四肢に欠損のある、とある男を探しています。報酬は五百万円で

「先生にやってもらいたいことがあるんです」
「ほう、私にやって欲しいこと」
蝉の声が五月蝿くなった頃。
けいが居なくなってからしばらくして、『秘境』と揶揄された私たちの母校が文化祭をすることを知り、私はある計画を立てて、一般開放された学校へ乗り込んだ。
文化祭の賑わいでガヤガヤとうるさい廊下から、二人で静かな職員室の片隅に移ってそう言った。
仕切りで職員室の空間から隔絶されたここは、応接で使うことがある場所らしく、今座っているベージュのソファは身体が沈むほどふかふかだった。
「久しぶりにあったと思ったら、いきなりお願いされちゃったよ」
「……迷惑でしたか?」
特別だよと言いながらコーヒーを入れてくれた矢吹先生は笑いながら机を挟んで私の目の前に座った。
矢吹先生は私が高校生の時に文芸部でお世話になった顧問の先生で、今日は文化祭のどさくさに紛れて先生と話をしに来ていた。
目的は、もちろんけいのため。
この学校に確かにけいが存在していたことを残すため。
まずは、私たちが出会ったこの場所に、けいの痕跡を残したいと思った。
幸い、この学校には色んな噂話が乱立している。
けいに関する噂自体は立てやすいだろう。
「迷惑なわけないだろう。かつての教え子の頼みなんだから。むしろ頼ってくれて嬉しいよ」
数年見なかっただけなのに、矢吹先生は白髪が増え、より貫禄が増したように見える。
昔と変わらず微笑む先生に姿に安心感を覚えてしまう。
「それで、僕はどんなことをすればいいんだい?」
「やって貰うことは単純です」
「僕にもできる?」
「はい。もちろん」
先生は「安心したよ」なんて言ってまた微笑む。
「冬の大掃除の日に、原稿用紙に書かれた手書きの小説が出てくると思います。それを見たら、とびきり驚いて欲しいんです。それこそ、怯えるように」
けいの小説は先生に会う前に既に文芸部の部室に忍び込んで、スチーム書庫の奥に隠してきた。
スチーム書庫の奥なんて普段誰も見ない。見るためには労力も要るし、中に収められているのは所詮は高校生が作った部誌だ。誰もそこまでして古い部誌を見ようなんて思わないだろう。
そこに隠した小説を冬の大掃除の時に、ここに来る前に連絡先を交換した文芸部の後輩に、スチーム書庫の奥から小説を探して先生に見せるように言えばいい。
「それはどんな本だい?僕はいったい何に驚けばいい?」
ここで、「なぜそんなことをしなければいけないのだ」と言わないところが矢吹先生が生徒から人気だった理由なんだとしみじみと思わせられる。
高校の時も、結局オカルト趣味全開の学校生活を送った結果、けい以外私に近づいてくる人は居なかった。
それ以外はだいたい、派手な女子からの嫌がらせか、わざと聞こえるように言う男からの悪口くらい。それを見た先生も誰も私を特に気遣う様子はなかった。
矢吹先生以外は。
きっと先生は誰にでもそうなんだろうが、当時の私たちにとってこの先生だけが、高校での私たちの唯一の味方だった。
「最後のページに『佐倉景』と名前が書かれた小説です」
「佐倉景?志崎さんのペンネームかい?」
その言葉に心臓を突き刺されたかのような痛みが走った。
ああ、やっぱりけいはもう居ないんだなと思わされる。
「いえ、親ゆ――」
……少しくらい、けいにイタズラしてもいいかな。私を置いていった罰だ。
「恋人の名前です」
「志崎さんに恋人!君が選んだならその人はさぞかしいい人なんだろう。もしかしてずっと一緒に居た彼のことかい?」
「はい」
自分から言っておいてそう素直に祝われると、ちょっと照れくさい。
「そうか。『佐倉』君という名前だったか。志崎さんのことは覚えていたのにすっかり忘れてしまっていたよ。老いを感じるねぇ」
「仕方ないですよ」
だって、それは呪いのせいなのだから。なんて言えるわけもなく。
先生は本当に嬉しそうな顔で「そうか、そうか」と何度も頷いては笑みをこぼした。
「それで!その『佐倉景』の小説を見つけたら驚いて欲しいんです」
妙にこそばゆい雰囲気を断ち切るように声を張る。
こんなことになるんなら、言わなきゃ良かった……!
「分かったよ。しかし、なんで驚いてるんですかと聞かれたらどう答えればいい?」
「彼には両手が無かったのに、なぜ手書きの小説があるのか、と驚いてください」
「確かに彼には四肢が無かった記憶があるけど、それじゃあ、少し設定が甘いんじゃないか?」
先生は『佐倉景』の名前を借りて私が書いた小説だと思っているようだ。
正確に言えば設定ではないのだけれども、これは実話ですと言っても仕方が無いので引き続き聞く。
「両手がなくても代筆だってできるし、それこそ義手なんかをつければ手書きができてしまうよ」
それはそうだ。でも、それは呪いの都合が――なんて言って説明することができない。
だから、私が導き出した答えは一つ。
「そんな疑問も気にならなくなるくらい、怯えてください」
人にとって真実なんて関係ない。
高校生なんて子供にとってはなおさら。
大事なのは、話のインパクト。その話をした自分がらどれくらい人に注目されるかだ。
そのおかげで、私は何股かけてるだの、影で人の悪口言ってるだの言いふらされていた訳だが、その理論がここに来て役に立ってしまった。
「なんて無茶振りな」
「できませんか?」
「いいや。せっかくの教え子からのお願いですから、それを聞けなくては教師の名が廃ってしまう」
先生はやる気と言わんばかりに胸を張った。
本当にこの人はつくづく先生という生き物だ。

それから少しの雑談をした。
知ってる先生はほとんど定年と異動で居なくなってしまったとか、教え子から有名人が出たとか、去年から飼い始めてポメラニアンの話とか。
しばらく話を聞き、「文化祭を見て回るから」とするつもりもない予定を言って席を立つ。
……あまり長く人と一緒に居る訳にはいかないから。
「志崎さん」
荷物をまとめ、職員室を出ようとすると私を先生は引き止めた。
「理由は聞きません。ですが、あのお願いがあなたの希望ならば私は人生で一番の名演技をしましょう。生徒に寄り添い、生徒の望みを叶えてあげてこそ、先生ですから」
ですから、安心してください。と最後に付け足す。
「ありがとうございます。私、矢吹先生の生徒で良かったです」
「また、来てくださいね。次はその目の下の隈を消してから」
どうやら先生には全てお見通しだったようだ。
私は先生の手を左手で握り締め、職員室の扉を閉めた。……本当は、両の手でしっかり握りしめたかったのだけど。
先生の問いかけに、私は「はい」とは言えなかった。
私は呪われた身だから。
私はもう決めたんだ。
この呪いは、私で終わらせると。