◇
◆
『……りりちゃん、俺は太陽が苦手だから、明日の18時半、屋上に迎えに行く。おまえの最期は俺がしっかり管理してやるから逃げるなよ』
その言葉の通り、18時半、わたしは学校の屋上にいた。
あと少しであのトラック衝突事故と同じ時刻になる。日付はずれたけれど、時間帯だけでも合わせるのかな。そのへんのルールはよくわかんない。
夏川くんは死を管理するなんて言うけれど、わたしの死因って何になるんだろう。屋上ってことは、飛び降り自殺かな? 痛いのは嫌だけど仕方ないよね。日本ではまだ安楽死が制度化されていないんだし。
自分の死因について考えるなんてどうかしてるのかも。でもやり残したことももうないもん。夏川くんにキスされたのは少し不本意だけど、全然嫌じゃなかったし。
「りりこ」
声の方へ振り替える。夕日に当たらないように、やっぱり日陰に佇む夏川くんの姿があった。
「夏川くん、約束通り来たよ」
「最後の最後には逃げ出すこと期待してたけど」
「わたしのこと見くびりすぎだよー。決めたことはやり通すの!」
「ま、そーいうとことも嫌いじゃないけどね」
セーラー服がなびく。瞬間、急に空気が冷たくなったような気がした。
いちばんはじめ、夏川くんと出会ったときと同じ空気。そっか、あの時感じた恐怖は、夏川くんが死神としての空気感を纏っていたからなんだ。この冷たさにぞっとして、思わず身震いする。変だよね。死ぬって決めたのは自分なのに。
「じゃあ、始めようか」
「……はじめる?」
「俺は死神だけど、直接手を下すことは出来ない。あくまで人の死を管理するのが仕事だから」
「えーっと、つまり」
「おまえは自分で死ぬんだよ。ここから飛び降りてね」
ああそっか。やっぱりわたしの死因は飛び降り自殺なんだ。
ごくりとつばを飲み込んで覚悟を決める。すると、夏川くんがわたしにゆっくり近づいてきた。日が落ちてきたから、もう日陰にいなくてもいいみたい。
「……惜しいな、おまえを死なせるのは」
「そんなこと言ってくれるの、たぶん夏川くんだけだよ」
「おまえのそういうところ、余計気に食わない」
「そういうところって?」
「死に際のくせに、やけに堂々としてるところ。少しは泣いて見せたら」
「だって、夏川くんが覚悟決めろって言ってたもん」
「ふ、昨日はあんなに泣いてたくせに」
え。そうか、思い出せば、夏川くんにキスされたとき、私思わずぼろぼろ泣いてしまったんだった。
思い出して顔を赤くすると、「可愛い反応できるんだな」とわらう。ずるい死神!
「夏川くん、わたし、夏川くんに出会えてよかった」
「へえ」
「……最期に一緒にいるのが、夏川くんでよかった」
「……」
ゆっくりと目の前で立ち止まった背の高い夏川くんがわたしを見下ろす。そして無言で右手が伸びてきた。そのきれいな指先がわたしの喉元に触れる。
自分ではない誰かの掌がのどをなぞる。ぞくりとして、同時に息苦しい。気持ち悪い。これが死に対する防衛反応なのかな。
「じゃあね、来世で会えたらおまえのことどこにも行かないように閉じ込めてやるよ」
じゃあね、なんて、別れの挨拶にしては軽すぎるでしょ。
そのまま夏川くんの右手が喉から頬へあがって、ぐっと引き寄せられた。昨日と同じだ。キスされる、そしてそのまま後ろに押されて、このまま屋上から突き落とされる。
そこまで想像して、ぎゅっと目をつぶった、その刹那。
「─────なんてね、」
え?
「りりちゃん、言ったろ、おまえのことは殺さないって」
なにそれ、どういうこと?
おそるおそる目を見開くと、可笑しそうにわらってわたしを見下ろす夏川くんの顔が至近距離にある。
わたし、ここで死ぬんじゃないの?
夏川くん、もしかしてわたしじゃない誰かを殺したの?
「ザンネンだけど、おまえ以外の誰かを殺したわけでもないよ」
「ど、どういうこと……?」
「ま、別にそれでもよかったけど、りりちゃんが“他の誰かを殺したら一生軽蔑する”なんて言うからできなかったし」
「じゃ、じゃあやっぱりわたしは死ななきゃいけないんじゃ、」
震えながら問いかけると、わたしの顔を掴んだ夏川くんの右手が、親指だけで頬を撫ぜた。
その行為がやけにぞくぞくとわたしの熱をあげていく。こんな状況で。
「ごめんね、言うの忘れてたけど、死神とキスしたら寿命が半分になるんだ。俺も、お前もね」
「えっ?」
「俺の命半分と、りりちゃんの命半分、併せて1人分の命をあの世に送った。だからりりちゃんは平均年齢の半分まで、頑張って生きてくれる?」
「な、なにそれ……でも、夏川くんの寿命って、」
「死神にも一応あるんだよ。人間よりずっと長い寿命みたいなモノが。それを迎えると役目が終わってやっとはじめてちゃんとした死人になれる」
「全部初耳だよ、どうしてそんなに大切なこと黙ってるの……」
「本当は、半分でもりりちゃんの寿命が短くなるなんて耐えられないから黙ってた。でもまあこんな状況じゃ仕方ないよね」
あっけらかんとそんなことを言ってのける。
わたしの寿命なんてどうでもいいよ。
「……もう夏川くんとはキスできない?」
「りりちゃん、大胆なこと聞くね?」
「う、ごめんなさい……」
「一回も二回も同じ。だから別に何回だってしてやるよ」
「え、じゃあ、今後も夏川くんに会えるってこと?」
ふ、と笑って。夏川くんの影が落ちてきた。まるでそれ以上聞くなとでもいうように、昨日と同じぬるさで唇が重なる。逃れられないよ。
角度を変えて重なるそれと、容赦なく口内をなぞるざらりとした感触に必死に応えながら、わたしはまた涙がでてくる。
だってこんなの、もう会えないって言われてるのと同然だ。わたしが死んできみに会えないのと、生きていて意思があるのに会えないのとじゃ、全然違うんだよ、夏川くん。
「なつ、かわくん、」
やがて離れた唇の隙間に滑り込んで声を発すると、やっと彼の視線とわたしのそれが重なった。
「どうしたら、また会えるの?」
「……俺は割と禁忌をおかしちゃったからね」
「禁忌……」
「それに、気づいてなかったけど、俺の死神としての役目も今回が最後だったみたいだし」
「え? それってどういう……」
「やっと普通の死人になれるって言ったろ。もう誰かの死なんて見届けなくていい」
そっか。夏川くんが少しでも楽になれるなら、それでもいい。
だけど。死神としての役目を終えたらどうなるの? もう意識も何もなくなってしまうの?
「……輪廻転生って知ってる?」
「聞いたことあるけど、わかんないよ」
「人が何度も生死を繰り返して生まれ変わること。つまり俺も、もしかしたら現世で、若しくは来世で、りりちゃんに会えるかもね」
そんな確証のないこと言わないでよ。勝手に消えるなんてずるいよ。
「りりちゃんおいで」
ぼろぼろ泣くわたしを見かねて夏川くんがぎゅっと抱きしめる。
「こんなことなら、死んだ方がよかったのに」
「折角生かしたのに、我儘なこと言うね」
「だって、夏川くんの記憶を持ったまま、ひとりで生きて行けっていうの?」
「はは、言ったろ、お前が泣いて喚いて縋っても、俺はお前を殺さないって」
「そんな……」
「それに、記憶はいずれ消える、早ければ明日にでもね」
そんなの嫌だよ─────
「夏川くん、わたし、夏川くんのこと、っ」
「りりちゃん、俺が生まれ変わったら、真っ先に会いに行く。その時またおまえのこと迎えに行くから」
わたしの言葉をわざと遮った夏川くんの掌が瞼に落ちる。瞬間、夜と同じように突然の睡魔が襲ってきた。
わたし、まだ言いたいことがたくさんあったのに────
「でもね、これだけは言っとく、俺は伊藤りりこちゃんが初恋だったよ」
まだ眠りたくない、夏川くんのバカ。
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『……りりちゃん、俺は太陽が苦手だから、明日の18時半、屋上に迎えに行く。おまえの最期は俺がしっかり管理してやるから逃げるなよ』
その言葉の通り、18時半、わたしは学校の屋上にいた。
あと少しであのトラック衝突事故と同じ時刻になる。日付はずれたけれど、時間帯だけでも合わせるのかな。そのへんのルールはよくわかんない。
夏川くんは死を管理するなんて言うけれど、わたしの死因って何になるんだろう。屋上ってことは、飛び降り自殺かな? 痛いのは嫌だけど仕方ないよね。日本ではまだ安楽死が制度化されていないんだし。
自分の死因について考えるなんてどうかしてるのかも。でもやり残したことももうないもん。夏川くんにキスされたのは少し不本意だけど、全然嫌じゃなかったし。
「りりこ」
声の方へ振り替える。夕日に当たらないように、やっぱり日陰に佇む夏川くんの姿があった。
「夏川くん、約束通り来たよ」
「最後の最後には逃げ出すこと期待してたけど」
「わたしのこと見くびりすぎだよー。決めたことはやり通すの!」
「ま、そーいうとことも嫌いじゃないけどね」
セーラー服がなびく。瞬間、急に空気が冷たくなったような気がした。
いちばんはじめ、夏川くんと出会ったときと同じ空気。そっか、あの時感じた恐怖は、夏川くんが死神としての空気感を纏っていたからなんだ。この冷たさにぞっとして、思わず身震いする。変だよね。死ぬって決めたのは自分なのに。
「じゃあ、始めようか」
「……はじめる?」
「俺は死神だけど、直接手を下すことは出来ない。あくまで人の死を管理するのが仕事だから」
「えーっと、つまり」
「おまえは自分で死ぬんだよ。ここから飛び降りてね」
ああそっか。やっぱりわたしの死因は飛び降り自殺なんだ。
ごくりとつばを飲み込んで覚悟を決める。すると、夏川くんがわたしにゆっくり近づいてきた。日が落ちてきたから、もう日陰にいなくてもいいみたい。
「……惜しいな、おまえを死なせるのは」
「そんなこと言ってくれるの、たぶん夏川くんだけだよ」
「おまえのそういうところ、余計気に食わない」
「そういうところって?」
「死に際のくせに、やけに堂々としてるところ。少しは泣いて見せたら」
「だって、夏川くんが覚悟決めろって言ってたもん」
「ふ、昨日はあんなに泣いてたくせに」
え。そうか、思い出せば、夏川くんにキスされたとき、私思わずぼろぼろ泣いてしまったんだった。
思い出して顔を赤くすると、「可愛い反応できるんだな」とわらう。ずるい死神!
「夏川くん、わたし、夏川くんに出会えてよかった」
「へえ」
「……最期に一緒にいるのが、夏川くんでよかった」
「……」
ゆっくりと目の前で立ち止まった背の高い夏川くんがわたしを見下ろす。そして無言で右手が伸びてきた。そのきれいな指先がわたしの喉元に触れる。
自分ではない誰かの掌がのどをなぞる。ぞくりとして、同時に息苦しい。気持ち悪い。これが死に対する防衛反応なのかな。
「じゃあね、来世で会えたらおまえのことどこにも行かないように閉じ込めてやるよ」
じゃあね、なんて、別れの挨拶にしては軽すぎるでしょ。
そのまま夏川くんの右手が喉から頬へあがって、ぐっと引き寄せられた。昨日と同じだ。キスされる、そしてそのまま後ろに押されて、このまま屋上から突き落とされる。
そこまで想像して、ぎゅっと目をつぶった、その刹那。
「─────なんてね、」
え?
「りりちゃん、言ったろ、おまえのことは殺さないって」
なにそれ、どういうこと?
おそるおそる目を見開くと、可笑しそうにわらってわたしを見下ろす夏川くんの顔が至近距離にある。
わたし、ここで死ぬんじゃないの?
夏川くん、もしかしてわたしじゃない誰かを殺したの?
「ザンネンだけど、おまえ以外の誰かを殺したわけでもないよ」
「ど、どういうこと……?」
「ま、別にそれでもよかったけど、りりちゃんが“他の誰かを殺したら一生軽蔑する”なんて言うからできなかったし」
「じゃ、じゃあやっぱりわたしは死ななきゃいけないんじゃ、」
震えながら問いかけると、わたしの顔を掴んだ夏川くんの右手が、親指だけで頬を撫ぜた。
その行為がやけにぞくぞくとわたしの熱をあげていく。こんな状況で。
「ごめんね、言うの忘れてたけど、死神とキスしたら寿命が半分になるんだ。俺も、お前もね」
「えっ?」
「俺の命半分と、りりちゃんの命半分、併せて1人分の命をあの世に送った。だからりりちゃんは平均年齢の半分まで、頑張って生きてくれる?」
「な、なにそれ……でも、夏川くんの寿命って、」
「死神にも一応あるんだよ。人間よりずっと長い寿命みたいなモノが。それを迎えると役目が終わってやっとはじめてちゃんとした死人になれる」
「全部初耳だよ、どうしてそんなに大切なこと黙ってるの……」
「本当は、半分でもりりちゃんの寿命が短くなるなんて耐えられないから黙ってた。でもまあこんな状況じゃ仕方ないよね」
あっけらかんとそんなことを言ってのける。
わたしの寿命なんてどうでもいいよ。
「……もう夏川くんとはキスできない?」
「りりちゃん、大胆なこと聞くね?」
「う、ごめんなさい……」
「一回も二回も同じ。だから別に何回だってしてやるよ」
「え、じゃあ、今後も夏川くんに会えるってこと?」
ふ、と笑って。夏川くんの影が落ちてきた。まるでそれ以上聞くなとでもいうように、昨日と同じぬるさで唇が重なる。逃れられないよ。
角度を変えて重なるそれと、容赦なく口内をなぞるざらりとした感触に必死に応えながら、わたしはまた涙がでてくる。
だってこんなの、もう会えないって言われてるのと同然だ。わたしが死んできみに会えないのと、生きていて意思があるのに会えないのとじゃ、全然違うんだよ、夏川くん。
「なつ、かわくん、」
やがて離れた唇の隙間に滑り込んで声を発すると、やっと彼の視線とわたしのそれが重なった。
「どうしたら、また会えるの?」
「……俺は割と禁忌をおかしちゃったからね」
「禁忌……」
「それに、気づいてなかったけど、俺の死神としての役目も今回が最後だったみたいだし」
「え? それってどういう……」
「やっと普通の死人になれるって言ったろ。もう誰かの死なんて見届けなくていい」
そっか。夏川くんが少しでも楽になれるなら、それでもいい。
だけど。死神としての役目を終えたらどうなるの? もう意識も何もなくなってしまうの?
「……輪廻転生って知ってる?」
「聞いたことあるけど、わかんないよ」
「人が何度も生死を繰り返して生まれ変わること。つまり俺も、もしかしたら現世で、若しくは来世で、りりちゃんに会えるかもね」
そんな確証のないこと言わないでよ。勝手に消えるなんてずるいよ。
「りりちゃんおいで」
ぼろぼろ泣くわたしを見かねて夏川くんがぎゅっと抱きしめる。
「こんなことなら、死んだ方がよかったのに」
「折角生かしたのに、我儘なこと言うね」
「だって、夏川くんの記憶を持ったまま、ひとりで生きて行けっていうの?」
「はは、言ったろ、お前が泣いて喚いて縋っても、俺はお前を殺さないって」
「そんな……」
「それに、記憶はいずれ消える、早ければ明日にでもね」
そんなの嫌だよ─────
「夏川くん、わたし、夏川くんのこと、っ」
「りりちゃん、俺が生まれ変わったら、真っ先に会いに行く。その時またおまえのこと迎えに行くから」
わたしの言葉をわざと遮った夏川くんの掌が瞼に落ちる。瞬間、夜と同じように突然の睡魔が襲ってきた。
わたし、まだ言いたいことがたくさんあったのに────
「でもね、これだけは言っとく、俺は伊藤りりこちゃんが初恋だったよ」
まだ眠りたくない、夏川くんのバカ。