「――絶対にけいは死なせない!」
私はアパートの一室で、パソコンにかじりつきながらそう叫んだ。
けいの名前が消えてからいったいどれくらいが経っただろうか。
もう、私は『佐倉景』の文字を見ても、後ろの車椅子に座る彼を連想することさえできなくなっていた。
けいの名前が消えてから、私は大学には行かず、部屋に籠り切りになった。
もうけいはギリギリだったから。
だけど、結局なんの進展も無しにここまで来てしまった。
「もうすぐ消えるかも」
そう、今朝けいに言われてしまった。
「今までの腕や足が消えた時とは違う。なんとなく自分に迫ってる状況が分かるんだ。死に対する人間の本能が働いてるのかな?」
けいは私を動揺させないようにできる限りなんでもないように、まるで今日の朝ご飯の話でもするように、平穏に話し続けた。
いつも通りのけいの表情とは逆に私の身体からは血の気が引いた。
そこからはずっとこうだ。
景の呪いを解くためにひたすら何かをした。
インターネットを使って呪いを調べ、呪いに詳しい人に半ば無理やり話を聞いてもらい、ついにはインターネット掲示板にもその話を書き込んで知識人を呼び込んだ。
しかし、どれも解呪の成果は得られなかった。
「詩音、僕のせいで申し訳ないとは思ってる。でも、一度休もう。もう何日も寝てないでしょ」
あれだけ好きだったけいの優しい声も、もはや私の耳には届いていない。
「大丈夫。絶対、助けるから」
まるで私の方が死にかけなんじゃないかと思うほどしゃがれた声が出た。
ずっと泣いていたからだ。
「詩音」
「絶対助ける。これからもずっと、けいと一緒に――」
「詩音!!」
けいの大声でようやく我に返る。
パソコンの画面の反射に映る自分は目は赤くはれ、クマもできていて、人に見せられたような顔ではなかった。
「詩音、今日は一緒に寝ようよ」
「……でも、まだ昼だよ?」
アパートの部屋のカーテンからは強い春の日差しが射し込んでいて思わず目をすぼめる。
そっか、卒業式の日から一年経ったんだ。
「詩音と、落ち着いて話したいんだ」
そのけいの安らかな顔に嫌な予感がした。
まるで、何かを受け入れてしまったみたいな。
諦めてしまったみたいな。
「もしかして、けい……もう時間が……」
「うん。だから、最期は詩音と一緒に昔みたいに話したい」
「そんな……最期なんて言わないで……」
「……ごめんね」
けいはすごく申し訳なさそうに顔を歪めた。
そういえば、けいの顔をこうやってはっきり見たのっていつ以来だったかな。
私は呪いを解くことばかりを考えて、大事なことを見落としていたのかもしれない。
私の目標はけいを救うこと。
目の前の泣きそうなけいを放っておいて、何が『救う』なのだろうか。
「ベッドまで連れて行ってくれないかな?」
「うん……もちろん!」
私はけいのために努めて明るい声を出した。
そうすると、けいは微笑んでくれて、胸が熱くなった。
車椅子を押して、けいをベッドの上に寝かせてあげて、その隣に私も寝転ぶ。
「ベッドに横になるの久しぶりかも」
「ここ最近は、ずっとパソコンとにらめっこだったからね……ごめんね。僕のせいで」
「ううん。けいのせいじゃないよ」
それが私の本心だった。
「だって、けいといる時間は本当に楽しかったから。けいといると、孤独を感じなかったから。だから、何も苦じゃなかったよ」
行き過ぎたオカルト趣味。そのせいで私は誰にも理解されることなく、みんな私と距離を置いていった。
悲しかった。一人でいるのが寂しかった。
転校した先で、自分を偽ると周りにはたくさん人が集まってくれたけど、それでも私の心は満たされなかった。
まるで、みんなに囲まれている私を、暗いくて冷たい水の中からただ一人で眺めているみたいだった。
でも、けいは違った。
けいは私がいる冷水に飛び込んできてくれた。
けいはオカルト趣味も含めて私の全てを受け入れて、それと同時にけいの呪いも含めて、けいの全てを私は受け入れた。
そうして過ごしていく日々は、どんな時間よりも楽しかった。幸せだった。
呪いの恐怖なんて感じなかった。
……ただ、だからこそ、今けいが居なくなることが怖い。
今になって、呪いがどうしようもないほどに、怖い。
「高一の時に、詩音が話しかけてくれて本当に嬉しかったんだ。呪いのせいでずっと僕は一人で過ごしてきたから。詩音に受け入れてもらえて、僕の死んでいた時間は動き始めたんだ」
けいが私の方へ体を向け、私もそれに応えるようにけいの方を向いて、見つめ合った。
「でも、ごめんね。僕はやっぱり人と一緒に居るべきじゃなかった」
「違うよ。それは呪いのせいであって、けいのせいじゃない。一人で生きていかないといけない人間なんて存在していいわけない」
「でも、次は詩音が呪いに――」
「大丈夫!けいのおかげで呪いの過程も知れたし、どうせ人間は死ぬんだから、後か先かの話だよ」
けいの体は私たちが初めて会った時よりも、随分小さくなってしまった。
でも、その身体に秘められた使命は、普通の人間であるけいが背負うにはあまりにも大きすぎた。
「だから、安心して欲しい。私は呪いのせいでけいを恨んだりしないし、呪いに苦しめられることなんてない。だって、呪いの恐怖なんかよりも、けいとの日々の幸せの方が大きいから」
けいは静かに泣いていた。
涙を流しているけど、まるで一秒でも今を目に焼き付けたいというように、ずっと私の方を見ていた。
「……そろそろ時間かも」
そう呟いたけいの声に私の心臓がバクバクと速まる。
けいがどこにもいかないように、けいを抱きしめた。
「今まで、ずっと一緒にいてくれてありがとう」
違うよ。それは私が言うことなんだよ。
ありがとう。
何度言っても足りないくらい、感謝してる。
「文句も言わずに生活を助けてくれてありがとう」
そんなこと全然苦じゃなかった。
むしろ楽しかった。けいを一番知っているのは私だと言っているようで嬉しかったの。
「高校生の時も車椅子、いっぱい押してもらっちゃった」
そんなの、いくらでも押すよ。
これからも押させてよ。
今度、近所の桜並木を二人で歩こう。
ずっと外に出れてなかったから、いい機会じゃない。
「そして、ごめんね。呪いを移しちゃって。……また一人にしてしまって」
行かないで。
待って。
待ってよ。
まだ、二人で話したいこと、やりたいことがたくさんあるんだよ。
「……最後に、ずっと詩音に言えなかったことを言うよ」
静かで、暗い部屋の中はまるで、二人きりの世界にいるかのように感じられた。
その静かな空間にけいの、私の大好きな声が響いた。
「ずっと、好きだったよ。詩音」
「私も。大好きだよ」
そして、私たちは口づけを交わした。
それは永遠のように長く、瞬きをするように一瞬のように感じられた。
そして、口を離す。
けいの涙を流しながら微笑んだ顔は私が瞬きをした次の瞬間には、消えていた。
世界から、『佐倉景』が消えてしまった。