◇
次の日、学校。
朝起きた時には夏川くんの姿がなくて、昨日のことは夢かと思った。まあ、夢ならそれがいちばん幸いなんだけど。
キッチンに置かれたふたつのカレー皿とマグカップを見て、やっぱり夢ではなかったようだと思った。
:
「ねーこのカフェ行きたくない?」
「ちょーばえるの」
昼休み、いつものように友だち5人で机をくっつけて昼食をとる。
昨日一昨日とあんなことがあったのに、日中の日常はこんなにも変わり映えがしないなんて変な話だよね。
「うわ本当だかわいーっ」
「流行ってるから並ぶかもだけどー」
「えーでもわたしお金ないなー」
栗色に染めた髪をくるくると指先で弄びながら、ひとりが示すスマホの画面をみんな見つめる。かわいらしいスイーツに夢のような空間が映ってる。わたしとは似ても似つかないような場所。
なのに、みんな、こういう所謂写真映えするスポットが大好きなの。かわいいなってもちろん思うけど、なんだか自分に合ってないような気がしてしまうのはなんでだろう。
「わかるわかる、先月テストでバイトあんま入らなかったしねー」
「親からのお小遣いも尽きたわー」
「えーじゃあさ、」
あ、この空気、また来るな、と思った。
「りりこ、お金持ってるじゃん? 奢ってよ」
悪気のないその声とみんなの笑顔に、落ちかけていた視線を上げる。ああ、笑わなきゃな。
ここで、しょーがないなーって笑うわたしもわたしでどうかしている。
「やったー流石りりこ!」
「金持ちは違うよね」
「バイトもしてないのに羨ましい〜」
「わたしたち最高の友達持ったよねー」
「来週の木曜にしない?」
「いいねいいね」
そんなやりとりに表情は笑いながら、内心はいはい、と思う。わたしの家が裕福なことを知っていて近づいてくる友達のこと、嫌いじゃないけど好きでもないのかも。
さっきのスマホ画面に映った写真に付けられたタグが目に入ってさらにげんなりする。#キラキラJK★ 笑っちゃうよね。
来週の木曜には、もうわたしはこの世にいないっていうのに。
「わたしちょっとトイレ行ってくるー」
「あ、スズコが行くならわたしも行くよ」
5人のうち2人がそう言って席を立つ。教室を出ていく姿を確認して、残った2人が目くばせした。また、嫌な雰囲気だ。やだな、この空気、すごく苦手だ。
「てかさー、何様なの? スズコって」
「あーわかるわかる、最近さらに性格悪くなったよねー」
突然声のトーンが低くなった。わたしはそれに黙ってふたりの顔を交互に見ることしかできない。
スズコちゃん。5人の中でいちばん気が強くて可愛くて、言わばカースト上位の女の子。さっき、わたしに『奢ってよ』と言いいだしたのもスズコちゃんだ。
「りりこも嫌なものは嫌って言わなきゃダメだよ、友達に奢ってとかフツー言わないって」
「わかるわかる、本当世界は自分中心に回ってますって感じだよねー」
「てかミサもさ、スズコにいつも引っ付いてて金魚のフンかって」
「あーね、今もトイレにまで着いていって必死だよねー」
あーあ。見てるのも聞くのも嫌になる。5人でいる時はいつも笑っているけれど、いざ誰かがいなくなると途端にこうだ。いない誰かの悪口大会。この2人に限ったことじゃない。
言っちゃえば他人だし。そもそも同じクラスになって勝手にグループができただけだし。人間全員と仲良しなんてことあるわけないし。みんなで笑っているときは友達のことが好きだなって思うけど。こういう空気になると途端に心臓が固まったみたいに感じる。
仕方ないのかも。どこにでもある日常なのかも。
でも、どうしようもなく、居心地が悪い。そして、何もできない自分のことが情けなくて大嫌い。
吐き気がする。もう直ぐ死ぬのかと思ったら、この日常が、余計にとても気持ち悪い。
◇
放課後、屋上。予定もないのにすぐに帰宅するのがなんだか嫌で、わたしは時々ここで時間を潰したりする。言わばわたしの逃げ場所だ。
「りりこ」
屋上のフェンスに手をかけたところで、後ろから聞き覚えのある声がした。思わず振り向くと、そこには見知った綺麗な顔がある。
「えっ、夏川くん?!」
「なに驚いてんの」
「いやいや、突然現れる方がどうかしてるよ? てかここ学校だし、そもそも夏川くんって明るい時間も存在するんだ……」
「問題ない、りりこ以外には姿見えないし。てか別に昼とか夜とか関係ない」
私以外に姿が見えないの? それは初耳だ。だとしても、誰もいない空間にひとりで会話をしているところを見られたら、かなりアブナイ人認定されちゃいそうだけど。
「いつも夜にしか現れないからてっきり明るい時間帯はダメなのかと……朝もいなかったし」
「まあ確かに、太陽は苦手だな」
もうすぐ夕方だけれど、まだ陽は出ている。そう言われれば、確かに校舎の日陰に入っている夏川くん。直射日光は苦手なのかな。
「りりこ、アイツでもいいよ。代わりに殺したい奴」
「え?」
「スズコとか言う奴。さっき話してたろ」
「えっ、聞いてたの?! どこから?!」
「今日1日、というかおまえと初めて会った時からずっと、姿が見えないように近くにいるからね」
「そんなストーカーみたいなことしなくても……」
「死ぬのを管理するのが俺の仕事って言っただろ」
「思考が死神すぎる……」
だとしても、姿が見えないんじゃこっちも気が気じゃないよ。いつ見られてるのかわからないなんて。
あ、でも、どうせ明日死ぬならなんでもいいのかな。
「で、殺したい奴の話だけど。スズコって奴でもいいし、その取り巻きでもいい、どうする」
「な、なんで夏川くんが勝手に決めるの。第一あの子たちはわたしの友だちだし……」
「見てればわかるだろ、おまえ、友達って言いながら心底嫌そうな顔してたけどね」
「それは……」
「好きでもない奴らと一緒にいるの、りりこは物好きだな」
確かに、わたしはあのグループに馴染めていないと思う。でも、どこへ行ってもきっとそうなる。誰かが消えても変わるわけじゃない。それに、わたしは友達のこと、こう見えても大好きだ。
自分は生かされる代わりに、自分以外の人が死ぬなんて耐えられないよ。ましてや、自分の知り合いが死ぬなんて考えられない。
「夏川くん、わたし、誰かを殺して自分が生きるなんて耐えられないよ」
「へえ、でもおまえ、あいつらのこと嫌いなんだろ?」
「嫌いじゃないもん。殺せないよ、友達だもん」
「友達って薄い関係のこと言うのな」
「夏川くんにはわかんない?」
「何が?」
「たとえわたしが友達のことを嫌いでも、殺していい理由にはならないんだよ。誰かを殺して自分が生きるなんて選択そもそもないの。そういうものだよ」
「……普通、おまえを生かしてやるって言われれば、誰でも殺したい奴の1人や2人、名前を挙げてくるけどな」
「それが普通なの?」
「人間なんてそんなもんだろ。いつだって自分本意で自分勝手。みんな“生かしてくれ”って泣き喚くか怒り狂うか、そんな奴ばっか」
「そっか、じゃあ私がおかしいのか」
「知らないけど」
「でもね、わたし、誰も傷つけたくないの。運命でわたしが死ぬことになってるならそれでいいの」
ごめんね、夏川くん。たまたまわたしを救ってくれたのかもしれないけれど、明らかに人選ミスだよ。
わたし、自分でもびっくりするくらい適応能力が高いみたい。もう自分が消えることを受け入れちゃってる。
「それに、死ぬ時夏川くんが一緒にいてくれるんでしょ?」
ふふ、とそう言ってわたしが笑うと、夏川くんが面食らったように眉を顰めた。
あ、わたしの言葉に初めて大きく表情が動いたな、と思いながら。
「夏川くんと一緒に死ねるなら、わたし、それでいいや」
死神に大胆なことを言ったなと自分でもおもうけど。夏川くんが一緒にいてくれるなら、消えるのだって怖くない。その代わり、あんまり痛めつけずに殺して欲しいな。なんて言ったら、夏川くんはまた怒るかも。
「……りりこ、おまえを殺すのは惜しい」
「え? 何?」
「なんでもない、もう少し考えろ、タイムリミットまでまだ1日ある」
そうか、タイムリミットは明日の夜─────
「……今日もうちで寝るの?」
「そのつもりだけど」
やけに冷静な夏川くんは、「ひとりになりたいんだろ、家で待ってるから早く帰ってこいよ」と言って姿を消した。
実感の湧かない明日の死よりも、家で誰かが待っている、そっちの方が変な感じだ。
次の日、学校。
朝起きた時には夏川くんの姿がなくて、昨日のことは夢かと思った。まあ、夢ならそれがいちばん幸いなんだけど。
キッチンに置かれたふたつのカレー皿とマグカップを見て、やっぱり夢ではなかったようだと思った。
:
「ねーこのカフェ行きたくない?」
「ちょーばえるの」
昼休み、いつものように友だち5人で机をくっつけて昼食をとる。
昨日一昨日とあんなことがあったのに、日中の日常はこんなにも変わり映えがしないなんて変な話だよね。
「うわ本当だかわいーっ」
「流行ってるから並ぶかもだけどー」
「えーでもわたしお金ないなー」
栗色に染めた髪をくるくると指先で弄びながら、ひとりが示すスマホの画面をみんな見つめる。かわいらしいスイーツに夢のような空間が映ってる。わたしとは似ても似つかないような場所。
なのに、みんな、こういう所謂写真映えするスポットが大好きなの。かわいいなってもちろん思うけど、なんだか自分に合ってないような気がしてしまうのはなんでだろう。
「わかるわかる、先月テストでバイトあんま入らなかったしねー」
「親からのお小遣いも尽きたわー」
「えーじゃあさ、」
あ、この空気、また来るな、と思った。
「りりこ、お金持ってるじゃん? 奢ってよ」
悪気のないその声とみんなの笑顔に、落ちかけていた視線を上げる。ああ、笑わなきゃな。
ここで、しょーがないなーって笑うわたしもわたしでどうかしている。
「やったー流石りりこ!」
「金持ちは違うよね」
「バイトもしてないのに羨ましい〜」
「わたしたち最高の友達持ったよねー」
「来週の木曜にしない?」
「いいねいいね」
そんなやりとりに表情は笑いながら、内心はいはい、と思う。わたしの家が裕福なことを知っていて近づいてくる友達のこと、嫌いじゃないけど好きでもないのかも。
さっきのスマホ画面に映った写真に付けられたタグが目に入ってさらにげんなりする。#キラキラJK★ 笑っちゃうよね。
来週の木曜には、もうわたしはこの世にいないっていうのに。
「わたしちょっとトイレ行ってくるー」
「あ、スズコが行くならわたしも行くよ」
5人のうち2人がそう言って席を立つ。教室を出ていく姿を確認して、残った2人が目くばせした。また、嫌な雰囲気だ。やだな、この空気、すごく苦手だ。
「てかさー、何様なの? スズコって」
「あーわかるわかる、最近さらに性格悪くなったよねー」
突然声のトーンが低くなった。わたしはそれに黙ってふたりの顔を交互に見ることしかできない。
スズコちゃん。5人の中でいちばん気が強くて可愛くて、言わばカースト上位の女の子。さっき、わたしに『奢ってよ』と言いいだしたのもスズコちゃんだ。
「りりこも嫌なものは嫌って言わなきゃダメだよ、友達に奢ってとかフツー言わないって」
「わかるわかる、本当世界は自分中心に回ってますって感じだよねー」
「てかミサもさ、スズコにいつも引っ付いてて金魚のフンかって」
「あーね、今もトイレにまで着いていって必死だよねー」
あーあ。見てるのも聞くのも嫌になる。5人でいる時はいつも笑っているけれど、いざ誰かがいなくなると途端にこうだ。いない誰かの悪口大会。この2人に限ったことじゃない。
言っちゃえば他人だし。そもそも同じクラスになって勝手にグループができただけだし。人間全員と仲良しなんてことあるわけないし。みんなで笑っているときは友達のことが好きだなって思うけど。こういう空気になると途端に心臓が固まったみたいに感じる。
仕方ないのかも。どこにでもある日常なのかも。
でも、どうしようもなく、居心地が悪い。そして、何もできない自分のことが情けなくて大嫌い。
吐き気がする。もう直ぐ死ぬのかと思ったら、この日常が、余計にとても気持ち悪い。
◇
放課後、屋上。予定もないのにすぐに帰宅するのがなんだか嫌で、わたしは時々ここで時間を潰したりする。言わばわたしの逃げ場所だ。
「りりこ」
屋上のフェンスに手をかけたところで、後ろから聞き覚えのある声がした。思わず振り向くと、そこには見知った綺麗な顔がある。
「えっ、夏川くん?!」
「なに驚いてんの」
「いやいや、突然現れる方がどうかしてるよ? てかここ学校だし、そもそも夏川くんって明るい時間も存在するんだ……」
「問題ない、りりこ以外には姿見えないし。てか別に昼とか夜とか関係ない」
私以外に姿が見えないの? それは初耳だ。だとしても、誰もいない空間にひとりで会話をしているところを見られたら、かなりアブナイ人認定されちゃいそうだけど。
「いつも夜にしか現れないからてっきり明るい時間帯はダメなのかと……朝もいなかったし」
「まあ確かに、太陽は苦手だな」
もうすぐ夕方だけれど、まだ陽は出ている。そう言われれば、確かに校舎の日陰に入っている夏川くん。直射日光は苦手なのかな。
「りりこ、アイツでもいいよ。代わりに殺したい奴」
「え?」
「スズコとか言う奴。さっき話してたろ」
「えっ、聞いてたの?! どこから?!」
「今日1日、というかおまえと初めて会った時からずっと、姿が見えないように近くにいるからね」
「そんなストーカーみたいなことしなくても……」
「死ぬのを管理するのが俺の仕事って言っただろ」
「思考が死神すぎる……」
だとしても、姿が見えないんじゃこっちも気が気じゃないよ。いつ見られてるのかわからないなんて。
あ、でも、どうせ明日死ぬならなんでもいいのかな。
「で、殺したい奴の話だけど。スズコって奴でもいいし、その取り巻きでもいい、どうする」
「な、なんで夏川くんが勝手に決めるの。第一あの子たちはわたしの友だちだし……」
「見てればわかるだろ、おまえ、友達って言いながら心底嫌そうな顔してたけどね」
「それは……」
「好きでもない奴らと一緒にいるの、りりこは物好きだな」
確かに、わたしはあのグループに馴染めていないと思う。でも、どこへ行ってもきっとそうなる。誰かが消えても変わるわけじゃない。それに、わたしは友達のこと、こう見えても大好きだ。
自分は生かされる代わりに、自分以外の人が死ぬなんて耐えられないよ。ましてや、自分の知り合いが死ぬなんて考えられない。
「夏川くん、わたし、誰かを殺して自分が生きるなんて耐えられないよ」
「へえ、でもおまえ、あいつらのこと嫌いなんだろ?」
「嫌いじゃないもん。殺せないよ、友達だもん」
「友達って薄い関係のこと言うのな」
「夏川くんにはわかんない?」
「何が?」
「たとえわたしが友達のことを嫌いでも、殺していい理由にはならないんだよ。誰かを殺して自分が生きるなんて選択そもそもないの。そういうものだよ」
「……普通、おまえを生かしてやるって言われれば、誰でも殺したい奴の1人や2人、名前を挙げてくるけどな」
「それが普通なの?」
「人間なんてそんなもんだろ。いつだって自分本意で自分勝手。みんな“生かしてくれ”って泣き喚くか怒り狂うか、そんな奴ばっか」
「そっか、じゃあ私がおかしいのか」
「知らないけど」
「でもね、わたし、誰も傷つけたくないの。運命でわたしが死ぬことになってるならそれでいいの」
ごめんね、夏川くん。たまたまわたしを救ってくれたのかもしれないけれど、明らかに人選ミスだよ。
わたし、自分でもびっくりするくらい適応能力が高いみたい。もう自分が消えることを受け入れちゃってる。
「それに、死ぬ時夏川くんが一緒にいてくれるんでしょ?」
ふふ、とそう言ってわたしが笑うと、夏川くんが面食らったように眉を顰めた。
あ、わたしの言葉に初めて大きく表情が動いたな、と思いながら。
「夏川くんと一緒に死ねるなら、わたし、それでいいや」
死神に大胆なことを言ったなと自分でもおもうけど。夏川くんが一緒にいてくれるなら、消えるのだって怖くない。その代わり、あんまり痛めつけずに殺して欲しいな。なんて言ったら、夏川くんはまた怒るかも。
「……りりこ、おまえを殺すのは惜しい」
「え? 何?」
「なんでもない、もう少し考えろ、タイムリミットまでまだ1日ある」
そうか、タイムリミットは明日の夜─────
「……今日もうちで寝るの?」
「そのつもりだけど」
やけに冷静な夏川くんは、「ひとりになりたいんだろ、家で待ってるから早く帰ってこいよ」と言って姿を消した。
実感の湧かない明日の死よりも、家で誰かが待っている、そっちの方が変な感じだ。