今さら、信じないでしょと言われても、初手に『殺したい人間いる?』なんてぶつけてきた相手だから、新たな驚きもなくて。
それに、本当に妙なハナシ、しっくりくる。影も声も形も感触もあるのに。……彼がここに存在しているっていう実感が得られないんだもん。

存在感がないと表現するには少し違う気がする。

街を歩けば10人中10人が振り返るほど綺麗な容姿に加えて、周りを呑むほどの静けさを纏った圧倒的な雰囲気があって。むしろ存在感しかないはずなのに、その美しさがバリアみたいに働いている。
こちらを魅了すると同時に手の届かないものだと理解させてくる。

そんなあらゆる違和感も──死神なら、あっさり腑に落ちる。

……って、やばやばである。
こんな簡単に信じそうなるなんて、私、将来アブナイ宗教に引っかるんじゃないの!
次の瞬間にはグサリと刺されちゃうかもしれないし早く逃げないと。


「手……離してください」

「いいけど、その代わりにお前が殺したいやつ一人教えてよ。それが条件」

「へ? いや……そんな人いないです」

「死ぬはずだったお前が死ななかった。だから代わりの誰かが死ななきゃいけない。数字はきっかり合わせないといけないからね」


にこっと柔らかい笑顔の裏に、凍てつくほどの冷たさを感じた。

──ああ、やっぱりこの人は死神かもしれない。
死神じゃなくても、それと同等の恐ろしい存在なのは間違いない。


今、無理やり手を振りほどいて逃げたとしても逃げ切れる気がしない。物理的にはもちろんだけど、今もう既に、目に見えないもので縛られている気さえしてくる。

恐怖のせいか思考が鈍くなる。しまいには、どうにでもなっちゃえ、と、とつぜん諦めの境地に入ってしまった。

だって……大層な人生歩んでないし。しにたいとか思ったことないけど、しぬならべつにそれでいいもしれない。特に夢もないし何か熱狂的にハマっているものがあるわけでもないし。


友達のことは好きだし大事だけど、それだけ。
“きらきらJK(笑)”、楽しいよ。みんなといるとき、ちゃんと心から楽しいなって思ってる。ただ、それ以上でもそれ以下でもない。
自分のこういう薄っぺらいところ、ずっときらいだったんだよね。

強いて言うなら誰かと恋人になって愛し合ってみたかったけど、気になってた人にはこの前彼女ができたみたいだし……ザンネンでした。

私……いつからこんな風になっちゃったのかな。好きとか楽しいとか、そういう世界から不意に我に返る瞬間がときたまあって、その瞬間がなによりも怖い。そう、下手したらこの人より怖いかも。



「名前……なんて言うんですか?」


今度は、頭でセリフを準備する前に声が出た。


「名前……俺の?」

「そうです……はい」

「俺は夏川」

「ナツカワ? 死神にも苗字とかあるんだ……」


「そう、苗字というか名前というか、上の連中が付けた呼び名がある。俺は夏の日に川で死んだから夏川」

「しんだ……、しんだんですか?」

「そう、悪趣味な由来でしょ。記憶がないから本当かはわからないけどね、死んだってのも含めて」


しんだ……しんだってことは、かつては、


「俺も人間だったのかも」

思考を読んだようなタイミングでそう言われて、ぞく、としたものが背中を駆け抜ける。


「上の連中のハナシによれば、こっちのセカイにも閻魔大王様みたいな一番偉い存在がいるらしくてね、そいつが、死んだ人間の中から死神の適性があるやつを引き抜くんだって」

「へえ……じゃあ夏川さんは選ばれし者ってことなんですね」

「超ポジティブに捉えればそうかも。てかタメ語でいいよ、あんま歳変わらんし。知らんけど」


そこまで言うと、彼は──夏川くんは再び私の手を引いて歩き始めた。私はそうされることが当たり前のように足を踏み出した。