ようやく手塚の資料を読み終えた。さすがというべきか、たった三ヶ月足らずでよくここまでのフィールドワークをこなしたものだ。
 ●●島の伝承、謎の言葉《いとまじ》……面白い。この内容とボリュームなら連載企画にできるだろう。
 現時点で記事に使えそうな考察もメモしておく。

 蛇の伝説は日本各地にある。中でも一番有名なヤマタノオロチ伝説。島根県の出雲(いずも)地方は『古事記』において、スサノオが降り立ち、ヤマタノオロチが討伐された舞台として名高い。日本最古の神話のひとつであり、数多(あまた)の伝承がここから派生した。
 一方で、肝心(かんじん)の出雲国風土記にそれらの話が一切登場しないことを(かんが)みると、後世の人々によるこじつけにも思われる。だが実際に出雲全般で縄蛇(なわへび)を御神体として祀る荒神信仰(こうじんしんこう)は多く見られることもまた事実であり、全く関連がないとも言い切れない。
 『いとまじ様』の伝説が荒神信仰の流れを継いでいるとしたら、蛇は火の象徴であり、闇を払う太陽との関連づけがされたとしても不思議ではない。

 出雲に関連して思いついた話をもうひとつ。島根県の隣、鳥取県には白兎(はくと)海岸がある。因幡(いなば)の白うさぎで有名な海岸だ。オオクニヌシとヤカミヒメのラブストーリーだが、この神話に出てくる白うさぎは、アルビノのウサギだとする説がある。日本の在来種で白い毛をしたウサギは、東北で冬の期間だけ白毛に生えかわるユキウサギのみで、それらは西日本には棲息(せいそく)していないというのがその理由だ。
 白という色が太陽をイメージさせるためか、アルビノの動物を太陽の遣いとして信仰する風潮は全国で見られる。
 具体的に、白い動物に関して過去の文献を拾ってみると、『日本書紀』によれば六五〇年(大化六年)に孝徳天皇が白い(きじ)の献上を受けて元号を「大化」から「白雉(はくち)」に改めており、これを皮切りに七〜八世紀にかけての百年間で計三十三回、シカやネズミ、キツネやカメなど十一種の白い動物が献上されたといわれる。
 つまり『いとまじ様』は、単体でみれば独自のルーツがあるように思えるが、その下地としての要素は、本州で完成されていたと考えられる。

 次に、資料の感想。
・吉田という囚人が描いた絵は、『いとまじ様』の伝説に影響を受けたものに違いない。伝説のなかで蛇が太陽を呼ぶところ……つまり皆既日食のシーンを描いたと考えれば合点(がてん)がいく。だが、それならなぜタイトルを『月夜の蛇』としたのだろう? 背景の日食を月と誤解させるためか? 日食と知られたくない理由があるのだろうか? 
・童唄と『月引三人衆』については、まず関連があるとみていいだろう。特に童唄の歌詞にある「白い御子」は白蛇を彷彿とさせる。「御子の夜泣き」は鐘の音で、三人で集まって儀式を行う風習を記したと考えられる。だとすれば「父母亡くしても」はどういう意味だろうか? 『月引三人衆』という神楽についても、関連した文献は思い当たらない。
 手塚には一度、連載用の原稿を練ってもらうとして、こちらは関連のありそうな伝承について当たってみることにする。