今さら、信じないでしょと言われても、初手に『殺したい人間いる?』なんてぶつけてきた相手だから、新たな驚きもなくて。
それに、本当に妙なハナシ、しっくりくる。影も声も形も感触もあるのに。……彼がここに存在しているっていう実感が得られないんだもん。

存在感がないと表現するには少し違う気がする。

街を歩けば10人中10人が振り返るほど綺麗な容姿に加えて、周りを呑むほどの静けさを纏った圧倒的な雰囲気があって。むしろ存在感しかないはずなのに、その美しさがバリアみたいに働いている。
こちらを魅了すると同時に手の届かないものだと理解させてくる。

そんなあらゆる違和感も──死神なら、あっさり腑に落ちる。

……って、やばやばである。
こんな簡単に信じそうなるなんて、私、将来アブナイ宗教に引っかるんじゃないの!
次の瞬間にはグサリと刺されちゃうかもしれないし早く逃げないと。


「手……離してください」

「いいけど、その代わりにお前が殺したいやつ一人教えてよ。それが条件」

「へ? いや……そんな人いないです」

「死ぬはずだったお前が死ななかった。だから代わりの誰かが死ななきゃいけない。数字はきっかり合わせないといけないからね」


にこっと柔らかい笑顔の裏に、凍てつくほどの冷たさを感じた。

──ああ、やっぱりこの人は死神かもしれない。
死神じゃなくても、それと同等の恐ろしい存在なのは間違いない。


今、無理やり手を振りほどいて逃げたとしても逃げ切れる気がしない。物理的にはもちろんだけど、今もう既に、目に見えないもので縛られている気さえしてくる。

恐怖のせいか思考が鈍くなる。しまいには、どうにでもなっちゃえ、と、とつぜん諦めの境地に入ってしまった。

だって……大層な人生歩んでないし。しにたいとか思ったことないけど、しぬならべつにそれでいいもしれない。特に夢もないし何か熱狂的にハマっているものがあるわけでもないし。


友達のことは好きだし大事だけど、それだけ。
“きらきらJK(笑)”、楽しいよ。みんなといるとき、ちゃんと心から楽しいなって思ってる。ただ、それ以上でもそれ以下でもない。
自分のこういう薄っぺらいところ、ずっときらいだったんだよね。

強いて言うなら誰かと恋人になって愛し合ってみたかったけど、気になってた人にはこの前彼女ができたみたいだし……ザンネンでした。

私……いつからこんな風になっちゃったのかな。好きとか楽しいとか、そういう世界から不意に我に返る瞬間がときたまあって、その瞬間がなによりも怖い。そう、下手したらこの人より怖いかも。



「名前……なんて言うんですか?」


今度は、頭でセリフを準備する前に声が出た。


「名前……俺の?」

「そうです……はい」

「俺は夏川」

「ナツカワ? 死神にも苗字とかあるんだ……」


「そう、苗字というか名前というか、上の連中が付けた呼び名がある。俺は夏の日に川で死んだから夏川」

「しんだ……、しんだんですか?」

「そう、悪趣味な由来でしょ。記憶がないから本当かはわからないけどね、死んだってのも含めて」


しんだ……しんだってことは、かつては、


「俺も人間だったのかも」

思考を読んだようなタイミングでそう言われて、ぞく、としたものが背中を駆け抜ける。


「上の連中のハナシによれば、こっちのセカイにも閻魔大王様みたいな一番偉い存在がいるらしくてね、そいつが、死んだ人間の中から死神の適性があるやつを引き抜くんだって」

「へえ……じゃあ夏川さんは選ばれし者ってことなんですね」

「超ポジティブに捉えればそうかも。てかタメ語でいいよ、あんま歳変わらんし。知らんけど」


そこまで言うと、彼は──夏川くんは再び私の手を引いて歩き始めた。私はそうされることが当たり前のように足を踏み出した。
数秒後、彼のハナシをすんなり受け止めている自分に気づいて、あっと驚く。

いや、信じたわけじゃないもん。根っから信じてないわけでもないけど! うーん、どうだろ、なにこれ。ぐちゃぐちゃでよくわかんなくなってきた。


「俺もね、」

狭い路地を右に曲がったとき、ふと、静かな声が落とされた。

「俺も、自分がおかしいんじゃないかって今でもときどき疑うことがある。実は精神異常者で、死神なんてのは思い込みにすぎなくて。しまいには見えてる世界ぜーんぶ妄想なんじゃないかとか」

声が静かなのは相変わらずだけど、今、微かに震えていたような。


「でもザンネンながら違った。俺はこの世界に確かに存在してるけど、お前みたいに生きてない」

「…………」

「人間の終わりを見届ける使命があって、ときには誰かの命を選んで無理やり奪うこともできる得体のしれないナニカ」

──────だめだ、やっぱりしっくりきてしまう。
あっさり納得できてしまう。

今、間違いなく夏川くんの手に触れている。人間のそれと全く違わない肌の感触もある。だけどやっぱり……温度がない。

“ない”ってなんだろうと思いつつ、ナイものはナイ。凍えるようでも、普通に冷たいわけでも、ぬるいわけでも、あったかいわけでも、熱いわけでも、火傷しそうでも……どれでもない。奇妙だ。本当に奇妙。

だけどおかしなことに、その奇妙さを不気味に感じることなく、私はただ受け入れている。

繋がれた手に、初めて自分から力を込めてみた。
驚いたのか、夏川くんが振り向く。


「どうしたの、伊藤りりこちゃん」

「なんか、本当に生きてないんだなって……ちゃんと存在してるのに生きてない。ただの物質みたい」

「…………」

相手が息を呑んだ気配で、また我に返る。


「っごめん!! 言葉の選び方間違えた、物質とか言って、その、モノ扱いしたいわけじゃなくて……っ」

「大丈夫、まさにそんな感じだから」


夏川くんはそう言って、私の手を自分の胸元へと誘導した。
夏川くんの、胸元の、左側。ぴたりと重ねてみても、そこにあるべきものが感じられない。


「……うそだ、そんなわけない」

「服の中まで確かめていいよ」

「っ、あ……」


今度はシャツの裾から滑り込むようにして肌をなぞらせられる。
直に触れてみても、結果は同じ。


「人のかたちを為して存在してるけど、生きてない。俺はそういうモノなの」

「……………、うん、わかった」

「はは、わかっちゃったか」

「心臓がないんだもん」


「そうだよ。心臓“だけ”がない。肺はあるから空気を吸ったり吐いたりできる。肌を切れば血も出てくる。無論、それらもヒトの細胞や器官と同じ役割をもったナニカにすぎないんだけど。人間の真似ごとはだいたいできるよ」

「だいたい……。そんなに、できるんだ」

「そう。だから、例えば……」


不意に距離が近づいて、目の前に影がかかる。

唇が、触れる……

「こういうことはもちろん、もっとえろいことだってできる」

かと、思った。

触れるか触れないかギリギリのラインを攻めて、ゆっくりと離れていく。その様子をぼんやりと追いかける。彼の昏い瞳が、すうっと妖しく弧を描いた。

ワンテンポ遅れて、首から上がかーっと熱をもった。

今……っ、今……!
奪われるかと思っ……!!


「はは、真っ赤な顔」

「〜っ、わ、私たち初対面だよねっ? 冗談でもしていいことと悪いことがあると思うんだけど……っ」

「“だいたいできる”ことの一例をわかりやすく示してあげただけ」

「もうわかったっ、もういいからっ!」


さっきまでの恐ろしさはどこへ行ったのか。暴力的に綺麗なお顔だとか綺麗すぎて手が届かない存在だとか、ちょっと買いかぶりすぎてたかも。

今は、めちゃくちゃ顔がいい(中身はその辺にいる)ただの男子高校生にしか見えない─────


「ま、茶番はこの辺にして。本題に戻るけど、殺してほしい人間をひとり教えて」


─────いや、撤回。この人(?)やっぱり普通に普通じゃない。
初めと同じ異様な静けさだけを纏った声に、私はごくりと息を呑む。

──『殺してほしい人間いる?』

茶番だと思っていたあのやりとりは茶番じゃなかった。
声で、瞳で、嫌でもわからせてくる。もう観念するしかない。


殺してほしい人間がいるか。
私の中ですでに答えは出てるんだけどね、焦らしてごめんなさい。答える前に私も知っておきたいことができちゃった。

ギブアンドテイクだよ、秘密を共有するなら、対等な関係でいなくちゃでしょ。


「……わかった。真剣に考えてみる。その代わり、死神……のシステムみたいなのと、あと、夏川くん自身のことを詳しく教えてほしいんだけど」

………いい?
首を傾げて見つめれば、彼は一度、視線を斜めに逸らした。それからまた、ゆっくりと私に戻した。


「嫌だけど、いいよ」

その声は少しだけ震えていた。



夏川くんは色んなことを教えてくれた。

前述の通り、死神(って言葉は夏川くんいわく俗っぽくて嫌いらしいけど、他に言いようがないので仕方ない)は、死んだ人たちの中から選出される。

その姿かたちは、死んだ当時を写したもの。生きていたときの記憶はすべて奪われるけど、本人の性格や嗜好などの中身はそのまま反映される。

つまり、夏川くんは見た目が高校生くらいのなので、推定17歳の夏の日、川で亡くなった……ということ。


──────これもあくまで“上の連中が言うには”、らしい。
死神になる前の記憶を奪われているので真偽は確かめようがないんだとか。

人間として生きていた時代なんて、本当はなかったのかもしれない。
夏の日に川で死んだ“──くん”なんて存在しなかったのかもしれない。

そんなふうに言っていた。


へえ、そうなんだ。
夏川くんは初めから死神の夏川くんでしかなかった。
そういう可能性もあるかもしれないんだね。

ところで……“初めから”の“初め”って……いつなんだろう。


「夏川くんは、いつから夏川くんなの?」

「わからない」

「え……? 死神になってからだいたい何年くらいとか、そういう感覚はあるんじゃないの?」

「時間の概念はあるよ、でもわからなくなる。だんだんと消えていくから」

「消えていく?」

そう、と夏川くんが頷いた。それと同時に足を止めた。見れば、私の家の前だった。


「俺たちの記憶の保管能力には限界があって、容量がいっぱいになると古い記憶から自動的に消えていく」

「………」

「もちろんシゴトに必要な記憶は記録として残るけど。今まで何人の死を見送ってきたのかも、どのくらい長く続けてきたのかもわからない」

「そんな、」

「だからお前と出逢ったこともいつか忘れる」


そっと手が解かれたのがわかった。無意識に、その指先を追いかけようとした。避けられた。触れさせてくれなかった。夜風が夏川くんの髪をさらりと揺らして、このまま彼を攫っていくんじゃないかと、思った。


「人間はいいなって、ときどき思うんだよね。過去と未来に挟まれて、ちゃんと今があるから」


風にかき消されたのか、はたまた夏川くんが意図的にトーンを落としたのか。セリフを聞き取ることはできなかった。


「──とまあ、俺のハナシはこんな感じかなー。早く殺したい人間教えてよ」

「え、うっ……でもまだ、わからないことがたくさんあるし……」

「はあ? 面倒くさいな、他には何が知りたいの」

「んー……そうだなあ、えっと、そう、あれ」


嘘、ごめんなさい、特にもう思いつかない。自分でもなんでこんなことを言ったのかよくわからない。
もう少しだけ話していたいって、一緒にいたいって思っちゃったのかも。

どうせ、家には誰もいないから。──────不覚。


「夏川くんは……死神は……どうやって、人の命を奪うの?」


尋ねるつもりはなかった質問が、苦しまぎれに零れた。


「いい質問だけど、まず大前提、俺たちの使命は命を奪うことじゃなくて、その人が死ぬべき日に無事死ぬように管理するってのが正しいかな」

「……はあ……管理する……?」


意味がよくわからない。
それに、無事しぬようにって言い方もなんかヘン。


「人が死ぬ日って各々予め決まってるんだよ。そういう……いわゆる運命?の歯車が狂わないようにするのが死神」

「………運命、」


ということは私は、今日、死ぬ運命だった。
ほんの数分までは本気にしていなかったハナシが、今になってようやく現実味を帯びた。

本来、私はもう死んでいるはずだった。だけど今生きている。私が生きているのは、夏川くんが生かしているから。
──────どうして?


「夏川くん、助けてくれたんだよね」

「助けた?」

「トラックの事故に巻き込まれて死ぬ運命だったって言ったじゃん。あれは嘘なの?」

「嘘じゃないよ。伊藤りりこは今日死ぬ運命だった。俺が邪魔をしたから死ななかった」


「うん。そうだよね。どうして助けてくれたの?」

「助けようと思ったわけじゃない。悪いけど、死ぬのが可哀想とかそんなことは微塵も思わなかった。なんとなく生かしてみただけ。どうなるかなって」

「な……」

どうなるかなって……まるで人を玩具みたいに。いや、そのおかげで今生きてるわけだから強く文句は言えないんだけど。
「つまり、私は運よくたまたま生き延びた、と」

「そう。お前を見たとき、ちょうどたまたま、未来が欲しいなって考えただけなんだよ。本当に、たまたま」

「……ふーん、なるほどお……」

と返事をしつつ、全然理解できなかった。人が死ぬ日は運命で定められてるって言ってたよね。その運命が歯車狂わないようにするのが死神の使命だって。


「死ぬべき私が死ななかったら、夏川くんは怒られるんじゃないの」

「うん。このまま何もしなければペナルティがくだる」

「大丈夫なの?」

「別の人間を殺して数を合わせるからへーき」

「それってもっとだめでしょ」

「いいんだよ。周りはみんなやってる。倫理の観点からアレコレ言われてるけど、最終的に数さえ合えば問題ない」

ハナシが現実味を帯びたせいで、焦りと恐怖がいっきに押し寄せる。
私のせいで、別の誰かが死ぬかもしれない。死ぬ運命になかった人の命が奪われるかもしれない……。


「だめだよ、死ぬはずだった私が死ななくちゃ。別の人じゃなくて、私を殺してよ」

「それを決めるのはお前じゃない」

「っ、夏川くん、」


名前を呼びかけた瞬間、ひゅっと息を呑む。底の見えない昏い瞳を、初めて、本当の意味で怖いと思った。


「俺の話を信じたなら自分の立場くらい理解しろ。お前が生きているのは、俺が生かしているから。……この意味がわかるか」

「っ、――――」

言葉を失う。という経験を初めてした。

怖くて怖くて指先が震えて、涙までもがこみあげてきて。頑張って堪えようと唇を噛んで。それでも我慢できなくなって。……溢れる。と思った寸前。

「っく、ははっ」

とつぜん笑い声が響いた。見ると、夏川くんが肩を震わせている。綺麗な彼にいい意味で似合わない豪快な笑い方に、しばしぽかんとしてしまう。


「あー……、お前やっぱり可愛いね」

「?……、??」

「死なせてもいいけど生きてるほうがいいな。あったかいし」

そう言いながら、夏川くんは一度だけ私を抱きしめた。ほんの一瞬のできごとだったのに、冷たくもあったかくもない体に包まれている時間は、永遠にも思えた。


「また明日の夜会いに来るから、それまでに殺したいやつ決めといて」

昏い瞳が、再び妖しい弧を描く。

夏川くんは、理解が追い付かない私を置いてけぼりにして夜の闇に消えていった。



─────『お前やっぱり可愛いね』
─────『また明日の夜会いに来るから』

昨日の夜からずっと、夏川と名乗った死神のことを考えている。

ひどく綺麗な顔をして、冷たくもあたたかくもないぬるっとした手の温度に、どこか感情がないような冷静さを纏っていて。現実味を帯びていない“死神”というワードがどこかしっくりきてしまう、そんな(ひと)だった。

ナツカワ。夏川。シニガミ、死神……。ぐるぐる考えていたせいで寝不足のまま起きた朝、テレビのニュースで昨日の事故が取り上げられていた。やっぱり結構大きい事故だったみたい。


『昨夜19時頃、○○市内○○交差点十字路付近にて。4トントラックが電柱にぶつかる事故があり、国道ーー号線では3時間にも及ぶ大渋滞が発生しました。車体は横転と同時に左側が大きく破損、運転手は助骨を折る重傷ですが命に別状はないとのことです。幸いにもこの事故で他の怪我人はありませんでした』

『巻き込まれる歩行者がいなかったのが不幸中の幸いですね。しかしこの事故、運転手は飲酒運転だったんですよね?』

『そうなんです、事故原因は運転手のアルコール摂取による飲酒運転で、検出された体内のアルコール度数は基準値の6倍以上だったとか─────』


テレビの中で、ニュースキャスターとコメンテーターが交互にそう話すのをどこか上の空で聞いていて、その内容が昨晩夏川くんから聞いたものと完全に一致していることに鳥肌が立った。

あの時あの瞬間、事故を起こした張本人である運転手しか知り得ないことを飄々と言ってのけたこと。それに、夏川くんは事故から背を向けていたのだ。視覚から読み取ったわけでもない。

あまりに冷酷な瞳を思い出して身震いする。わたしが死ぬはずだった事故。それから、代わりに誰かを殺すと言う夏川くん。


─────『殺したい奴決めといて』
いないよ。いるわけない。だけど、決めなきゃわたしが死ぬかもしれない。

誰もいない殺風景な広いリビングで、わたしは味気ない朝ご飯のトーストを囓った。


「で、決まった? 殺したい奴」
 
19時、少し薄暗くなった学校からの帰り道。昨日と同じように、その綺麗な顔はひょっこりと突然姿を現した。

今日もかっこいいから2重の意味で心臓に悪いよ。
黒シャツに黒いスラックス、細身で高身長のその姿はやはり現実味を帯びていないくらい整っている。のにも関わらず、開口一番でとんだ物騒な言葉を吐いてくれる。物騒にも程があるよ!


「夏川くん……また突然現れるんだね」

「言ったろ、明日また会いに来るって」

「言ってたけど、それ、わたしが誰かを指名するまでずっと続くの?」

「まさか。こっちにもタイムリミットがあるからね」


夏川くんと歩いていたら目立って仕方がないんじゃない? そう思って、昨日歩いた人通りの少ない道を選んで歩く。


「わたし、殺したい奴なんていないよ、考えたけど、死ぬなら自分でいい」

「変わったこと言うね、俺が折角生かしてやったのに?」

「生かしてくれなんて頼んでないし、運命に逆らうのもこわいし、」

「生きてる意味も見いだせないし?」


心の中を読まれたようでかあっと頬が熱くなる。横を歩く夏川くんは至って冷静で、表情ひとつ変えやしない。なんだか負けた気分だ。


「……うん、そう。別に大丈夫だから、夏川くんが誰かを殺さなきゃいけないなら、わたしでいいよ」
「あのさ、昨日も言ったけど」


夏川くんの声のトーンが少しだけ下がった気がした。わたしのセーラー服が風になびく。自分が殺されてもいいだなんて、当たり前のように口に出来る自分のこと、相当気持ちが悪いなともおもう。


「それを決めるのは俺であってお前じゃない」


なにそれ、どうしてわざわざわたしを生かすの。たまたまなら、他の人だってよかったでしょ。


「……夏川くんは、いつもこうやって運命をねじ曲げるようなことするの?」

「しないよ。たまたまだって昨日言ったろ」

「じゃあその対象が、わたしじゃなくてもいいでしょ」

「りりこ、お前は本当に欲がない人間だな」


「それは、」

「じゃあ俺に、泣いて喚いて(すが)ってみれば」

「何言って、」

「殺してくれって頼んでみろよ、そしたら考えてやってもいい」

そうでもしなきゃ、お前のことは殺さない。とでも言うように。無表情の夏川くんが少しだけ笑ったような気がして、わたしはそれ以上何も言えなくなってしまった。






「で、なんで当たり前のようについてくるの?」

「昨日は途中で帰ったから」

「理由になってないよー……」

「別に、知りたくなったから」


死神といえど、わたしのことをなんでも知ってるわけじゃないのか。
この辺りで一番大きな高層マンションのオートロックを抜けて家に入る。夏川くんが当たり前のように着いてくることは、もう私が何を言っても決定事項みたい。


「広い家住んでんね」

「よく言われる」

「他に誰か呼んだりするわけ」

「そりゃたまに、友達とか来たりするよ」

「へえ、友達いたんだ」

「……失礼」


いるよ。フツウにいる。だってごくフツウのジョシコウセイなんだもん。


「本当にここで暮らしてんの」

「毎日暮らしてるけど」

「にしては綺麗だな」

「生活感がないって?」

「うん、そう」

「わたししかいないからね」


へえ、と興味なさそうな返事が返ってくる。死ぬはずだった命が、ほんとうはいつもひとりぼっちだってこと、知ってもなんとも思わないのかな。

基本的にわたしはこの広い家の中にひとりでいる。母親は小さい頃に他界していて、父親は仕事で遠方に住んでいるから。たまに連絡なく帰ってくるけどね。
関係は良くも悪くもない。むしろ関係が悪いと言えた方がよかったと思うくらいには、殆ど他人と同じ部類だ。
生活費や学費、その他諸々、生きていくのに何不自由ない支援をしてくれているところだけは、どれだけ関係が淡泊でも憎めないけれど。


「夏川くんは、ごはんとか食べられるの?」

「昨日も言ったけど、心臓以外は普通の人間と変わらない。食べなくても死にはしないけど。まあもう死んでるし」

「そのギャグ笑えないよー……」

「ギャグで言ったつもりないけどね」


ここまでぶっ飛んだ非日常なら、もうわたしも開き直るしかない。
こうなれば、今の状況をとことん楽しんでみるっていうのもひとつの手じゃない? この男────もとい死神と仲良くなってみる、というのも、また一興。


「じゃあ、カレーでも作るよ、食べられる?」

「作ってくれんの」

「うん。私の寿命も短いみたいだし」

「まだ自分が死ぬと思ってんのか」

「だって殺したい人なんていないんだもん」

「頑固な奴」

セーラー服のままエプロンをつけてキッチンに立つ。女子高生ひとりが住むには広すぎる空間に、異様に綺麗な顔をした死神がひとり。


「りりこちゃん、かわいいことすんだね」

「なっ、どこがかわいいの!」

「制服姿もいいけど、エプロンもいいなって見てただけ」

「か、からかわないでよ」

「別に? 思ったこと言ってみただけだけど」

なんだこいつ─────
死神といいながら怪しげに口角を上げた夏川くん。その端正な顔がやけに色っぽくて思わず顔を背けてしまった。


「な、夏川くんって意味わかんないね」

「そりゃ死神だからね」

「……わたしが殺したい人言わなかったらどうなるの」

「タイムリミットは今日を含めて3日後。それまでに覚悟決めて」

「覚悟……」

じゃあそれまでに、夏川くんと仲良くなって、折れてもらおう。わたしの代わりに誰かが死ぬんじゃなくて、予定通り帰るのはわたしだって。

3日後ということは、あと2泊3日の命。やけに冷静に受け入れている自分にびっくりする。

昨日はこわかったけど、夏川くんがあまりに自然にわたしに構うから、死神というものを身近に感じてしまっているのかも。わたしってそのうち変な宗教にでもハマっちゃいそうだよね。


「……夏川くん、ナス食べれる?」

「ふは、この会話の中でそれ聞くの? おまえって本当に肝が座ってるね」

「だって、3日しかないなら楽しまないとなって。夏川くんのことももう少し知りたいし」

「へえ」

「わたしのことも、知りたいならなんでも教えてあげる」

「やけに無防備でおまえは危なかっしいな」


俺が死神でよかったね、じゃなきゃあの時死んでたかもな、と。運命に逆らったのは自分のくせに、鼻高々にそう言う夏川くん。

生かされたことも、彼が死神だということも、実感があるわけじゃないけれど。
どうせつまらない毎日だったし。これくらいのハプニングが落ちてきたってどうってことないのかも。わたしがもし何かやらかして、この綺麗な死神に殺されても、悲しむ人だっていないんだもん。


わたしがつくったカレーを頬張った夏川くんは珍しく目を輝かせて「美味しい」とつぶやいた。死神なのに味覚はあるのか。

そういえば、この家でこんな風に食卓を囲むのはいつ以来だっけ。たまに帰ってくるお父さんも、食事を共にすることは殆どない。忙しいんだから仕方ないけどね。
誰かに食べてもらうのも、美味しいを共有するのも、思えば本当に久しぶりのことだった。


「それで、夏川くんはいつまでここにいるの」

「あーね。今日も帰ろうかと思ったけどやめた」

「え、やめたって?」

「誰もいないならここで寝泊まりしてもいいだろ、無駄に広いし」


「えーっと、ずっと思ってたけど、夏川くんって結構自分勝手だよね?」

「死神に対してずいぶん生意気な態度取るねおまえ」

「そんな生意気な奴を生かしたのは夏川くんでしょ!」

「はは、強気な女は好きだよ」


また冗談を言ってのける。


「住むって言っても2泊3日でしょ」

「まーね。それまでにりりこが殺したい奴決めるの監視しなきゃだし」

「監視って……」

「ちなみに言っとくけど、死神も人間と同じように性欲あるから」

「は、はあ?!」

「ま、あんま欲情させないでねって話」

 
何を言うんだこの死神─────
何も返せずにわなわなと震えていると、ふは、と吹き出してぽんぽんとわたしの頭を撫でた。まるで子ども扱いだ。


「冗談。さっさと風呂入ってきな」


わたしを揶揄うのが上手すぎる! 拗ねたふりをして「もーいい」と言うとまたわらう。夏川くんは意外とやさしい顔で笑うみたい。ギャップが凄くて調子狂っちゃうよ。





お風呂から上がってリビングに戻ると、夏川くんの姿がなかった。泊まるなんて言ったのも冗談だったのかな? 死神だし、そこのところはよくわからない。

わたしはいつもようにスキンケアとドライヤーを済ませてから課題を終わらせて寝室に向かった。

23時。布団に潜り込んでうとうとしていたところで、ギシッと右側のベットが沈む音がした。


「えっ、と、何事?!」
「なにが?」


沈んだベットの方へ顔を向けると、何食わぬ顔で布団に入ろうとする夏川くんの姿がある。その端正な顔は表情ひとつ変わらない。


「な、なんで入ろうとしてくるの?! ていうかどこに行ってたの?!」

「なんでって、一緒に寝るからだけど」

「は、はあ?!」

「どこに行ってたかって、ちょうど22時に近くの病院で案件(、、)があったから仕事してきただけ。寿命で終える命は見届けるだけでいいから楽なんだよ」


夏川くんが”案件”とよんだものが、誰かの”死”であることは、頭の出来がそんなによくないわたしでもわかってしまう。
そんな会話をしているうちに、夏川くんが躊躇いもなくわたしの横に滑り込んできた。急に緊張する。死神といえど、見た目はかなり整った容姿の男子高校生なんだもん。


「……死神も睡眠が必要なの?」

「別にこっちの世界ではどっちでもいいけど」

「じゃあなんでわざわざ横で寝るの」

「さあ、なんでだろーね」


大体、わたしを生かしたのは”たまたま”だなんて言うくせに、どうしてこんなにわたしに構うんだろう。

ふと視線を上げて夏川くんを見ると、夏川くんもわたしを見ていてどきりと心臓が鳴った。暗闇の狭いベットの中。彼の呼吸の音がよく聞こえる。心臓がないなんて信じられない。
目線が絡んだまま、ゆっくり夏川くんの手がわたしの頭に添えられて、そのまま髪を撫でられた。


「おまえ、本当に生意気だね」

「な、なにが……」

「ま、そういう睨んだ顔もそそるけど」


防衛反応、というものだろうか。いくら夏川くんが人間の姿をしていても、所詮は死神。無意識のうちに彼に睨みをきかせていたみたい。そんなつもりなかったのに。


「ご、ごめんなさい……。睨んでるつもりはなかったんだけど……」

「別に怒ってねえよ。人間と死神なんてそんなもん。この世界で顔を合わせたらおまえたちは無意識に俺らを警戒すんのが当たり前」


それは、そうかもしれないけど。夏川くんは、死神だけど。
でも、わたしを生かしてくれたのだって夏川くんでしょ。


「でも、夏川くんのこと、怖いとは思ってないよ」


咄嗟に出たそんな言葉に、驚いたのはわたしの方だ。
わたしの髪を撫でていた夏川くんの手がほんの僅かに止まった気がした。


「ねえ、夏川くんって、どれくらいの人の死を見てきたの?」

「さあ、忘れたって言ったろ。キャパを超えれば記憶は消えるし、第一いちいち覚えてない」

「でも、ってことはきっと、相当な数でしょ」

「まあそうかもな」

「いくら他人って言っても、死ぬのを見るなんて嫌な仕事だよね……」

「運命なんだから仕方ないことだよ。死にたくて消えていく奴だっているし」


ねえだけど、夏川くん。
死神と言いながら、わたしを生かした夏川くん。

わたしの布団に入ってくる時、少しだけさみしそうな顔をしていたのは気のせいかな。尽きていく寿命を見届けてここに帰ってきた夏川くんを、ひとりにしないでよかったなんて思ってしまう。わたしはバカかな。

だって、夏川くんは元々人間だって言っていたし。いくら死神になったとはいえ、毎回人の死を見届けるなんて相当重荷なはずだ。わたしの思い過ごしかもしれないけれど、夏川くんは、今夜はだれかと過ごしたかったんじゃないかって。


「夏川くん、くっついてもいい?」

「……りりこちゃん、ダメでしょ、そういうこと言ったら」

「明後日には死ぬんだからいいでしょ」


そのまま夏川くんの胸元に額を寄せて布団へ潜り込んだ。彼の身体にくっついてみるけれど、体温はぬるく心臓の音は聞こえない。人間ではないことを思い知らされる。

でも、どうしてだろう。夏川くんのことを、どうしても抱きしめたくなってしまった。


「俺のこと煽るなんて悪い奴だね」

「夏川くんが初めて生かした人間が悪い奴でごめんね」

「ま、確かに予想外」

「夏川くんにはいい刺激でしょ」


「……殺されても襲われても文句言えないけどいいの?」

「いいよ、夏川くんになら」

「本当たち悪いね、おまえじゃなかったら酷い死に方にしてあの世に送ってる」

「何それ物騒なこと言う……」

「りりちゃんのことはお前がどれだけ望んでも殺してやらないよ」


それは優しさじゃなくて新手の意地悪ってこと?

 
「いいからもう眠れ」


夏川くんの手のひらが瞼に落ちて、急激な眠気が襲ってくる。

夏川くんが「これ以上話してるとおまえのこと泣かしてずたずたにしそうだから」と呟いたのを聞いたけれど返事をすることはできなくて、そのままわたしは深い眠りについた。


次の日、学校。
朝起きた時には夏川くんの姿がなくて、昨日のことは夢かと思った。まあ、夢ならそれがいちばん幸いなんだけど。
キッチンに置かれたふたつのカレー皿とマグカップを見て、やっぱり夢ではなかったようだと思った。



「ねーこのカフェ行きたくない?」
「ちょーばえるの」

昼休み、いつものように友だち5人で机をくっつけて昼食をとる。
昨日一昨日とあんなことがあったのに、日中の日常はこんなにも変わり映えがしないなんて変な話だよね。

「うわ本当だかわいーっ」
「流行ってるから並ぶかもだけどー」
「えーでもわたしお金ないなー」

栗色に染めた髪をくるくると指先で弄びながら、ひとりが示すスマホの画面をみんな見つめる。かわいらしいスイーツに夢のような空間が映ってる。わたしとは似ても似つかないような場所。
なのに、みんな、こういう所謂写真映えするスポットが大好きなの。かわいいなってもちろん思うけど、なんだか自分に合ってないような気がしてしまうのはなんでだろう。


「わかるわかる、先月テストでバイトあんま入らなかったしねー」
「親からのお小遣いも尽きたわー」
「えーじゃあさ、」


あ、この空気、また来るな、と思った。


「りりこ、お金持ってるじゃん? 奢ってよ」

悪気のないその声とみんなの笑顔に、落ちかけていた視線を上げる。ああ、笑わなきゃな。
ここで、しょーがないなーって笑うわたしもわたしでどうかしている。


「やったー流石りりこ!」

「金持ちは違うよね」

「バイトもしてないのに羨ましい〜」

「わたしたち最高の友達持ったよねー」

「来週の木曜にしない?」

「いいねいいね」


そんなやりとりに表情は笑いながら、内心はいはい、と思う。わたしの家が裕福なことを知っていて近づいてくる友達のこと、嫌いじゃないけど好きでもないのかも。

さっきのスマホ画面に映った写真に付けられたタグが目に入ってさらにげんなりする。#キラキラJK★ 笑っちゃうよね。
来週の木曜には、もうわたしはこの世にいないっていうのに。


「わたしちょっとトイレ行ってくるー」
「あ、スズコが行くならわたしも行くよ」

5人のうち2人がそう言って席を立つ。教室を出ていく姿を確認して、残った2人が目くばせした。また、嫌な雰囲気だ。やだな、この空気、すごく苦手だ。


「てかさー、何様なの? スズコって」
「あーわかるわかる、最近さらに性格悪くなったよねー」

突然声のトーンが低くなった。わたしはそれに黙ってふたりの顔を交互に見ることしかできない。
スズコちゃん。5人の中でいちばん気が強くて可愛くて、言わばカースト上位の女の子。さっき、わたしに『奢ってよ』と言いいだしたのもスズコちゃんだ。


「りりこも嫌なものは嫌って言わなきゃダメだよ、友達に奢ってとかフツー言わないって」

「わかるわかる、本当世界は自分中心に回ってますって感じだよねー」

「てかミサもさ、スズコにいつも引っ付いてて金魚のフンかって」

「あーね、今もトイレにまで着いていって必死だよねー」


あーあ。見てるのも聞くのも嫌になる。5人でいる時はいつも笑っているけれど、いざ誰かがいなくなると途端にこうだ。いない誰かの悪口大会。この2人に限ったことじゃない。

言っちゃえば他人だし。そもそも同じクラスになって勝手にグループができただけだし。人間全員と仲良しなんてことあるわけないし。みんなで笑っているときは友達のことが好きだなって思うけど。こういう空気になると途端に心臓が固まったみたいに感じる。

仕方ないのかも。どこにでもある日常なのかも。
でも、どうしようもなく、居心地が悪い。そして、何もできない自分のことが情けなくて大嫌い。
吐き気がする。もう直ぐ死ぬのかと思ったら、この日常が、余計にとても気持ち悪い。





放課後、屋上。予定もないのにすぐに帰宅するのがなんだか嫌で、わたしは時々ここで時間を潰したりする。言わばわたしの逃げ場所だ。

「りりこ」

屋上のフェンスに手をかけたところで、後ろから聞き覚えのある声がした。思わず振り向くと、そこには見知った綺麗な顔がある。


「えっ、夏川くん?!」

「なに驚いてんの」

「いやいや、突然現れる方がどうかしてるよ? てかここ学校だし、そもそも夏川くんって明るい時間も存在するんだ……」

「問題ない、りりこ以外には姿見えないし。てか別に昼とか夜とか関係ない」


私以外に姿が見えないの? それは初耳だ。だとしても、誰もいない空間にひとりで会話をしているところを見られたら、かなりアブナイ人認定されちゃいそうだけど。


「いつも夜にしか現れないからてっきり明るい時間帯はダメなのかと……朝もいなかったし」

「まあ確かに、太陽は苦手だな」


もうすぐ夕方だけれど、まだ陽は出ている。そう言われれば、確かに校舎の日陰に入っている夏川くん。直射日光は苦手なのかな。


「りりこ、アイツでもいいよ。代わりに殺したい奴」

「え?」

「スズコとか言う奴。さっき話してたろ」

「えっ、聞いてたの?!  どこから?!」


「今日1日、というかおまえと初めて会った時からずっと、姿が見えないように近くにいるからね」

「そんなストーカーみたいなことしなくても……」

「死ぬのを管理するのが俺の仕事って言っただろ」

「思考が死神すぎる……」


だとしても、姿が見えないんじゃこっちも気が気じゃないよ。いつ見られてるのかわからないなんて。
あ、でも、どうせ明日死ぬならなんでもいいのかな。


「で、殺したい奴の話だけど。スズコって奴でもいいし、その取り巻きでもいい、どうする」

「な、なんで夏川くんが勝手に決めるの。第一あの子たちはわたしの友だちだし……」

「見てればわかるだろ、おまえ、友達って言いながら心底嫌そうな顔してたけどね」

「それは……」

「好きでもない奴らと一緒にいるの、りりこは物好きだな」


確かに、わたしはあのグループに馴染めていないと思う。でも、どこへ行ってもきっとそうなる。誰かが消えても変わるわけじゃない。それに、わたしは友達のこと、こう見えても大好きだ。
自分は生かされる代わりに、自分以外の人が死ぬなんて耐えられないよ。ましてや、自分の知り合いが死ぬなんて考えられない。


「夏川くん、わたし、誰かを殺して自分が生きるなんて耐えられないよ」

「へえ、でもおまえ、あいつらのこと嫌いなんだろ?」

「嫌いじゃないもん。殺せないよ、友達だもん」

「友達って薄い関係のこと言うのな」


「夏川くんにはわかんない?」

「何が?」

「たとえわたしが友達のことを嫌いでも、殺していい理由にはならないんだよ。誰かを殺して自分が生きるなんて選択そもそもないの。そういうものだよ」

「……普通、おまえを生かしてやるって言われれば、誰でも殺したい奴の1人や2人、名前を挙げてくるけどな」


「それが普通なの?」

「人間なんてそんなもんだろ。いつだって自分本意で自分勝手。みんな“生かしてくれ”って泣き喚くか怒り狂うか、そんな奴ばっか」

「そっか、じゃあ私がおかしいのか」

「知らないけど」

「でもね、わたし、誰も傷つけたくないの。運命でわたしが死ぬことになってるならそれでいいの」


ごめんね、夏川くん。たまたまわたしを救ってくれたのかもしれないけれど、明らかに人選ミスだよ。
わたし、自分でもびっくりするくらい適応能力が高いみたい。もう自分が消えることを受け入れちゃってる。


「それに、死ぬ時夏川くんが一緒にいてくれるんでしょ?」


ふふ、とそう言ってわたしが笑うと、夏川くんが面食らったように眉を顰めた。
あ、わたしの言葉に初めて大きく表情が動いたな、と思いながら。


「夏川くんと一緒に死ねるなら、わたし、それでいいや」


死神に大胆なことを言ったなと自分でもおもうけど。夏川くんが一緒にいてくれるなら、消えるのだって怖くない。その代わり、あんまり痛めつけずに殺して欲しいな。なんて言ったら、夏川くんはまた怒るかも。


「……りりこ、おまえを殺すのは惜しい」

「え? 何?」

「なんでもない、もう少し考えろ、タイムリミットまでまだ1日ある」


そうか、タイムリミットは明日の夜─────


「……今日もうちで寝るの?」

「そのつもりだけど」


やけに冷静な夏川くんは、「ひとりになりたいんだろ、家で待ってるから早く帰ってこいよ」と言って姿を消した。
実感の湧かない明日の死よりも、家で誰かが待っている、そっちの方が変な感じだ。


家に帰ると、夏川くんはソファに座って本を読んでいた。死神も本とか読むんだ。


「夏川くん、今日もご飯食べる?」

「どっちでもいいけど」

「薄情だなあ、最後の晩餐なんだから付き合ってよ!」

「お前を殺すって言ってないけど」

「頑固だね夏川くん」

「どっちが」

納得していない表情でこちらを向く。でもなんかいいな。夏川くんには本音で話せている。彼が死神だからかもしれないけれど。
ソファから視線を上げてわたしを捉えた夏川くんの視線はやけに鋭い。まるで離さないとでも言ってるみたいだ。


「りりこ、今日も一緒に寝るか?」

「なにそれ、最後の夜だから?」

「最後って、おまえ死ぬ気満々じゃねーか」

「出会った時からそう言ってるでしょ」


「どんだけ傲慢な女なわけ」

「昨日は勝手に布団入ってきたくせに」

「相変わらず生意気」


確かに、死神に向かって反論するのは生意気かもだよね。でも夏川くんが親しみやすいからだよ。

今日の出来事を思い出しながら夏川くんとご飯を食べて、昨日と同じようにお風呂に入って寝る準備を整えた。

よく、“明日地球が滅亡するとしたらどうする?”という雑な質問があるけれど、終わりを知っていても意外と日常を変えるのって難しいみたい。まあ、夕飯は大好物のハンバーグとオムライスにしちゃったんだけどね。


いそいそと昨日と同じぐらいの時間にベットに入る。明日死ぬっていうのにフツウに過ごしちゃっていいのかな。夜更かししてもいいんだけど、寝るのも大好きだし。

お父さんに電話くらいしておこうかな。いや、それは明日でいいかな。ていうか、別にお父さんだってわたしが死んだところで特に何も思わないかも。あ、でも最後に駅前のジェラート屋さんは寄りたいかも。チョコミント味が絶品なんだよなあ。

なんてぐるぐる明日のタスクを考えていると、カサリと右側の布団が動いた。夏川くんが入ってきたんだ。
死神だからなのか、近くに寄ってくるまで気配がないからいつも気づかない。


「また黙って入ってきたの、夏川くん」

「今日も一緒に寝るかって聞いたろ」

「そうだっけ」

そういえばご飯の前にそんなことを聞かれたっけ。昨日は何も言わずにやってきたくせに。
温度はないはずなのに、急に布団の中があったかくなったような気がした。きっと夏川くんじゃなくて私の体温が上がったせいだ。


「夏川くんってきれいな顔してるよね」

「何、口説いてんの?」

「はは、事実を言ってるだけだよー。生きてた時すっごいモテたでしょ!」

「記憶ないから」

同じ学校にいたら、女の子はみんな夏川くんのことを好きになっていたかもしれない。そう思うとちょっと嫌だな。
夏川くんが死神でよかった、なんて。


「りりちゃんも可愛い顔してるけどね」

そう言って昨日と同じようにわたしの髪を撫でる夏川くん。指先があまりにきれいでぞくりとする。可愛いなんて、男の子に言われたことないんだもん。


「……ねえ夏川くん、なんでわたしを生かしたの?」

「だから、たまたまだって言ったろ」

「その割には、夏川くんってわたしに構ってくれるよね」

「おれが死神担当なんだからそれはそうだろ」

「優しいなって思ったのに。わたしだけに優しいのかなって」

「自惚れも甚だしいな、おまえ」

暗闇の中の夏川くんの表情は変わらない。ゆっくりとわたしの髪を撫でる手はそのまま。でも、出会ったときより確実に怖くなくなっている。夏川くんのことも、死ぬっていうことも。


「……わたし、明日死ぬのかな」

「今更怖くなった?」

「そりゃ、怖いよ。でも、誰かを殺すのも自分が死ぬのも、同じくらい怖いから、だったら一瞬で消えちゃう方がいいなって」

「おまえは本当、意思固いね」

「頑固なの」


真っすぐ夏川くんを見ると、わたしの髪を撫でていた手が急に止まった。


「……りりちゃん、おいで、ぎゅってしてあげる」

そして、そのまま引き寄せられる。
何急に、どうしてそんな甘い声でわたしを呼ぶの。


「ねえ、夏川くん、死んだ時の記憶ってある?」

「ないって言ったろ、夏の川で死んだらしいってことくらい、それも本当かどうかわかんないし」

「じゃあ、怖いかどうか、痛いかどうか、わかんないか」

「……生前の環境とか、死に方にもよるけど、俺はやっと終わったって思ったかもな」


「やっと終わった?」

「りりちゃんと一緒だよ、つまんない人生で、誰かと感情を共有することもなく、淡々とした日々だったってだけ」

「……でも、わたしは夏川くんと話してるの、楽しかったけど」

「りりちゃん、おまえはやっぱり悪い子だな、男にベットの上で抱かれながらそういうこと言うのは」
「へ、変な意味じゃないもん」

昨日は私がすり寄ったけど、今日は夏川くんが私のことを抱きしめている。変な感じ。でも全然嫌じゃない。
死神なのに、へんだよね。この人は明日、わたしが死ぬのを見届ける為に存在しているだけなのに。


「りりちゃんの最初で最後、俺がもらってあげてもいいけど」

「……欲まみれだよー夏川くん」

「人間と違うところは心臓がないことだけって言ったろ?」

「なんだ、夏川くん、わたしのこと思いの外だいすきなんだ」


「一目惚れって言ったら満足?」

「きゅ、急に素直になるね?」

「なありりこ、お前の意思は固いけど、決めるのはお前じゃない。もし明日、俺がおまえを殺さないって言ったらどうする?」

「勝手にわたし以外の誰かを殺したら、夏川くんのこと一生軽蔑する」

「はは、それは勘弁」

ぎゅっとつよく抱きしめられる。死神なのに、温度があるわけじゃないのに、暖かいと感じてしまうのは何故だろう。ぬるい温度がやけに心地よくて嫌になる。離れ難い、明日にはもうわたしはこの世からいなくなってしまうのに。


「りりちゃん、初めて生かしたのが、おまえでよかった」

なに、どうしてそんなことを言うの。

抱きしめられているせいで表情がよく見えない。でも力の強さが増すのを感じた。夏川くん、やっぱり人の死を管理するには優しすぎるんじゃない?


「ごめんね、せっかく生かしてくれたのに、自ら死ぬのを選んで、ごめん」


そう言ってから返事はなくて。少しの沈黙の後。


「……それでも俺は、お前との未来が欲しいよ」

─────え。
かすれた声が耳に届いて、それから少しだけぐいっと身体を離される。鋭い視線が絡んだ。逃れられない、と思う。


「嫌なら殴れ」

そう短く告げられて、夏川くんの唇が自分のそれに重なった。驚いて咄嗟に彼の胸板を強く押したけれど簡単に手首を掴まれて止められる。

なに、突然、なんで。

「なつかわく、っ」

唇が少し離れた拍子に声を出したものの虚しく直ぐに彼の舌がわたしの下唇をなぞってそのまま口内に侵入する。はじめての舌の感触に泣きそうになりながら必死に息をして応える。

驚いたけど、嫌じゃない。そのことに、自分でもびっくりだ。

手首と後頭部を強く掴まれたままその行為は何分か続いて、わたしがぼろぼろと泣いているのを見た夏川くんが息を切らしながらそっと離れた。
妙に色っぽい視線に、また泣きそうになる。


「っ、泣き顔やっぱそそる」

私の頬を親指でぐいっと拭う。それから「嫌なら殴れって言っただろ」と息を吐く。わたしの手を制していたのは夏川くんのくせによく言う。


「……嫌じゃない、」
「あーあ、やっぱ悪い子」


ぐいっと後頭部を引き寄せられて、そのまま強く抱きしめられた。体温はぬるいのに、何故か熱っぽくなっていく自分の身体がなんだかちぐはぐで変な感じがする。
夏川くん。わたしやっぱり悪い子なのかな。もっとして欲しいなんて、強欲だよね。


「……りりちゃん、俺は太陽が苦手だから、明日の18時半、屋上に迎えに行く。おまえの最期は俺がしっかり管理してやるから逃げるなよ」


あんなキスをしておいて、やけに死神らしいことを言う。そのくせ離したくないとでもいうようにわたしに縋り付くこの美しい男のこと、わたしはどうしようもなく愛おしく思ってしまっている。

昨日と同じようにひどい睡魔が突然襲ってくる。夏川くんってわたしの睡眠まで操れるのかな。死神だしあり得ることだ。


─────夏川くん。わたし、死ぬ前にきみに出会えてよかったな。だって、こんな風に誰かのことを抱きしめたいと思ったのは生まれてはじめてだ。