「……ちゃっかりお洒落してきてるじゃん」
「これは……友達と遊びに行くって言ったら血眼になったお母さんが服を見繕ってくれたというかなんというか」
寺に調査に行く当日、寺は景の家から少し歩いたところにあるそうで、私たちは一旦、景の家の最寄り駅に集合することになった。
「……似合ってない?」
白のシャツにカーキ色のスカートを自分でも見て、少し恥ずかしく思う。
お母さんに「明日友達と出かけてくるから」と言うと私がやっと同級生の友達を作って上手くやれるチャンスだと思ったお母さんが服やら、メイクやら何から何まで口出ししてきて、それを全て受け入れたらいつの間にか清楚な美少女の完成となってしまった。
実際、中身はとんでもないオカルトマニアな訳だが。
この時ばかりはいつも私に無関心な妹も乗り気で、紫色の髪ゴムを貸してくれた。
まだ妹はまだ小学六年生で、これは「少し子供っぽいんじゃない」というと妹はそれを頑なに否定し、「ラベンダー色の綺麗な色でしょ?」と言い、私は妹の善意を無駄にはできず、いつもは下ろしている髪もそれでひとつにまとめている。
「いや、びっくりしただけ。似合ってるよ」
「……耳、真っ赤ですけど」
「……夏のせいです」
「そういう事にしといてあげる」
景はというと白のTシャツに黒のズボンとシンプルな服装だった。
「景は義手とかつけないの?片腕って不便じゃない?」
「父さんも試していたけど、義手をつけると呪いのせいで義手が消えるからつけられないみたい。多分、義手も四肢の一部って判定なんだろうね」
「最悪だね」
「不便で仕方がないよ」
二人で話しながら私は景に導かれるがまま道を進み、歩き始めて十五分程したところで例の寺が見えた。
「あそこだよね?」
「そう。あのお寺が僕と父さんが子供の頃に来た場所だよ」
入口を見つけ、そこ目指して二人で歩き始めた時にふと思う。
「でも、その時に出会ったお坊さんをどうやって見つけるの?」
景の呪いについての説明が本当なら、お坊さんはもう景のお父さんの名前を覚えていないから、対応してくれたお坊さんをどうやって呼ぶのだろうかと疑問に思った。
「それは……ついてから考えよう。呪いの話を住職達の間で共有もらえたら後は後日僕が連絡を貰うとかでもいいし」
そう言いながら寺の門を越えようとした時だった。
「痛っ!」
景が左手腕を押さえながら、後ろに飛び退いた。
「大丈夫?!」
すぐに駆け寄り、景の痛がる部分を見たが、出血や異常は確認できない。
門の方に何かあるのかと思い、私も恐る恐る門に右足を突っ込んだが、特になんともなく、一気にその門をくぐり抜けるがやはり痛みは感じない。
「おーい、景。私の方は大丈夫みたい」
そう門の向こうで左腕を抑える景に向かって両腕で大きく手を振ろうとした時。
(あれ?)
左腕しか、上がらなかった。
「詩音は大丈夫なんだ」
景は私が元々、両手をあげるつもりだったとは知らずに、手を振り返してくる。
「君たちは……。もしかして佐倉景君かい?!」
お寺の建物の方から出てきた住職は私たちを交互に見た後に、景の腕を見て驚いてた。
「なにが起こったかと見てみれば、君が来ていたならば納得だ」
お坊さんは私の方を見て軽く礼をして、私たちに「ついておいで」と言い、本堂の方を歩いていった。
「景くんも、もうそこを超えても大丈夫だから」
そう言われて、恐る恐る門を超えた景だが、お坊さんの言う通り今度は景に異変は起きなかった。
その後、お坊さんについて行った私たちは本堂の奥の建物の中の和室に通された。
「びっくりしただろう。寺の中に入ったせいで、呪いが弾かれただけさ。しばらくすればいつも通りになるはずだよ」
「なるほど……ありがとうございます」
私の方はと言うと、もう右手も違和感なく動かすことができて、あの一瞬が嘘のようだった。
あれは、実は景と同じように私にも何かが憑いていたからなのだろうか?
「景、あの人がそう?」
コソコソとお茶を入れるお坊さんに聞こえないように言う。
「うん。口振りからして多分ね。あの日、父さんと一緒に会った人だと思う」
「なら、探す手間が省けたね」
お坊さんは私たちに湯呑みに入ったお茶を足すと私たちの前に座った。
「景君と会うのはもう十年ぶりくらいですね」
「はい。お久しぶりです」
「そちらの方は?」
「志崎詩音と言います。景とは……友達です」
そう言うと景は少し恥ずかしそうにしていた。
「そうですか。申し遅れました、私は庭瀬宗徳と申します。それで今日はどうしましたか?」
白々しいと思った。
何があったか分からないままなら、真っ先にこんな所へは案内しないだろう。
部屋の四隅には塩が盛られ、部屋には何枚も札が貼られているのが見える。
「実は、僕の身にかかっている呪いを解こうと思いまして」
景はそう説明すると庭瀬さんは景の左腕を一瞥した。
「……残念ですが、我々ではその呪いを完全に解くことはできません。景君のお父様の時と同様に」
「どうしてっ……」
「その呪いは強すぎるのです。もはや、人の手で対処するのはほとんど不可能になっています」
「そんな……」
景は俯いてしまった。
「何とかなりませんか?」
私がそう言うと、庭瀬さんは少し考えてから「気休め程度ですが、呪いの巡りが遅くなるように努力してみましょう。ですが、あくまで対処療法ですよ」と言い、別のお坊さんを呼ぶと、景はその人に連れられて別室へ言ってしまった。
「……志崎さんにはお伝えしなければならないことがあるため、残っていただきました」
部屋に庭瀬さんと私が二人きりになると、庭瀬さんがさっきまで景に向けていた優しい顔とは打って変わって怖いほど真剣な顔になった。
「景君の呪いについてどの程度知っていますか?」
「四肢が消え、名前が消え、最後に存在が消える呪い。それと、被呪者に対する他者の記憶が上書き、または消去されていくもの」
「そうですね。よくご存知で」
「景から聞いたので」
残念ながら、昨日調べてみたが景の呪いと似ている話は存在していたなかった。
被呪者が全員死んでいる上に、関わった人の記憶も改竄されるようじゃ、噂も残りづらいようだ。
「あなたは今すぐ彼から離れた方がいい。あの呪いは――」
「移るんですよね?」
私が間髪入れずにそう言うと、庭瀬さんは驚いた顔をした。
「覚悟の上ですよ」
「そうですか……歪な愛か、はたまた真実の――」
「あ、私たち、そういう関係じゃないので」
「……そうですか」
庭瀬さんはなんとも言えない顔をしていた。
尚更、では何故ですか?と聞かれなかっただけ助かったと思おう。
理由を言ってもどうせ理解されないし。
「その移るってやつなんですけど、一体どういう条件で移るんですか?」
庭瀬さんは話すのを少し渋り、部屋の中の札や塩を確認するような素振りを見せた後、やっと口を開いた。
「被呪者が強い思いを抱いた相手です」
「強い思い?」
「はい。愛情、友情、嫌悪。被呪者からの大きな感情を向けられることで被呪者の死後、呪いがその人に移ります」
「なるほど」
景のお父さんやかつての庭瀬さんが景に人と話すな、近づくなと言っていた理由が分かった。
人と仲良くなれば仲良くなるほど、その人に呪いを移してしまうからだ。
「だから、景を別室に移したんですね」
「……察しの良い方ですね」
庭瀬さんは既に景と面識があり、もし、彼の中に感謝でもなんでもいい、強い感情を抱かれてしまったら庭瀬さんが次の呪いの継承者になってしまう可能性があった。
「すみません。あなた達は立ち向かっているというのに、立派な大人の私がこうも保身的で」
「大丈夫です。というか、それがきっと普通です」
空気を変えるようにお茶に口をつけると庭瀬さんはお茶菓子の和菓子も勧めてきたのでありがたく受け取る。
「呪いって複数人に移るんですか?」
「さぁ、分からないとしか。ですが、景君のお父さんの前も、その前も一人しか受け継がれてないそうですよ。それが彼らの努力による賜物なのか、呪いの仕様なのかは分かりませんが」
「努力して一人に収めるくらいなら、完全に人との関わりを絶って、呪いを消滅させるとかしなかったんですか?」
「……景君のお父様はそうしようとしていました」
お菓子を食べていた私の手が止まる。
「彼は一族は代々呪いを継いできた。ですが、彼は呪いを自分の代で終わらせようと考え、人との関わりを避けて生きてきた……はずでした」
「でも失敗した」
「そうです。それは景君の存在でした」
庭瀬さんは思い出すように語り始めた。
「彼は景君がここから少し離れた河川敷の人目につかないところで発見したそうです。ですが、その日は雪が降るほど寒く、幼い景君は死にかけだった」
「ひどい……そんな捨て猫みたいな……」
「ですが、実際に起こってしまったことなので。大方、誰が生まれたばかりの子供を秘密裏に殺そうとしていたのでしょう」
「それを助けたのが、景のお父さん?」
「そうです。彼は一人で生きていくと決めていましたが、景君の命を見捨てることができなかった。彼を拾い、私たちの元へ駆け込みました。それから救急車を呼び、必死に温め、無事に景君は命は助かりました。
その時に私と景君のお父様は知り合い、呪いの症状などを解明したのもこれがきっかけです。その後、引き取り手が見つかるまで景君を育てると言い出し、引き取りましたが、結局彼は景君を自分の息子にしました」
「なんで……」
「簡単に言ってしまえば、情が移ってしまったのですよ。自分と同じ、ずっと一人だった景君に。きっと寂しかったのでしょう。一人で居続けることは人間には酷なことです。そんな中、景君という光が差し込んでしまった。彼はいけないと思いながら、それに縋ってしまったというわけです。……呪いがなくならないのも、きっとそういうことなんでしょうね」
何となく、気持ちがわかる気がした。
孤独は死ぬより辛く。一人は呪いよりも怖い。
私と景が仲良くなってしまったように、きっとそれは避けられないのだ。
「呪いの解呪方法については何も分からないんですか?」
「分かりません。ですが、心当たりはあります。以前、呪物として『両腕のない人が書いた絵画』を預かったことがあります。心当たりがありませんか?」
「……景と同じ呪いにかかった人の絵ってことですか」
「そうです。呪いで存在が消えても、その人が作り出したものは消えない。呪いは佐倉家の中だけで留めていたようなので、もしかしたら景君の家に、それについての文献が残っているかもしれません」
昨日景と話し、疑問になっていたことだ。
景にその実験として小説を書いてもらうつもりだったのに、あっさりとその答えが分かってしまった。
「お茶を飲み終わったら景君を迎えに行こうか」
そう言って、立ち上がって部屋を出ていった庭瀬さんの背にある塩は黒ずんだドロドロの物体に変わり、札の下の方は何かに焼かれたようにパラパラと崩れ落ちていた。
「念の為言っておきますが、あなたはまだ引き返せる。……この札は寺で一番強力なものでした。住職が数年かけて作るような本物の札です。寺にあるその全ての札がこうなってしまうほど、あれは強力なのですよ」
そう言われた私は、彼の目を見て逸らさずに言った。
「それでも私は、景と一緒に居たい」
それが呪いのそばに居たいからなのか、景のそばに居たいからなのか。私は庭瀬さんの後ろをついて行く間、ずっと考えていた。



「ありがとうございました」
「いえ、気をつけて帰ってくださいね」
私たちが寺を後にした頃にはもう六時が過ぎた頃だった。
「景の方は大丈夫だった?」
「うん。何人かのお坊さんに囲まれてお経を読んでもらった。……効果はいまいちよく分からないけど。詩音の方は?」
「色々話が聞けたよ」
「どんな?」
「景の家に解呪についての文献が残ってるかもって。呪いにかかって存在が消えた人でも、その人が書いたものや作ったものは残るらしい」
「え、なら僕が小説書く必要なくなったじゃん」
「えぇー、書こうよ」
「必要ないのに?」
「私が単純に読みたいし。あと、やっぱり呪物扱いして貰えるらしいよ」
「そっちが本音でしょ。……分かったよ。書きますよ」
「景君やさしいー!」
あんまりからかっていると景からデコピンを喰らった。
「じゃあ、帰ったら僕の家を捜索してみるよ。うちの家古いし、無駄に大きいから探すのに時間がかかりそうだな……」
「私も行く!」
そう言うと景はびっくりしたような顔をした。
「いやいや、今から来たら終電無くなるよ?ここ田舎なんだから」
「景の家泊まったら駄目?今景の家って景一人で住んでるんでしょ?」
すると、景はひどい顔をしながら私を見て「このオカルトマニアが」と呟いた。
「駄目です。家に帰ってください」
「え、なんで?!服とかはこれ着たままでいいからさ」
「そういう問題じゃないの!今日は帰る!明日また来ればいいから!」
「えぇー」
「分かった?!」
「分かりましたぁ」
そう言って、明日の約束を取り付けると私は電車に乗って帰路についた。
帰りの電車の中で、一人で思った。
一人で居続けることって私にはできるかな、と。