「久しぶり、アラベスクさん」
この人の名前はアラベスク・テーパード。
チェック村にある孤児院を営んでいる院長だ。
そして実質、この世界における俺の育ての親でもある。
俺はこの世界に転生して目覚めた時、親がいなかった。
チェック村の入り口に捨てられていた状態で、そこを孤児院を営んでいるアラベスクさんに拾ってもらった。
おそらく何かしらの理由で俺を育てられなかった親が、チェック村の孤児院を頼って村の入り口に置いたのだと思われる。
そうして孤児院で育ててもらうことになり、この人のおかげで俺は健康的に育つことができたのだ。
「おかえりなさい、フェルト君。随分と大きくなりましたね。無事に帰ってきてくれてとても嬉しいですよ」
「アラベスクさんこそ元気そうでよかった。孤児院も相変わらず賑やかそうだね」
洗濯物を干すアラベスクさんの後ろで、子供たちが元気に庭を駆け回っている。
ここはチェック村の旧教会を利用した孤児院で、新しい教会はまた別に建てられている。
古くなった教会を持て余していたところ、アラベスクさんが領主と交渉して孤児院として利用させてもらっているらしい。
そのため古くはなっているものの、敷地自体は広く子供たちものびのびと生活することができている。
「それで、どうして突然チェック村に戻ってきたのですか? ブロード君と一緒に旅の最中のはずでは……」
「その旅が終わったから、アラベスクさんに報告しようと思って村に帰ってきたんだ。ついでに旅の思い出も聞いてもらいたいと思って」
「なるほど、そういうことですか」
そう、ここへ戻ってきたのは魔王討伐の報告を、恩師のアラベスクさんにしようと思ったからだ。
それが済んでようやく、俺の魔王討伐の旅にピリオドを打てると思った。
「であれば中へ入って、腰を落ち着けて話をしましょう。フェルト君も家路を歩いて疲れているはずですから」
「うん、そうさせてもらおうかな」
アラベスクさんに促されて、俺は久々に孤児院の中に入った。
中の風景は、六年前に見た光景とほとんど何も変わらない。
子供の数が少し増えたくらいだろうか。
どうやらこの人のお人好しはますます強くなっているみたいだ。
「また見境なく新しい子を引き受けてるみたいだね。孤児が可哀そうなのはわかるけど、引き受けは程々にしときなよ」
「た、頼られてしまうと、どうにも断れない性分なんですよ。一応孤児院にはまだ余裕がありますし」
この人はそう言って、自分の食い扶持を限界まで切り詰めて、行く当てのない孤児たちを助け続けている。
アラベスクさんは、元々は別の孤児院で育った元孤児だ。
その時の院長さんからよくしてもらったため、自分も同じく孤独に苦しむ子供を助けたいと孤児院を開いたらしい。
その心掛けは立派だけど、自分の身を削ってまで孤児を助けようとしているのは手放しには褒められない。
全体的にほっそりとした体つきをしているのもそれが理由である。
「まあ、じきにブロードが孤児院のために莫大な援助資金を持って帰ってくると思うから、もう少し引き受けても問題はないと思うけどね」
「莫大な援助資金? ということはやはり、フェルト君たちは魔王を……?」
「うん、そういうこと」
俺がこの村に帰ってきた時点で察していたとは思うが、ここで俺は確信を与える頷きを返した。
しかしブロードが一緒にいないことに疑問を抱いている様子だったので、その辺りのことも腰を落ち着けて説明していく。
魔王討伐が無事に済んだこと。
じきにその話が世界全土に広まること。
俺は勇者パーティーで腰巾着と揶揄されていたこと。
だから魔王討伐の報酬を受け取らずにパーティーを離れたこと。
これから自由に世界を見て回ろうと思っていることを。
アラベスクさんはその話を静かに頷きながら聞いてくれて、すべて聞き終えると納得したように微笑んだ。
「なるほど、それでフェルト君だけ先に一人でチェック村に帰ってきたわけですか」
「うん。ブロードは今頃、他の仲間たちと一緒に王都に到着した頃じゃないかな」
次いでアラベスクさんは、心なしか昔のことでも思い出すように、遠い目をしながら話す。
「あなたは相変わらず歳不相応に達観していると言いますか、大人びた行動を取りますね。富や名声ではなく安寧を選ぶとは」
まあそりゃ、中身は元々四十歳手前の大人だったんで。
歳不相応と思われるのは当然ではある。
俺だって十八の若い頃に魔王討伐の栄誉を得られる機会があったなら、喜び勇んで飛びついていたに違いないから。
「しかしそれがあなたの選んだ道だというのなら、何も言うつもりはありません。私からはただ、魔王討伐の称賛だけを送らせてもらうとしましょう。さすがはフェルト君とブロード君ですね」
「ありがとう、アラベスクさん」
アラベスクさんは優しげな表情で、俺の選択を肯定してくれた。
そして名声を得られなかった代わりに、アラベスクさんからの称賛を受けることができて、俺はそれで充分に満足できた。
「それにしても、お二人が無事で本当によかった。何より今日まで仲違いをせずに冒険を続けてくれて、私はとても嬉しいです。やはりお二人は仲がいいですね」
「仲がいいっていうか、俺はあいつに恩があるからそれを返したかっただけだよ」
俺とブロードは一緒にこの孤児院で育ち、俺はあいつに色々と助けてもらった。
孤児院の孤児たちは基本的に出自がはっきりしていることが多く、親も出身も定かではない俺は孤児たちから気味悪がられてしまったのだ。
前世の記憶があるため変に大人びた口調と態度をしていたことからも、孤児院で孤立してしまったのは今思えば当然の成り行きだったのかもしれない。
精神は三十代後半のため、孤立すること自体は別に苦痛ではないと思ったが、思いのほか俺の心は徐々に擦り減っていった。
それを気にかけてくれたのがブロードである。
ブロードは孤立している俺にも優しく話しかけてきてくれて、孤児たちの中心人物でもあったため俺と皆の仲を上手く取り持ってくれたりもした。
同い年ということもあって、それからよく一緒に行動するようになり、おかげで俺は孤独に苦しむことがなかったのだ。
だから俺はブロードに感謝していて、勇者として魔王討伐を志したあいつを手助けしてやりたいと思った。
それが無事に終わったので、俺は最初の目的であった自由気ままな旅にこれから出ようとしている。
「それで、君はこの後すぐ旅に出るのですか?」
「うん。ブロードが魔王を打ち倒した勇者って知れ渡ったら、故郷のチェック村も注目されるだろうし、そこにあまり長居はしたくないかな」
勇者パーティーにいた無能の道具師として、俺まで注目されてしまいそうだし。
そう伝えると、アラベスクさんは目線を落として続けた。
「そうですか。また寂しくなってしまいますね」
「これからは気が向いた時にいつでも帰って来られるから、そんな顔しないでよアラベスクさん。魔王討伐みたいな危険な旅に出るわけでもないからさ」
アラベスクさんは自分の子供たちを心の底から大切にしている。
だからブロードが勇者の天職を授かった身として、魔王討伐を志したのをすごく心配していた。
勇者の天職を授かった人間は、過去に五人いるけれど、その誰もが魔王討伐を果たせず魔王軍の幹部や災害級の魔物と相打っている。
そのため俺も、ブロードが同じ道を進むことになるんじゃないかと思って、その辺りのこともあってできる限りの手助けをしようと思ったんだ。
けどもうそんな心配をする必要はない。人類最大の脅威である魔王の討伐は果たされて、ブロードも俺も命を落とす危険性はほとんどなくなったのだから。
「しかしせめて今夜だけは、ここで晩御飯を食べて行ってください。フェルト君の好物を用意しますから」
「えぇ、でも孤児院の子たちやアラベスクさんの食い分まで取っちゃうのは悪いからなぁ……」
「これは魔王討伐の祝勝会でもあります。世間の称賛から逃れるのはいいですけど、どうか私からの称賛は受け取ってください」
そう言われてしまっては、断ることもできなかった。
その日の晩、俺は孤児院でアラベスクさんの料理の懐かしい味に舌鼓を打ち、ついでに孤児たちとも遊んで仲良くなることができた。
翌朝。
恩師のアラベスクさんに魔王討伐の報告を終えた俺は、いよいよ当初の目的であった異世界旅へと出発することにした。
前世でよくやっていたクラフト要素のあるファンタジーゲームをするかのように、世界各地を巡りながら色々な素材を集めたり道具を作ったりしてみたい。
ついでにあちこち観光もできれば最高である。
「では、道中お気を付けて」
「うん、アラベスクさんも体には気を付けてね」
孤児院の玄関でアラベスクさんに見送られながら、俺は故郷を旅立ったのだった。
これからは魔王討伐のような壮大な目的はない、自由で気ままな旅が始まる。
差し当たっては、行ってみたい町がいくつかあるのでまずはその辺りを目指して進むことにした。
「んっ?」
すると、チェック村を出て森の道を歩いている最中、茂みの方から何かしらの気配を感じた。
ここら辺は比較的魔物が少ないので、小動物か何かだと思ってそちらを見ると……
茂みを掻き分けて、一匹の白い狼が姿を現した。
「――っ!?」
大きさで言えば、大型犬よりさらに一回り大きいほどの白狼。
毛並みは整っていて、新雪のような純白の毛は朝日を浴びていることで輝いて見える。
思いがけないサイズの生き物が出てきたので、俺は思わず驚いて飛び退った。
一定の距離を保ちながら、俺は白狼を注視し続ける。
すると向こうも、宝石のような青目でじっとこちらを見つめてきて、特に何かしてくることもなく静かに佇んでいた。
敵意がない。襲ってくる気配がない。むしろ優し気な眼差しをこちらに送ってきている気がする。
じっとこちらを見てくる白狼を見つめ返していると、やがてハッと俺の脳裏に電気のような衝撃が走った。
「もしかしてお前、あの時助けた子犬か?」
子供の頃。
ブロードと一緒にこの森で遊んでいる時、一匹の子犬が小さな魔物に襲われているところに遭遇した。
まだ幼かったブロードは勇者の力を上手く使えず、魔物の姿を見て立ち尽くした。
一方で俺はすぐに子犬を助けるために動き出し、試作していた道具を駆使してなんとか魔物を退けることができた。
それから子犬は森の奥へと帰って行ったけど、その時に助けた子犬の面影がある。
体はあの頃と比べて随分と大きいけれど、切れ長で宝石のような碧眼からはどこか懐かしさを感じる。
そう思っていると、白狼は不意に尻尾をふりふりと振り始めた。
もふっとした耳も畳んで、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
最後には背中を擦りつけるように体を寄せてきて、「くぅん」と甘えるような鳴き声をこぼした。
嬉しそうなその様子を見て、あの時助けた子犬だと俺は確信を得る。
「まだこの辺に住んでたんだな」
ふさふさとした頭を撫でながら、すっかり大きくなった姿を見て感慨深く思う。
アラベスクさんもこんな気持ちで孤児たちの成長を見守っているのだろうか。
まさかあの時助けた子犬が、巨大な狼と見紛うほど大きくなるなんて。
頭を撫でていると、その頭を俺の右手にグイグイと押し返してくる。
もっと撫でろということだろうか。むしろこちらからお願いしたいくらいの触り心地なので、ありがたく撫で続けさせてもらう。
ふさふさ、もふもふ……
あぁ、実家で飼っていた白柴のピッケを思い出す。
小学生時代に飼っていたペットで、兄弟がいなかった自分としては家で唯一の遊び相手だった。
ていうか前の世界じゃここまで大きな犬はいなかったような気がするけど、もしかして犬じゃないのかな?
魔物にしては人懐っこすぎる気がするし、異世界特有の犬種という可能性もある。
まあそれはなんでもいいか。
「旅に出る前にお前のことも知られてよかったよ。元気に暮らしてたんだな」
俺はひとしきり白狼を撫でると、満足して右手を離した。
それに気付いた白狼がふいっと顔を上げたので、俺は手を振る。
「じゃあ、俺はもう行くから。これからも元気で暮らしていけよ」
もう少し一緒にいたかったけれど、あまり長く時間を共にしていると名残惜しさが増すと思った。
だから俺は別れを告げて歩き出す。
すると後ろの方から、タッタッタッと足音が聞こえてきた。
「んっ?」
振り返ってみると、白狼が俺の斜め後ろを位置取るようについて来ていた。
このまま進めば森を抜けてしまうのだけれど、それでも白狼はぴたりと後ろを歩き続けている。
「もしかして、お前も旅について来たいのか?」
まさかと思って問いかけると、白狼は頷きでも返すかのように頭を擦りつけてきた。
なんかめちゃくちゃ懐かれてる。
助けた時はすぐに森の奥へ走り去ってしまったので、てっきり怖がられているのかと思ったけど今はそうではないらしい。
少し考えてから俺は言った。
「じゃあ、一緒に旅について来るか? 特に目的とかは決まってないんだけど」
と言うと、言葉を理解しているのか、白狼はバッと顔を上げて嬉しそうに耳と尻尾を忙しなく動かした。
もう一度頭を撫でてあげる。
俺の旅の目的は気ままに異世界散策だ。
魔王討伐を目指しているわけでもないし、凶悪な魔物と戦おうとしているわけでもない。
だから危険はないはずなので、この子を連れて行っても問題はないだろうと思った。
それに一人旅よりも、心を癒してくれるペットがいてくれた方が俺としてもありがたいし。
であれば名前とかも付けてあげた方がいいよな。
「うーんと、そうだなぁ……。じゃあピケにしよう」
元の世界の実家で飼っていた白柴のピッケから名前を拝借し、略したものにしてみた。
ピケと呼ぶと、さっそく気に入ってくれたのかはしゃぐように俺の周りを駆け回り始めた。
「よし、じゃあ行くかピケ。とりあえずまずは行きたい町があるから、そこを目指して出発だ」
俺はおともになったピケを連れて、気ままな旅へと出発したのだった。
言うなればこれは、魔王討伐の使命や世界を救う目的などもなく、ゲームクリア後の世界をふらふらとのんびり散策するような、そんなゆる~い旅である。
トップス王国、王都モノグラム。
その町のシンボルともなっている王城にて、勇者パーティーは謁見の間にいる国王と会っていた。
「勇者ブロードとその仲間たちよ。魔王討伐の使命を果たし、世界を平和に導いたこと、実に見事である。ついてはそなたらに約束の褒美を贈呈しよう」
トップス王国を束ねるハイエンド王家の長、ジャカード・ハイエンド国王。
この国は冒険者の育成と援助に力を入れており、冒険者大国と呼ばれている。
そんな国でジャカード国王は、冒険者たちに対して魔王討伐の使命を与えた。
魔王を討伐し、世界を平和に導いた者たちに、可能な限りの褒美を授けると。
その褒美を賜りに、勇者ブロードたちは王城の謁見の間にやって来ていた。
そして各々が望む褒美を告げて、すべて受諾されると、続いて祝賀会について国王から提案される。
「魔王討伐の使命を果たした勇者とその一行たちの活躍を、ぜひ王都を挙げて祝わせてもらいたい。豪華な食事とパレードも用意させてもらう」
その提案にブロードたちは快く了承した。
それからほんの一週間で祝賀会の準備と告知を終えて、王都で魔王討伐を祝う催しが開かれた。
ブロードたちはパレードの主役として王都を回り、町の人たちから多くの称賛の言葉をかけてもらう。
そしてパレードの後は、王城のパーティー会場で王侯貴族や上級冒険者たちと談笑を楽しみながら、用意された豪華な食事に舌鼓を打ったのだった。
「取りすぎじゃないかいガーゼ。少しは遠慮したらどうかな」
「私たちは世界を平和にした勇者パーティー。だから遠慮する必要はない。って王様が言ってたから」
「にしてもそれは欲張りすぎだよ」
聖女ガーゼが小さな体に見合わない山盛りの皿を持って来て、ブロードが呆れた笑みをこぼす。
その光景を同じ席の賢者ビエラが微笑ましそうに眺めており、寡黙な聖騎士ラッセルは姿勢よく静かに食事を楽しんでいた。
「食べ切れなくなっても知らないよ。僕は手伝わないからね」
「大丈夫。最後はラッセルが全部食べてくれるから」
「ラッセルに押しつけるなよ……」
そんなやり取りをしていると、不意にその席に四人の集団が近づいてきた。
そのうちの一人がブロードに声をかける。
「よお、ブロード」
「んっ?」
声をかけてきたのは赤髪短髪の青年だった。
背中に鋼の大剣を背負い、赤いコートを靡かせながら三人の仲間を引き連れている。
ツンツンに尖らせた赤毛と八重歯が特に目を引き、そんな見覚えのある人物を前にしてブロードは少し驚きつつ返した。
「ツイードか。君たちも王都に戻ってきていたんだね」
「あったりめえだろうが。ライバルのてめえらに先を越されたんだからよ。文句の一つも言わせやがれ」
ライバル。
そう、彼らは勇者ブロードたちと同じく、魔王討伐を志していた冒険者パーティーだ。
【剣聖】の天職を授かったツイード・ナード率いる一線級のパーティー。
世間ではどちらが先に魔王討伐を果たすか議論されるほど実力は拮抗していたが、結果としては勇者ブロードが率いる勇者パーティーに軍配が上がった。
その文句を言いに来たと剣聖ツイードは宣言したが、即座に肩をすくめていたずらっぽい笑みを浮かべる。
「ってのは冗談で、今日は素直にお前たちのことを褒めに来てやったんだよ。やるじゃねえかよ勇者パーティー」
それを受けて、ブロードたちは意外そうに目を丸くする。
今まではライバルとして競い合い、時に激しいぶつかり合いもした。
目を合わせれば憎まれ口ばかりを叩かれていたけれど、よもやあの負けず嫌いを体現したようなツイードから称賛の言葉を送られるとは。
それほどまでに魔王討伐の成果が大きく、世界を激震させたことなのだとブロードは改めて実感する。
それから勇者パーティーのメンバーたちは、ツイードのパーティーのメンバーたちと談笑を始めた。
その様子を傍らから眺めながら、ブロードとツイードも二人で会話をする。
「で、いったいどんな卑怯な手を使って、あのおっかねえ魔王を倒したっていうんだよ」
「別に卑怯な手なんか使ってないさ。心強い仲間たちのおかげで、僕は魔王を打ち倒すことができたんだよ」
「チッ、相変わらずかっこいいことしか言わねえな、このかっこつけ勇者が」
ツイードは手に持っていたグラスを雑に呷り、豪快な息を吐き出す。
相変わらず仕草が荒々しいなと、ブロードが内心で苦笑を漏らしていると、続けてツイードが疑惑のこもった視線を向けてきた。
「まあ、お前んとこの連中が粒揃いってのは認めてやるよ。だがな、それだけじゃ魔王ステインを倒せた理由にはならねえだろ。歴代の勇者たちを軒並み返り討ちにした化け物なんだぞ」
と疑問をぶつけられたものの、実際に魔王を打ち倒すことができたのは心強い仲間たちがいたおかげが一番大きいと考えている。
特に皆の目に映りにくい道具師フェルトの活躍が、魔王討伐最大の要因になったとブロードは思っていた。
フェルトが作った剣がなければ、ブロードは魔王の分厚い魔装を斬り裂くことはできていなかった。
フェルトが作った鎧がなければ、ラッセルは魔王の激しい猛攻に耐えることはできていなかった。
フェルトが作った杖がなければ、ビエラはすぐに魔力枯渇を起こして高位魔法を連発できていなかった。
フェルトが作った傷薬がなければ、ガーゼの治癒魔法だけで仲間たちの回復を賄うことはできていなかった。
ありふれた生産職の道具師だからと、今まで目を向けられる機会がほとんどなく、そのせいで彼の活躍に気付かない人たちは大勢いる。
ツイードも勇者に気を取られているその一人で、そうだとわかったブロードはフェルトの大業について語ってやろうと思った。
しかし寸前で声を引っ込める。
(フェルトは目立つことを嫌がっている。なら彼のその意思を尊重すべきかもしれない)
世間の人々にフェルトの活躍を伝えると提案した時は、どうせ信じてもらえないだろうからと諦めもしていた。
ツイードならばおそらく信じてくれるだろうが、そもそもフェルトは良くも悪くも自分が噂になることを嫌うタイプなのだ。
前々から一緒に過ごしている幼馴染の身として、それを重々理解しているブロードは、ツイードの問いかけに対してお茶を濁しておくことにした。
「魔王の怪物性を、僕らの絆が少しだけ上回っただけの話だよ。別に特別な準備をしたわけでも作戦を立てたわけでもないさ」
「チッ、あぁそうかよ。お前らは俺の想像を遥かに超える成長をしていたってわけか。じゃあ、魔王の『灰化の呪い』も気合か何かで乗り越えたってのか?」
「呪い?」
ふとツイードの口からこぼれた台詞に、ブロードは疑問符を浮かべる。
何も知らないといったブロードのその様子に、ツイードはつまらなそうに顔をしかめた。
「んだよ、やっぱ知らずに戦って魔王を倒したのかよ。とんでもねえ連中だな」
「魔王は呪いの力を使えたのか? そんな情報聞いたことがないけど」
「ま、俺らもついこの前、偶然手に入れた情報だけどな。地方領地を侵攻してた魔王軍の幹部を捕らえた時、尋問が上手くいって魔王の情報を聞き出すことができたんだよ」
ツイードは給仕に新しい飲み物をオーダーしてから、グラスに残った氷をガリガリ齧りながら続ける。
「魔王は人体を灰に変える特殊な呪いを使える。歴代の勇者たちがやられたのもそれが一番の原因だって話だ」
「人体を灰に……」
「魔王と戦って生還したパーティーがこれまで一つもなく、なぜか遺体すら残らないって言われてたのも、この灰化の呪いでみんなやられちまってたからだ」
呪い。
主に死霊種の魔族が使う特殊な力で、人体に様々な悪影響を生じさせる。
悪寒を覚えさせたり、幻覚を見せたり、視力を低下させたりなど……
毒と違って治すことも予防しておくこともできず、条件さえ整えば確実にかけることのできる厄介な力だ。
ただ呪いは戦いにおいて決定打になるほど恐ろしいものではなく、あくまで煩わしい些細な影響を与える程度である。
だから『魔王は呪いを使えた』というだけだったら、さほどの驚きはなかったが、人体を灰に変えてしまうほどの呪いとなれば話は別。
「一介の魔族たちが使うような呪いだったら、俺らも気にせずに魔王に挑みに行ってたとこだが、灰化の呪いを持ってるとなりゃ対策が必須になる。だから充分に準備を整えてから魔王を倒そうと考えてたんだけどよ……。まさか直後にお前らの魔王討伐の報告を聞くことになるとは思わなかったぜ」
そのタイミングで、ツイードが頼んだ飲み物がやってきて彼はまた勢いよく飲み始める。
そんな彼の傍らで、ブロードは疑問に思ったことを呟いた。
「どうして僕たちは魔王の呪いが効かなかったんだ?」
「さーな。気まぐれで魔王が呪いを使わなかったか、もしくは使う余裕がないほどお前らが圧倒してたのか。呪いによって発動条件もちげぇし、死人に口なしだから具体的なことはわかんねえけどな」
呪いをかける方法は魔族によって様々だ。
対象に触れる、言葉を聞かせる、目を合わせるなどなど……
魔王のその灰化の呪いがいかなる条件で発動可能なのかは定かではないけれど、これまで多数の腕利き冒険者を屠ってきたことからも戦闘中にその条件を満たすのはそこまで難しいことではないように思える。
本当に呪いの力を使う余裕がないほど、自分たちは魔王を追い詰めていたのだろうか?
今さらながら自分たちの勝利に少しの違和感が湧いてくる。
「それかあるいは、お前ら神獣の加護でも受けてたんじゃねえのか?」
「神獣って、まさか冒険譚に出てくる幸運の神獣フェンリルのことかい? 冗談はよしてくれよ」
確かに呪いは、発動条件が満たされても、幸運によって跳ね返すこともできると聞く。
よほどの豪運の持ち主ならば、魔王の呪いですら無効化できてもおかしくはない。
それこそ伝説上の神獣フェンリルの加護でもあれば呪いに怯える必要はないだろう。
伝奇の中の空想上の生物――フェンリル。
様々な冒険譚、英雄譚、絵本に登場していて総じて人々に幸福を授ける幸運の神獣として伝えられている。
そのフェンリルの加護なら魔王の呪いを防ぐことなど造作もないだろうが、いくらなんでも冗談が過ぎるとブロードは思った。
が、同時に密かに引っ掛かりを覚える。
(思えば、旅の中で幸運を感じる場面も、いくつかあったような……)
滅多に見つからない魔物を頻繁に見つけたり、大事な依頼の日は決まって天候に恵まれたり、希少な素材がたくさん集まったり。
たまたま、では説明がつかないほど、勇者パーティーは幸運な出来事に度々遭遇している。
まさか本当にフェンリルの加護を……?
「まあ単純にお前たちの運がよかったってことだな。灰にならずに済んでよかったじゃねえか」
「そう、だね……」
腑に落ちない点はあるが、自分たちが魔王に勝ったのは事実だ。
だからそれらの違和感を飲み込んで、今は素直に魔王討伐成功の喜びを噛み締めることにした。
仲間たちが談笑している光景を眺めながら、自分も新しい飲み物でも頼もうかと思っていると……
「んっ? そういやそっちのとこにいた道具師はどうしたんだよ?」
「えっ……」
ツイードから唐突な問いかけをされて、思わず心臓が鳴る。
ツイードはただ純粋に、いたはずの仲間の姿が見えないことに疑問を抱いている様子だった。
まあ当然の質問ではあると、ブロードは密かに思う。
見知ったパーティーの中から仲間が一人減っていたら、気になってしまうのは当たり前のこと。
ただでさえ勇者パーティーは魔王との激戦を終わらせた後なのだから。
その時に命を落としてしまったのか、その辺りの心配をしてくれているようだった。
だからブロードは、いらない心配をかけないためにも、すぐにツイードに答えようとした。
「えっと、フェルトは魔王討伐の作戦前に……」
自主的にパーティーを抜けたんだ、とあらかじめ用意していた嘘の経緯を話そうとする。
本当は魔王討伐の作戦にも参加して、戦いのために武器や道具も用意してくれた。
そして褒美を受け取れば禍根を残すことになるからと、仲間たちを気遣って身を引いてくれたのだ。
正直にそう言えればよかったが、フェルトは変に目立つことを嫌がっているため、彼のことを聞かれたら嘘の経緯を伝えようとブロードは決めていた。
しかしその時――
「あらあら、主役のあなたたちがこんな隅っこにいていいのかしら? 勇者パーティーさん」
突然横から声をかけられて、ブロードは出しかけていた台詞を止める。
声のした方を見ると、そこには茶色の長髪を靡かせる女性が立っていた。
切れ長の碧眼に薄い唇。服装は大人びた黒ドレスに多くの装飾品を身に着けている。
甘めの香水を漂わせて、後ろに三人の仲間を率いているその女性は、不敵な笑みを浮かべながらブロードのことを見ていた。
その女性を見た瞬間、ブロードだけではなく、勇者パーティー全員の顔つきが険しいものになる。
「タフタ……。なぜお前たちがここに?」
タフタ・マニッシュ。
ブロードやツイードと同じ、一線級のパーティーを牽引する腕利きの冒険者だ。
冒険者の成績で言えば彼らと同じほどで、界隈では名前も知れ渡っている。
だが、彼女は事あるごとに多くの冒険者とトラブルを起こしており、どちらかと言えば悪名の方でその名が轟いていると言えるだろう。
そして勇者パーティーに突っかかってきたことも数え切れないほどあり、過去に何度もいがみ合ってきた険悪な仲だ。
だからこそ魔王討伐の祝賀会の会場に彼女とその仲間たちがいることに驚きと違和感を感じた。
「なぜここにって、それは当然勇者様たちの健闘を称えに来たからに決まってるでしょ。そのための祝賀会なんだし」
タフタはクスッと微かな笑みを浮かべて、手に持っていたグラスにおもむろに口をつける。
そんな彼女に対して、賢者ビエラが眼光を鋭くしながら言った。
「面白くもない冗談ね。あれだけ私たちの邪魔をしてきたあなたたちが、この期に及んで健闘を称えるですって? 何か裏があるとしか思えないわ」
タフタたちは勇者パーティーの冒険を何度も妨害してきた。
冒険者依頼を横取りされそうになった回数は数え切れないし、地下迷宮で鉢合わせた際は魔物の大群を押しつけられたこともある。
勇者パーティーのメンバーたちが快くない反応を示すのも至極当然だった。
同じくタフタのパーティーと良好な関係ではないツイードたちも、苛立ちを覚えるような表情を見せる。
それでもタフタは愉快そうに話し続けた。
「裏なんて何もないわよ。魔王討伐で先を越されたのは確かに悔しいけれど、世界が平和に導かれたことを祝福しているのは本当のこと。競争だってもう終わったんだし、これからは無駄に争う必要もないんだから」
タフタはワインが入ったグラスを手に持ち、ブロードが持つグラスに軽く打ちつける。
同時に「おめでとう」とブロードに囁くと、頬に不敵な笑みを浮かべた。
話は本当にそれだけだったようで、タフタは仲間を引き連れてその場を立ち去ろうとする。
そのことに安堵を覚えかけたブロードだったが――
「ところで……」
不意にタフタが、意味深な笑みを浮かべながら問いかけてきた。
「あの役立たずの道具師はどうしたのかしら?」
「――っ!」
ブロードの頭に熱が走る。
同じく他のパーティーメンバーたちの表情も、途端に険しいものになった。
「会場で姿を見かけていないけど……。あっ、もしかして魔王との戦いで死んじゃったとか?」
「……」
嘲笑うようなタフタの甲高い声と、同調するようにクスクスと笑う彼女の仲間たちを見て、ブロードは密かに唇を噛み締める。
そんな彼に追い打ちでもかけるかのように、タフタはさらに続けた。
「それともそれとも、まさか魔王と戦うのが怖くて逃げ出しちゃったとか? まあ明らかに一人だけ実力が伴ってなかったものね」
「……黙れ」
「だから魔王討伐の祝賀会に参加していなかったのね。怖くて逃げ出した臆病者が祝賀会に参加するなんて烏滸がましいにも程があるものね。でもよかったじゃないの……」
タフタは悪意に満ちた微笑をたたえながら、的確にブロードの心を煽る言葉を送った。
「あの腰巾着がようやくパーティーから離れてくれて。あなたたちも清々したんじゃないの?」
「――っ!」
耐え切れなくなったブロードは、力強く腕を振りかぶろうとした。
そこを仲間のビエラが腕を掴んで、彼の怒りを寸前で静止する。
フェルトのことを侮辱された怒りは、彼女も同様に感じていたが、冷静さを崩さずにブロードに囁いた。
「ここで手を出せば、祝賀会の雰囲気が台無しになってしまう。せっかく築いたあなたの英雄像だって崩れてしまうわ。だからお願い、ここは抑えて」
「…………すまない」
ビエラのおかげで徐々に怒りが収まっていき、ブロードの体から力が抜けていく。
気持ちが落ち着いてきたところで、ブロードは遅れてタフタの思惑を悟った。
タフタは魔王討伐を祝福するためにここに来たのではない。
勇者ブロードの印象を悪くするために、わざと挑発しにきたのだ。
度々勇者パーティーに絡んできたのは、ブロードたちの活躍が妬ましかったからで、魔王討伐の成功によって脚光を浴びている姿が一層憎たらしいと思ったのだろう。
だからこちらから殴りかかるように挑発をしてきて、勇者パーティーの印象を悪くしようとしてきた。
そんなわかり切ったことに気付かず、我を忘れてまんまと罠にはまりそうになってしまったことを情けなく思ってしまう。
一方で挑発が不発に終わったタフタも、つまらなそうにため息を吐いた。
そして何も言わずにその場を立ち去っていく。
張り詰めていた空気が和らいでいき、皆の表情から強張りが無くなっていくと、ツイードが吐き捨てるように言った。
「チッ、相変わらず感じ悪い奴だぜ、タフタ・マニッシュ。俺らのパーティーだって何度もこんな風におちょくられてきたからな。ま、あんま気にすんなよブロード」
「……あぁ」
本当は言い返してやりたかった。
道具師のフェルトは魔王討伐において確かな功労者だったと。役立たずや腰巾着などではないと。
彼がいなければ絶対に魔王討伐を成功に導くことはできなかったのだから。
他の仲間たちも同じ気持ちだったが、それでもフェルトの意思を尊重して誰も何も口にしなかった。
変に彼が目立つことになるのは避けたかったし、何よりそれが彼の望みでもあるから。
そんな僅かなトラブルはあったものの、祝賀会の時間は滞りなく進んでいき、やがて終わりを迎える。
そして勇者パーティーは、名実ともに世界を平和へと導いた英雄となったのだった。
気ままな異世界旅へ出発して、一週間が経過した。
俺は故郷で再会した白狼のピケと共に、今はストライブという町を目指して進んでいる。
ストライブはトップス王国の北部に位置する町で、駆け出し冒険者が集まることで有名な場所だ。
別名『始まりの町』とも呼ばれており、俺も冒険者になった当初はブロードと一緒によく世話になった。
格安で泊まれる宿屋、銅の剣や木皮の鎧を揃えた武器屋、手頃な依頼ばかりが寄せられる冒険者ギルド。
まさにゲームで言えば序盤の町と呼んで差し支えのないその場所に、今さら向かっている理由は……
「あっ、見えてきたぞピケ」
草原にできた道を歩いていると、やがて石の壁に囲われた懐かしい町が見えてきた。
まだ若干の距離があるけれど、ここからでも町の喧騒が聞こえて人々の雑踏が窺える。
ピケは一度に大勢の人間を見るのが初めてなのか、物珍しそうに遠くに見えるストライブの町を眺めていた。
少し気持ちも高揚したのか、白毛に覆われた尻尾がぶんぶんと風を切っている。
「あそこが俺とブロードが最初にお世話になった町だよ。ここで食べた冒険者定食がどうしても忘れられなくてさ」
思い出しただけで唾を飲み込んでしまう。
そう、ストライブの町を最初の目的地に選んだのは、駆け出し冒険者の頃に何度も口にした冒険者定食をまた味わっておこうと思ったからだ。
その定食は、特別な食材は何も使っておらず、むしろ駆け出し冒険者を思って安い食材だけで作られていた。
比較的安価な鶏肉のソテー、腹持ちがいい芋のフライ、新鮮なサラダに焼き立てのパン。
味よりも安さを重視したようなメニューになっていたが、それでも当時汗水流した後に食べたその定食は、どんな高級料理よりも骨身に染みて思い出深い美食として記憶に焼きついている。
だから魔王討伐の旅が終わったら、きっとまた食べに来ようと前々から思っていたのだ。
かねてよりの願望がいよいよ叶うことになり、足を速めてストライブの町に駆け出そうとしたが……
「あっ、そうだ」
俺はふとその足を止めて、別の方角へと視線を移した。
同時に後ろからついて来ていたピケもピタッと立ち止まり、僅かに首を傾げる。
「町に行く前に、ちょっと森の方へ寄って行こうか。素材とか拾っておきたいし」
旅中の生活費は、道具師として作った道具を売って生計を立てようと考えている。
そのためには道具作りに必要な素材を、各地で採取しなければならないのだ。
現在の手持ち資金は、正直心許ない。
魔王討伐の際に皆で準備資金を出し合ったり、故郷のチェック村に帰るまでの交通費もそれなりにかかったし、魔王との戦いで手持ちにあった道具もほとんど使い切ってしまった。
残されたお金だけでは、おそらく格安宿に一週間も泊まれないだろう。
手持ちの道具を売ればまだ懐を潤すことはできると思うが、貴重な素材を使ったものばかりのためあまり売りたくない。
なので、今からでも少しずつ貯金を増やすために、素材採取をして道具をたくさん作っておこうと思った。
というわけでいったん、ストライブの町ではなくその近くの森へと向かうことにする。
程なくして到着し、これまた懐かしい景色に感慨深い気持ちになった。
「ここも懐かしいなぁ」
とてつもなく広大な森だが、駆け出し冒険者に適した小さくて脅威性の低い魔物ばかりが現れる場所。
ストライブの町で冒険者になった初めは、まずはこの場所で魔物との戦い方を学ぶ。
俺とブロードも最初は右も左もわからない状態でこの森に入って、弱い魔物を相手に少しずつ強くなったものだ。
……いや、ブロードは元から強かったから、少しずつ強くなっていたのは俺だけだったかな。
勇者の天職を持っていて才能に溢れていたあいつは、初日から駆け出し冒険者とは思えない活躍を見せていた。
初見では苦戦するはずの森の魔物も、経験不足を補って余りある才能だけで易々と返り討ちにしていた。
そしてすぐさまブロードの噂は駆け出し冒険者の町ストライブで広がって、異様に注目されていたっけ。
そんなブロードに追いつきたくて……お荷物になりたくなくて……必死にこの辺りの素材をかき集めて、色んなパターンの調合を試した。
だからこの辺りで採取できる素材に関しては、他の誰よりも熟知している自信がある。
「おっ、『清香草(せいかそう)』かぁ。まだこの森で群生してるみたいでよかった」
見慣れた素材が落ちているのを発見して、俺は慎重にそれを採取する。
するとピケが、俺の持っている青白い草が気になったのか、鼻を近づけてすんすんと香りを嗅いできた。
清香草(せいかそう)からは爽やかな香りがするのでそれに釣られたのだろう。
次いでピケは不思議そうに首を傾げたので、伝わらないと思ったけど教えてあげることにした。
「これは傷薬に使える素材だよ。これに『浄雨茸(じょううだけ)』を合わせて調合すれば『安らぎの良薬』になるんだ。まあそれだけだと痛み止め程度の効果しか出ないけどね」
チェック村への帰路の途中、行商人さんと思しき怪我人を助けてあげたことを思い出す。
その時に渡した傷薬がまさに、この『清香草(せいかそう)』と『浄雨茸(じょううだけ)』で作った『安らぎの良薬』である。
まああの時渡したものは、『瑠璃鳥(るりちょう)の羽』っていうレア素材も一緒に調合した特別製で、治癒効果を飛躍的に向上させたものだけど。
清香草(せいかそう)は『安らぎの良薬』以外にも使い道があり、多くの人たちが求めて採取に来るので、採りすぎには注意して程よいタイミングで切り上げる。
続いて少し進んだ先に、強風によって逆さまに開いてしまった傘のような、そんな面白い形の茸が生えている地帯を発見した。
これは先ほど話した浄雨茸(じょううだけ)で、これもまた様々な道具の素材になってくれる。
そのため採りすぎない程度に採取をすることにした。
ピケもどうやら俺がこの辺りの素材を集めているのだと理解したようで、浄雨茸(じょううだけ)を見つけては銜えて持って来てくれる。
「ありがとうピケ。おかげでもう随分と集まったよ」
浄雨茸(じょううだけ)の採取もこのくらいにしておこうかな。
するとピケが、銜えて持って来た浄雨茸(じょううだけ)を不思議そうに見つめていたので、相変わらず言葉が通じるかはわからなかったけれど説明してあげることにした。
「この茸は逆さ傘みたいな形になっているのが特徴的で、そこに雨水が溜まるようになってるんだ。それが特殊な柄部分を通してろ過されて、膨らんだ石突き部分に綺麗な水が貯水されるようになってるんだよ」
いわばこれは天然のろ過装置だ。
人が手を加えることなく、綺麗な水を作り出すことができるありがたい茸である。
綺麗な水は様々な道具の調合に使えるだけでなく、薬の製作には欠かせない素材で、薬師たちもこの浄雨茸(じょううだけ)には度々お世話になっていると聞く。
浄水を取り出した後は茸は再利用不可となるが、柄部分を除いて綺麗に洗えば美味しく食べることもできるためエコな面もある。
特に香辛料を振ってバターと塩で焼いたらおかずに最適だ。
それでいて繁殖力も凄まじいため、汎用性と利便性が高い優秀な素材となっている。
と、そこまで説明してもピケは首を傾げているだけで、やっぱり伝わらないかと俺は苦笑を浮かべた。
次いで日が落ち始めた空を見上げてピケに告げる。
「さて、そろそろ町に向かおうか」
素材採取は充分にできた。
清香草(せいかそう)と浄雨茸(じょううだけ)がたくさん手に入ったので、安らぎの良薬を大量に生産できる。
けどただの安らぎの良薬だと、そこまでの買値はつかないよなぁ。
やっぱり瑠璃鳥(るりちょう)の羽みたいなレア素材を加えて治癒効果を底上げしたり、何か特殊な効果を持たせないと高値はつかないと思う。
となればもう少し散策して、別の素材も探した方がいいだろうか。
なんて思っている最中のこと。
突然後ろから、ガサッと草木が揺れるような物音が聞こえた。
「――っ!?」
完全に油断していた俺は、息を詰まらせながら咄嗟に振り返る。
するとそこには……
「……トレントか」
動く樹木が立っていた。
木の根を足のようにして動かして歩行を可能にしている樹木の怪物。
幹からは両腕のように、二本の太い木の蔓が伸びていて、鞭のようにしなっている。
あの木の蔓を自在に動かして攻撃してくるのが特徴的で、この森ではよく見かける魔物だ。
体の大きさが長身男性の背丈を超えるほどで、一見すると恐ろしい魔物に見えるが一応弱い部類に数えられる。
最低限の装備さえ揃えていれば大怪我を負うことなく、松明程度の炎だけでも充分に討伐が可能だから。
そのため俺は焦りかけていた気持ちが収まり、自分を戒めつつ腰からナイフを抜く。
今の俺でも、簡易的な装備だけで充分に倒せる魔物だ。
貴重な道具を使う必要もないだろう。
「ピケ、少し下がってて。すぐに終わらせるから」
そう言いながら早々にトレントを討伐しようと前に出ようとする。
いくら危険性が低い魔物だからって、ピケが怖がってしまってはいけないと思い早期討伐を心がけることにした。
すると、次の瞬間――
「グウゥ……!」
驚いたことに、いつも温厚で静かなピケが、唸り声を出し始めた。
いつの間にかトレントを睨みつけながら前傾姿勢になっている。
てっきり怖がっているものかと思っていたので、ピケの様子の急変に驚愕している最中――
ズバッ!!!
目の前からピケが消え、同時にトレントの体が真っ二つになった。
「……えっ?」
上半身と下半身に分かれた樹木の怪物は、ドサッと地面の上に力なく倒れる。
次いで魔物特有の消滅現象が起きると、その後方にいつの間にかピケが立っていることに気が付いた。
鋭い爪が覗く右前脚を、振り抜いたような体勢になっている。
「もしかして今の、ピケがやったのか……?」
ピケはこちらを振り返ると、おもむろにテッテッと歩いてきた。
そして頭を俺の右手にぐりぐりと押しつけてくる。
まるで撫でて、褒めてと言わんばかりに。
やっぱり今のはピケがやったことなんだ。
普通の犬ではないと思っていたけど、まさか魔物を一刀両断にするなんて。
しかも勇者や他の腕利き冒険者たちの動きを見慣れている俺ですら、目で追い切れないほど素早い動きだったぞ。
「ピケ、こんなに強かったんだ……」
改めてピケの特異性に驚愕を覚えさせられてしまう。
ピケはいったいどういう存在なんだろう?
人間に敵対心を抱いていないことから、魔物とは違う生き物だとは思う。
かといって普通の犬や狼とは思えない力も持っているし、頭だってかなりいい。
本当に何者なんだ?
と不思議に思っている間も、ピケは頭をぐいぐいと押しつけてくる。
その仕草が可愛らしくて、もふもふ柔らかい感触が手に走ってきたので、まあなんでもいいかと俺は自己完結させた。
ピケはピケだ。可愛くて人懐っこくて、それでいて頼もしい相棒ということである。
魔物討伐まで手伝ってくれるなんてありがたい限りだ。
まあここは異世界だし。まだ見知らぬ特殊な種族の生き物がいても不思議ではないから。
ともあれ危険も去ったので、今度こそ町に向けて歩き始めようとしたその時――
「んっ?」
ピケが倒したトレントがいた場所に、何かが落ちているのを見つけた。
それは一枚の黄金色に輝く葉っぱだった。
これは……
「あっ、奇怪樹(きかいじゅ)の葉だ」
トレントから極稀に入手することができる残存素材。
魔物は絶命するとその体が消滅するようになっている。
しかしたまに著しく生命力が偏った部位や、強い力が宿った体の一部が現世に残されるようになっているのだ。
それらは武器や薬、道具の素材として大変有用であり、総じて『残存素材』と呼ばれている。
そして今ここに落ちている『奇怪樹(きかいじゅ)の葉』は、残存素材の中でも特に入手が困難なレア素材の一つとして数えられている。
……けど、俺の場合はストライブの町で活動をしていた頃、割と頻繁に入手できていた。
最近はトレントと戦う機会自体が少なくなっていたので見るのは久々だけど、そういえばこの素材にはよく助けられていたっけ。
目を引く見た目の黄金色の葉に、ピケは興味を示したのかクンクンと匂いを嗅いでいる。
「その素材は安らぎの良薬の調合に加えると、治癒効果の底上げと身体能力向上の効果を付与することができるんだ」
同じレア素材の瑠璃鳥(るりちょう)の羽も、安らぎの良薬の治癒効果を底上げしてくれるけど、奇怪樹(きかいじゅ)の葉はそれに加えて服用者の身体能力まで強化してくれる。
しかもこの素材一つで、強化された安らぎの良薬を五つ分調合できるほどだ。
この辺りで入手できる素材の中では群を抜いて有用性が高いと思う。
駆け出し冒険者の頃はよくこの素材を集めて、加工や調合を色々と試したっけ。
レア素材は入手できる機会が非常に少ないため、有効的な利用方法や適切な加工方法が確立されていないことが多い。
だから奇怪樹(きかいじゅ)の葉を手に入れても、無駄にしてしまう生産職の人間が大半なんだとか。
けど俺の場合は運が良くて、この素材を頻繁に手に入れることができたから、価値ある利用方法や加工の仕方を充分に心得ている。
「奇怪樹(きかいじゅ)の葉は一度熱を通してしんなりさせてから、空気にさらして乾燥させるんだ。それを何度か繰り返すと、中の水分が抜けて細かい粉にすることができる。そうすると『奇怪樹(きかいじゅ)の葉屑』って素材名に変わって、色んな道具の調合に使えるようになるんだよ」
ピケは不思議がる犬のようにきょとんと首を傾げた。
まあ、無理もないよな。こんな説明されてもわかるはずないだろうし。
でもなんか話しかけたくなっちゃうんだよなぁ。昔から実家のピッケとかにも、よく話しかけちゃうタイプだったし。
ともあれ貴重な素材も手に入ったことなので、今日はこれを使って安らぎの良薬の強化版を作ろうと思う。
それなら充分にいい買値がつくだろうし、懐もまあまあ潤うんじゃないかな。
できればまだまだトレントを狩って、奇怪樹(きかいじゅ)の葉をたくさん手に入れたいところだけど、日も落ちてきたしピケの疲労も気になる。
今日のところはこの辺りでいいだろう。
「長い間歩かせちゃってごめんね。遅くなったけど町に行こうか」
ピケは頷きを返すように純白の尻尾をぶんぶんと振り、一緒に森の出口に向かって歩き始めた。
完全に日が落ちる前に森を出ることができて、再びストライブの町の景色が見えた。
すでに街灯がついていて、賑やかな町の雰囲気が離れたところからでも伝わってくる。
さあようやくのことで第一目標の町に入れるぞ、と喜び勇んでストライブに駆け出そうとしたが、またしても俺は不意に町に向かう足を止めてしまった。
「そういえば、ピケのことどうしよう……」
名前をすっかり憶えてくれたのか、ピケが反応して耳がピクッと動く。
呼んだわけじゃないよと軽く頭を撫でながら、今さらながらの深刻な問題に俺は悩みを覚えた。
さすがに町の中だと、ピケのこの姿は目立ってしまうよな。
大型犬よりさらに一回りほど大きなサイズ。下手したら俺を乗せて走り回れるくらいの余裕まである。
新雪を思わせる純白の獣毛は光を反射するように輝いて見え、立ち姿だけで言い知れない凛々しさを感じる。
そんな白狼が町中を堂々と歩いていたら、注目の的どころか明日の情報誌の一面を華々しく飾ることはまず間違いあるまい。
町の中で人間以外の動物を見ないかと言えばそういうわけではなく、荷車を引く馬だったり野良猫なんかはしょっちゅう見かける。
けどそれらの動物と比べて、ピケはあまりにもなんか……神々しすぎる気がするのだ。
ただでさえ勇者パーティーにいた道具師と知られたくないので、どうにかして目立たない方法を考えないと。
「町の外に置いてけぼりは、さすがに可哀そうだしなぁ……」
俺は顎に手をやって、ピケを見つめながら思考を巡らせる。
その視線を受けて、ピケは不思議そうに首を傾げていた。
大きな体が問題なら、体を小さくする道具でも作るか?
いやでも、そんな便利な道具をパッと作り出せるほど、俺の力は万能ではない。
道具師として技術を高めたとは言ったが、万物を創造できる神様になったわけじゃないから。
一応、姿を薄くして周りから見えづらくする外套や、短時間ながら透明化できる薬なんかは素材があれば調合できるけど、それもただの一時しのぎにしかならない。
今後もピケと一緒に町に立ち入る機会は何度も訪れるだろうし、これは根本的な解決を図らなければいけない問題だ。
「うーん、どうしたもんかなぁ」
……と、頭を悩ませながら立ち尽くしている最中のことだった。
ピケが不意に、意味ありげに目を合わせてきて、次の瞬間全身から白い光を放ち始めた。
「えっ……」
やがてじわじわと光の中のシルエットが縮んでいく。
そして光が収まると、そこには子犬サイズになったピケがいた。
「そ、そんなこともできるの……?」
ピケは小さな足をトテトテと動かして、俺の足元に近づいて体をすり寄せてくる。
その愛らしい動きについ気持ちが昂り、俺はミニピケをそっと抱き上げた。
すごい、本当にピケが小さくなっている。
外見はほとんど白柴の子犬にしか見えないぞ。
これなら町の中に入ってもまったく目立つことはなさそうだ。
もしかして困っている俺を見かねて、状況を理解して体を小さくしてくれたのかな?
という心の中の疑問に頷きでも返すかのように、ピケはペロッと俺の頬を舐めてきた。
「賢いな、ピケは」
というか本当にすごい種族だな。
魔物を倒す力を持っているので、ただの犬や狼ではないと思ったけど、よもや体の大きさを自在に操れる能力まであるとは。
これは非常に助かる。
俺は小さくなったピケを抱えたまま、今度こそ町に向かって歩き出した。
そして変に注目されることもなく、町の門を潜ることに成功する。
まあ、傍から見たら本当にただの白い子犬だからな。
こうして抱えていると、まさに前世の実家で飼っていた白柴のピッケをより彷彿とさせる。
あまり大人しい性格ではなかったので、十秒ほど抱っこしていたら『下ろしてー!』と言わんばかりに足をジタバタさせていたけれど。
そんなことを思い出しながら久々にストライブの町を歩いて、当時の記憶が鮮明に蘇ってきた。
『フェルト、早く討伐依頼に向かおう! こうしている間にも魔物に困っている人たちが大勢いるんだから』
『落ち着けよブロード。慌てて俺らが怪我したら元も子もないだろ』
この町の大通りを、当時十二歳だった俺たちはよく駆け回っていた。
冒険者になったばかりで気合の入っていたブロード。そのブロードを落ち着かせるために呆れながら追いかけていた俺。
ブロードは駆け出し冒険者として飛躍的な躍進を遂げていたが、活躍するのが目的ではなく、どちらかと言えば誰かの助けになれるのが嬉しくてたくさんの依頼を受けていた。
そして二人してへとへとになって帰って来てから、食堂に駆け込んで部活直後の男子高校生ばりに、冒険者定食にがっついていたものだ。
その思い出の味を再び味わうために、このストライブの町にやって来たので今からすごく楽しみである。
ただその前に今夜の宿をとって、寝床を確保しておこうと思った。
ピケもいるので、小さなペットなら大丈夫という宿を探して回る。
すると思いのほかすぐにそれは見つかり、ついでにすぐ近くに道具や素材の買い取りをしている買取屋もあった。
明日にでも安らぎの良薬を調合して売りに行けるように、今のうちに奇怪樹(きかいじゅ)の葉の乾燥を進めておくことにする。
その準備を終えてから、俺はピケを連れてくだんの食堂へと向かうことにした。
程なくして到着し、久々に見る看板にジンと胸を熱くさせる。
『小鳥たちのさえずり』
当時この食堂の女主人であったメルトンさんという方から、お店の名前の由来を聞いたことがある。
駆け出し冒険者たちを“小鳥たち”と称し、彼らの愉快な話し声がいつまでも響いていますようにという意味で付けた名前だそうだ。
その想いが通じてか、今でもこの食堂には多くの駆け出し冒険者たちの姿が見えて、皆一様に愉快そうに笑いながら食事と談笑を楽しんでいた。
そんな様子を外から眺めていると、お店の中から香しい料理の香りが漂ってくる。
ピケもすっかり空腹なのか、俺の腕の中で鼻をすんすんと動かしながら、尻尾を陽気に振っていた。
ちなみにピケは人間の食べ物でも喜んで食べてくれる。
たぶん同じものを食べても大丈夫な種族だろうけど、一応健康に気を遣って味付けの薄いものを食べさせるように心がけてはいる。
果たしてそれで栄養が足りているのかは定かではないけど、見た限り栄養不足の様子もないのでまあ大丈夫だろう。
それから俺は足早に食堂の中へ入ると、カウンターの方に空いている席を見つけてそこに座る。
そういえば動物を連れて入っても大丈夫だったっけ? と思って店員さんに確認するよりも先に、カウンターの方から女性店員さんに声をかけられて結果的に遠回しな了承を得られた。
「ご注文はお決まりですか? ワンちゃん用のお肉もご用意できますよ」
「じゃあそれと、冒険者定食一つで」
「かしこまりました。少々お待ちください」
女性店員さんはそう言って厨房の方に戻っていく。
俺は膝の上に乗せたピケに、人知れず「よかったね」と声をかけた。
それから程なくして、注文した料理が運ばれてくる。
「お待たせしました、冒険者定食とワンちゃん用のお肉になります」
カウンターの卓上に置かれたのは、まさしく俺が『また食べたい』と思っていた当時のままの冒険者定食だった。
最後に食べたのは今からおよそ六年前だというのに、記憶に焼きついている献立のままで思わず感動を覚えてしまう。
なんて密かに思っていると、膝の上に乗せたピケがワンちゃん用のお肉を見つめながらごくりと喉を鳴らしていることに気が付いた。
すごく我慢している様子。俺からの許しをじっと待っているのだろう。
感慨にふけっていたあまりお預けをさせてしまったらしく、申し訳ない気持ちでピケに言った。
「じゃあ食べよっか。いただきます」
そう言うと、ピケはお皿に口先を突っ込んでもごもごと食べ始める。
それを眼下に見ながら、俺も出された冒険者定食に手をつけ始めることにした。
まずは鶏肉のソテーから。じっくり焼かれた鶏肉に爽やかな風味のソースがかかっていて、皮目もパリッとしているから食欲をそそる。
次に芋のフライ。外側はざっくり中はホクホクと、まるで揚げたてのハッシュドポテトのような食感と食べ応えだった。
続いて焼き立てのパン。香りが立っていてもちもちふわふわとした食感で、ソテーにかかっているソースをつけて食べるとなお美味しく感じる。
付け合わせのサラダも新鮮そのもの。
そしてとにかくすべてがでかい。
食い切れるもんなら食い切ってみなと言わんばかりの特盛定食だ。
普段の状態で見ると、とても食べ切れる気がしない量だけど、汗水垂らして依頼を終わらせた後、この食堂に駆け込んで来るとちょうどいい量に見えてくる。
そして毎回、貪るように食い尽くして、明日のための血肉になっていたのは本当にいい思い出だ。
今日はそこまで腹を空かしていたわけではないので、さすがに多すぎる気がしたけど、ぎりぎりでなんとか完食に至る。
ピケも綺麗にお皿を空にして、二人して心地よい眠気と満足感に浸っていると、不意に厨房の方から誰か出てきて声をかけられた。
「おや、どっかで見た顔だね」
「んっ?」
鍛え上げた成人男性並に大柄で、クリーム色の長髪を後ろで一本に結んだエプロン姿の女性。
わずかにできた小じわから歳の程は四十から五十ほどに見える。
特徴的な外見のその女性店員さんを目にして、俺はぎょっと目を見開いた。
「メ、メルトンさん!?」
六年前、俺とブロードがこの食堂でご飯を食べている時、よく話しかけてくれた男勝りな女主人。
お店の名前の由来も教えてくれたメルトンさんだった。
六年前とほとんど姿が変わらない。とっくに五十後半に差し掛かっているはずなのにあの時からしわがほとんど増えていないなんて。
それにまだこのお店の主人をやってくれていたんだ。
驚きのあまり固まっていると、メルトンさんは俺の顔をじっと見つめながら微かに顔をしかめた。
「あぁ、ちょいと待ってくれよ。もう喉元まで出かかってるから」
どうやら俺の顔に見覚えはあるが、正確なことまでは思い出せていないらしい。
まああれから六年経って、顔と体もそれなりに成長したからね。
しかしすぐにハッとなって、すっきりした顔で言った。
「そうだそうだ、あんた確か勇者の坊やと一緒にいた子じゃなかったかい?」
「……」
やや周りにも聞かれそうなくらいの声量だったので、俺は思わず表情が強張る。
そしてつい気まずい顔をしながら周囲に視線を泳がせた。
すると今の声を聞いていた人はいなかったらしく、変に注目されていることはなかった。
その様子を見てか、メルトンさんが気遣うように声を落としてくれる。
「なんだい? 周りに知られちゃ少しマズイかい?」
「ま、まあ、はい……」
絶対にバレてはいけないというわけではないけど、やっぱり勇者パーティーにいた道具師と周りには知られたくない。
王都で行われた祝賀会も筒がなく終えられたようなので、俺が諸事情でパーティーから抜けていることはすでに知れ渡っていることだろう。
影が薄いので気にかけている人は少ないかもしれないが、もしここで正体に気付かれたら、どうしてパーティーを抜けたのかなど無粋に聞いてくる人だっているかもしれない。
ということを理解してくれたのか、メルトンさんは声を落としたまま申し訳なさそうに頬を掻いた。
「そいつは悪かったね。有名人と一緒にいた冒険者なんだから、もう少し気を付けるべきだったよ」
「い、いえ……」
「けどどうして周りに知られるとマズイんだい? 別に仲違いしてパーティーを追い出されたとかじゃないんだろ」
「えっ? どうしてそう思うんですか?」
「勇者パーティーが魔王討伐に成功したって噂がこの町に流れてきて、まだ間もない。そんなタイミングで久々にあんたの顔を見たんだ。となればあんたも最後まで勇者パーティーの一員として戦って、この町に帰ってきたってことだろ?」
す、鋭いなこの人。
実際に俺は魔王討伐に参加して戦いの一部始終を見届けた。
確かにこの町に戻ってきたタイミング的に、俺も魔王討伐に参加したと考えるのが自然か。
「何よりあんたたち、仲がすごくよかったからね。喧嘩別れするようなタイプじゃないだろ」
「俺たちのこと、そんなに詳しく覚えてくれていたんですか?」
「ハハッ、そりゃ当然だろ。うちの店でちょっとした騒ぎまで起こしたんだから」
「あぁ……」
そういえばそうだったと俺は遅れて思い出す。
俺とブロードは昔この店で、ちょっとした騒ぎどころか、割と大きめな言い争いをしてしまった。
より正確に言うなら、俺とブロードではなく、俺たちに話しかけてきた賢者ビエラ・マニッシュとだ。
『勇者ブロード・レイヤード、あなたの活躍はすでに聞かせてもらっているわ。この賢者ビエラ・マニッシュがパーティーに入ってあげてもいいわよ?』
この店でブロードと一緒に食事をしている時のことだった。
高圧的というかなんとも偉そうな態度で話しかけてきたのが、俺たちより歳が三つ上の、当時十五歳のビエラだった。
彼女は世界でごくわずかしか存在しない魔術師系統の天職の最高峰である【賢者】を授かった人物で、当時はまだ冒険者になって間もなかったがブロードと同じくその活躍を聞かない日はなかった。
そしてビエラは整った容姿でも注目されていて、多くのパーティーから勧誘を受けたと聞く。
しかし彼女は誰ともパーティーを組むことはしなかった。
話によれば、ビエラは平凡な天職しか授かっていない冒険者たちには興味ないと突っぱねたそうだ。
自分の才能を自覚しているからこそ、高飛車な性格に育ってしまい、同列の人間にしか興味がなくなってしまったものと思われる。
ゆえに期待の双星として並べて語られていた勇者ブロードには、逆に強い関心を示していた。
そのこともあってこちらのパーティーへの加入を提案してきたのだろうが、しかしブロードはビエラのその誘いを断った。
理由は、その後に続けられたビエラの台詞が原因だった。
『そんな数合わせの道具師なんかとパーティーを組んでいないで、もっと相応しい人物とパーティーを組むべきだわ』
今の冷静沈着で周りへの配慮が行き届いているビエラとは思えない台詞である。
しかし当時十五歳で高飛車だったビエラは、実際にそんな言葉を放ってブロードを怒らせてしまった。
『相応しい人物とならすでにパーティーを組んでいる。君こそこのパーティーに相応しくない人物だと僕は思うけどね』
あいつは俺のために怒ってくれて、ビエラと激しい口論まで繰り広げた。
この店でちょっとした騒ぎを起こしたというのはこの出来事である。
その後、ビエラは負けず嫌いなこともあってか、来る日も来る日も諦めずに俺たちにパーティー加入の提案をし続けてきた。
最終的には俺への侮辱を謝ってくれて、勇者パーティーで最初の仲間になってくれたわけだけど、あの時はブロードもビエラもまだまだ若かったなぁと感慨深く思ってしまう。
今ではビエラは、旅の中で成長したことで高飛車だった性格もすっかり落ち着いて、勇者パーティーで参謀やら歯止め役を担うまでになっているからな。
「あの時は申し訳なかったです。お店の中で言い争いをしてしまって」
「いやいや、別に謝ってもらおうと思ってこの話を持ち出したわけじゃないよ。それに店の営業の妨げになる騒ぎは勘弁だが、あれもあれで駆け出し冒険者たちらしい若々しいさえずりだったからね」
メルトンさんは嬉しそうに微笑みながら、お店の看板がかかっている方に目をやる。
駆け出し冒険者たちが集うこの食堂で、長年主人を務めているから、あのような言い争いはもう幾度となく見てきたのだろう。
彼女はニカッと豪快な笑みを浮かべて言った。
「またあの坊やを連れてうちに来なよ。腹いっぱい飯食わしてやるから」
少しだけ、駆け出し冒険者の頃の新鮮な気持ちを思い出し、俺は「はい!」と力強い頷きを返したのだった。