街はイルミネーションの明かりで彩られ、恋人たちは手を繋いで通りを歩き、子供たちは今晩枕元に置かれるプレゼントに胸を躍らせる、十二月二十四日――クリスマスイブ。
その聖なる日が、子供の頃の(りん)は大嫌いだった。

「みんなー! できたよ~。さあ、食べよう!」
 伊吹(いぶき)の従者である猫又の国茂(くにしげ)が、ちゃぶ台の上に所狭しと並べられたクリスマス料理を前に、伊吹と凛、伊吹の弟の鞍馬(くらま)に声をかける。
 今夜は、凛が伊吹の伴侶となってから初めてのクリスマスイブだった。
「凛ちゃんはクリスマスのチキンもケーキも食べたことが無いって? よし、それじゃ腕によりをかけて作るよ!」と言っていた国茂は、七面鳥の丸焼き、クリスマスケーキを始め、たくさんの料理をこしらえてくれた。
「わー! おいしそうだね~」
「そうだな。こんなに豪勢なクリスマスは初めてかもしれない」
 料理を目にした鞍馬と伊吹が、感心したように言う。
「本当ですね……! 四人で食べきれるかな」
 わくわくするような馳走を前に、凛も声を弾ませた。
 こんなに温かで楽しいクリスマスイブは生まれて初めてだった。もちろん嬉しい気持ちにはなったが、どうしても昔の記憶が消えず、なんだか物寂しさも感じた。
 鬼の伊吹に妻として迎えられる前。両親と妹に虐げられていた凛は、クリスマスイブの日も当然こき使われた。
 朝からクリスマス料理の準備をさせられた挙句、両親の機嫌が悪い年には外に放り出された。
 かじかむような寒さの中聞こえてくるのは、楽しそうにクリスマスパーティーをする自宅や近所の家の音。
 家の外の通りには、親と手を繋いで「サンタさんからのプレゼント楽しみ!」と微笑む子供の姿が見えた。
 サンタクロースは良い子のところにしかプレゼントを持ってこないと、絵本に書いてあった。
だけど、凛の元に彼が訪れたことは一度もなかったのだ。
――きっと私が悪い子だから。あやかしが取り憑いていて赤い目なんてしているから。だから、サンタさんは来てくれないんだ。
寒空の中、体を震わせながら凛はそう思って涙した。
夜に外に放置されるのはクリスマスイブに限ったことではなかったが、皆が皆楽しそうな表情を浮かべているこの日は、余計に惨めに感じた。
だから大嫌いだったのだ。クリスマスイブなんて。
「凛、どうした? 食が進んでいないようだが」
 昔のことを思い出してぼんやりしていたら、伊吹が心配そうな面持ちで話しかけてきたので、凛はハッとする。
「あ……いえ。大丈夫です。どれもとってもおいしいですね!」
 そう答えて、切り分けられた七面鳥の一切れを凛は頬張る。
 本当に、国茂の料理はとても美味だ。
すぐ側にはみんなで飾り付けたクリスマスツリーが輝いているし、イベントごとが大好きな鞍馬はサンタの帽子まで被っている。
 まさに、子供の頃思い描いていたような理想のクリスマスイブだった。
「そうか? それならいいが……。少し元気がないように見えてな」
「いいえ、そんなことないです。……実はこういう風にちゃんとしたクリスマスパーティーをしたことが無くて、ちょっと感慨深い気持ちになっていたんですよ」
「えっ!? 凛ちゃん、そうなの? じゃあもっとパーッとやんないと!」
 そう言った鞍馬は、用意していたらしいクラッカーを手に取ると紐を引いた。パン!という大きな音が鳴り、中から色とりどりのテープや紙吹雪が飛び散る。
 しかしそれらがクリスマスケーキの上にぶちまけられてしまった。
「あっ、ごめん」
 鞍馬が申し訳なさそうに言うと、伊吹は呆れた顔をした。
「鞍馬……お前はもうちょっと落ち着け。国茂が作ってくれたケーキが台無しじゃないか……」
「ごめんて! だって凛ちゃんが初めてだって言うから、もっとパーティー感出したくってさ……」
「だからっていきなりクラッカーは凛も驚くだろ」
「い、いえ私は別に……。鞍馬くん、ありがとう」
 ふたりにフォローを入れるように慌てて言う凛。すると。
「まーまー! クラッカーの中身を取ればケーキは大丈夫だからさ! 味は変わらないからね」
 細かいことを気にしない国茂も、明るい声でとりなしてくれた。
「まあ国茂がそう言うのなら……。ではそろそろケーキを食べるとするか」
「やったー!」
 機嫌を直した伊吹がそう提案すると、鞍馬は両手を上げて喜ぶ。
 そんなふたりの姿に、凛は朗らかな気持ちになった。
 大好きな人たちと一緒の、とても幸福で楽しいクリスマスパーティー。だがどうしても、あの頃の小さくて不憫な自分の姿が、凛の頭からは消えてくれない。
 できることなら、あの日震えながら泣いていた幼い自分を、この場に連れてきてあげたい。好きなだけ食べていいよと微笑みかけて、欲しい物をいくつでもプレゼントしてあげたい。
 そんな考えに至ってしまうほど、かつてのクリスマスイブに凛が負った心の傷は、深いものだったのだ。

 ――寒い、寒いよ。お家の中に入りたい……。誰か助けて。
 いくらそう願っても、誰も助けになんて来てくれない。そんなことは分かり切っているのに、辛すぎてそう願わずにはいられない。
 家の中からは、自分以外の家族が楽しそうに話す声が聞こえてくる。どこからかクリスマスソングも流れてくる。
 世界中の子供たちが楽しく過ごす夜に、凛は空腹で震えることしか許されていなかった。
 ――サンタさんは今年も来てくれない。私が悪い子だからだ。……私は生まれつき呪われているから。
 絶望し、膝を抱えて突っ伏す凛。早くこんな夜終わればいいと、唇を噛みしめた。
 すると、その時だった。
「凛、顔を上げて」
 穏やかで優しい男性の声が響いた。
 ――もしかして、サンタさんが来てくれた⁉
 そう思って顔を上げた凛。
 すると、夜の庭先にいたはずなのに景色は一変していた。周囲には何もない、ただの真っ白な空間だった。しかしあんなに寒かったはずなのに、いつの間にか心地いいほど温かくなっていた。
 そして、そんな凛の前には。
 ――サンタさん……じゃない。
 眼前にいたのは、赤みがかった黒髪に切れ長の瞳が印象的な、目を見張るほど美しい男性だった。
 彼は優しく微笑むと、凛を包み込むように抱きしめた。
「あ……」
「凛は良い子だ。……優しくて、他人思いで。世界で一番いい子だよ。愛してる、凛」
 耳元でそう囁きながら、彼は凛をさらに強く抱きしめた。
 サンタクロースではなかったけれど、あまりに優しい抱擁と言葉に、凛は彼の胸の中で嬉し涙を流してしまった――。

「……!」
 そこで凛は目を覚ました。まだ辺りは暗く、真夜中のようだ。
 隣の布団には伊吹がいて、規則正しい寝息を立てている。
 ――夢。子供の頃の私の……。
 パーティーの時に、クリスマスイブの忌まわしい記憶を何度も思い出したせいだろう。
 だけどそんな思い出は、夢の中に現れた伊吹が払拭してくれた。子供の頃に望んでいたサンタクロースでは無かったけれど、凛にとっては唯一無二の大切な存在によって。
 ――伊吹さん。ありがとう……ありがとうございます……!
 美しい顔で眠る伊吹に、胸の中で何度も礼を述べた。
 いまだに凛の胸に残っていた、あの頃刻まれた深い傷がやっと癒された瞬間だった。
 そしてもう一度寝直そうと凛が寝返りを打つと、枕元に小さな箱が置いてあることに気づく。
 赤の包装紙に緑のリボンが巻かれ、丁寧にラッピングされた箱だった。
 ――これは……!
 伊吹はここに来る前の凛の境遇を知っている。きっと凛がクリスマスに抱いているトラウマに薄々築いていたのだろう。
 だからこうして枕元にプレゼントを置いてくれたのだ。自らがサンタクロースとなり、幼い頃の凛を救うために。
 感動のあまり、凛の頬に涙が伝う。そしてその小箱を一度手に取り、抱きしめるように抱えた後、再び眠りについた。

 外が明るくなった頃、凛はいつもより早く目が覚めた。クリスマスプレゼントの存在に気分が高揚したせいだろう。
 まだ眠っている伊吹に気を遣いながら、凛はなるべく音を立てずに箱を開けた。
 箱の中に入っていたのは、小さな雪の結晶のペンダントだった。
 ――きれい……!
 結晶には細かな宝石がいくつもあしらわれており、朝日の光に照らされてキラキラと輝いている。
 さっそく首につけて、凛がペンダントトップを眺めていると。
「おはよう凛、早いな」
 目覚めて、上半身だけ起こした伊吹がそう挨拶してきた。
「あ……伊吹さん、おはようございます。すみません、起こしてしまいましたか」
「いいや、たまたま目覚めただけだ。それよりも、そのペンダント……とても凛に似合っているな」
 凛の胸に輝く雪の結晶にすぐに気づいた伊吹は、頬を緩ませる。
「そうですか? よかったです……! ありがとうございます、伊吹さん。こんな素敵な物をプレゼントしてくださって……!」
 笑顔で礼を述べる凛だったが。
「それをプレゼントしたのは俺じゃないぞ」
 伊吹から予想外の答えが返ってきて、凛は目を瞬かせる。
「え……? では一体誰が?」
「クリスマスにプレゼントする人なんて決まっているだろ? サンタクロースに違いないさ」
 そう答えた伊吹は、満面の笑みを浮かべていた。
 しばしの間きょとんとしてしまった凛だが、すぐに伊吹の意図を理解した。
 これを枕元に置いてくれたのは、伊吹に間違いない。しかし彼は、サンタクロースからの贈り物という体(てい)にしたのだ。
 クリスマスというイベントに抱いた凛の負の感情を、完全に消滅させるために。
「そっか……。そうですね。サンタさんからのプレゼントなんですね……!」
 伊吹の粋な計らいが嬉しくて、凛は声を弾ませる。
「ああ、そうに違いない。……凛が優しくていい子だから来てくれたんだよ」
 夢と同じような言葉を紡いだ後、伊吹は凛をそっと抱きしめ、顎に手をかけた。
 そしてその美しい瞳で真っすぐに凛を見つめる。
「……メリークリスマス、凛」
 静かな声でそう告げた伊吹は、凛にそっと口づけをした。
 伊吹の唇から伝播する優しさと温もりを感じながら、聖なる日の余りある幸福に、凛は身を任せたのだった。