「それで、結局呪いっていうのはどういうやつなのか、改めて整理してみない?」
翌日の放課後、彼にそう言った。
昨日と同じように教室の中にはもう私と佐倉君以外の人はいない。
みんな早々に部活へ行くか、家へ帰った。
この学校は『秘境』と呼ばれるだけあって、山の上にあり、暗くなると坂道を下るのは面倒で学校にいるメリットもない。
学校で勉強する人は自習室を使うし。
「いいけど、ここでするの?」
「いいじゃん。早く知りたいし」
「まぁ、いいけど。でもさ、僕何をどう話せばいいか分からないよ?」
「え、なんで?自分のことじゃん」
「今までまともに人と話してこなかったから」
「あ、そっか」
人に呪いが移る以上、あまり人と交流するべきでは無いのか。
そもそも、それを理由に私も最初は仲良くしない方がいいと言われたわけだし。
なんだかその理由を聞くと、悲しくなってくる。
きっと今までずっと一人だったんだろうなぁ。
「じゃあ、私から質問していくからそれに答えていってよ。それならできるでしょ?」
「分かった……でも、志崎さんノートなんて広げてどうしたの?メモ取るの?」
「そうだよ?だって記録しとかないと後で見返せないし。何か問題があったりするの?呪いについて言及したらそれにも呪いが宿るとか?もしかしてこのノートが呪物になったりしちゃう?!」
「いや、なりはしないと思うよ。あって、痛々しい厨二病の設定ノート」
「それは大変だね」
「君のノートなんだけどね」
そんな馬鹿らしいやり取りに彼はクスッと笑った。
「ただ、そんな真剣に話を聞かれたことがないからなんだかおかしくて、緊張しちゃうだけ」
「なら、これから慣れていけばいいよ」
「え?志崎さんこれからもなんか書いていくつもりなの?」
不思議がる彼に私はさらに不思議そうな顔をして答えた。
「だって呪いを解くんでしょ?なら、これから分かること、いっぱい書くことになるじゃん」
その言葉に彼は驚いた様子を見せ、その後、安心したように息を吐いた。
「そっか。そうだよね」
多分、呪いを解くって私の言葉を本気にしてなかったんだと思う。
でも、今それが本気の言葉だったと納得したようだ。
「それと、私のこと、苗字じゃなくて名前でいいよ。詩音って呼んで」
「分かった。なら、僕のことも景でいいよ」
二人で顔を見合わせて少し笑った後、私は再びペンを持ち、ノートへ目線を下ろした。
「じゃあ景、呪いについて質問していくね」
「分かった」
「そもそも景のかかっている呪いってどういうものなの?」
「う〜ん、ずっと昔からあるものらしいから、詳しく話すとこんがらがるんだけど」と少し唸り声混じりの前置きをすると要点を掻い摘んで話し始めた。
「簡単に言うと、この呪いにかかった人は『世界から消されちゃうんだ』」
「というと?」
「まず、被呪者の四肢が時間の経過とともに少しずつ無くなっていく」
「景の左腕は呪いの影響ってこと?」
「そうだね。詩音が転校してくる数週間前くらいに無くなったんだ」
「え?でも、他のみんなは景の腕が片方のないのは昔からだって言ってたような気がするんだけど……」
確かに私はクラスメイトに景について聞いた時、そう言っていたのを聞いた。
「それがこの呪いの一番の問題点なんだ」
「どういうこと?」
首を傾げる私に彼は話してくれた。
「最後に見た被呪者の姿が、その人の今までの被呪者についての記憶を上書きするんだ」
さらに頭が?が浮かぶ私を見かねてか、景は左腕を前に突き出して、子供に諭すように言った。
「今、僕はみんなからしたら『佐倉景は左腕がない』っていう認識だろ?でも、僕はきっとこの先、右腕や足も失う。例えば右腕が無くなった時、その右腕と左腕を失った僕を見た人の記憶にある『佐倉景は左腕がない』っていう記憶は『佐倉景は左腕と右腕がない』っていう記憶に上書きされる」
「……というと?」
「つまり、僕が明日両腕がない状態になっても、その姿の僕を見た人はその僕の姿を前々からの姿だと誤認するようになってるってこと」
「なるほど」
ここまで簡単にしてもらってやっと理解出来た。
景は上書きと表現したけど、つまりは『塗り替え』。
今までの景のイメージを、最後に見た姿に過去の記憶を改竄し、統一してしまう。
「ってことは、記憶に矛盾が生じない?例えば、今日、景は授業でノートを取ってたけど、景の両腕が無くなるとみんなの中では景は『両腕がない人』のイメージになるんでしょ?でも、実際には景が腕を使って取ったノートが存在することになってちゃう」
「さぁ……どうなんるんだろう?残るとしたらノートを見た人はプチパニックだろうね。それこそ、呪物扱いだ」
彼は想像したのか、クスッと笑った。
その顔を見ると、やっぱり呪いに掛かっているだけで、中身は平凡な男の子なんだなとつくづく思う。
そんな景に私は身を乗り出してある提案をした。
「なら、改めて試してみようよ」
「え?」
「もし、字が残ることが分かったら、もしかしたら景のお父さんが何か残してくれている可能性が出てくるし」
「確かに……」
景のお父さんが日記でもつけていてくれれば、まだ不透明なこれからの景の状況やもしかしたら解呪の方法についても手がかりが見つかるかもしれない。
「でもどうやって?」
「景が手書きの何かを作ってみて、それが景が右腕が無くなった後も残っているか検証しよう。もちろん、右腕が無くなる前に呪いを解くのが一番だけどね」
「でも、何書くの?」
「せっかくだから、残った後にそれこそ呪物みたいな扱いになるものを作る方が面白いと思わない?」
「そんなうきうきな顔で言われても」
「思わないの?だって、自分が作ったものが後世まで大事に保管されて、噂がいつまでも語り継がれるんだよ?」
「大事に保管って言っても寺とかででしょ」
「興味無い?」
「……はぁ、分かった。やるよ、何すればいい?」
「話がわかるね」
こういうグイグイ来る人が苦手なのかな?こういう意見の押し合いになれば大抵折れてくれるな。
「なら、小説か絵はどう?呪いの本とか、呪いの絵とか良くない?!」
「その二つなら……小説かな」
「絵じゃなくていいの?」
「絵はド下手だから。もしかしたら呪い認定される前に子供の落書きとして処分されちゃう可能性すらある」
「それは……確かに困る」
「小説、どんなの書けばいい?」
「なんでもいいよ!景の好きなように書いて!」
「なんて投げやりな……」
「私、一応文芸部入ったから、分からないところあったら教えてあげるよ?」
「そうなんだ。じゃあ、その時はお願いしようかな」
「了解!」
少し和やかな空気が流れ、話は続いていく。
「話を戻すね。四肢が無くなった後は、僕の『名前』がこの世から消える」
「名前?どういうこと?」
「みんな、僕の名前を忘れるんだ」
「それも、さっきみたいな記憶の上書きってこと?」
「これはどちらかと言うと、消去が正しいかな。みんなの記憶から僕の名前が抜け落ちる。そして、僕の名前をどこかで見つけたとしてもそれを僕と認識できなくなる」
「景の名前が思い出せなくなるってことね」
「端的に言えばそうだね」
「なるほど……。認識できないっていうのは?」
「例えば――」
景は教卓の方へ行き、出席名簿を取り出して『一年二組 佐倉景』と書かれた部分を指さした。
「これを見ても、誰もそれが僕の名前だと認識できなくなるんだ」
「普通に分かりそうだけど?」
「なんて言えばいいだろうな……。字面を見て、文字の配列は読み取れるし、『さくらけい』と口に出して読むことはできるんだけど、それを僕と紐付けて考えることができなくなる。って言えばわかる?」
「なんとなく」
「なら良かった」
さっきから理解するのでいっぱいいっぱいだ。
景の例え話が上手いおかけで何とか理解が追いついている感じ。
それと同時に、私がずっと追い求めていたものが身の前にあるという事実に今までにないほど心が踊っているのを感じていた。
「景、教師とか向いてるよ」
教卓から角席に帰ってくる景に私が言うと景は困ったように笑った。
「なれる歳まで生きられたら良かったんだけど」
でも、そっか。その呪いのせいで景は死んじゃうんだ。
それだけが、私は悲しかった。
今まで会った人達の中で唯一、私の趣味を否定しなかった人だったから。
転校前は散々、キモイとか、変とか、異常者とか言われていたから、それが本当に嬉しかった。
「それで、名前が消えたらどうなるの?」
「いよいよ、後はこの世界から消えるだけ。僕の左腕が無くなったみたいに、いつの間にかシュッと消えてるよ。そして、残るのはみんなの中にある朧気な記憶だけ」
景は笑ったけど、その笑いは今までのとは近い、酷く乾いていて、自虐的だった。
きっとそういう笑みを浮かべていないと、口に出すのが耐えられないのだ。
私はそれをノートにメモしていく。
すると、そこである違和感が私を襲った。
「今の話だと、被呪者はみんな最終的には死んじゃうんでしょ?なら、なんで景はそんなに呪いに詳しいの?」
オカルト系の話や漫画ではよくある話だ。
本当にやばい場所や物についての伝承や噂は少ない。
なぜなら、それに関わった人はみんな死んでしまい、噂なんて残らないから。
景の呪いは掛かった人は皆死んでしまうし、更には周りの人の記憶も改竄してしまう。
なら、どうして景はそんなに呪いについて詳しく知っているのだろうか。
「僕の父さんがそうだったから」
「そう……ってことは呪いにかかってたってこと?」
「うん」
「なるほど、ってことは景の呪いって――」
「そう。父さんから移ったんだ」
人へ伝播する呪い。ってことは景のお父さんはもう……。
そう考えると少し暗い気持ちになる。
「お父さんについての記憶はもう曖昧で、名前も顔も思い出せないけど、呪いについて教えてくれたことは覚えてる。それと、『ごめん』って何度も言われたことも」
「そっか……」
教室に静かな空気が流れた。
山の中、夏の夕方の風は冷たく、私たちの頬を撫でる。
「『ごめん』ってことは景のお父さんは景に呪いが移るのが分かってたのかな?」
「どうだろ?今思うと、その節は確かにあったかも。というか、そもそも父さん自身も誰かに移されたわけだし」
「確かに……そういえば、そもそも呪いってどうやったら移るの?」
「分からない」
「分からないかぁ〜」
ノートの上にグデッと身体を倒れ込ます。
それが分からないと、不用意に景を連れ回すことができなくなる。
さすがに無関係の人を巻き込むことはできないし。
「血縁とかは?一族を代々呪うとかさ」
実際に景は自分の実の父から呪いを移されたわけだし。
「完全には否定はできないけど、おそらく違うんじゃないかなって思ってる」
「なんで?」
不思議がっていると景は少し話すのを躊躇った。
「重い話になっちゃうんだけど……」
「死んでしまう呪いにかかっている以上の重い話って何?」
「確かに……」
そう言うと景は緊張の糸が解れたような様子で話してくれた。
「僕とお父さんは血が繋がってないんだ」
「……確かに重い話だ」
しかも、呪いとは別ベクトルの。
「雪の振っていた日に捨てられた赤ん坊の僕を父さんが拾ったらしい」
「優しいお父さんだったんだね」
「うん。だから、雪を見るといつも赤ちゃんの僕を抱えたあの日を思い出すんだって言ってた」
優しそうな顔をする景を下から見上げて、血は繋がってないけど二人の愛は本物なんだと心から感じて、羨ましかった。
私は家では、異物扱いだし。
「でも呪いを移さないために『人と話すな』、『極力一人で居ろ』って言われた」
「お父さんに?」
「それもそうなんだけど、昔、お父さんに連れられて行った寺のお坊さんに」
「お坊さんに?」
心霊話にはお坊さんや寺が付き物で、話の中では大体のことはお坊さんが解決してくれるイメージがある。
それと同じくらい匙を投げるイメージもあるが。
「なら明日そのお寺に行ってみようよ」
「え?」
「場所分かるんでしょ?そのお坊さんは何か知ってるっぽいし。景にはもう時間が無いんだから、思い立ったが吉日ってやつでしょ」
「確かに場所は分かるけど……。分かった。明日は休日だし行ってみようか」
「なら、今日はもう解散で!」
ノートを片付け始める私を見て景は驚いていた。
「行動に移すのが早くない?」
「明日の準備しないとだし」
「なんか準備することあるの?」
「お寺に行く前にそこの下調べとか、景の呪いの詳細も知れたから似たようなものを調べたりしようかなって」
「……少しでも『女の子には色々あるんだよ』とかって言われることを期待した自分が恥ずかしいよ」
「景……恋愛漫画の読みすぎなんじゃない?」
「うるさい、オカルトマニア」
ワイワイと言い合いを続けている間に帰り支度が終わり、二人で階段を降りる。
コツコツと二人の足音だけが静かな階段に響く。
「詩音、ありがとう」
「何、急に」
「……今までずっと一人だったから、嬉しいんだ。呪いについても諦めてたし」
実際に父が呪いで亡くなっている景からしたら、呪いはもう逃れられないものという固定観念があってもおかしくない。
それを破ったのが私だったって話だ。
「別にいいよ。私も興味あったし」
「それに……」
景は少し恥ずかしそうにそっぽを向いて言った。
「放課後に駄弁るとか、休日に友達に会うとか、こういう青春みたいなの、ずっと憧れてたから……」
耳を真っ赤にして言う景に思わずフッと吹き出した。
「景、やっぱり恋愛漫画の読みすぎなんじゃない?」
「うるさい!……やっぱり言わなきゃ良かった」
「なんで?私は嬉しかったよ。だって、今までオカルトの話を人とできたことがなかったから」
「……そう」
景はまだやっぱり恥ずかしそうに向こう側を向いていた。
「私たち、もう『友達』だもんね」
その言葉が景の言った言葉からの引用だと気づいて「詩音!!」と言った時、真っ赤な顔の彼はやっとこちらを向いた。
学校の声の響く階段には、私たちの声だけが響いていた。