オルーフ王国には古くからの言い伝えがある。

 500年も昔、オルーフ王国には瘴気が漂い、各地で魔獣の出現が報告されていた。人々は魔獣の脅威に怯えながらの生活を強いられた。

 また、瘴気の影響により田畑は荒れ、虫や野草は姿を消した。その全ての元凶は世界で唯一の白髪を持つ魔王クラウトと噂される。

 事態を見かねた時の王は、人々の中で膨大な魔力を持ち人格者としても知られていた勇者ユリウスに、魔王を倒すように勅命を言い渡す。勇者ユリウスはこれを承諾し仲間と共に魔王を倒すための旅に出た。

 数年後、勇者ユリウス一向は、目的を完遂しオルーフ王国は平和を取り戻した。その際に勇者ユリウスは、国の平和と安穏を願い国の魔道士たちと共に王国を瘴気から守るために大変強固な結界を張った。その結界は500年たった現在でも一度も破られたことはない。

 そして現在、王都には聖剣を掲げる一人の男。悪しき魔王クラウトを倒し国に平和をもたらしたとされる、勇者ユリウスの像がある。国では年に一度勇者の功績を讃え、三日三晩豪華な祝宴が開かれた。だが時が経つにつれて人々は勇者の偉大な功績は忘れ、祝宴のみが形として残っている。

 ただ一つ言えることは、勇者ユリウスがいなければ、人々の生活はこれほどまで豊かにはならなかったということだけだ。

 また、現存する資料の中に魔王クラウトに関する資料は何一つとして残されてはいない。情報が少なかったのか、何者かによって盗まれてしまったのか、腐敗して捨てられてしまったのか、その一切は謎に包まれている。

 しかし一説によれば、勇者ユリウスが魔王に関する資料の全てを廃棄するように命じたとされている。勇者ユリウスが魔王をそれほどまでに嫌っていた理由は定かではない。これもまた憶測に過ぎないからである。

勇者ユリウスが魔王を討伐してから、500年。彼が魔術師たちと共にオルーフ王国中に張り巡らせた結界は、魔獣の出現を防ぎ、戦いの火の粉から人々を守り続けてきた。周辺諸国と比べて自然豊かで作物が多くとれ、住む人々はひもじさを知らない。まるで絵に描いたような理想郷だ。

 そして、隣国との境界部の山脈の中間にあり、のどかな棚田が広がる小さな村に少年アシェル・ロットは暮らしている。父親譲りで少し癖の入った黒髪を持ち、目には清流のように透き通った空の色。母親譲りのつり目で少々愛想が悪く見える。クールな容姿とは裏腹に、元気で危なっかしい12歳の年相応の少年だ。

  アシェルの朝は早い。日の出と共に一日が始まる。


「朝だよ!にわとり諸君、おはよう!!」


  寝癖をふよふよと漂わせて、バンっと勢いよく鶏舎の扉を開ける。寝ぼけていた鶏たちは瞬時に飛び起き、大合唱を始める。一つの巣の中を確認すると、卵が二、三個手に入った。全ての巣から卵を回収し終えると、両親が営む宿舎に急いだ。

  裏口から食堂に入り、ひょっこり顔を出すと、朝食のいい香りが鼻腔をくすぐった。今日の朝食の一品はじゃがいものスープらしい。


「母さん、父さん、おはよう!!卵もってきたよ。今日は特に隊長がいっぱい産んでたんだ」

「アシェル、おはよう。今日もありがとう。それから隊長には今度餌をたっぷりとあげないとダメね。それとここにある、ひよこ頭も少しは整えなければいけないわ」


  隊長とはアシェルが名付けた鶏だ。鶏舎にいる中で一番強い。母ローザは、手元にある寝癖たっぷりの頭を整える。


「えへへ、ありがと母さん。じゃあ、えっとぼく朝食の時間まで部屋で……」


「この間の誕生日にもらった本を読むの?いいわよ、特別に許可するわ。さっきからうずうずしてたでしょう。特別にお客さまを起こすのは代わりにやっておいてあげるわね。今朝起きるのが早かったのもそれが原因と見た」


  「やったぁ、母さんありがとう!」


 その様子を見ていた父ハリスが口を挟む。


「相変わらずローザさんはアシェルに甘い」


「あらそれは、あなたも同じでしょう。ハリス・ロット」


「そんなことはないさ。君のほうが……」


「もう何でもいいから!じゃあ、ぼく部屋行くね!」


  両親にハグをして速攻、会話も聞かず、嬉しさのあまり目をキラキラさせながら自室へ急ぐ。本棚から一冊の分厚い本を抜き出し机に広げた。先日、誕生日に両親からプレゼントとして受け取った剣術の本だ。基礎的なものから応用までさまざまなランクについて記されている。

 遡ること一ヶ月前、地方視察のために村には数名の騎士が訪れていた。そこで彼らは宿舎に泊まったお礼にと、剣舞を披露してくれたのだ。雄々しくもしなやかで、洗練された動きでその場にいた人々を魅了した。夏から秋に変わり、少し肌寒くなってきていたため、剣を振り下ろす時の音が鮮明に聞こえた。

アシェルもすっかり剣舞の虜になり、ずっと決めかねていた誕生日プレゼントはすぐに決まった。

 しかし、一見普通の子どもと思われるアシェルだが彼には誰にも言えない秘密がある。

 それはかつてこの国を滅ぼしかけたと伝えられる、魔王クラウトの生まれ変わりであるということ。アシェルが生まれた時に、両親は教会のガイル神父からそう告げられた。

 その時の両親の心情を推察することは容易い。おそらく大半の親は、子どもを協会に預けるという選択をするだろう。自分達の子が魔王の生まれ変わりだなんて、恐ろしいことこの上ない。

 けれども、アシェルの両親は決して手放そうとはしなかった。得体の知れない子どもを受け入れる決意をしたのである。ガイル神父はこれを大変心配したが、それとは裏腹にアシェルは一つの問題も起こすことはなくすくすくと成長した。今では元気で周りの大人に迷惑をかけるやんちゃ坊主だ。

  そうして両親からの愛情を一身に受け、最近12歳の誕生日を迎えた。この国では珍しい魔力の持ち主だが両親とガイル神父以外の人間には秘密だ。知られてしまったら面倒なことになる。 生まれ変わりといっても、アシェルに残る記憶はほとんどなく、あまり実感がないのが本音だった。

 だが彼は確かに大量の魔力を保有しており、幼い身にも関わらず魔術師としての才能も見え始めていた。その力は、かの魔王に匹敵するほど。記憶を持たなくとも存在自体が魔王の生まれ変わりであると告げていた。

 アシェルが剣術の本に熱中しているうちに、あっという間に時間が過ぎ、朝食の時間になった。母が呼ぶ声がして読んでいた剣術の本を閉じ、自室から食堂へと急ぐ。

  両親は宿屋を経営している。アシェルはそこの看板息子だ。旅人の間では有名な宿で、山岳地帯を移動する旅人や商人が利用してた。顔見知りも多く、旅人たちの紀行談や商人たちが仕入れた貴族たちの暴露話を聞くのが楽しみだった。

「みなさん、おはようございます!!」

 食堂いっぱいに響きわたる。毎日の客への挨拶はもはや日課のようなものだ。いつから始めたのかは覚えていない。見知った客はアシェルに挨拶を返してくれる。

  足早に、母から朝食の乗ったプレートを受け取り、ほくほくと気になる客の席に移動する。旅先での話を聞くことが目的だ。聞き出すためには最大限の笑顔を作って話しかけるのがコツだ。 釣り目が顔に埋もれてしまうくらいに。

 ちなみに今日のターゲットは靴職人のサドラーだ。髭の手入れはどんなに疲れていても欠かさない。何でも、隣の山を越える際に盗賊と遭遇したらしい。いかつい見た目とは裏腹に細かい丁寧な仕事をする。ロット一家もたびたびお世話になっていた。


「サドラーのおじさんおはようございます!今日もお髭が素敵ですね!」


「はよ、アシェル。元気だな。今日のターゲットは俺か?ご機嫌取りをしてくるってことは。今度は何の噂を聞きつけた?」


「そんな、そんな!機嫌なんてとってないですよ!おれいつもおじさんの髭かっこいいと思ってますよ!!本当に!」


「おいおい、残念だな、アシェル。お前は、俺がかっこいいのは髭だけ?」

 わざとらしくブンブンと頭を振る。あと一押し。


「いいえ!髭以外にも、袖口からか見える逞しい筋肉とか、刈り上げられた髪型とか、溢れ出る男気とか、かっこいいと思ってます!!」


「ははっ!嬉しいこと言ってくれるじゃねえか。さて、今日はどんな話が聞きたいんだ?」


「やったぁ!おじさん最高!!」


  ガッツポーズをして、心からの笑みを浮かべた。周囲の客や両親がまたかと肩をすくめたのはまた別の話である。
アシェルは鼻息を荒くしながら、教会への道を歩いていた。朝食の時間が長引いてしまったため、今日は森の中を突き抜ける近道を選択している。教会に行くのは魔力制御のための練習をするためだ。

 アシェルの持つ膨大な魔力を幼い体にとどめ続けておくことは難しい。そのため週に何度か教会に通い魔力制御の訓練を受けているのだ。教会は神に祈る場であると同時に魔力を持った子どもを訓練する場としても機能しているのである。そのため神父という立場のものは皆、少なからず魔力を保有している。

 アシェルが魔力を持っていることは、両親と教会のガイル神父しか知らない。そのため、教会に通っている表向きの理由は学習指導のためとしていた。

 アシェルの先生であるガイル神父は、薄茶色の瞳を持った神秘的な雰囲気をまとう人だった。村にいる唯一の神父さまであり、国から派遣された神官だ。村の女性たちからは大層人気である。

森の薄暗い雰囲気とは裏腹に、アシェルはうっとりとした顔つきで今朝の出来事を思い返していた。

今日の朝食はいつも以上にたくさんの収穫で、特にサドラーのおじさんが盗賊を追い返したという武勇伝は最高だった。きっと、あのたくましい筋肉質な腕で敵をなぎ倒していったに違いない。じぶんも胸がドキドキ、ワクワクするような冒険をして見たいものだ。

妄想にふけっていると何やら茂みの方から視線を感じた。ちらりと横目で確認する。視線に気づいていないふりをしながらも、頭の中では注意を向け続ける。

すると相手はアシェルが自分達の存在に気づいていないと踏み、一気に襲いにかかった。 たまにいるのだ、こういう連中が。子どもがたった一人で人通りのない森の中にいる。人攫いにとってはこれ以上ないほどの好条件な、獲物だ。男の子は労働力としても、見せものとしても高い値がつく。普通の子供ならまんまと攫って売りに出すことができたかもしれない。

もし、気づかれたとしてもアシェルくらいの子どもをとっ捕まえることくらい造作もないだろう。こどもを人質にして両親を脅し、金をむしりとればいいだけの話だ。 だが、それは普通の子どもの場合に限る。この日の人攫いはつくづく運が悪い。いっそのこと哀れだ。なぜなら、彼らが狙った獲物は、前世は最強の魔王である。

そんなことに気づきもしない人攫いは、いやらしくにんまりと口角を上げる。


(くっくく、今日の子どもは特におとなしそうだ。これだけ近づいているのに俺らに気づきもしねえ。まぬけだな)


毛むくじゃらな手で触れようとしたその時、のほほんと道を歩いていたアシェルは瞬時にくるりと振り向き、


“拘束”


唱えると同時に、空中から魔力で作られた縄が出現する。アシェルの瞳は魔力を帯び、まるで水晶玉のように神秘的だ。縄はとらえた相手がもがくほどきつく絡みついた。

一方で、あっさり捕まった人攫いたちはポカンと口を開けたままだ。間抜けな面をしている。アシェルはふうとため息をついた。どうやらうまくいったようだ。

腕を後ろで組んで近づき、にこりとあくまで子どもらしい無邪気な表情を意識する。


「ねえ、おじさんたちどうしたの?ぼくびっくりして拘束しちゃったけど痛くないですか。ところでどうしてこんなところにいたんですか?……何も聞こえませんけど。もしかして、なにか言えないようなことをしようとしていたのかな?」

「ひいっ……」


極力怖がらせないように配慮したつもりだったのだが、うまくいかなかったらしい。アシェルは眉をハの字にした。これだから人相の悪い顔は嫌なのだ。人攫いたちは顔面蒼白になり、ただ硬直するばかりである。彼らには、アシェルが地獄行きを宣告する無慈悲な審判に見えたに違いなかった。

人攫いに近づき、魔術を使う現場を見た記憶を消すことを試みる。


“消k……


「アシェル!後ろ!!」


名前を呼ぶ声が聞こえて振り返る。目線の先には


「ガイル神父さま!?どうしてここに」


なんだか焦っている様子だ。


「それはこっちのセリフだ、見るなばか!後ろを見ろ!」

「後ろって……」


振り向くと、棍棒を今にもアシェルに振り落とそうとせんばかりの大男。おそらく魔術を発動させるのには間に合わない。縛られている奴らの仲間だろうか。この辺りののどこかに隠れ、状況を見定めていたのだろう。万が一仲間がしくじった時の保険のために。 
大男は高揚し表情が欲望に歪んでいく。


「はははっ!!まさかこんなど田舎に魔力もちの小僧がいるとは、とんだ上玉だ!少しおとなしくしといてもらうぜぇぇぇぇ!!!」


アシェルはこの状況を他人事のように感じていた。時が過ぎるのがやけに遅く感じる。恐怖心が芽生えなかったわけではない。ただ、それ以上に彼の心を占拠しているものがあった。


ぼくはこの状況を(・・・・・・・・)知っている(・・・・・)


今までアシェルは、これほどまでの危険にさらされたことがない。だが心がこの状況を知っていると、強く訴えかける。正確には、この状況に酷似(こくじ)している、なにか。 他者に命を握られているこの感覚。

 身の危険を感じながら、何もできずにいるということはこんなにも恐ろしい。

鈍い音が聞こえた。血の気がひく心地がして、なにかに(いざな)われるかのように、揺れる視界の中、意識を手放した。
「ん……」

瞼を擦りながら目を開ける。そこは何もないただ真っ白な空間だった。アシェルはついさっき、人攫いうちの一人に頭を殴られたはずだ。それなのに、この空間は一体。

「ええ……」

すると突然空間がぐにゃりと歪んだ。息つく間もなく、歪みは一つの四角の形をとった。そこには、ある小さな小屋の中が映し出されている。ふらりと誘われるようにして、それに近づいた。

見れば、アシェルよりも少し幼そうな黒髪の男の子が部屋の隅でうずくまっている。ぼろぼろの衣服に棒のようにほっそりとした腕。彼は何かに怯えているように思えた。目を伏せがちにして、周囲の様子を伺っている。部屋に近づく足音がしたかと思うと、酒に酔った女が入ってきた。縮こまる子どもの胸ぐらを掴んで、暴言を浴びせる。

「こんな、出来損ない産むんじゃなかった。あんたなんかいなければ、私は幸せになれたのに!!!」

額に嫌な汗が浮かんでくる。
ごめんなさい、ごめんなさい。いい子にするから乱暴なことしないで。

場面が変わる。出てきたのは、先ほど小屋にいた少年だ。いや青年というべきか。数年経っているようで、身長が伸びている。だが、衣服は変らずぼろぼろのまま。捨てられたごみを漁っている。小太りの男がやってきた。青年を蹴り飛ばす。体を壁に打ち付けられる。小太りの男は青年が抵抗しないとわかり、体を力いっぱい踏みつけた。何度も、何度も。

「お前ら孤児にやるものなんざ、一つもねえ!なんせ、親に見捨てられたごみの証だからぁなぁ」

ひゅっと息が詰まる。
痛い、痛い。でもお腹が空きすぎて、何もできない。

小太りの男に殴られ、立ち去った後も青年はその場から動かなかった。手足に力が入る様子もない。雨が降ってきていた。すると、青年の前で一人の少女が立ち止まり、傘を差し出した。

「あなた、雨が降ってきていますのよ。まあ、なんてひどい怪我!屋敷へいらして、手当てをしなくちゃならないわ」

 瞼が微かに震える。
 こんな、出来損ないになんの用事だろう。臓器でも取って売られるのかなぁ。

その後、青年は少女の屋敷で手厚い看護を受けた。そして、屋敷の主人は、ちょうど庭師の見習いがもう一人欲しかったのだと、身寄りのない青年を屋敷に置いてさえくれた。青年はそれを承諾した。

「君は今日から、この屋敷の一員となる。その名に恥じぬよう、励みなさい」

何かに強く打たれたような気分だった。
どうして、この人たちは僕をここに置いてくださるのだろう。わからない。

青年は仕事を着実にこなしていった。覚えも早く、丁寧だった。屋敷の者たちも優しく、次第に少年は彼らを信頼し、心を開いていった。庭師の見習いである金髪の青年ともすぐに打ち解けた。彼もまた孤児だったから。ある日、青年は少女に頼まれ側に着いて、庭を散策していた。少女のふわふわとした茶髪を風がさらっていく。

「まあ、ここの手入れはあなたがしてくださったの?素敵ね。わたしこのお庭の中で、この場所がいっとう好きよ」

瞳が揺らぎ、胸が甘く痛む、震える心地がした。
ああ、ぼくは彼女を尊敬して、そして愛してる。

時が流れた。青年が屋敷にやってきて数年後、大人へと成長した彼は、美しい黒髪に翡翠色の瞳をもつ、立派な紳士となっていた。少女も麗しい女性となり結婚を間近に控えていた。その日は木枯らしが吹く、秋の日だった。屋敷の一室で火災が発生した。庭の剪定をしていた黒髪の男は異変に気づき、すぐさま金髪の男と屋敷に向かった。そこは火の海だった。木造式の家屋はもう手のほどこしようがなくただ、炭と化すのを待つのみ。すると、集まっていた使用人の一人が悲鳴を上げた。

「お嬢さま、お嬢さまがいらっしゃらないわ……!!」

それを聞くと体が自然と動き出し、静止も聞かず、火の海に飛び込んでいた。
どこにいる。あなたがいない世界はもう耐えられない。

黒髪の男は炎に飲み込まれそうになりながらも、まだ屋敷の中にいるであろう人を探し続けた。何個目かの部屋の中に女性はいた。体にこそ無事だったものの煙を吸い込んでしまったのか、意識が朦朧としている様子である。すると、天井からメキメキと板の剥がれる音がした。炎に包まれた木材が二人に降り注ぐ。炎が迫ってきている、逃げる場所などない。それでも男は生きようと必死だった。

“止まれ”

火だるまが静止した。その隙に女性を抱き上げその場を後にする。
どうしてだろう、力が溢れる。今なら、なんでもできるような気がしているんだ。

しばらくして、男は女性を抱えて戻ってきた。わずかだが彼女には息があった。男の黒髪は炎に晒されたせいか、所々白くなっていた。翡翠色の瞳だけが神秘を纏い、輝いている。次の瞬間その瞳が、輝きを失って漆黒の絶望に変わった。眼前に広がる血溜まり。いつも屋敷で働く同僚たちが地面に転がっている。すぐさまハンカチを敷き、女性をその場に横たえさせた。倒れている人たちにいくら呼びかけても、答えることはない。その中には金髪の男の姿もあった。

「ど、うして」

すると駆けつける保安官の声が聞こえてきた。

「ここだ!おい、そこで何をしている。ちょっと待て……あいつ魔力持ちだ!捕らえろ、やつが犯人だ!!」

 自然と足が動き出していた。足がもつれる。涙で視界が歪む、口に端から呻きが零れた。
どうして、どうして。俺の大切なものばかり奪う?もう、どうすればいいのか、わからない。

 当時、魔力持ちが異端児として蔑まれていた時代。黒髪の男が魔力持ちであると、警官に知られてしまった。保安隊本部は通報者や目撃者からの証言を元に、犯人は魔力持ちであると断定。彼は、公爵家に火をつけ、使用人を惨殺した愚かな裏切り者として、国中に指名手配された。だが保安隊が、どんなに人員を動員し、力を尽くしても、男を見つけることはできなかった。
 噂が噂を呼び、話が肥大化していく。そして事件から数年後、国は黒髪の男、もとい魔王と呼ばれる男を討伐するために、美しい金髪を持つ勇者一行を派遣した。
戦いの末に、魔王は敗北した。魂の抜けた、からっぽの体の前に勇者がたたずむ。
一瞬勇者の絹のような滑らかな肌に雫が滴るように見えた。だがすぐに、降り続く雪と風と共に、消えていった。

 そこで、映像が途絶えた。歪みがなくなり、ただの白い空間へと戻る。同時に、その空間さえも綻びを見せ始めた。アシェルは体ごと、闇に放り投げられる。あまりに一瞬の出来事で、状況がわからない。

 けれど自分の中に広がっていく、このどうしようもない絶望感は一体何なのだろう。どうしようもない切なさと、寂しさが襲ってくる。右も左も真っ暗な闇。
すると、リィンと軽やかな風のような鈴の音が聞こえた。夏の風のように軽やかな癒しの音。この音には聞き覚えがあった。

「ガイル神父さま」

音が聞こえた方向を見るとわずかな光が見える。アシェルは必死に光の方へ行こうと手を伸ばした。

ガイル神父さまと何度も叫ぶ。間違いなくこれは神父さまがご祈祷の際に使っている神杖の鈴の音だ。そしてアシェルを呼び戻そうと言わんばかりに音が大きくなっていく。

この恐ろしい空間から早く脱してしまいたい。両親やガイル神父のところに行きたい。そう思いながら必死に手を伸ばした。

「……アシェル、アシェル、アシェル!」
 
名前を呼ぶ声がだんだんと大きくなっていく。瞼がひどく重い。全身の力が抜けていて、力がうまく入らなかった。ただアシェルを呼ぶ声があまりにも必死なので、無理やり目をこじ開けた。しかし視界は暗くよく見ようと目を凝らしても、見覚えのないものが並ぶ場所だった。

ここはどこだろう、ガイル神父の声が聞こえたと感じたのだが気のせいで、実はまだあの何もない空間にいるままなのだろうか。

そう思ったら背中からゾッと冷えていく心地がした。

するとシャランとあの鈴の音がした。アシェルは音の鳴った方向を目だけで追った。

「……ガイル神父さま?」

 ぼやけた視界には一人しか映らなかった。輪郭もぼやけているため判別しづらいが、真っ白なローブに色素の薄い髪が見える。この特徴を持つ人物はアシェルが知っている限り村のガイル神父だけだ。

「!アシェル意識が戻ったのか!?ここは教会で盗賊に頭を打たれて、十日間眠っていたんだ。もし意識があるなら私の右手を握ってくれ」

 そう言って彼はアシェルの右手を握る。アシェルもそれに応えるように震える手で小さく握り返すと、頭上からふうとため息をつく音が聞こえた。頭に手を乗せられる。

「アシェルよく頑張ったな、もう大丈夫だ」

 さっきの焦った声色とは違い落ち着いている。その言葉はアシェルにあの悪夢は終わったのだと知らせてくれた。あの悪夢は終わったのだ。恐怖から脱した安堵なのか、はたまた別のものなのか。儚げな空色の瞳から一筋の涙を流した。

 アシェルが目を覚ましたのは夜中だったため、翌日目を覚ましたという知らせを受けた両親ロット夫妻が教会に駆けつけた。到着するや否や母ローザはたまらないというようにして、小さなアシェルの体を抱きしめた。

「ああ、アシェル本当によかった。十日も目を覚まさなかったのよ、どれだけ心配したことか。だから一人で森に行ってはいけないと言っていたのに!」

 これはアシェルにとっては耳の痛い話だった。ずっと両親から言われていたことだ。森に一人で入ってはいけない、山賊が通り道にしている可能性があるからと。魔力持ちでもあるアシェルはより気をつけなければならなかった。

「ごめんなさい、母さん父さん」

 思い返せばアシェルには驕りがあったように思う。自分の魔法の実力は大人にだって劣らないと考えていたし、自分の身ぐらい自分で守ることができる。当たり前のようにそう思っていてしまっていた。

 こんなことになるなんて想像していなかった。恐ろしい目に遭うだなんて想像していなかった。その恐ろしさがアシェルの中に広がっていく。

視界がだんだんとぼやけて、止めようと思って止められるものではなかった。見かねた父ハリスはアシェルの頬を濡らす涙を拭いながら言った。

「アシェル泣かないで。でも、ローザさんを見てわかると思うけど母さんも父さんもアシェルの目が覚めなくて気が気じゃなかったんだ。それだけはわかってほしい、アシェルは俺たちの宝物だから。ずっとずっと君の成長を見守っていきたいと思っていて、ずっと元気で笑っていてほしいんだよ」

 最後に本当に目が覚めてよかったと付け足して、ハリスはアシェルとローザを包み込むようにして抱きしめる。その言葉を聞いてアシェルの瞳からはますます涙が溢れてくるのだった。

その後、アシェルは両親同席のもとガイル神父からなぜ教会で治療を受けていたのか、説明を受けた。そして襲ってきた人攫いたちは神父や村の人たちの手によってこの地域一体を守っている警備隊に引き渡されたそうだ。

まだ体調が完全に戻ったとは言えないのでひとまずアシェルは家には戻らず、教会で様子を見ることになった。ローザとハリスは昼の間はアシェルの世話をやいていたが夕方には名残惜しそうにしながらも宿屋の運営のために帰っていってしまった。

 両親がいなくなり暇になったアシェルはベッドに寝転がりながら悪態をつく。

「あーあ、まだ家に帰れないのかあ」

十日も眠っていたというのだから、宿屋の客たち入れ替わって新しい冒険の話を持っているに違いないのに。正直今すぐにでも家に帰りたかった。

「だめだ、体調が戻ってからじゃないと。今お前の目を離すわけにはいかないからな」

 アシェルに飲ませるための薬を持ってきた神父さまが言った。

「あれ、もうその口調でいいんですね」

「いい、今教会には俺とお前しかいないから、ちゃんとする必要ないだろ」

 ローザとハリスがいた時は真剣な表情であんなに丁寧な口調で話していたのに、今では無表情でぶっきらぼうな口調になっている。アシェルといるときはいつもこうだ。初めて出会った時からこの調子だったため、初めてアシェル以外の人と話している様子を見た時には衝撃を受けた。その時の神父さまは容姿に違わず礼儀正しいしっかり者といった感じだった。未だにその姿は見慣れない。

「……言いたいことがあるなら言ったらどうなんだ」

 痺れを切らしたようにガイル神父は言った。どうやら気づかれていたらしい。それもそのはずで、アシェルはさっきから口を尖らせてモジモジしていた。

「さっき説明していたことは、さっきのことが全てなんですか?」

 さっきのこととはアシェルが両親と共に説明を受けたアシェルの身柄が教会にある理由のことを指している。確かにアシェルは教会にいく途中で人攫いに襲われた。その流れで一時的な治療のために教会にいるのならまだ説明がつく。だが十日間も目を覚まさずにいたのに病院ではなく教会で治療を受けていた。病院は村の中にあるにも関わらず、だ。

 先ほどはアシェルの容体が安定せず、病院に移すのにも体に負荷がかかってしまうため危険だと判断し教会で治療をしていたと言っていた。両親に体の状態をどう説明していたのかわからないが頭を打たれただけでそんなことになるだろうか。

アシェルに専門的な知識はないので深く考えることはできないが、打ちどころが悪かったとしたらなおさら、病院に行き医者に見せた方が良かったように思う。
 
「お前はどうしてこんな時にかぎって勘がいいんだろうな」

 ため息を吐きながらガイル神父がいう。

「アシェルが倒れた後、俺はその場にいた盗賊を魔法で縛り上げて容体を見たんだ。お前に目立った外傷はなかったが、体内での魔力の暴走が起きかけていることがわかった」

 魔力の暴走。これは魔力を持って生まれた子どもによく現れる現象だった。そして子どもは暴走を何度か経験することで体内にある魔力を制御する術を身につけていくのだ。

 しかし、アシェルは今まで魔力の暴走というものを経験したことがなかった。魔王クラウトの生まれ変わりであるため、魔力の暴走による被害は計り知れない。そのため神父さまによって魔力の管理を徹底されていた。

 魔力は成長するにつれて増幅していくものだったが、アシェルは生まれた時から成人男性並みの魔力を持っていた。そして12歳になった今ではより多くの魔力を保有している。

 通常子どもの魔力の暴走というのは、重症と言われる症状でさえ高熱が出て数日間寝込むだけのものだ。しかし、アシェルの場合は違う。前例が無いに等しいため、どんな症状が出るかわからないのだ。

 そのため何が起きても対処でき、万が一の時に人々に迷惑がかからないように教会で面倒を見ることにすると決めたとガイル神父は語った。

「そうだったんですね……」

 思っていた以上に深刻な事態になっていたことにアシェルは衝撃を受けた。

「今回は魔力が暴走せずに済んだが、俺が見つけていなければどうなっていたか。最悪、あの人攫いともども魔力の暴走に巻き込まれて死ぬところだったんだ。これに懲りたら、人通りのない道を通るのは控えろよ。危険なことはするな」

「はい」

 大人しくアシェルは返答する。ガイル神父の言葉はもっともだった。

「……何か他に言っておきたいことはあるか」

ガイル神父に尋ねられて一番に思いついたのは、あの空間での出来事だった。あれはただの夢に過ぎなかったのか、はたまた実際に起こった出来事なのか。アシェルには確認する術がない。それにうまく説明する方法も今は持ち合わせていなかった。

「特にないです」

わかった、と返答される。それからガイル神父様から、今日は疲れただろうからもう寝ろと言われて早々にベッドの中に入った。

10日間も眠っていたというのだから、寝付けるか不安ではあった。しかしそれは杞憂で終り、数分もすればアシェルは寝息を立てていた。

それから数日後の夜、アシェルは中々寝付けないでいた。理由は明白だ。日中は教会から外出することなく、出ることができたとしてもガイル神父と隣接する孤児院に行く時だけだった。よって体力が有り余っている。

 すっかり暗闇にも目が慣れてしまい、窓から差し込む月の光でさえも眠気がなくなる要因になりつつあった。

「眠れない……」

 そっと呟いた声は、暗闇に溶けていく。

 すると、部屋の扉がコンコンと叩かれる音が聞こえた。アシェルはベッドから起き上がり、扉の前まで行く。この教会には神父さまとアシェルしかいないが先日人攫いに襲われたこともあり、慎重になる。

 もしものことがあった場合すぐに対処できるようほんの少しだけ扉を開けた。

 すると、ぬっと扉に手がかけられ扉が大きく開かれる。アシェルは思わず身構えた。ぎゅっと目を瞑る。

「アシェルまだ起きていたのか」

 来訪者の正体はガイル神父だった。ほっとして、胸を撫で下ろす。

「ガイル神父さまどうしたんですか、こんな夜中に。びっくりしたんですけど」

「悪い、驚かせた。夜の村の巡回に行く途中でお前の部屋の前を通ったら声が聞こえた気がしてな。早く寝ろと忠告しようと思ったんだ」

 なるほどそういうことか。

  ガイル神父の行動はまるで夜更かしをした子どもを発見した親そのものである。
 そしてアシェルは耳ざとく、夜の巡回という言葉を捉えた。外に出られるチャンスだ。

「その夜の巡回、僕もついていっちゃ駄目ですか」

 そう言うと思ったと言わんばかりに、ガイル神父は顔をしかめる。

「駄目だ。お前は病み上がりなんだ。ちゃんと寝てろ」

「寝過ぎて目が冴えちゃってるんですよ。日中も外に出られないですし。体力が余っちゃて」

 そんなこと言うならそのうち勝手に外に出ちゃうかもしれないですねー、と冗談混じりに言ってみる。ちなみに人攫いに襲われた件については、アシェルは十分に反省している。もしこれで反対されたとしても、敷地の外には出ない。教会の敷地内でもう少し自由に動き回るかもしれないけれど。

 対してガイル神父は額に手を当ててため息をついた。降参だといった様子である。

「わかった、つれていく。勝手に外に出られても困るからな。アシェルのご両親とも面倒はしっかりとみると約束しているし」

 もう出発するから準備しろと言われて、アシェルは急いで寝衣の上からもこもこの白い上着を羽織った。それは宿屋に宿泊していたキャラバンのうちの一つから誕生日プレゼントとしてもらったものだった。アシェルの誕生日は秋から冬の間にあるのでありがたい代物である。

 教会の外に出ると夜の冷たい風が顔にかかる。吐く息はほんの少し白くなっていた。ガイル神父から受け取ったランタンの取手の部分を握る。

「ランタンでちゃんと道を照らすんだ。暗いからな、転ばないように気をつけろよ」

 先ほども思ったがまるで母親のようだ。そんなことを言ったらガイル神父に何を言われるのかわからないので、言わないでおく。

「ガイル神父さまは毎日夜中に村を巡回しているんですか」

「いや、毎日ではないな。巡回と言っても教会が所有している土地に異常がないか確認する程度だ」

 会話をしながらどんどん夜道を進んでいく。教会が所有している土地には、有事に備えて各教会の神父さまが設置した結界が貼ってある。

ガイル神父曰く、貼られた結界の強さは人によって異なるらしい。それでも人々を守る効果は確かなもので、ある一定の基準を満たした神父さまが結界を張っているそうだ。

「よしこれで終わりっと」

 いくつかの結界の確認を終えたガイル神父が腰をあげる。後ろでランプを持って控えているアシェルに問いかけた。

「まだ眠くはないか」

「はい全然。むしろさっきよりも目が覚めました」

「そうか、じゃあもう少し歩こう」

 アシェルはそう促されて、ガイル神父の後ろをついていく。夜の外出が長引いたことは素直に嬉しいが、どこにつれて行かれているのだろう。

「ガイル神父さま、どこへ向かっているんですか」

「ついてからのお楽しみだ」

 答えるつもりはないらしい。アシェルはその言葉に素直に従いそれ以上は聞かなかった。

 草むらを抜けて、少し坂になっている道を歩いていく。歩くことに少々疲れてきた頃、ガイル神父は足を止めた。

「アシェル、着いたぞ」

「わあ……!」

坂の上に広がる景色を見て、思わず驚嘆の声を上げた。

 アシェルたちの眼前には、月明かりに照らされて金色に光る花が群生していた。花弁は透き通っていて、儚げに揺れている。触れたら消えてしまいそうだ。

「僕この花初めて見ました」

「そうだろうな、この花は満月の夜にのみ咲く。しかも咲く期間と場所が限られているから、知っている人が少ないんだ」

「へえ、特別な花なんですね」

 その場にしゃがみ込んでまじまじと金色に光る花を見つめる。暖かな光だ。幻想的で、美しい。アシェルはすっかり魅了されていた。

「この花の名前は何て言うんですか」

 花々を見ながら問いかけるアシェルの隣に立ち、ガイル神父は答える。

「花の名前はハク」

「ハク?」

 あまり聞いたことがない発音の言葉だ。

「聞きなじみのない言葉だろう。人々の間では別名で呼ばれているからな。……この話はまあいい。この花は遥か昔にはすでに存在していたと言われている。一説によれば500年前の勇者によって名付けられたとされているんだ」

 500年前の勇者。それは魔王クラウトを倒したとされる人。

 ガイル神父はその話をするためにアシェルをこの花畑につれてきたのだろうか。

 同時に人攫いに襲われ意識を失っていた時に見たあの空間での光景を思い出す。夢とは言えないほど現実的で、おそらく魔王クラウトの記憶であったもの。アシェルはもう気がついていた。

「……ごめん、困らせたな」

 いいえと言ってしまえば嘘になる。けれど、アシェルと魔王クラウトは違う。この世界に生を受けて約12年。両親の愛情を一身に受け、宿屋の客人やガイル神父に大切にされてきた。人攫いに襲われた一連の出来事からもそう実感する。

 あの空間で見た出来事を今なら、話すことができる気がした。

「僕ガイル神父さまに言っておきたいことがあるんです」

「……なんだ」

「人攫いに襲われて意識を失っている間、前世の……魔王クラウトの記憶を見ていました」

 ガイル神父は目を見開いた。いつも表情を崩さないので、これは珍しい表情だ。

「断片的ではありましたが、あれは魔王クラウトが実際に体験した出来事だと思います」

 クライスはあの空間で見た出来事を伝えた。ガイル神父は沈黙しながら、じっと話を聞いていた。

 あの時感じた、寂しさ切なさにどうしようもない絶望感。今でもはっきりと思い出せる。それは、見ていた出来事がかつてアシェルの身に起こったことだと理解する。

「正直まだ混乱しています。僕にはアシェル・ロットという名前があって、でも魔王クラウトだったことも事実で。あの空間で感じた苦しかった感情も全部本物だった。自分が誰でこれからどうしていくべきなのか、今はわかりません」

 別人の出来事だと言ってしまいなそれまでだ。しかし今はどうしても切り捨てることができない。

「アシェル……」

「前世のことなんて今まで知ろうとしてこなかった。でも、記憶を見てそうじゃ駄目なんだと思いました。これから僕が生きていく上で知らなくちゃいけないんだって」
 
「本当にそう思うのか、強がっているのではなく」

「本当です。僕はこんな時に嘘つかないですよ」

 それもそうだな、とガイル神父は言う。声色は優しかった。

 それだけでアシェルは安心する。受け入れてくれる人がいることは心強かった。

「だから僕決めたんです。せめて、もう前世の間違いは繰り返さないって」

 教会で療養している間ずっと考えていた。あの空間で見た記憶のことを。

 魔王クラウトは膨大な魔力を持ち人々から恐れられていた。今回見た記憶の中でアシェルがわかったのはそれだけだ。

 けれどその過去を繰り返さないようにすることはできる。たった一人で生きていくことがないように。あの寂しさを経験することがないように。

「だからまず僕が持つ魔力を完璧に制御して操れるようにしていきたいです」

 以前からガイル神父さまから魔力を制御する方法を教えられていた。しかしアシェルは、人攫いに襲われ魔力の暴走を起こしかけた。

 今までのままでは足りないのだ。それなりに一生懸命取り組んでいるつもりではあった。けれどまだまだ足りない。生半可なものではだめだ。

 生まれた時からまとわりつく過去はこんなにも重く苦しいものだったのだ。

「わかった、俺も協力する。……だがそれもお前が16歳になる時までだ」

「……え?」

「16歳になったら王都にある学校、ダーレへ行くんだ。この村で俺がしてやれることにも限りがあるからな。この国で一番を争うくらいの学校だ。貴族も平民も関係ない、平等な学問を提供することを学校として掲げている。きっとお前の将来に役立つだろう」

 アシェルにとっては思いもよらない提案だった。

「学校ですか」

「前から考えていたことだ。どうだ挑戦してみないか?」

 学校へ行くことなんて考えたことがなかった。学校は通うだけでも相当な額がかかってしまう。ゆえに貴族以外の人々はよほど才能がない限り、学校へは通わず必要な知識は両親や他の周りの大人たちから教えてもらうのだ。

 アシェルも例外ではない。文字の読み書きは最低限できるものの、専門的な知識はさっぱりだ。誕生日にもらった剣術の本も専門用語はわからないため読み飛ばしてしまっている。要するにほとんど勘で読んでいるのだ。

 16歳になるまで約4年。勉強面では苦労しそうだが、挑戦する価値はあるだろう。

「やってみたいです」

 ガイル神父はアシェルの背中に手を当てる。

「よく言った。これから大変になるぞ、あと4年しかないからな、一緒に頑張ろう」

 アシェルははい、と返事をする。

 漆黒の夜空には、形の異なる星々が浮かんでいる。その星々に似た光を纏う花に囲まれながら、未来に想いを馳せた。