夏川くんは色んなことを教えてくれた。

前述の通り、死神(って言葉は夏川くんいわく俗っぽくて嫌いらしいけど、他に言いようがないので仕方ない)は、死んだ人たちの中から選出される。

その姿かたちは、死んだ当時を写したもの。生きていたときの記憶はすべて奪われるけど、本人の性格や嗜好などの中身はそのまま反映される。

つまり、夏川くんは見た目が高校生くらいのなので、推定17歳の夏の日、川で亡くなった……ということ。


──────これもあくまで“上の連中が言うには”、らしい。
死神になる前の記憶を奪われているので真偽は確かめようがないんだとか。

人間として生きていた時代なんて、本当はなかったのかもしれない。
夏の日に川で死んだ“──くん”なんて存在しなかったのかもしれない。

そんなふうに言っていた。


へえ、そうなんだ。
夏川くんは初めから死神の夏川くんでしかなかった。
そういう可能性もあるかもしれないんだね。

ところで……“初めから”の“初め”って……いつなんだろう。


「夏川くんは、いつから夏川くんなの?」

「わからない」

「え……? 死神になってからだいたい何年くらいとか、そういう感覚はあるんじゃないの?」

「時間の概念はあるよ、でもわからなくなる。だんだんと消えていくから」

「消えていく?」

そう、と夏川くんが頷いた。それと同時に足を止めた。見れば、私の家の前だった。


「俺たちの記憶の保管能力には限界があって、容量がいっぱいになると古い記憶から自動的に消えていく」

「………」

「もちろんシゴトに必要な記憶は記録として残るけど。今まで何人の死を見送ってきたのかも、どのくらい長く続けてきたのかもわからない」

「そんな、」

「だからお前と出逢ったこともいつか忘れる」


そっと手が解かれたのがわかった。無意識に、その指先を追いかけようとした。避けられた。触れさせてくれなかった。夜風が夏川くんの髪をさらりと揺らして、このまま彼を攫っていくんじゃないかと、思った。


「人間はいいなって、ときどき思うんだよね。過去と未来に挟まれて、ちゃんと今があるから」


風にかき消されたのか、はたまた夏川くんが意図的にトーンを落としたのか。セリフを聞き取ることはできなかった。


「──とまあ、俺のハナシはこんな感じかなー。早く殺したい人間教えてよ」

「え、うっ……でもまだ、わからないことがたくさんあるし……」

「はあ? 面倒くさいな、他には何が知りたいの」

「んー……そうだなあ、えっと、そう、あれ」


嘘、ごめんなさい、特にもう思いつかない。自分でもなんでこんなことを言ったのかよくわからない。
もう少しだけ話していたいって、一緒にいたいって思っちゃったのかも。

どうせ、家には誰もいないから。──────不覚。


「夏川くんは……死神は……どうやって、人の命を奪うの?」


尋ねるつもりはなかった質問が、苦しまぎれに零れた。


「いい質問だけど、まず大前提、俺たちの使命は命を奪うことじゃなくて、その人が死ぬべき日に無事死ぬように管理するってのが正しいかな」

「……はあ……管理する……?」


意味がよくわからない。
それに、無事しぬようにって言い方もなんかヘン。


「人が死ぬ日って各々予め決まってるんだよ。そういう……いわゆる運命?の歯車が狂わないようにするのが死神」

「………運命、」


ということは私は、今日、死ぬ運命だった。
ほんの数分までは本気にしていなかったハナシが、今になってようやく現実味を帯びた。

本来、私はもう死んでいるはずだった。だけど今生きている。私が生きているのは、夏川くんが生かしているから。
──────どうして?


「夏川くん、助けてくれたんだよね」

「助けた?」

「トラックの事故に巻き込まれて死ぬ運命だったって言ったじゃん。あれは嘘なの?」

「嘘じゃないよ。伊藤りりこは今日死ぬ運命だった。俺が邪魔をしたから死ななかった」


「うん。そうだよね。どうして助けてくれたの?」

「助けようと思ったわけじゃない。悪いけど、死ぬのが可哀想とかそんなことは微塵も思わなかった。なんとなく生かしてみただけ。どうなるかなって」

「な……」

どうなるかなって……まるで人を玩具みたいに。いや、そのおかげで今生きてるわけだから強く文句は言えないんだけど。