「こんなに広い屋敷探してもこれだけかぁ……」
私たちは机に置かれたいくつかの紙切れを見た。
「まさか、こんなに無いとは……」
「というか、景の家広すぎでしょ?!屋敷の隅から隅まで探してる間に私たち高二になったんだけど!」
「それは一冊一冊全部読んでたからっていうのもあるけどね」
景の家は今の令和の時代に置いて、誰がどう見ても『屋敷』と形容するほど大きく、立派な木造建築だった。
最初に私が景の家に行った時に「景ってお坊ちゃまだったの?」と聞いた程だ。
実際、景の家はなんと明治時代以降から財を築き続けてきた名家らしいく、この大きい家はその象徴たるものとなっていた。
さすがに家は当時のままではなく、何度も引っ越したし、戦後建て直したとも言っていたけど。
それでも、もうとっくに使われていない蔵や倉庫なんかも沢山あり、敷地はそこそこあった。
その中から一個一個確かめて行く作業は高校生二人では骨が折れた。それこそ約一年の月日を費やす程度には。
「よく固定資産税とか払えるね」
「先祖代々のお金がたんまりあるので。父さんが名義を僕にしてくれていた不動産のおかげで収入にも困ってないしね」
「余裕こいてたらお金無くなるよー」
「お金が無くなる前に命が無くなるので」
「……そうならないようにするために今私たちは頑張ってるんでしょ?」
「確かに」
まったく、ブラックジョークにも程がある。
景にはそういう傾向があった。
景はよく自分の命を軽く見る癖がある。
でも、そうしないと心が狂いそうなのも分かるから、私には何もしてあげることができないのが悔しい。
「じゃあ、改めてこれ見ていこうか。さぁ、詩音。読書の秋だよ」
「高一の夏から手分けしてずっと読んでるでしょ!」
「そうだった」
私たちの間に秋の木枯らしが吹いて、抜けていく。
景の家の裏の山は綺麗に紅葉を果たし、そして、もう時期冬を迎えようとしている頃だった。
「ほら、景座って!一緒に見るよ!」
広すぎる景の家の中、景が生活圏にしている部屋の机に本を広げて、隣の席に景を呼ぶ。
「ありがと」
そう言うと景は椅子に座った。
両腕の無い景に本を見えるため、資料を一緒に見る時はいつも私がページをめくる係だった。
「……あの、詩音ちょっと近いかも」
「まだ言ってるの?慣れなよ!」
私たちの楽しげに笑い声がだだっ広い家に響き渡る。
「いい加減見ていくよ。今のところこれしか手がかりがないんだから」
「そうだね。まずは……これは家系図、かな?」
紙は古く茶色がかっており、雰囲気がある。
文字も今とは違う、度々旧字が混じっていたりしていて、それはずっと昔からあったことを一目で分からされた。
「にしては……」
「空欄が多いね」
「そう!」
その家系図には延暦――つまり平安時代の辺りから空白がいくつか見られた。さらに、奇妙なのはその空白のしたにも名前が続いていること。
まるで、『その人の存在が消えてしまった』かのようだ。
「この空欄は多分――」
「うん。呪いのせいで名前を忘れられた人が居るってことでいいんじゃなかな?」
「それにしては、空欄がずっとない期間もあるような……」
「そればかりは分からないね。家系以外の人が呪いを引き継いでいた期間だったのか、被呪者の名前を忘れない生前のうちに書いていたのか。どっちかだろうね」
「じゃあ、書かれてないところは家系図の存在を知らなかった人か、死後書こうとして名前を忘れられた人のどちらかってこと?」
「考えられる要因が山程あるからなんとも言えないけど、僕のおじいちゃんの代まで書かれているからある程度家系図の存在は認知されてたんじゃない?」
「てことは、名前を書けない理由があったのか。というか、景のお父さんは名前書いてないんだね」
「うん。意外だった。それにこれの存在を僕は聞いたことがなかったし、もしかしたらお父さんも知らなかったのかも」
この資料が出てきたのは蔵や倉庫ではなく、部屋の書斎。
本に埋もれているような形で発見された。
なんでこんなところにあるか分からないが単純に見つからなかった可能性もある。
「お父さんがこれを知らなかったのか、それとも知っていて書かなかったのか」
「後者もあると思う。景のお父さんは元々呪いを自分で終わらせるつもりだったらしいし。後で書こうと思っていても慣れない子育てで忘れてたのかも」
「なるほど。ありえそう」
子育てって大変って聞くし、景のお父さんは景を拾うまではずっと一人だったらしい。
一般的な夫婦よりも子育てが大変であったことが容易に想像ができる。
「父さん、人間らしかったから」
「人間らしかったって?」
「そのままの意味だよ。子供の気まぐれに振り回されてたとことか、よくドジ踏んでから回ってたとことか、僕をどうしても愛してしまったところとか。父さんの存在が消えてても、名前が分からなくても、その温かさと愛されていた実感だけはずっと残ってる」
「そっか」
景はここじゃない、どこかを見ていた。
「結局、空白の偏りについては分からないままか」
「人のやったことだからミスもあるだろうし、深くは考えずに頭の片隅に置いておこう」
「賛成。いつまでも足踏みしてるわけにもいかないしね」
如何せん私たちには時間が無い。
景からの提案にウンウンと頷く。
「それで、そっちの写真は?」
景の目線が家系図の隣の一枚の写真に移る。
「家族写真……かな?」
「多分、そうだと思う。けど――」
一枚の写真は茶色に変色していた白黒写真だった。
恐らく、昭和辺りで撮られたもの。
それを家族写真と呼ぶにはあまりに不自然だった。
「そこの縁側に家族が集まってるはず……の写真だよね?」
写真の場所は今私たちがいる景の家の敷地にある縁側。
そこを外から中へカメラを向けて撮っている構図だ。
景の家のものだけあって縁側はかなりの長さがある。
しかし、その写真に写ってるのは三人だけ。
一人は縁側の右端に座ったおじいちゃん。もう一人は縁側から降りて立っている、五歳くらいの女の子。三人目は縁側の左端から大人二人分程空けて立っている若い男。
一人一人に距離があり、広い縁側とその三人の空いた距離は異常に見えた。
そして、家族写真の裏には――
「『みんな、消えてしまった。残ったのは、みんなの手紙だけだった。――文字だけだった』って。多分、呪いのせいだよね」
「存在が消えるっていうことは、きっとこういうことなんだと思う。どこにも自分の存在が残らない」
「じゃあ、これは人が写真から消えたってこと?」
「おそらくは。でも、呪いにかかった人が多すぎないか?」
写真の不自然な空白部分にはパッと見でも五人以上は入る。
今呪いにかかっているのは景一人。その前も景のお父さん、ただ一人だけだった。
そう考えると確かに被呪者が多すぎる気もする。
「複数人が呪いにかかったのか、呪いの進行が今より速かったのか。これも調査が必要かもね」
真面目に答える景に落ち込む。
「また、『引き続き調査が必要』案件ですか……」
「調べ物素人の高校生がやったんだから、そんなものでしょ。成果があるだけ良い方って思おう」
「はーい」
そして、最後に残った本を私は手繰り寄せ、景の見えるように広げた。
「最後はこれなんだけど――」
「破けてる?」
そう。本の中のページの一部が破けていたのだ。
「すごい昔の本みたいだね。いつのだろ?」
「重要なのはそこじゃない。これ、なんて読むか分からない?」
本を一度閉じ、題名を見せる。
「『呪い―始まり――』!?」
掠れていては見えないが、この家の物から『呪い』の字が出てくる時点で景のかかっている呪いについて書かれていることが期待できた。
中身も最初のページは『私がこの呪いができた理由を末代まで知らせなくてはならないと思った。』から始まる。
呪いがなぜ生まれたのか。それを知る貴重な資料だったのだが……。
「期待できたのにそれがこの有様か……」
実際の中身は最初の数ページを残し、中身はごっそりと持っていかれていた。
「最初の冒頭部分は呪いの核心に迫る話はしていないし、狙って抜いた可能性が高いかも」
「じゃあ、なんで本ごと持っていかなかったんだろ?燃やすでも、海に沈めるでも、本の外側と最初のページをわざわざ残したりなんてせずにどうとでもすればいいのに」
景はその問いにしばらく考え込んだ。
「呪いの存在自体は匂わせて欲しかったけど、呪いの核心部分は禁忌としたかったとか?」
「もしかしたらその部分の記述を見たら見た人も呪われちゃうとか?これって呪いの本だった?!」
「ちがっ……くはないとは言い切れないか」
結局、私たちが一年間家を明後日出てきたものはこの三個。
そのどれも、最終的な結論は「さらなる調査が必要でしょう」だ。
家系図で、なんであんなに空欄ができていたのかも。写真でなんであんなに大勢が居なくなったのかも。本の中身がどこにあるのかも。そもそもまだ残っているのかも分からない。
景の家とは別で、ホラーに詳しい住職などの専門家やライター、果てはユーチューバーまで。様々な人に景の呪いについて聞いてみたが誰も知らないみたいだった。
ちなみに景の話をメディアに載せたりするのは丁重にお断りさせていただいた。
私は結構乗り気だったが、景が「僕が死んだ後にそれを見た人が可哀想だ」とのこと。その動画や雑誌が呪物扱いされてしまうし、呪いの性質が分からない以上、あまりに顔を晒すのは止めようとの判断だった。
考えはごもっもとだったけど、誘いを断られるよう言われた時はしばらくむくれっ面で景と話してたと思う。
「でも、結局また振り出しかぁ」
景が椅子の背もたれを使い、グッと身体を逸らす。
実際、私たちの一年間の成果はゼロに近いと言っていいほど何も無かった。
「収穫は強いて言えば、景が写真からも消えるってことくらい?」
「そういえば、父さんが今までで自分の写真撮ってるところ見たことないかも」
「実際探してる時も出てこなかったもんね」
「僕の子供の頃のアルバムは沢山あるのにね」
「可愛かったなぁ、子供の頃の景。ねぇ、もう一回あのプードルと景が並んでた写真見せてよ!あれが一番可愛かった!」
「絶対嫌だ!」
「いいじゃん!もういい!先にアルバムを取れた方の勝ちってことで!」
そう言って私は席から勢いよく立ち上がり、アルバムのある景のお父さんが使っていた部屋へ足を進めた。
その時だった。
ドカッ!と人が倒れる大きな音がした。
振り向くと景が椅子から立ち上がり、顔から転けていた。
「景?!大丈夫?何してるのよ」
「ごめん詩音。ありがと」
景に肩を貸して、一度席に座らせる。
「ああ、鼻血出てるじゃん!テッシュどこだっけ?」
「そこの棚のに置いてある」
「え?どこ?」
「そっちじゃなくて……」
「場所分かるなら景自分で取りに行ける?」
「ごめんちょっと立てそうにないわ。取りに行くから代わりに父さんの部屋にある車椅子を取ってこれる?」
その言葉に私は不思議に思った。
「景。自分の車椅子お父さんの部屋まで置いてきたの?それじゃあ移動大変だったでしょ?けんけんで移動なんてしてたら足挫くよ?」
そう言うと景は悲しそうな顔をした。
その顔を見て察する。
これで二度目だ。
一度目は右腕の時。
その時と同じ顔。
「もしかして、今、左足無くなった?」
「――うん」
タイムリミットは迫っている。
後右足と名前だけ。
それが終われば、もう――。
気づけば景を抱きしめていた。
「詩音?!鼻血、服についちゃう!」
「うるさい。今はまだ、こうさせて」
景は驚いた顔をして、すぐに瞳には涙を浮かべていた。
「絶対、景は死なせない」
その言葉に景は声を上げて泣いた。
もう景には私を抱き締め返す腕もなかったから、私はその分景を強く強く抱き締めた。



景が泣き止むのを待ち、二人で晩御飯を食べその後は私は帰路についた。
景のお父さんが使っていた車椅子があるので、景はこれからはそれを使って暮らしていくとのこと。
元々、景の家は被呪者用に生活しやすいように仕掛けや器具が沢山あり、景はその状況でなら一人でも何とかなると「私、泊まるよ!」と提案私を一年前のように追い出してしまった。
まったく薄情な奴め。
すっかり寒くなってしまった道を腕を擦りながら歩いていると「あの!」と後ろから声をかけられた。
後ろを振り返ると知らない女性。
私のお母さんよりも少し年上かな?
「すみません、私財布でも落としましたか?」
「いや、そうじゃないの……」
女性は何か言いたげな雰囲気をしていた。
「あの、変なことを言ってる自覚はあるんだけどね」
おずおずと女性は前置きを入れて、息を吸った。
「私には霊感……みたいなのがあって、良くないものが黒い靄みたいに見るの」
「霊感ですか?例えばどんなところから見えますか?」
すると、女性は少し言い過ぎそうにしながら「……あなたがいつも一緒にいる彼の身体から」と言ったのを聞いて、本物の霊感だ!と思った。
多分、その黒い靄は景の呪いなのだろう。
すごい!存在を疑っていた訳では無いけどこんなにも身近に霊感を持っている人なんて!
「信じられないだろうけど……」
「私はあなたの話を信じますよ」
さすがに見ず知らずの人に質問責めをする訳にはいかないので、あくまで落ち着いて話した。
この一年で私は成長したんだ。
呪いの話を人に聞く時、私がオカルト話にすぐ飛びつこうとする度に何度景に捕まえられて説教を受けたと思ってるんだ。
女性は平然と話を受け入れた私を意外と思ったのか、驚いた顔をしていた。
「それで、わざわざ話しかけてきたってことは何か話があるのでしょう?」
女性はハッとして、「そう!話があるの」と続けた。
「これは決して冗談ではなくて、あなたの身に関わることだから真剣に聞いて欲しいのだけど――彼から出てる黒い靄があなたにも移ってるの」
深刻な面持ちで告げた彼女に私の心臓が急にバクバクと音を鳴らし始めた。
「このままだとあなたの命が危ないの!」
景から私に黒い靄が移るってことは、私に景の呪いが移っているということ。
『被呪者が強い思いを抱いた相手です』
庭瀬さんが前に言ってくれた言葉通りなら、景は私に強い思いを寄せてくれたということ。
強い信頼か、それとも――
『歪な愛か、はたまた真実の――』
急に顔が熱を持って赤くなったのを感じた。
もしかして、景って私の事……好きだったりするのかな?
さっきまで景を抱きしめていたことを思い出して少し恥ずかしくなる。
そんな思いで抱き締めたんじゃないのに。そう、身体が勝手に動いただけで変な意味は無かったし……!
『それでも私は、景と一緒に居たい』
庭瀬さんに言ったその言葉の理由が、当時の私には呪いのそばに居たいからなのか、景のそばに居たいからなのか、結論を出すことはできなかった。
でも、今なら言える。
私は『景と居たい』から呪いを解く方法を探している。
最初出会った時は、逆だったかもしれない。
でも、景と出会って、私を否定しない人と出会って、私は人と一緒に居ることの幸せを知ってしまった。
それを教えてくれたのは、過程はどうあれ、紛れもなく、景だった。
孤独という地獄から救ってくれたのは、景だった。
まだ、景が好きなのかどうか、この数十年間一人でいた私にはまだはっきりとは分からなかったけど、きっと私にとって景は――。
「これ以上はあなたにも危険があるかもしれないから彼と関わるのは終わりにした方がいい」
その切羽詰まった女性の声に引き戻される。
「そうですか……」
そうは言っても、急に真面目に話そうとしても、どうしても顔が少しにやけてしまう。
「気を使ってくれてありがとうございます。全部知ってますよ。彼のことも、その黒い靄のことも。でも、これでいいんです」
景と居ることで呪いが移ったとしても、別にそれでいい。
今の私にはもう、呪いが移って死ぬよりも、この先何十年を孤独で過ごす方が怖いから。
自分一人で生きるよりも、景と一緒に生きていきたいから。
だから、私に呪いが移ってたっていい。
私は私が幸せだったと思うように生きたいから。
「私は、大丈夫ですから。お気になさらないでください」
女性は何か怖いものでも見たかのような真っ青な顔で急いで去っていってしまった。
一体何を見たんだろうか?
私は背後を見たが、何も無かった。
「霊感が鋭い人しか見えない何かがあったのかな?」
そう思うことにして、私は駅へと歩を進めた。