四肢に欠損のある、とある男を探しています。報酬は五百万円で

「姉について、ですね。……本当に来るとは。どうぞ、中へ」
案内されるままに家の中へお邪魔させていただく。
志崎詩音が同級生に渡していた封筒の中身は、志崎詩音の実家の住所が書かれた紙だった。
「姉はもうずっと帰ってきていませんが」
家へ行くと志崎詩音は居らず、代わりに志崎詩音の妹、高校生の志崎菜沙(なずな)さんが僕を出迎えてくれた。
白のニット服に黒のプリーツスカパン。綺麗な黒髪ロングヘアで可愛らしい女の子だが、その固い表情に思わずこちらも萎縮してしまう。
「……すみません。表情が固いのは昔からなので、あまり気にしないでくれると助かります」
「そうでしたか」
態度に出てしまっていただろうか……。気をつけよう。
「それで姉について聞きたいんですよね?できれば、母と父が帰ってくる前に話を済ませたいのでなるべく手早にお願いします」
「そうでしたか……それは失礼しました」
僕はなにか失礼なことをしただろうか。
態度が冷たい気が……。
「……すみません。母と父は姉のことをよく思っていないので、二人に姉の話を聞かすのは避けたいと言う意味です」
「なるほど……」
「それと、私の口調がこんななのも、元からですから。別に怒っているわけではありません」
「はぁ、なるほど」
「……私もあなたほど、思っていることが顔に出るような性格なら良かったんですけどね」
「え?!……それは大変失礼しました」
「いえ、その方がこちらもやりやすいので」
掴みどころのない人だ。
こちらの全てを見透かされている気がする。
「それでは……。さっきご両親から詩音さんは嫌われていると言っていましたがそれは何か理由が?」
「それは――」
――それはお姉ちゃんの趣味に原因があったんです。
お姉ちゃんは行き過ぎたオカルト趣味で、母と父はそれをよく思っていませんでした。気味の悪い子だ、と。
二人とお姉ちゃんの仲は犬猿の仲で、趣味を曲げないお姉ちゃんとお姉ちゃんに理想の娘でいて欲しい二人という構図でした。
お姉ちゃんは外見だけでいえば、モデルさんと遜色のない程でしたから。
母はよく「黙ってさえいれば」「残念美人だ」なんて言っていました。
今は私たちとお姉ちゃんは別居しています。というか、お姉ちゃんは母と父に縁を切られてしまったので。
原因はお姉ちゃんの趣味ではなく、お姉ちゃんが大学に行かなくなってしまったことが原因です。
お姉ちゃんは地元の国立大学に入学して、その後、地元とは言ってもこの辺は田舎の辺境ですから、高校卒業と同時に、大学が近い都心部で一人暮らしをし始めました。まぁ、一人暮らしの件は両親を半ば無理やり説得していたようですが。
しかし結局、お姉ちゃんは大学に行かなくなってしまったみたいです。元々お姉ちゃんは大学に進学するつもりはなく、両親に無理やり入学させられたようなものだったのでモチベーションが無かったといえば無かったわけなのですが……。
……確定した事実以外を喋るのは苦手なのですが、お姉ちゃんが学校に行かなくなった理由は他にあると思っています。
あくまで違うと思っているだけですが。他に具体的な理由はありません。
……お姉ちゃんに限って、「環境の変化に慣れなかった」などは無いと思います。お姉ちゃん、引っ越す前の学校では、かなり他の人に嫌厭されていましたが、それを気にしている様子は見たことがないので。
オカルト趣味もそうですが、お姉ちゃんは昔からかなり頭が良かったんですよ。ギフテッドって言うんですかね?それの傾向があった。だから、他の人からは距離を取られていたようです。ですが、お姉ちゃんがそれらの人たちを気にしていた素振りを見たことが私は一度もありませんし、他の人から見てもそうだったと思います。まるで、私たちとはどこか、違うところをずっと見ているような、そんな存在でした。
お姉ちゃんは人の目を気にして、駄目になるような存在ではありません。
……ただ一つ心当たりがあるとするならば、お姉ちゃんが『友達』と呼んでいた同級生のことです。
その人の四肢に欠損があるかどうかは知りません。
会ったことはありませんから。ただ、お姉ちゃんの話によくでてきた人です。
それと、お姉ちゃんにも四肢に欠損はありませんよ。
私の記憶の限りは、ですけど。
話が逸れましたね。お姉ちゃんはここへ引っ越してきた、高校一年生の夏から、毎日のようにその人の元へ通っていたと思います。
彼のことを話すお姉ちゃんは、いつも眩しいほどの笑顔だった。
……でも、それがいつしか疲弊したような表情に変わっていった。
思い悩むような顔をすることが増えていたようでしたし、原因があるとするならば、こちらの方だと思っています。
お姉ちゃんと会わないのか、ですか?
……会えるなら会いたいですよ。
私は、お姉ちゃんことが大好きでしたから。
お姉ちゃんの影に隠れていたから、母や父は気にしていませんが、私も相当な変わり者です。
表情も固いし、意思表示も苦手だし。
でも、そんな私のことを大事にしてくれた、ずっと一緒にいてくれたお姉ちゃんのことが私は好きでした。
ですが、お姉ちゃんは私ではなく、彼を選んだ。
きっともう、私の元へ帰ってくることは無いと思います。
……それですか?ここに引っ越してきた時の、高校一年生のお姉ちゃんと小学六年生の私のツーショットですね。
もう、五年も前のものになります。
その写真が、私たち二人が写った最後の写真なんですよ。
だから、それをずっと大事に飾ってます。
そばにあるのは、髪ゴムですよ。
今は少し色褪せてますけど、前までは綺麗なラベンダー色の、鮮やかな紫色の髪ゴムだったんですよ。
それは二個入りのゴムで、一つはそれ、もう一つはお姉ちゃんが持っています。
私が無理やりお姉ちゃんに渡したんですよ。
お姉ちゃんが友人とばかりいるようになってしまった私の嫉妬心を込めた贈り物です。
……お姉ちゃんが私の元に帰ってくることはありませんでしたが。
それから探偵さん。
これをお姉ちゃんから預かっています。
……お姉ちゃんのこと。よろしくお願いしますね。
ここでもう一度、情報を整理しようと思う。
①志崎詩音について
志崎詩音はオカルト趣味を持っている。このことについてはもう疑いようがない。

『それに彼女、オカルト趣味?みたいなのがあったみたいで、教室でも雑誌広げてて、他の人に敬遠されてた覚えがあります。』(証言Cより抜粋)

さらに志崎菜沙の証言によってそれは確たるものになった。

また、志崎菜沙が言っていた『友達』というのは志崎詩音には多くの友達がいなかったことや、ずっと一緒に居るなどの情報から、恐らく行方不明者のことだろうと推測できる。

では、ここで疑問が浮かぶのは彼女がなにかに思い悩み、塞ぎ込んでいたということ。

『……でも、それがいつしか疲弊したような表情に変わっていった』

『思い悩むような顔をすることが増えていたようでした』(両方とも 証言 志崎菜沙 より抜粋)

前のことを踏まえて考えるのであれば、それはきっと呪いについてだろう。
呪いが段階的に四肢を失わせていくものだとしたら、行方不明者と志崎詩音の身体は徐々に呪いに蝕まれていっているのだから、その理由も納得がいく。
さらに言えば、まだ志崎菜沙と志崎詩音が交流のあった頃は、志崎詩音は四肢に異常がないことが分かる。

『それと、お姉ちゃんにも四肢に欠損はありませんよ。私の記憶の限りは、ですけど』(証言志崎菜沙より抜粋)

志崎詩音が呪いのことで思い詰めていたのだとしたら、それは例の行方不明者――友達についてのことだ。
もしかしたら、志崎詩音は友達の呪いに何かしようとしていたのかもしれない。

また、以下は志崎菜沙から聞いた志崎家が引っ越す前の志崎詩音の友人に彼女について、聞き込みを行った時の会話の一部を文字に起こしたものである。

【会話①】
志崎詩音さんですか?……小中学校と一緒でしたが、確かに彼女は他の人たちから嫌厭されていましたね。
私たちの周りには彼女のオカルト趣味を肯定してあげられる人も居なかった上、彼女は頭もよく、あまり進んで人と会話する性格でもなかっんたので、気取っていると思われていました。

【会話B】
誰があんな化け物とつるむのよ。
あの女は、自分の興味のために、夜な夜な一人で廃墟に忍び込むような奴よ。誰も、彼女を理解できやしないわよ。

【会話C】
彼女は心霊が好きでしたが、自分には霊感がないから、この身で心霊現象を体験しないと信じれないというタイプの人でした。それが、危険な事だと分かっていたとしても、です。かなりの変わり者だったと思いますよ。

そして呪われた彼女について、彼女はもうこの世にはいないかもしれない。
志崎家を出る前に、荷物を用意していると、志崎菜沙が紹介したツーショット写真が目に入った。
しかしそれは、姉妹揃ってのツーショット写真のはずが、志崎菜沙一人が立っているだけの写真へと変わっていた。
もしかしたら。彼女はもう……。

②行方不明者(『佐倉景』)について
行方不明者(ここでは「彼」と統一させてもらう)についてもある程度の人物像ができてきた。

『彼はあまり人と活発に関わる性格ではなかったので』(証言Cより抜粋)

『いつも暗い顔をしていた彼の表情が少しずつ明るくなっているのに気がついた頃でした』(証言Eより抜粋)

『なんだか暗くて、静かな人に変わったんですよ』(証言Fより抜粋)

これらの証言により彼の性格についてある程度分かってくる。
時系列順で追うと、彼は小学生高学年の時に明るい性格から暗い性格に変わってしまったようだ。
もちろん、自己形成の途中である思春期特有の性格の変化であったとすることもできるが、これは呪いのせいだと認識することもできる。
むしろ、そっちの方がしっくりとくる。
彼は高校生のある時期から元の明るい性格へと戻っていく。
それは志崎詩音と彼が出会った頃と同時期だ。
志崎詩音は彼の呪いをどうにかしようと動いていたならば、呪いによって歪められた性格が希望によって元の形に戻っていったのにも合点がいく。

③呪いについて
今のところ分かっていることは以下の通りだ。

・四肢に段階的な欠損を引き起こす。
・四肢の欠損について、他人の認識に作用する
・被呪者の名前に作用し、他人に自分の名前を忘れさせる
・ある一定の条件下で他人に移る

一つ目は言うまでもないが、二つ目の、他人の認識に左右する、というのは、 両手がないのに車椅子を押していた記憶があったり、文字を手書きで書いていた記憶があることなど、記憶の矛盾についてのことだ。
三つ目の名前については、彼の名前を誰も覚えていないことについてである。
そして四つ目、呪いが他人に移ることについて。

『私は自分を守るために、彼を見捨ててしまった』(証言Dより抜粋)

『彼女の身体からもほんの少しですが彼と同じ靄が立ち上っていたんです』(証言Eより抜粋)

これらの証言により、呪いは他人に移る性質を持っているのだろうと考察した。
「ある条件下」としたのは、風邪のようにすぐに移してしまうようなものならば、呪いの存在を認知していながら学校なんて来ていないだろうと予想できる。
また、もし、すぐに移ってしまうようなものなら、僕が今までインタビューしてきた人達に四肢に欠損がある人がいないのはおかしいと判断した。
しかし、「ある条件」には、他人との物理的、または心理的距離が関係あると考えられる。
理由として、志崎詩音が妹仲の良かったと会わなくなったことや、彼が人との接触を避けて生きてきた点にある。
さらに言えば、黒い靄が移っていると言われた志崎詩音は「知っている」と答えたことから、彼と志崎詩音はある程度の呪いの情報を握っていたことも把握できた。

しかし、志崎詩音の行動理由が未だ謎のままである。
オカルト趣味はいいが、呪いを受け入れることに同意してまで、彼と一緒にいる理由は何なのだろうか。
その答えの鍵は、志崎菜沙さんから受け取った封筒の中に隠されていた。
菜沙さんから渡された封筒の中身はまたも、住所書かれた紙だった。今度は鍵も同封されていたが。
例の住所は商店街近くのマンションの一室だった。
オートロック付きでセキュリティとしっかりしていたマンションだったので、入るのに少し緊張した。
「お邪魔します」
鍵を差し込み、部屋の中に入ったものの、返事はなく、電気は全て消えていた。
廊下を歩いていくと、左右に部屋が一つずつ。
さて、女性の部屋を勝手に覗いてもいいものか……。
思案してみた結果、鍵も渡された上に、本人に調査の依頼を受けているのだから、やるしかないでしょ。という考えに至ったので扉を開けることにした。
右手側の扉の向こうは寝室だった。
部屋の中にはベッドがあるだけ。そのベッドも枕も白で統一されていて、どこか病院の入院室を思い出す。
一部屋にベッド一つしかないので、その分だいぶ広く感じる。
特に探るような所もないので部屋を出て、今度は左にあった部屋へと進む。
「これは……」
天井から吊るされた、輪っかの作られたロープ。その真下には倒れている椅子。
まるで自殺現場を見ているようだった。
「死体がないのだけが幸いか」
周りも見てみるも、先程の寝室同様、ロープと明日以外は何も無い。
志崎詩音はミニマリストなのだろうか?
部屋を出て、突き当たりの扉を開けるとそこは広々としたリビングだった。
さすがにリビングには生活感が出ていて安心した。
リビングの横には部屋どうしが繋がるような形でパソコンが置かれた作業部屋のような場所を見つけた。
パソコンの横には写真立てと、髪ゴム、ストローの刺さったペットボトルなどを見つけた。
写真立てに飾られた写真は学校の窓際で撮った写真のようで、風がカーテンを揺らす風景が撮られていた。
しかし、そのアングルはカーテンや窓を主役として撮っている構図には見えず、まるで僕には見えない何かを撮っているように思えた。
その隣に置いてある髪ゴムは菜沙さんの言っていた、ラベンダー色の髪ゴム。
これを見て、志崎詩音は会わないなどと言っておきながら、なんだかんだ妹のことが好きだったんだなと胸がじんわりとした。
ペットボトルについても特に違和感はないようにおもえるが、呪いについてのこともある、もしかしたら志崎詩音は既に両腕が満足に使えず、わざわざストローをさしているのかもという考察もできる。
リビングの方へ戻り、テーブルの上を見ると、あるものが目に留まる。
机の上に置かれた一冊の冊子と、分厚い封筒と薄い封筒。
まずは分厚い封筒を開けると、中には一万円の札束が入っていた。
おそらく、五百万円ほど。
驚いたまま、薄い封筒を開けると、それは志崎詩音が書いたのだろう手紙――遺書が見つかった。
探偵さんへ。
私の勝手な行動に付き合わせてしまってすみません。
隣に置いてある封筒はもう見られましたか?
中には報酬金五百万円が入っています。
受け取ってください。
きっと、探偵さんは今、困惑していると思います。
まだ依頼されていた行方不明者を見つけられていないのに、と。
それは当然です。
もう彼は既に亡くなっていますから。
ですから、探偵さんがこの依頼を完璧終えることは不可能だったのです。
ですが、調査の終着点は決めていました。
それがここです。
横には、私の書いた一冊の小説が置かれていると思います。
その中に私と彼、『佐倉景』の全てが書かれています。
それを読めば全てが分かります。
読むか読まないかは、探偵さんにおまかせします。
今までの調査、本当にありがとうございました。
私たちを見つけ出してくれてありがとうございます。


以下、探偵さん以外の方へ宛てた遺言書とさせていただきます――

どうやら、僕の任務はこれで完了したらしい。
僕は薄い封筒と五百万円を手に取って、カバンに詰めた。
椅子に座り、その小説と向き直る。
これは、彼女、志崎詩音と、佐倉景にまつわる呪いと青春の話。
以下、小説の内容をそのまま添付したものです。
小説の内容について途中で言及したりすることはしません。
それ以上は、野暮ですから。
それだけ二人の物語は壮大で、恐怖で、甘酸っぱかった。
「ねぇ、君の名前はなんて言うの?」
教室の左角の席にいた男子生徒に声をかけた。
転校初日というのは多くの人から話しかけられるものであり、ここの時点で友達を如何に多く作って置くかというのが今後の学校生活、特に途中参戦した身として、とても重要になってくる。
向こうから話しかけてきた人とはある程度仲良くなった。
この時ばかりは特に使い道もない、なんなら変な人に絡まれることが増えるだけのこの容姿も役に立つ時があるんだなと思った。
『あんたは変だから。これを機にいい加減普通になりなさい。そのくだらないことを趣味なんて言うのはやめて』
引っ越しが決まってから散々聞いた母の声が脳の奥でこだまする。
大丈夫。今度は失敗しない。
後は彼と友達になればこのクラスの人は全員と知り合えたことになる。
初日の放課後でこれならかなりいいペースだろう。
私と入れ替わるようにこの学校を離れた子が居たようでその子のポジションにすっぽりとハマる感じに演じたのが功を奏したみたいだ。
みんなに愛されるキャラクターを演じるのは本当に面倒くさい。けど、仕方ない。割り切るしかない。
放課後、誰もいない席で私は彼の目の前の席の背もたれに前のめりにもたれ掛かるように座った。
ちょっと仕草がやんちゃかもしれないと思ったけど、今は彼しかいないし、少しくらい素を出したっていいと自分を甘やかした。
今までの猫かぶりでちょっと疲れてたし。
「……佐倉景っていいます」
「私は志崎詩音!よろしくね」
握手を求めるように彼の方へ左手を突き出すと、オレンジ色の夕日が差し込む窓から吹いた突風が私の髪と、彼の左腕の袖を揺らした。
その光景に私は息を飲んだ。
彼には左腕が無かったのだ。
やってしまった。配慮が足りなかった。
彼の左腕はは席と壁の狭い間に下ろされていて、ただ手を下ろしているだけだと思っていた。
その上、左利きの私は、無意識に左手で握手を求めてしまった……。
「僕とはあまり仲良くしない方がいいよ」
「えっ……」
私の配慮不足で気を使わせてしまったのだろうか?
申し訳ないことをした。
その事で私の頭はいっぱいいっぱいだった。
「ごめん、私の考え足らずで嫌な思いをさせちゃったよね……」
「あ、そのことはいいよ。慣れてるから」
彼は暗い性格なのだろうけど、私のためを思ってか、努めて明るい声音で言ってくれた。
「そっか。そう言ってくれると助かる。でも、今度からちゃんと配慮するね!だから、そんなことを言わずに私と仲良くしてくれると嬉しいなぁ」
明るく、柔らかい口調で言った。
男子にはこういう性格が好評だったし、多分これが正解なんだろうと勝手に結論付けた。
これで、きっと彼も首を縦に振ってくれて、私はようやく『普通』になれると思った。
「ごめんなさい。それはできません」
私の予想は裏切られることとなった。
「なんで?」
どこで間違えてしまったのだろうか。もしかして、許すとは言ってくれたけど実は酷く傷つけてしまっていたのだろうか。
神経質な問題というのは、他人からの無意識な言動が一番心にくるという話をどこかで聞いた覚えもある。
それ故、周りの人にはその人に対しての配慮が必要だという話も。
もし、私が彼を傷つけてしまっていたら、私は『転校初日からクラスメイトの地雷を踏み抜いてしまった人』になり、学校生活が終わってしまう。
……お母さん達が求めるような『普通』の高校生ではなくなってしまうかもしれない。
彼は昼休みの間や移動教室の間も一人のように見えたけど、同じクラスではなくても他クラスに知り合いが入れば、その噂はいずれ、部活で広まり、学年で広まり、果てには学校全体の噂になる。
しかも、十中八九尾鰭つきの。
それだけは避けなくちゃいけない。
「私のさっきの行動が気に触ったなら本当にごめんなさい。私、君と仲良くなりたいの」
そういうと彼は少し困った顔をして、目が隠れそうな勢いの重そうな長い前髪を触った。
「さっきのには本当になんとも思ってないんだ。誤解させてたならごめんなさい。仲良くできない理由は他にあって……」
良かった。
ひとまず、彼を傷つけた訳でもなさそうで無事学校全体から『非道な女』扱いされることだけは避けられそうだ。
しかし――
「他の理由って?」
なら、なんで駄目なんだろう。
頑なに拒み続ける理由がよく分からない。
この学校に来るまで人とのコミュニケーションなんてどうでもいいと思っていた私が思うに、こういう場合はその場は適当に「はいはい」と言っておいて、実際はいつも通り過ごす。というのが一番効率がいい。
きっと彼も分かっているはずだ。今日一日ずっと一人だったし。
そういう意味では、私は彼と近い存在なのかもしれない。
だからこそ、その理由が分からなかった。知りたくなった。
「……はぁ」
彼は折れずに自分の目を見つめ続けている私を見て、ようやく重い口を開いた。
「どうしても知りたいの?」
「うん。どうしても知りたい」
彼は表情は何かに揺らいでいるように見えた。
「……誰にも言わない?」
「言わない。約束する」
しばらくの沈黙が続いた。
彼は何かを言おうとしてはパクパクと口だけを動かし、葛藤している様子だった。
「私は、君を絶対に否定しない。だから、私を信じて」
その一言に彼はたった一言だけ「そっか」と小さく漏らして、私のに改めて向き直って言った。
「――呪われちゃうから」
私はその一言を聞いて椅子から飛び上がった。
彼は私の驚きように驚き、「ごめん、変なこと言ったよね。忘れて」と言ったが、それを無視して私は彼の肩をがっしりと両手で掴んだ。
「どんな呪い?!」
「え?」
状況が掴めずにキョトン顔の彼に私は告げた。
「私ね、オカルトマニアなの!」
お母さんから、『変な子』、『普通じゃない』、『黙ってさせえいれば』なんて嫌味を言われ続け、冷遇されてきたけど、私は心霊が大好きだった。
科学で証明できない、誰にも予想のつかないその現象は私が幼い頃からずっと私の興味を引き続けた。
それか、私には霊感というものが無かったから、一種の無いものねだりだったのかもしれない。
私が体験した事の無いことを知るのが面白かった。好きだった。
結局、それを異端とされてしまったわけだけれど。
「ねぇ、それでどんな呪いなの?」
さらに彼に迫る私を見て彼はフッと吹き出した。
「最終的に死んじゃう呪い。しかも、移るやつ」
無邪気な顔をしていう言葉じゃないのに、私の心はさらに踊った。
この時初めて私はお母さんが私を異端だと言っていた意味が自分でもわかった気がした。
後になって思うけど、もしかしたらお母さんは私のオカルト趣味のことを異端とだと批難したのではなく、私のその狂気じみた熱狂にそれを見出し、恐れていたのでは無いかと、少しだけ思う。
呪われると死ぬ、しかも、移る。
すなわち、彼といると私は命を危機に晒すことになるということ。
なのに、私は興奮していた。
私が画面越しでしか、話でしか、紙面でしか、聞いてこなかったことがいま目の前にあると思うとさらに感情が爆発してしまいそうだった。
「ねぇ、その呪い。解いてみない。私たち二人で」
「えっ?」
「それがいいよ!私と一緒に生きてよ!」
「でも、迷惑をかけるだろうし、呪いのことだって……」
「気にしない!むしろウェルカム!」
彼の顔にグイッと近づいて、改めて心から思う。
「私と一緒に居てくれますか?」
「――はい」
やはり、私はあまりにも異端だった。
自分の興味のために、命すら捧げることができる。
きっと生粋の異端であり、きっと普通の人間にはなれなかったんだ。
そして、彼がこの時に、私の提案に了承したのも、多分彼は限界だったからだと思う。
彼は呪いに掛かっていたとしても、普通の少年であったから。
人を拒絶し続け、一人であり続けることが彼にとって耐え難い苦痛だった。
そんな中、私が現れてしまった。
呪いの存在を知ってなお、一緒に居たいと言ってくれる。呪いを一緒に解こうと言ってくれる人が現れた。
これからはもう、一人ではない。
その誘惑に彼は抗えなかったのだろう。
「これからよろしくね!」
「うん」
今度は右手を出して、彼と握手を交わした。
これが私たち二人の物語の始まりで、歪で、だけど、世界一純粋な愛の話の始まりだった。
「それで、結局呪いっていうのはどういうやつなのか、改めて整理してみない?」
翌日の放課後、彼にそう言った。
昨日と同じように教室の中にはもう私と佐倉君以外の人はいない。
みんな早々に部活へ行くか、家へ帰った。
この学校は『秘境』と呼ばれるだけあって、山の上にあり、暗くなると坂道を下るのは面倒で学校にいるメリットもない。
学校で勉強する人は自習室を使うし。
「いいけど、ここでするの?」
「いいじゃん。早く知りたいし」
「まぁ、いいけど。でもさ、僕何をどう話せばいいか分からないよ?」
「え、なんで?自分のことじゃん」
「今までまともに人と話してこなかったから」
「あ、そっか」
人に呪いが移る以上、あまり人と交流するべきでは無いのか。
そもそも、それを理由に私も最初は仲良くしない方がいいと言われたわけだし。
なんだかその理由を聞くと、悲しくなってくる。
きっと今までずっと一人だったんだろうなぁ。
「じゃあ、私から質問していくからそれに答えていってよ。それならできるでしょ?」
「分かった……でも、志崎さんノートなんて広げてどうしたの?メモ取るの?」
「そうだよ?だって記録しとかないと後で見返せないし。何か問題があったりするの?呪いについて言及したらそれにも呪いが宿るとか?もしかしてこのノートが呪物になったりしちゃう?!」
「いや、なりはしないと思うよ。あって、痛々しい厨二病の設定ノート」
「それは大変だね」
「君のノートなんだけどね」
そんな馬鹿らしいやり取りに彼はクスッと笑った。
「ただ、そんな真剣に話を聞かれたことがないからなんだかおかしくて、緊張しちゃうだけ」
「なら、これから慣れていけばいいよ」
「え?志崎さんこれからもなんか書いていくつもりなの?」
不思議がる彼に私はさらに不思議そうな顔をして答えた。
「だって呪いを解くんでしょ?なら、これから分かること、いっぱい書くことになるじゃん」
その言葉に彼は驚いた様子を見せ、その後、安心したように息を吐いた。
「そっか。そうだよね」
多分、呪いを解くって私の言葉を本気にしてなかったんだと思う。
でも、今それが本気の言葉だったと納得したようだ。
「それと、私のこと、苗字じゃなくて名前でいいよ。詩音って呼んで」
「分かった。なら、僕のことも景でいいよ」
二人で顔を見合わせて少し笑った後、私は再びペンを持ち、ノートへ目線を下ろした。
「じゃあ景、呪いについて質問していくね」
「分かった」
「そもそも景のかかっている呪いってどういうものなの?」
「う〜ん、ずっと昔からあるものらしいから、詳しく話すとこんがらがるんだけど」と少し唸り声混じりの前置きをすると要点を掻い摘んで話し始めた。
「簡単に言うと、この呪いにかかった人は『世界から消されちゃうんだ』」
「というと?」
「まず、被呪者の四肢が時間の経過とともに少しずつ無くなっていく」
「景の左腕は呪いの影響ってこと?」
「そうだね。詩音が転校してくる数週間前くらいに無くなったんだ」
「え?でも、他のみんなは景の腕が片方のないのは昔からだって言ってたような気がするんだけど……」
確かに私はクラスメイトに景について聞いた時、そう言っていたのを聞いた。
「それがこの呪いの一番の問題点なんだ」
「どういうこと?」
首を傾げる私に彼は話してくれた。
「最後に見た被呪者の姿が、その人の今までの被呪者についての記憶を上書きするんだ」
さらに頭が?が浮かぶ私を見かねてか、景は左腕を前に突き出して、子供に諭すように言った。
「今、僕はみんなからしたら『佐倉景は左腕がない』っていう認識だろ?でも、僕はきっとこの先、右腕や足も失う。例えば右腕が無くなった時、その右腕と左腕を失った僕を見た人の記憶にある『佐倉景は左腕がない』っていう記憶は『佐倉景は左腕と右腕がない』っていう記憶に上書きされる」
「……というと?」
「つまり、僕が明日両腕がない状態になっても、その姿の僕を見た人はその僕の姿を前々からの姿だと誤認するようになってるってこと」
「なるほど」
ここまで簡単にしてもらってやっと理解出来た。
景は上書きと表現したけど、つまりは『塗り替え』。
今までの景のイメージを、最後に見た姿に過去の記憶を改竄し、統一してしまう。
「ってことは、記憶に矛盾が生じない?例えば、今日、景は授業でノートを取ってたけど、景の両腕が無くなるとみんなの中では景は『両腕がない人』のイメージになるんでしょ?でも、実際には景が腕を使って取ったノートが存在することになってちゃう」
「さぁ……どうなんるんだろう?残るとしたらノートを見た人はプチパニックだろうね。それこそ、呪物扱いだ」
彼は想像したのか、クスッと笑った。
その顔を見ると、やっぱり呪いに掛かっているだけで、中身は平凡な男の子なんだなとつくづく思う。
そんな景に私は身を乗り出してある提案をした。
「なら、改めて試してみようよ」
「え?」
「もし、字が残ることが分かったら、もしかしたら景のお父さんが何か残してくれている可能性が出てくるし」
「確かに……」
景のお父さんが日記でもつけていてくれれば、まだ不透明なこれからの景の状況やもしかしたら解呪の方法についても手がかりが見つかるかもしれない。
「でもどうやって?」
「景が手書きの何かを作ってみて、それが景が右腕が無くなった後も残っているか検証しよう。もちろん、右腕が無くなる前に呪いを解くのが一番だけどね」
「でも、何書くの?」
「せっかくだから、残った後にそれこそ呪物みたいな扱いになるものを作る方が面白いと思わない?」
「そんなうきうきな顔で言われても」
「思わないの?だって、自分が作ったものが後世まで大事に保管されて、噂がいつまでも語り継がれるんだよ?」
「大事に保管って言っても寺とかででしょ」
「興味無い?」
「……はぁ、分かった。やるよ、何すればいい?」
「話がわかるね」
こういうグイグイ来る人が苦手なのかな?こういう意見の押し合いになれば大抵折れてくれるな。
「なら、小説か絵はどう?呪いの本とか、呪いの絵とか良くない?!」
「その二つなら……小説かな」
「絵じゃなくていいの?」
「絵はド下手だから。もしかしたら呪い認定される前に子供の落書きとして処分されちゃう可能性すらある」
「それは……確かに困る」
「小説、どんなの書けばいい?」
「なんでもいいよ!景の好きなように書いて!」
「なんて投げやりな……」
「私、一応文芸部入ったから、分からないところあったら教えてあげるよ?」
「そうなんだ。じゃあ、その時はお願いしようかな」
「了解!」
少し和やかな空気が流れ、話は続いていく。
「話を戻すね。四肢が無くなった後は、僕の『名前』がこの世から消える」
「名前?どういうこと?」
「みんな、僕の名前を忘れるんだ」
「それも、さっきみたいな記憶の上書きってこと?」
「これはどちらかと言うと、消去が正しいかな。みんなの記憶から僕の名前が抜け落ちる。そして、僕の名前をどこかで見つけたとしてもそれを僕と認識できなくなる」
「景の名前が思い出せなくなるってことね」
「端的に言えばそうだね」
「なるほど……。認識できないっていうのは?」
「例えば――」
景は教卓の方へ行き、出席名簿を取り出して『一年二組 佐倉景』と書かれた部分を指さした。
「これを見ても、誰もそれが僕の名前だと認識できなくなるんだ」
「普通に分かりそうだけど?」
「なんて言えばいいだろうな……。字面を見て、文字の配列は読み取れるし、『さくらけい』と口に出して読むことはできるんだけど、それを僕と紐付けて考えることができなくなる。って言えばわかる?」
「なんとなく」
「なら良かった」
さっきから理解するのでいっぱいいっぱいだ。
景の例え話が上手いおかけで何とか理解が追いついている感じ。
それと同時に、私がずっと追い求めていたものが身の前にあるという事実に今までにないほど心が踊っているのを感じていた。
「景、教師とか向いてるよ」
教卓から角席に帰ってくる景に私が言うと景は困ったように笑った。
「なれる歳まで生きられたら良かったんだけど」
でも、そっか。その呪いのせいで景は死んじゃうんだ。
それだけが、私は悲しかった。
今まで会った人達の中で唯一、私の趣味を否定しなかった人だったから。
転校前は散々、キモイとか、変とか、異常者とか言われていたから、それが本当に嬉しかった。
「それで、名前が消えたらどうなるの?」
「いよいよ、後はこの世界から消えるだけ。僕の左腕が無くなったみたいに、いつの間にかシュッと消えてるよ。そして、残るのはみんなの中にある朧気な記憶だけ」
景は笑ったけど、その笑いは今までのとは近い、酷く乾いていて、自虐的だった。
きっとそういう笑みを浮かべていないと、口に出すのが耐えられないのだ。
私はそれをノートにメモしていく。
すると、そこである違和感が私を襲った。
「今の話だと、被呪者はみんな最終的には死んじゃうんでしょ?なら、なんで景はそんなに呪いに詳しいの?」
オカルト系の話や漫画ではよくある話だ。
本当にやばい場所や物についての伝承や噂は少ない。
なぜなら、それに関わった人はみんな死んでしまい、噂なんて残らないから。
景の呪いは掛かった人は皆死んでしまうし、更には周りの人の記憶も改竄してしまう。
なら、どうして景はそんなに呪いについて詳しく知っているのだろうか。
「僕の父さんがそうだったから」
「そう……ってことは呪いにかかってたってこと?」
「うん」
「なるほど、ってことは景の呪いって――」
「そう。父さんから移ったんだ」
人へ伝播する呪い。ってことは景のお父さんはもう……。
そう考えると少し暗い気持ちになる。
「お父さんについての記憶はもう曖昧で、名前も顔も思い出せないけど、呪いについて教えてくれたことは覚えてる。それと、『ごめん』って何度も言われたことも」
「そっか……」
教室に静かな空気が流れた。
山の中、夏の夕方の風は冷たく、私たちの頬を撫でる。
「『ごめん』ってことは景のお父さんは景に呪いが移るのが分かってたのかな?」
「どうだろ?今思うと、その節は確かにあったかも。というか、そもそも父さん自身も誰かに移されたわけだし」
「確かに……そういえば、そもそも呪いってどうやったら移るの?」
「分からない」
「分からないかぁ〜」
ノートの上にグデッと身体を倒れ込ます。
それが分からないと、不用意に景を連れ回すことができなくなる。
さすがに無関係の人を巻き込むことはできないし。
「血縁とかは?一族を代々呪うとかさ」
実際に景は自分の実の父から呪いを移されたわけだし。
「完全には否定はできないけど、おそらく違うんじゃないかなって思ってる」
「なんで?」
不思議がっていると景は少し話すのを躊躇った。
「重い話になっちゃうんだけど……」
「死んでしまう呪いにかかっている以上の重い話って何?」
「確かに……」
そう言うと景は緊張の糸が解れたような様子で話してくれた。
「僕とお父さんは血が繋がってないんだ」
「……確かに重い話だ」
しかも、呪いとは別ベクトルの。
「雪の振っていた日に捨てられた赤ん坊の僕を父さんが拾ったらしい」
「優しいお父さんだったんだね」
「うん。だから、雪を見るといつも赤ちゃんの僕を抱えたあの日を思い出すんだって言ってた」
優しそうな顔をする景を下から見上げて、血は繋がってないけど二人の愛は本物なんだと心から感じて、羨ましかった。
私は家では、異物扱いだし。
「でも呪いを移さないために『人と話すな』、『極力一人で居ろ』って言われた」
「お父さんに?」
「それもそうなんだけど、昔、お父さんに連れられて行った寺のお坊さんに」
「お坊さんに?」
心霊話にはお坊さんや寺が付き物で、話の中では大体のことはお坊さんが解決してくれるイメージがある。
それと同じくらい匙を投げるイメージもあるが。
「なら明日そのお寺に行ってみようよ」
「え?」
「場所分かるんでしょ?そのお坊さんは何か知ってるっぽいし。景にはもう時間が無いんだから、思い立ったが吉日ってやつでしょ」
「確かに場所は分かるけど……。分かった。明日は休日だし行ってみようか」
「なら、今日はもう解散で!」
ノートを片付け始める私を見て景は驚いていた。
「行動に移すのが早くない?」
「明日の準備しないとだし」
「なんか準備することあるの?」
「お寺に行く前にそこの下調べとか、景の呪いの詳細も知れたから似たようなものを調べたりしようかなって」
「……少しでも『女の子には色々あるんだよ』とかって言われることを期待した自分が恥ずかしいよ」
「景……恋愛漫画の読みすぎなんじゃない?」
「うるさい、オカルトマニア」
ワイワイと言い合いを続けている間に帰り支度が終わり、二人で階段を降りる。
コツコツと二人の足音だけが静かな階段に響く。
「詩音、ありがとう」
「何、急に」
「……今までずっと一人だったから、嬉しいんだ。呪いについても諦めてたし」
実際に父が呪いで亡くなっている景からしたら、呪いはもう逃れられないものという固定観念があってもおかしくない。
それを破ったのが私だったって話だ。
「別にいいよ。私も興味あったし」
「それに……」
景は少し恥ずかしそうにそっぽを向いて言った。
「放課後に駄弁るとか、休日に友達に会うとか、こういう青春みたいなの、ずっと憧れてたから……」
耳を真っ赤にして言う景に思わずフッと吹き出した。
「景、やっぱり恋愛漫画の読みすぎなんじゃない?」
「うるさい!……やっぱり言わなきゃ良かった」
「なんで?私は嬉しかったよ。だって、今までオカルトの話を人とできたことがなかったから」
「……そう」
景はまだやっぱり恥ずかしそうに向こう側を向いていた。
「私たち、もう『友達』だもんね」
その言葉が景の言った言葉からの引用だと気づいて「詩音!!」と言った時、真っ赤な顔の彼はやっとこちらを向いた。
学校の声の響く階段には、私たちの声だけが響いていた。
「……ちゃっかりお洒落してきてるじゃん」
「これは……友達と遊びに行くって言ったら血眼になったお母さんが服を見繕ってくれたというかなんというか」
寺に調査に行く当日、寺は景の家から少し歩いたところにあるそうで、私たちは一旦、景の家の最寄り駅に集合することになった。
「……似合ってない?」
白のシャツにカーキ色のスカートを自分でも見て、少し恥ずかしく思う。
お母さんに「明日友達と出かけてくるから」と言うと私がやっと同級生の友達を作って上手くやれるチャンスだと思ったお母さんが服やら、メイクやら何から何まで口出ししてきて、それを全て受け入れたらいつの間にか清楚な美少女の完成となってしまった。
実際、中身はとんでもないオカルトマニアな訳だが。
この時ばかりはいつも私に無関心な妹も乗り気で、紫色の髪ゴムを貸してくれた。
まだ妹はまだ小学六年生で、これは「少し子供っぽいんじゃない」というと妹はそれを頑なに否定し、「ラベンダー色の綺麗な色でしょ?」と言い、私は妹の善意を無駄にはできず、いつもは下ろしている髪もそれでひとつにまとめている。
「いや、びっくりしただけ。似合ってるよ」
「……耳、真っ赤ですけど」
「……夏のせいです」
「そういう事にしといてあげる」
景はというと白のTシャツに黒のズボンとシンプルな服装だった。
「景は義手とかつけないの?片腕って不便じゃない?」
「父さんも試していたけど、義手をつけると呪いのせいで義手が消えるからつけられないみたい。多分、義手も四肢の一部って判定なんだろうね」
「最悪だね」
「不便で仕方がないよ」
二人で話しながら私は景に導かれるがまま道を進み、歩き始めて十五分程したところで例の寺が見えた。
「あそこだよね?」
「そう。あのお寺が僕と父さんが子供の頃に来た場所だよ」
入口を見つけ、そこ目指して二人で歩き始めた時にふと思う。
「でも、その時に出会ったお坊さんをどうやって見つけるの?」
景の呪いについての説明が本当なら、お坊さんはもう景のお父さんの名前を覚えていないから、対応してくれたお坊さんをどうやって呼ぶのだろうかと疑問に思った。
「それは……ついてから考えよう。呪いの話を住職達の間で共有もらえたら後は後日僕が連絡を貰うとかでもいいし」
そう言いながら寺の門を越えようとした時だった。
「痛っ!」
景が左手腕を押さえながら、後ろに飛び退いた。
「大丈夫?!」
すぐに駆け寄り、景の痛がる部分を見たが、出血や異常は確認できない。
門の方に何かあるのかと思い、私も恐る恐る門に右足を突っ込んだが、特になんともなく、一気にその門をくぐり抜けるがやはり痛みは感じない。
「おーい、景。私の方は大丈夫みたい」
そう門の向こうで左腕を抑える景に向かって両腕で大きく手を振ろうとした時。
(あれ?)
左腕しか、上がらなかった。
「詩音は大丈夫なんだ」
景は私が元々、両手をあげるつもりだったとは知らずに、手を振り返してくる。
「君たちは……。もしかして佐倉景君かい?!」
お寺の建物の方から出てきた住職は私たちを交互に見た後に、景の腕を見て驚いてた。
「なにが起こったかと見てみれば、君が来ていたならば納得だ」
お坊さんは私の方を見て軽く礼をして、私たちに「ついておいで」と言い、本堂の方を歩いていった。
「景くんも、もうそこを超えても大丈夫だから」
そう言われて、恐る恐る門を超えた景だが、お坊さんの言う通り今度は景に異変は起きなかった。
その後、お坊さんについて行った私たちは本堂の奥の建物の中の和室に通された。
「びっくりしただろう。寺の中に入ったせいで、呪いが弾かれただけさ。しばらくすればいつも通りになるはずだよ」
「なるほど……ありがとうございます」
私の方はと言うと、もう右手も違和感なく動かすことができて、あの一瞬が嘘のようだった。
あれは、実は景と同じように私にも何かが憑いていたからなのだろうか?
「景、あの人がそう?」
コソコソとお茶を入れるお坊さんに聞こえないように言う。
「うん。口振りからして多分ね。あの日、父さんと一緒に会った人だと思う」
「なら、探す手間が省けたね」
お坊さんは私たちに湯呑みに入ったお茶を足すと私たちの前に座った。
「景君と会うのはもう十年ぶりくらいですね」
「はい。お久しぶりです」
「そちらの方は?」
「志崎詩音と言います。景とは……友達です」
そう言うと景は少し恥ずかしそうにしていた。
「そうですか。申し遅れました、私は庭瀬宗徳と申します。それで今日はどうしましたか?」
白々しいと思った。
何があったか分からないままなら、真っ先にこんな所へは案内しないだろう。
部屋の四隅には塩が盛られ、部屋には何枚も札が貼られているのが見える。
「実は、僕の身にかかっている呪いを解こうと思いまして」
景はそう説明すると庭瀬さんは景の左腕を一瞥した。
「……残念ですが、我々ではその呪いを完全に解くことはできません。景君のお父様の時と同様に」
「どうしてっ……」
「その呪いは強すぎるのです。もはや、人の手で対処するのはほとんど不可能になっています」
「そんな……」
景は俯いてしまった。
「何とかなりませんか?」
私がそう言うと、庭瀬さんは少し考えてから「気休め程度ですが、呪いの巡りが遅くなるように努力してみましょう。ですが、あくまで対処療法ですよ」と言い、別のお坊さんを呼ぶと、景はその人に連れられて別室へ言ってしまった。
「……志崎さんにはお伝えしなければならないことがあるため、残っていただきました」
部屋に庭瀬さんと私が二人きりになると、庭瀬さんがさっきまで景に向けていた優しい顔とは打って変わって怖いほど真剣な顔になった。
「景君の呪いについてどの程度知っていますか?」
「四肢が消え、名前が消え、最後に存在が消える呪い。それと、被呪者に対する他者の記憶が上書き、または消去されていくもの」
「そうですね。よくご存知で」
「景から聞いたので」
残念ながら、昨日調べてみたが景の呪いと似ている話は存在していたなかった。
被呪者が全員死んでいる上に、関わった人の記憶も改竄されるようじゃ、噂も残りづらいようだ。
「あなたは今すぐ彼から離れた方がいい。あの呪いは――」
「移るんですよね?」
私が間髪入れずにそう言うと、庭瀬さんは驚いた顔をした。
「覚悟の上ですよ」
「そうですか……歪な愛か、はたまた真実の――」
「あ、私たち、そういう関係じゃないので」
「……そうですか」
庭瀬さんはなんとも言えない顔をしていた。
尚更、では何故ですか?と聞かれなかっただけ助かったと思おう。
理由を言ってもどうせ理解されないし。
「その移るってやつなんですけど、一体どういう条件で移るんですか?」
庭瀬さんは話すのを少し渋り、部屋の中の札や塩を確認するような素振りを見せた後、やっと口を開いた。
「被呪者が強い思いを抱いた相手です」
「強い思い?」
「はい。愛情、友情、嫌悪。被呪者からの大きな感情を向けられることで被呪者の死後、呪いがその人に移ります」
「なるほど」
景のお父さんやかつての庭瀬さんが景に人と話すな、近づくなと言っていた理由が分かった。
人と仲良くなれば仲良くなるほど、その人に呪いを移してしまうからだ。
「だから、景を別室に移したんですね」
「……察しの良い方ですね」
庭瀬さんは既に景と面識があり、もし、彼の中に感謝でもなんでもいい、強い感情を抱かれてしまったら庭瀬さんが次の呪いの継承者になってしまう可能性があった。
「すみません。あなた達は立ち向かっているというのに、立派な大人の私がこうも保身的で」
「大丈夫です。というか、それがきっと普通です」
空気を変えるようにお茶に口をつけると庭瀬さんはお茶菓子の和菓子も勧めてきたのでありがたく受け取る。
「呪いって複数人に移るんですか?」
「さぁ、分からないとしか。ですが、景君のお父さんの前も、その前も一人しか受け継がれてないそうですよ。それが彼らの努力による賜物なのか、呪いの仕様なのかは分かりませんが」
「努力して一人に収めるくらいなら、完全に人との関わりを絶って、呪いを消滅させるとかしなかったんですか?」
「……景君のお父様はそうしようとしていました」
お菓子を食べていた私の手が止まる。
「彼は一族は代々呪いを継いできた。ですが、彼は呪いを自分の代で終わらせようと考え、人との関わりを避けて生きてきた……はずでした」
「でも失敗した」
「そうです。それは景君の存在でした」
庭瀬さんは思い出すように語り始めた。
「彼は景君がここから少し離れた河川敷の人目につかないところで発見したそうです。ですが、その日は雪が降るほど寒く、幼い景君は死にかけだった」
「ひどい……そんな捨て猫みたいな……」
「ですが、実際に起こってしまったことなので。大方、誰が生まれたばかりの子供を秘密裏に殺そうとしていたのでしょう」
「それを助けたのが、景のお父さん?」
「そうです。彼は一人で生きていくと決めていましたが、景君の命を見捨てることができなかった。彼を拾い、私たちの元へ駆け込みました。それから救急車を呼び、必死に温め、無事に景君は命は助かりました。
その時に私と景君のお父様は知り合い、呪いの症状などを解明したのもこれがきっかけです。その後、引き取り手が見つかるまで景君を育てると言い出し、引き取りましたが、結局彼は景君を自分の息子にしました」
「なんで……」
「簡単に言ってしまえば、情が移ってしまったのですよ。自分と同じ、ずっと一人だった景君に。きっと寂しかったのでしょう。一人で居続けることは人間には酷なことです。そんな中、景君という光が差し込んでしまった。彼はいけないと思いながら、それに縋ってしまったというわけです。……呪いがなくならないのも、きっとそういうことなんでしょうね」
何となく、気持ちがわかる気がした。
孤独は死ぬより辛く。一人は呪いよりも怖い。
私と景が仲良くなってしまったように、きっとそれは避けられないのだ。
「呪いの解呪方法については何も分からないんですか?」
「分かりません。ですが、心当たりはあります。以前、呪物として『両腕のない人が書いた絵画』を預かったことがあります。心当たりがありませんか?」
「……景と同じ呪いにかかった人の絵ってことですか」
「そうです。呪いで存在が消えても、その人が作り出したものは消えない。呪いは佐倉家の中だけで留めていたようなので、もしかしたら景君の家に、それについての文献が残っているかもしれません」
昨日景と話し、疑問になっていたことだ。
景にその実験として小説を書いてもらうつもりだったのに、あっさりとその答えが分かってしまった。
「お茶を飲み終わったら景君を迎えに行こうか」
そう言って、立ち上がって部屋を出ていった庭瀬さんの背にある塩は黒ずんだドロドロの物体に変わり、札の下の方は何かに焼かれたようにパラパラと崩れ落ちていた。
「念の為言っておきますが、あなたはまだ引き返せる。……この札は寺で一番強力なものでした。住職が数年かけて作るような本物の札です。寺にあるその全ての札がこうなってしまうほど、あれは強力なのですよ」
そう言われた私は、彼の目を見て逸らさずに言った。
「それでも私は、景と一緒に居たい」
それが呪いのそばに居たいからなのか、景のそばに居たいからなのか。私は庭瀬さんの後ろをついて行く間、ずっと考えていた。



「ありがとうございました」
「いえ、気をつけて帰ってくださいね」
私たちが寺を後にした頃にはもう六時が過ぎた頃だった。
「景の方は大丈夫だった?」
「うん。何人かのお坊さんに囲まれてお経を読んでもらった。……効果はいまいちよく分からないけど。詩音の方は?」
「色々話が聞けたよ」
「どんな?」
「景の家に解呪についての文献が残ってるかもって。呪いにかかって存在が消えた人でも、その人が書いたものや作ったものは残るらしい」
「え、なら僕が小説書く必要なくなったじゃん」
「えぇー、書こうよ」
「必要ないのに?」
「私が単純に読みたいし。あと、やっぱり呪物扱いして貰えるらしいよ」
「そっちが本音でしょ。……分かったよ。書きますよ」
「景君やさしいー!」
あんまりからかっていると景からデコピンを喰らった。
「じゃあ、帰ったら僕の家を捜索してみるよ。うちの家古いし、無駄に大きいから探すのに時間がかかりそうだな……」
「私も行く!」
そう言うと景はびっくりしたような顔をした。
「いやいや、今から来たら終電無くなるよ?ここ田舎なんだから」
「景の家泊まったら駄目?今景の家って景一人で住んでるんでしょ?」
すると、景はひどい顔をしながら私を見て「このオカルトマニアが」と呟いた。
「駄目です。家に帰ってください」
「え、なんで?!服とかはこれ着たままでいいからさ」
「そういう問題じゃないの!今日は帰る!明日また来ればいいから!」
「えぇー」
「分かった?!」
「分かりましたぁ」
そう言って、明日の約束を取り付けると私は電車に乗って帰路についた。
帰りの電車の中で、一人で思った。
一人で居続けることって私にはできるかな、と。