骸骨。これがあのおばあちゃん? 信じられない。でもよく話しかけてくれたおばあちゃんはどこにもいなくなった。

 おばあちゃんから教わったことはいっぱいあるけど、その中の一つを思い出した。おばあちゃんはあの言葉の意味を、おばあちゃん全部で教えてくれたような気がした。

『どんな人間も、結局、根っこはみんな同じなのよ』

 所詮は骸骨ってことだよね?

 見えるもの、見えないもの、いろんなものが骨にくっついていて、その人を作っている。
 優しい人もいれば、近づくのも恐ろしい怖い人もいる。
 だけど、根っこは、骨、なんだ。
 そう思ったら、ちょっとは怖くなくなるかな。勇気出るかな。
 でもやっぱり、おかしな人には近づかないほうがいいよね?

 もう、おばあちゃんはなにも教えてくれない。

 骨になって、土に還るから。

 あ、そうだ、おばあちゃんからもらったものがあった。半分に減った赤のクレヨンと、一度も使っていない銀色のクレヨン、その二本。

 もっとたくさんあったらしいけど、今はこれだけなんだって。だけど……そうだ、おかしなことを言っていた。

 このクレヨンには不思議な力があって、『(とき)の世界』でしか使えないらしい。実際、画用紙に赤のクレヨンでチューリップを描こうとしたけど、なにも描けなかった。

 あの時は、なんだ、使えないじゃん、って思ったけど、おばあちゃんからもらった〝形見〟になってしまった。

『刻の世界』ってなんだろう?

 おばあちゃんの名前は『相川(あいかわ)ルイ』。おばあちゃんのおばあちゃんはヨーロッパの出身だそうで、おばあちゃんの目の色は、普段は黒いのに、光を受けると右目が青、左目が緑に見えるんだ。

 ちなみに僕の名前は『相川茉莉(まつり)』。だけど普段は『まつり』と平仮名で書いてる。この字、あんまり好きじゃないから。で、僕の目の色は普通に黒い。光を受けても色は変わらない。

 それでもって……おばあちゃんは僕のことをとても大事にしてくれたけど、僕はおばあちゃんの目の色が怖くて、実は……

 ホントはあまり好きじゃなかったんだ。

     *****

(なお)! 早く来なさいよ! 遅いってば!」
「ごめんなさい」

 真田(さなだ)直君が、また北川(きたがわ)奈々子(ななこ)さんに怒鳴られて呼びつけられている。

 藤花(とうか)学園中等部二年三組の頂点にいるのが、この北川奈々子さんだ。

 お父さんは会社の社長だそうで、だからお金持ち。いつもブランドものを持っている。スラッとしていて、顔も可愛い。お母さんが元アイドルだったらしくて、北川さんも将来はアイドルや女優になるそうだ。

 で、北川さんの隣にいるのが楠木(くすのき)チカさん。みんなから陰で『北川さんの腰ぎんちゃく』と囁かれている。

「ほーんと、真田はどんくさいよね~。言われる前にやれっての。キャハハ」

 と、北川さんと同じ調子で人をこき下ろす。

 制服のスカートのベルト部分を何重にも巻いてウルトラミニにしているから、太ももが見えている。当然ながら少しでも前かがみになったら、パンツが見える感じだ。まぁ、体育の半パンを穿いてるから、パンツが見えることはないんだけど。

 うちの学校は私学で、制服はけっこうしゃれている。女子はスカート、男子はズボンが基本だけど、別に女子がズボンを穿いてもかまわない。だから僕もズボンを穿いている。そういう子は一定数いる。理由はマチマチだろうけど。

 楠木さんは、女王様の北川さんより言動がキツい。だけど一人の時は別人みたいにおとなしい。

 このことを親に話したら、お父さんが『虎の威を借りる狐』だな、と言っていた。僕もその通りだと思う。

「ちょっとあんたたち、なによ、その髪留め。派手なもの、してんじゃないわよ」

 楠木さんが近くにいる女子たちに容赦なくクレームをぶつけている。おしゃれな髪留めとかハンカチとか、グッズを持っていたらソッコーで文句を言われるんだ。だからうちのクラスの女子は地味な格好をしている。

 かくいう僕もそうだ。北川さんと楠木さんにクレームをつけられたくないし、目をつけられたくない。だから自分のことを『僕』と言って、可愛い女の子は目指してませんアピールをしている。

 だけど、楠木さんは僕の名前『まつり』というのが気に入らないらしい。

 楠木さんは『祭』だと思っていたそうで、それで笑っていたらしい。

 なぜ笑えるのか、わからないけど。

 だけど『茉莉』と書いて『ジャスミン』という意味だと知り、それが『可愛い』『おしゃれ』だと思って、嫌がらせをしてくる。どこが可愛くておしゃれなんだろう? 花の名前だからかな。でも、そのおかげで、楠木さんは僕を『まつり』と呼び捨てにしてくるんだけど。

 とにかく文句を言われるのが嫌だから、わざと男の子っぽい言動をしている。

 お父さんやお母さんはすごく嫌がるけど、自分を守るためだから、仕方がない……と、思ってるし、女の子っぽい言動は苦手だ。

「あっ、結城(ゆうき)君」

 北川さんが甘ったるい声を出して、教室に入ってきた時岡(ときおか)結城君に駆け寄った。時岡君のことをどう思っているのか、みんな知っている。たぶん、時岡君に憧れるほかの女子をけん制しているんだろう。自分のものだって。

 時岡君は長身で、顔がアイドルみたいに整っていて、かっこいい。さらにスポーツが得意なので、クラスどころか学校中の人気者だ。

「待ってたのよ」

 北川さんはそう言いつつ、手を回して時岡君と腕を組もうとした。でも、時岡君は万歳するような感じで両腕を上げた。北川さんの手を払いのけた感じだ。時岡君が北川さんを避けてるのは明らかで、そばから見たら、脈、ないだろって誰でも思う。

 途端に北川さんの顔がムスッと歪んだ。でも、美人はどんな顔をしても映えるって思うんだけど……僕だけかな、こんな風に考えるのは。

「俺、まだ用事があるから」

 時岡君が一緒に帰ることを拒否るけど、北川さんも負けてない。

「だったら待ってる。ってか、同席したいな」
「職員室だけど?」
「え?」
「職員室。先生に呼ばれてる。お前も一緒に叱られるか?」
「…………」

 そんなやりとりを横目で見ながら、僕は帰るために立ち上がった。
 北川さんがいる空間に長くいたらろくなものじゃない。早くここから去ったほうがいい。

 そう思っていたのに。

「相川、先生、お前にも用事があるって言ってた」

 ええ!?

 驚いて顔を時岡君に向けたら、顎を突き上げるような態度で僕を見ている。

「なんかやらかしたのか?」

 やらかした? とんでもない!

「身に覚えがないっ」
「マジかぁ? だったらなんで先生に呼ばれるんだよ。まぁいい、行くぞ」

 信じられない。まさか! 僕はなにもしてない!

 先に行く時岡君を慌てて追いかけた。その際、北川さんと楠木さんの前を横切ったけれど、焦っていた僕は二人の表情を視界で捉えながらもスルーしてしまった。

 教室を出る際、北川さんの「真田! 帰るから鞄持ちなさいよ!」というヒステリック声が聞こえたけれど、時岡君がさっさと扉を閉めてしまったから、声は途中で断ち切れてしまった。

「マジ、うっせぇよな、アイツ」
「…………」

 なんて返事をしていいのかわからず、黙っている。

「お前は真逆で静かよな」
「……そう、かな」
「そうだよ」

 時岡君は背が高い。まだ十四歳なのに、もう百七十五センチを超えている。女の僕は小柄で、百五十五センチをやっとこ超えたくらいだ。だから頭一つ分背が高い時岡君と並んだら、見上げないといけない。

 やっぱ、イケメンだなぁ。

「おい、こっちだ」

 え? こっち? そっちは職員室とは反対方向なんだけど?

「時岡君」

 少し咎めの感情が入っちゃったかも? 見下してくる時岡君の顔が引き締まっていて怖いくらいで、ビビった。だけど、すぐに緩んで、いつもの大人びた感じの笑みが戻った。

「ウ・ソ、だよ」

 ……え?

「だ~か~ら~、嘘なんだって。先生、俺もお前も呼んでないし」

 えええっ。

 それって、もしかして。

「俺だけだったらついてこられそうだったから、お前も巻き添えにしたんだ。悪かったな」
「…………」
「けど、お前もあの場から早く立ち去ろうと思ってただろ? 北川らのそばにいたらろくなことはないからさ」

 それは……そうだけど。

 いつも使う教室に近いほうの階段ではなく、遠いほうの階段を下りて一階に到着した。下駄箱で靴を履き替えて顔を上げると、時岡君は腕を組み、片側の肩を下駄箱に預けて僕を見ていた。

 え、なに? ちょっと怖いんだけど。

 北川さんとも関わり合いになりたくないけど、この時岡君も関わりたくない。理由は、この人が女子にめっちゃ人気だからだ。北川さんだけじゃない。

「じゃあ、また明日」

 そう言って隣を通り過ぎようとしたけど、腕をガッシリ掴まれた。

「いた」

 ホントはそんなに痛くなかったけど、掴まれて反射的に言葉が出ちゃった。

「あ、悪い。けど、なんの用もなくて口実にするわけないだろ? 話があるんだ。ちょっと来い」

 え、え、え……それはちょっと嫌かも。だって人気者の時岡君は一部の女子から『王子様』とか言われている。そんな人と二人で歩いているところを見られたら、絶対文句を言われるもん。特に北川さんの知るところになったら、なんのために男の子風にしているのか、わからないじゃないか。

 でも、有無を言わせないムードで、仕方なく時岡君についていった。

 校舎の裏にある茂みの深いところ。祠があって、誰も近づかないうちの学校のホラーエリア。

 なんでも、祠は学園創立間もない頃からあったそうで、今から三十年だが五十年だか前に、茂みがひどいのできちんとした校庭にしようと、祠を撤去して造園業者に依頼したら、大きな事故が起こったらしい。

 その後も、茂みの掃除をしようと奥に行った人が行方不明になり、後日戻ってきたけど記憶喪失になっていたりとか、掃除中に体調を崩して入院したりとか、肝試しをしていた子たちが茂みの奥が光っているのを見たとか、そんな噂がいろいろあって、祠を撤去した祟りだってなって設置し直したらしい。だからみんな気味悪がっているし、先生たちも祠から奥には行かないようにって言ってる。

「時岡君、祠には近寄らないほうがいいよ」
「お前、迷信、信じてるわけ?」

  迷信……かな。そんなことはないと思うけど。でも、超常現象を信じているのかと聞かれたら、そんなことはない、と答えるかな。

「みんなが気をつけていることには従ったほうがいいと思うんだ」
「ふーん。俺はこの鬱蒼とした茂み、面白そうだなって思ってるんだけど?」

 変わった趣味だな。

「お前なら、この先に行けるんじゃないかと思ってさ、相談」
「相談? なんの?」

 僕が答えると、時岡君は「はあ」と言いながらワシワシと頭をかいた。

「人の話聞いてた? 祠の奥のどん詰まりまで行くことだ」
「どん詰まりって……塀だよね? 学校の敷地は塀で囲まれてるから。どれくらい広いのか、知らないけど」
「だろ? みんな正面や横側は普通に使うけど、校舎の裏には行かない。誰もこの奥がどうなってるのか、どれくらいの奥行きなのか、広さなのか、様子なのか、知らないよな」

 それは、そうかな。

「だから一緒に確かめようと思ってさ」
「えーーっと、それは……僕は知りたいとは思ってないけど」
「俺が知りたいんだ。で、お前を指名したんだよ」
「どうして、僕なの?」
「そりゃあ、お前が俺のお伴に適任だと思うから。なんとなく」

 えーー、そんないい加減な理由で巻き込まないでほしい。

 右足を半歩、後ろへ動かした。

 ここは逃げたほうがいいと思う。嫌な予感しかしない。

「えーっと、悪いけど、僕は興味ないんだ」

 言った! で、逃げる!

「いったぁ!」

 身を翻したら、いきなり誰かにぶつかった。よろけたけれど、なんとか倒れずに済んだ。

 で、正面を見て、ぎょっとなった。腰に手をやって、わかりやすく怒ってる北川さんがいた。その半歩後ろには楠木さん。二人の後ろには顔をひきつらせた真田君。

「どうして相川さんなの!? そんなの、私がつきあうわよ!」

 恐る恐る体を捻って時岡君を見ると、手で顔を覆って項垂れている。

 ちぇっという舌打ちが聞こえた……けど、北川さんには聞こえてないかな。聞こえてたって無視するだろうけど。

「結城君!」
「適材適所だよ」
「適材適所?」
「そ。これから探検に行くのに、なんの力もない北川じゃ意味ないだろ。こいつには特殊な能力があるから指名したんだ」

 は? 時岡君、またそんな適当なこと言って……

「どういう特殊能力なの!? 相川!」

 うわっ、呼び捨てになってる! 目をつけられたら、これから困るじゃないか。

「知らないよ。僕にそんな能力あるわけないよ。時岡君、困るよ、そんないい加減なこと言われたら」

 すると時岡君はきょとんとなった。

「時岡君?」
「お前、自覚してないの?」
「は?」
「なんだ、そうなんだ。そんな格好して、自分のこと『僕』なんて言ってるから、俺、てっきり」

 てっきり?

 時岡君以外の、僕を入れて四人はぽかんとなっている。

「あっ」

 時岡君にまたしても腕を掴まれた。

「とにかく、北川たちは帰れ。勝手についてくんじゃねーよ」

 なんて言いながら、僕を引きずるようにして早足で歩き始める。

「ちょ、ちょ、待ってよ」
「待たねぇよ」

 そんなこと言ったって、僕は探検する気も、学校の大人気王子様と二人でいることも、望んでいないんだ。

 祠を越えてズンズン奥まで進む。茂みが深くなっていく。
 この学校、一体どういう敷地構造になっているんだろう。

 あれ、は……?

 少し先に真緑色をした水面のような場所を見つけた。直径、十メートルくらい? 
 二人で歩み寄り、覗き込む。

「池だな」

 池、やっぱり。でも、なんだか表面の真緑色が強くて透明度が悪い。水の中の様子はまったく見えない。

「祠の奥に入り口があるって聞いてたんだけどな」
「入り口?」

 なんの?

 時岡君の顔を見たら目が合って、ニヤッと笑った様子にゾクッとなった。

「時岡君?」
「この学校の裏庭からのヘンな噂、絶えないだろ?」
「……うん」
「出るんだよ。だからさ、調査しようと思って」

 出る? 調査? やめてよ、怖いこと言わないでほしい。

「で、俺の相棒にちょうどいいお前を呼び出したってわけ」

 さっきからよくわからないことを! 相棒? なんで僕? 時岡君の相棒になりたい人はいっぱいいるでしょ? 僕はごめんだよ。時岡君のことはなんとも思ってないし、怖いことへの冒険なんかにも興味ない。

「僕は」

 反論しようとしたそこへ、足音が聞こえてきた。さらに呼び声も。この声は……振り返ったら、思った通り、北川さんたちがこっちに向かって走ってきている。

「お前ら、帰れって言っただろう!」

 いきなり怒鳴りつけた時岡君に、北川さんたち三人が驚いたように飛び上がった。特に真後ろにいる真田君は顔色をなくしている。

「結城!」
「黙れ。俺にしつこく付きまとうな!」

 叫んだ北川さんも顔色が悪いけど、隣にいる楠木さんは真っ青で、それから指をさして……え?

 指先は僕たちではなく、その後ろに向けられている。

 恐怖に駆られて後ろを振り返ったら、真緑色の水面が高波となって大きく伸び上がっていた。

「時岡君! 危ない!」

 僕の叫び声に時岡君も振り返り、驚いた顔をする。それから慌てて逃げようとしたけど、遅かった。緑色の大波が僕らの真上まで伸び、覆いかぶさるように降ってきた!

「うわぁああーー!」

 誰のものかわからない悲鳴と同時に真緑色の水が全身にかかった――と思ったのは一瞬で、それは水じゃなく、スライムみたいな感触だった。

「やだぁーー!」

 悲鳴が響いている。

 スライムみたいなものが全身に張り付いて、すごい力で後ろに引っ張られた。

 なにが起こってるのかわからない。一瞬、真緑スライムに巻き付かれた時岡君が池の中に引きずり込まれたのが見えたけど、僕は体が大きく空中に跳ね上がったのを感じたあとは、もう次はわからなかった。

 僕は……たぶん、気を失ったんだと思う。

     *****

『あっちこっちに置いてきちゃったけど、茉莉は見つけられると思うのよね』

 なにを見つけるの? おばあちゃん――


「相川、相川!」

 遠くで、誰かが呼んでるような気がする。

「相川!」

 ……この声、時岡君?

「ちょっと! 結城! なにするのよ!」
「人工呼吸だよ。息、してないみたいだから」

 いき、してない? 誰が? 僕が? いきって?

「それ! キスって言うのよ!」
「人工呼吸だよ!」
「心臓は動いてるよ」
「だから早くしないと!」

 いき……いき、じんこうこきゅう? 人工、呼吸?

 息?

 そう思った瞬間、ものすごく苦しくなった。

「相川!」
「相川さん!」
「まつり!」
「相川さん!」

 四つの声が聞こえて、僕は必至で息を吸おうとした。

「げほっ! げほげほっ!」

 肺に空気がいっぱい入ってきて、また違った苦しさが来たけど、誰かが背中をさすってくれているみたいで、だんだん楽になってきた。

「げほっげほ! げほげほげほっ!」
「大丈夫か?」

 ああ、これは時岡君の声だ。

「結城、離れなさいよ! 背中なら私がさするから!」
「そーよ、そんなの私がする」

 最初が北川さんで、次は楠木さん。だんだん意識がクリアになってきた。

「ゆっくり大きく息を吸え。ゆっくりだ」

 ゆっくり、大きく……吸って、吐いて、吸って。

 かなり楽になって、ようやく周囲に視線をやることができるようになった。

 僕の周りには抱き起こしてくれてる時岡君と、こちらを見ている北川さん、楠木さん、真田君がいる。

 それからあたりはかなり暗くて景色はまったく見えないのに、僕らがいる場所はうっすら明るくて、四人の様子ははっきり見ることができる。

「……ここ、どこ?」

 僕の質問に四人は首を横に振った。

「池の中、じゃないよね? 水がないし」

 そういえば、体、濡れてない。

「あれ、水じゃないでしょ」と北川さん。
「池の中に引きずり込まれたと思うんだけど、ここ、湖底っぽくないし、あのスライムみたいなの、蓋の役割りしてる?」これは楠木さん。

「ここが湖底でないのは間違いないと思います。緑色のものが蓋の役割をしているとしても、意思があるような動きでしたよね。しかもずいぶん強い力で、絡みついて引っ張ったわけだし」真田君が難しそうな顔で言った。

 真田君は北川さんには丁寧語を使う。理由は、真田君の両親が北川さんのお父さんの会社に勤めていて、頭が上がらないからだそうだ。それだけじゃない。北川さんにペコペコしているせいで、周囲のみんなからも見下げられてしまって、結局全員に丁寧語で話してる。

 同い年なのに、すごく違和感ある。

「学校の敷地の地下に空間があって、あの池みたいに見えた場所が入り口、緑のものが空間を分断しているって感じでしょうか」
「そんなファンタジーみたいな話ってある!?」

 北川さんが口を尖らせて反論するけど、僕も同意だ。

「ですが、状況から考えたら、そうとしか思えません」
「でも!」
「やめろよ、お前ら。言い争ってる場合じゃねーだろ。ここから脱出しないといけない。出口を探そう」

 時岡君の言葉にみんながうなずき、立ち上がった。

「どっちに行く?」
「なにもない空間みたいだ」

 おのおの誰に向かって言ってるのかわからないけど、言葉を発する。本当になにもない空間で、暗くてどれくらいの広さかもぜんぜんわからない。三百六十度、対象物がないから目標も見つけられず、足が前に出ない。

 どうしたらいいんだろう。

「ねえ、あっち、なんかうっすら影みたいなものがあるんだけど?」
「どこ?」
「あそこ、なんかあるんじゃない?」

 北川さんと楠木さんが話している。北川さんが指さす方向に、確かに影が深い場所があるような、ないような……

「行ってみよう」

 時岡君が言い、先頭を歩く。僕はその次で、僕の後ろに北川さん、その後ろに楠木さんと真田君が続いた。

「あ!」

 少し歩いたら時岡君が声を発した。早足になるのでついていくと、扉が二つあって、浮いているように見える。手を伸ばしても壁はない。扉の向こう側にも回り込むことができる。

「どう見ても、浮いてるよな?」
「うん」

 時岡君の言葉に、僕ら四人はうなずいた。

 左側の扉は木製みたいだ。木目がある。冴えない感じ。右側の扉は金色で、西洋のお城にありそうな細かい意匠の豪華な感じ。

「この扉の向こうは別空間だったりして?」
「出入り口じゃない?」

 と、北川さんと楠木さんが話している。

「どっちに行く?」
「こっちがいい。豪華だもん」
「こっちの木製のほうがいいと思う」

 と、つい口を挟んでしまった。四人が一斉に僕を見る。そして時岡君が「根拠は?」と聞いてくる。

「なんとなく」

 そう答えたら、真田君以外の三人が「えーー」とブーイングを上げた。

「僕も相川さんに賛成です。質素なものを選べって意味だと察します」

 そう言ったのは真田君だ。「質素なもの?」と北川さんが尋ねる。

「はい。世界中の逸話にあることです。日本だったら、舌切り雀の話とか」
「あー、そうね、大きいつづらと小さいつづら」と楠木さん。
「ほかにも斧の話とかあるか」これは時岡君。

「泉に斧を落としたら泉の女神が現れて、金の斧か銀の斧か木の斧かって聞く話とか、川に落としたら神様が取ってきて尋ねるものとか。いずれも、欲張りにならず、正直にいなさいっていう教訓だけど、その考え方で相川さんは扉を選ぼうって言ったのだと思います。僕も賛成です。こっちの木の扉がいいと思います」

 時岡君たち三人は顔を見合わせた。

「でもやっぱり、こっちの綺麗な扉のほうがいいわ!」

 北川さんが怒鳴るように言った。

「チカ、あんたもそう思うでしょ!?」

 楠木さんは同意を求められ、動揺したような表情で僕を見た。だけど、「ねえ!」と強く催促されて、顔をこわばらせてうなずいた。

「ほら! チカだって同じ意見よ。金色の扉にする。これで二対二よ」
「じゃあ、俺の判断次第だな。俺は」
「金の扉よ!」

 北川さんは叫ぶと、止める間もなく金色の扉のドアを開けてしまった。

 するといきなり後ろから強い風が吹いて、僕たち五人を扉の向こう側へ押しやった。

「あ」

 五人が地面に転がると、金色の扉はバタン! と大きな音を発して閉じ、と同時にぱっと弾けて消えてしまった。

「うわ」

 声が出た。扉が消えたと思ったら、いきなり世界が星に覆われた。僕らは宇宙空間に放り出されたみたいな状態で、キラキラと輝く星々に目を奪われた。

「扉の向こう側は宇宙ってこと?」
「宇宙って空気ないよね?」
「普通に息ができるけど」

 みんな口々になにか言ってる。だけど、よく見ると、瞬いているのは星じゃなかった。

 扉だ。無数の扉が瞬きながらゆっくり移動している。

 僕たち、一体どこに迷い込んでしまったんだ?

 ここはどこだ。

「相川」

 いつの間にか真横に立っている時岡君にこそっと名前を呼ばれ、反射的に彼を見上げた。目が合うと、ちょっと怖い顔で時岡君は続けた。

「お前、ここがどこか、知ってるだろ?」
「知らないよ」

「嘘つけ。知ってるはずだ。だって死んだ俺のばあちゃんが言ってたからな。祠の向こうを調べる時は、必ずルイの孫を連れていけって。ルイって、お前のばあちゃんのことだろ?」

 おばあちゃん!?

 時岡君に言われて脳裏におばあちゃんの顔が浮かんだ瞬間、言葉がぱっと光ったように浮かんだ。

 そうか、ここがおばあちゃんの言っていた『刻の世界』なんだ。


1章 終わり