家に帰ると、夏川くんはソファに座って本を読んでいた。死神も本とか読むんだ。


「夏川くん、今日もご飯食べる?」

「どっちでもいいけど」

「薄情だなあ、最後の晩餐なんだから付き合ってよ!」

「お前を殺すって言ってないけど」

「頑固だね夏川くん」

「どっちが」

納得していない表情でこちらを向く。でもなんかいいな。夏川くんには本音で話せている。彼が死神だからかもしれないけれど。
ソファから視線を上げてわたしを捉えた夏川くんの視線はやけに鋭い。まるで離さないとでも言ってるみたいだ。


「りりこ、今日も一緒に寝るか?」

「なにそれ、最後の夜だから?」

「最後って、おまえ死ぬ気満々じゃねーか」

「出会った時からそう言ってるでしょ」


「どんだけ傲慢な女なわけ」

「昨日は勝手に布団入ってきたくせに」

「相変わらず生意気」


確かに、死神に向かって反論するのは生意気かもだよね。でも夏川くんが親しみやすいからだよ。

今日の出来事を思い出しながら夏川くんとご飯を食べて、昨日と同じようにお風呂に入って寝る準備を整えた。

よく、“明日地球が滅亡するとしたらどうする?”という雑な質問があるけれど、終わりを知っていても意外と日常を変えるのって難しいみたい。まあ、夕飯は大好物のハンバーグとオムライスにしちゃったんだけどね。


いそいそと昨日と同じぐらいの時間にベットに入る。明日死ぬっていうのにフツウに過ごしちゃっていいのかな。夜更かししてもいいんだけど、寝るのも大好きだし。

お父さんに電話くらいしておこうかな。いや、それは明日でいいかな。ていうか、別にお父さんだってわたしが死んだところで特に何も思わないかも。あ、でも最後に駅前のジェラート屋さんは寄りたいかも。チョコミント味が絶品なんだよなあ。

なんてぐるぐる明日のタスクを考えていると、カサリと右側の布団が動いた。夏川くんが入ってきたんだ。
死神だからなのか、近くに寄ってくるまで気配がないからいつも気づかない。


「また黙って入ってきたの、夏川くん」

「今日も一緒に寝るかって聞いたろ」

「そうだっけ」

そういえばご飯の前にそんなことを聞かれたっけ。昨日は何も言わずにやってきたくせに。
温度はないはずなのに、急に布団の中があったかくなったような気がした。きっと夏川くんじゃなくて私の体温が上がったせいだ。


「夏川くんってきれいな顔してるよね」

「何、口説いてんの?」

「はは、事実を言ってるだけだよー。生きてた時すっごいモテたでしょ!」

「記憶ないから」

同じ学校にいたら、女の子はみんな夏川くんのことを好きになっていたかもしれない。そう思うとちょっと嫌だな。
夏川くんが死神でよかった、なんて。


「りりちゃんも可愛い顔してるけどね」

そう言って昨日と同じようにわたしの髪を撫でる夏川くん。指先があまりにきれいでぞくりとする。可愛いなんて、男の子に言われたことないんだもん。


「……ねえ夏川くん、なんでわたしを生かしたの?」

「だから、たまたまだって言ったろ」

「その割には、夏川くんってわたしに構ってくれるよね」

「おれが死神担当なんだからそれはそうだろ」

「優しいなって思ったのに。わたしだけに優しいのかなって」

「自惚れも甚だしいな、おまえ」

暗闇の中の夏川くんの表情は変わらない。ゆっくりとわたしの髪を撫でる手はそのまま。でも、出会ったときより確実に怖くなくなっている。夏川くんのことも、死ぬっていうことも。


「……わたし、明日死ぬのかな」

「今更怖くなった?」

「そりゃ、怖いよ。でも、誰かを殺すのも自分が死ぬのも、同じくらい怖いから、だったら一瞬で消えちゃう方がいいなって」

「おまえは本当、意思固いね」

「頑固なの」


真っすぐ夏川くんを見ると、わたしの髪を撫でていた手が急に止まった。


「……りりちゃん、おいで、ぎゅってしてあげる」

そして、そのまま引き寄せられる。
何急に、どうしてそんな甘い声でわたしを呼ぶの。


「ねえ、夏川くん、死んだ時の記憶ってある?」

「ないって言ったろ、夏の川で死んだらしいってことくらい、それも本当かどうかわかんないし」

「じゃあ、怖いかどうか、痛いかどうか、わかんないか」

「……生前の環境とか、死に方にもよるけど、俺はやっと終わったって思ったかもな」


「やっと終わった?」

「りりちゃんと一緒だよ、つまんない人生で、誰かと感情を共有することもなく、淡々とした日々だったってだけ」

「……でも、わたしは夏川くんと話してるの、楽しかったけど」

「りりちゃん、おまえはやっぱり悪い子だな、男にベットの上で抱かれながらそういうこと言うのは」
「へ、変な意味じゃないもん」

昨日は私がすり寄ったけど、今日は夏川くんが私のことを抱きしめている。変な感じ。でも全然嫌じゃない。
死神なのに、へんだよね。この人は明日、わたしが死ぬのを見届ける為に存在しているだけなのに。


「りりちゃんの最初で最後、俺がもらってあげてもいいけど」

「……欲まみれだよー夏川くん」

「人間と違うところは心臓がないことだけって言ったろ?」

「なんだ、夏川くん、わたしのこと思いの外だいすきなんだ」


「一目惚れって言ったら満足?」

「きゅ、急に素直になるね?」

「なありりこ、お前の意思は固いけど、決めるのはお前じゃない。もし明日、俺がおまえを殺さないって言ったらどうする?」

「勝手にわたし以外の誰かを殺したら、夏川くんのこと一生軽蔑する」

「はは、それは勘弁」

ぎゅっとつよく抱きしめられる。死神なのに、温度があるわけじゃないのに、暖かいと感じてしまうのは何故だろう。ぬるい温度がやけに心地よくて嫌になる。離れ難い、明日にはもうわたしはこの世からいなくなってしまうのに。


「りりちゃん、初めて生かしたのが、おまえでよかった」

なに、どうしてそんなことを言うの。

抱きしめられているせいで表情がよく見えない。でも力の強さが増すのを感じた。夏川くん、やっぱり人の死を管理するには優しすぎるんじゃない?


「ごめんね、せっかく生かしてくれたのに、自ら死ぬのを選んで、ごめん」


そう言ってから返事はなくて。少しの沈黙の後。


「……それでも俺は、お前との未来が欲しいよ」

─────え。
かすれた声が耳に届いて、それから少しだけぐいっと身体を離される。鋭い視線が絡んだ。逃れられない、と思う。


「嫌なら殴れ」

そう短く告げられて、夏川くんの唇が自分のそれに重なった。驚いて咄嗟に彼の胸板を強く押したけれど簡単に手首を掴まれて止められる。

なに、突然、なんで。

「なつかわく、っ」

唇が少し離れた拍子に声を出したものの虚しく直ぐに彼の舌がわたしの下唇をなぞってそのまま口内に侵入する。はじめての舌の感触に泣きそうになりながら必死に息をして応える。

驚いたけど、嫌じゃない。そのことに、自分でもびっくりだ。

手首と後頭部を強く掴まれたままその行為は何分か続いて、わたしがぼろぼろと泣いているのを見た夏川くんが息を切らしながらそっと離れた。
妙に色っぽい視線に、また泣きそうになる。


「っ、泣き顔やっぱそそる」

私の頬を親指でぐいっと拭う。それから「嫌なら殴れって言っただろ」と息を吐く。わたしの手を制していたのは夏川くんのくせによく言う。


「……嫌じゃない、」
「あーあ、やっぱ悪い子」


ぐいっと後頭部を引き寄せられて、そのまま強く抱きしめられた。体温はぬるいのに、何故か熱っぽくなっていく自分の身体がなんだかちぐはぐで変な感じがする。
夏川くん。わたしやっぱり悪い子なのかな。もっとして欲しいなんて、強欲だよね。


「……りりちゃん、俺は太陽が苦手だから、明日の18時半、屋上に迎えに行く。おまえの最期は俺がしっかり管理してやるから逃げるなよ」


あんなキスをしておいて、やけに死神らしいことを言う。そのくせ離したくないとでもいうようにわたしに縋り付くこの美しい男のこと、わたしはどうしようもなく愛おしく思ってしまっている。

昨日と同じようにひどい睡魔が突然襲ってくる。夏川くんってわたしの睡眠まで操れるのかな。死神だしあり得ることだ。


─────夏川くん。わたし、死ぬ前にきみに出会えてよかったな。だって、こんな風に誰かのことを抱きしめたいと思ったのは生まれてはじめてだ。