今日、久しぶりに手塚明日菜と会った。新人研修を担当して以来、実に七年振りだ。当時はフリルのついた服を着た、いかにも女の子って感じだったが、時の流れは早い。
 最寄(もよ)りの喫茶店で待ち合わせた。「お待たせしました」と向かいに座ったセミロングの女性に、当時の面影(おもかげ)を探す。つんと上を向いた小ぶりな鼻に、縁無しメガネがのっている。昔はコンタクトだった。下向きの長いまつ毛に、右の目じりの小さなほくろ。「なんかついてます? 」メガネの奥で猫のような目がこちらを捉えた。テキトーに返事をすると「化粧が上達しましたからね」と、見抜いたように笑われた。きゅっと、えくぼが浮かぶ。紛れもなく、イイ女だ。

 入社当時、強烈なオカルト愛を語っていた彼女は、その優秀さを人事に見抜かれ、研修後はわが社きってのエリート部署(ぶしょ)である社会部に配属が決まった。そして今や、政治家へのインタビューも担当するほどの実力ある記者にまで成長した。
 そんな彼女からいまさら「会って話がしたい」と連絡がくるだけでも驚きだったが、「記事の推敲(すいこう)を手伝って欲しい」と言われてさらに面食らった。俺は社会派のお堅い記事は担当したことがない。どういう風の吹き回しか(たず)ねると、どうしても書きたいオカルト記事があるという。

 社会部には毎年末、持ち回りで担当する恒例の取材先がある。それが「死刑囚の絵画展」という企画展だ。その名の通り、死刑囚が描いた絵だけで構成される展覧会(てんらんかい)で、テーマがテーマだけに、毎回どんな記事の書き方をしてもクレームが届く。かといって主催からの招待状を無視するわけにもいかず、厄介(やっかい)な案件。
 彼女は去年、その当番に当たった。死刑制度についてや遺族の感情など、どう記事をまとめようかと考えながら鑑賞をしていると、その中に一点、気になる絵を見つけた。
 月を浮かべた夜空を背景に、赤い目をした白い蛇がこちらをじっと見つめている。特に主張が激しいわけでもないのに、明らかに異質な雰囲気を感じたという。その不思議なタッチはどこか懐かしく、絵本を彷彿(ほうふつ)とさせた。
 違和感の正体を探ろうと絵に近づいた瞬間、鳥肌が立つ――いとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじいとまじ――白い蛇を描く線。おぼつかなく見えたその輪郭線(りんかくせん)は、小さな文字の集合体だった。

「《いとまじ》って、聞いたことありますか?」
 そのとき彼女に聞かれたが、ピンとこなかった。辞書を引いてみても「いとまさめ」、「いどまし」、「いとまち」……周辺に該当(がいとう)する言葉は見当たらない。

「それで、なにが書きたい? 」
 とにかく本題を知ろうと、俺は思い切って踏みこんだ。ここまでの話を聞いて、要領を得ずともどこか嫌な予感がしていたのだ。
(あせ)らないでください。ちゃんと話しますから」
 彼女はからかうような笑みを浮かべながら、続きを語った。

 展示会の作品には、もれなく作者直筆の作品紹介カードが添えられている。そこにはこう書いてあった。
【タイトル・月夜の蛇/作者・吉田大岐/解説・自分の犯した罪について考えるとき、いつも浮かぶイメージを描きました。】
 特に変わったことは書かれていない。《いとまじ》――この言葉の意味は? メモ代わりに持っていた端末で検索するも、当然のようにヒットしない。つまり一般的には、これらは無意味な文字列だ。しかし、絵に惹きつけられたのは、きっとこの言葉の力…… 言霊(ことだま)が原因に違いない。
 なにか秘密がある。そう確信した。

「オカルト好きの(かん)でした」
 話しているうちに熱を帯びたのか、彼女は羽織(はお)っていた白いカーディガンを脱ぎ、肩に下ろしていた髪を後ろにくくった。そうだろうな、と返す。去年の今ごろ、社内ですれ違ったときは冷えきっていた彼女の目。そこに、あの頃の輝きが戻っている。
 彼女の持ってきた話は、相当に厄介なものかもしれない。それでも、最後まで聞いてやろうと思った。