「これ、本当に私が持っていてもいいんですか?」
「はい。お姉さんの遺書には、この本の著作権は妹である菜沙さんに受け渡す、との事でしたから」
「そう……ですか。それなら、いただきます」
そう言うと彼女はおずおずと本を受け取った。
「この本をどうするかは菜沙さんが全て決めて欲しいとのことでしたよ。姉からの自分だけの本としてもいいし、燃やして処分してしまってもいい。――それを出版してもよい、と」
「出版?本として公開するってことですか?」
「はい。少し調べてみましたが、今の時代、自分の作品を公開する方法は沢山あるみたいですよ。投稿サイトに公開したり、昔みたいに出版社に直接持ち込みに行ったり。それこそ、賞に応募して受賞すれば大々的に世に送り出すことができます」
「賞に……ですか?」
「はい。賞を狙うなら、少しばかり話をいじったりする必要があるかもしれませんが、きっとそれも菜沙さんならできるだろう、とお姉さんからです」
「私が、小説をですか?」
「あくまで菜沙さんが取ることのできる行動の一つということです。ご自分でゆっくりお考えください」
菜沙さんは黙ってその本を見つめた。
きっと思うことがたくさんあるのだろう。
なぜ自分を頼ってくれなかったのか。
なぜ自分に何も教えてくれなかったのか。
どうして、お姉さんが死ぬ必要があったのか、と。
「私、お姉ちゃんがずっと好きだったですよ。憧れだった」
「はい。知ってます」
「自分の好きなことがあって、それに堂々と向き合っていて、私から見たお姉ちゃんはいつも大きかった。お母さん達には理解されなかったけど、私はお姉ちゃんのあの趣味も嫌いなんかじゃなかった。むしろ、ずっと私と一緒に居てくれるお姉ちゃんが大好きだった。私は感情表現が苦手だからそれが伝わってたかは分からないけど……だから、最初。お姉ちゃんが友達とどこかへ行くって言った時に、知らない人にお姉ちゃんが取られた気分だった。今思えば、自分勝手で醜い嫉妬ですよ。お姉ちゃんの気持ちなんて一切考えてない、自分勝手な考えです」
「だから、『ラベンダー』色の髪ゴムを渡したんですか?」
「……気がついていましたか」
「最初は気が付きませんでしたよ。でも、その小説にもわざわざ『ラベンダー』色と書かれていたものですから」
ラベンダー。その花言葉は――
「『あなたを待っています』なんて実の姉に使うのは重いと思いますか?でも、私はそれくらいお姉ちゃんのことが大切だった」
「いいんじゃないですか?きっと、お姉さんも菜沙さんのことが好きでしたよ。そうでなければ、何年もその髪ゴムを大事に持ってたりはしないはずですから」
「……はい。そうですね。そうだと、嬉しいです」
菜沙は、左手についている、二つの色あせたラベンダー色の髪ゴムをさすった。
「まさか、これだけしか帰ってこないなんて……」
「……そろそろ僕は失礼します。なにかあったらここまで連絡ください。必ず電話に出ますから」
「ありがとう……ございます」
名刺を渡し、礼儀正しくお辞儀をする菜沙さんを背に、家を出る途中。
あの時に見たはずの、姉妹のツーショット写真だったものを見た。
そこには、もう、菜沙さん一人しか写ってはいなかった。
「お姉ちゃん……!」
家から出ると、中からは大きな泣き声と、膝から崩れ落ち、本と髪ゴムを大事に抱え込む菜沙さんの姿が見えた。