あれは、画用紙にクレヨンで簡単な字を書いているときだった。
僕は絵本で覚えたいくつかのひらがなを書いて、やっちゃんに自慢していた。
『やっちゃんの名前はなんていうの?』
『矢沢美奈子だよ』
『僕は、園田(そのだ)愁平(しゅうへい)。シュウヘイのシュウは、秋の心って書くんだよ』
『愁えるって意味だね』
『どういう意味? 教えて』
『ちょっと待ってね』
やっちゃんは制服のポケットから、スマホを取り出した。
『……やっちゃん?』
やっちゃんの表情は固まっていたが、すぐに笑った。
『うーん。きっと秋の心だから……ロマンチックというか、おしゃれな気持ちじゃないかな』
『へえ、僕の名前っておしゃれなんだ』
『うん。そうだよ……そうだよ!』
無邪気な僕は、やっちゃんの言葉をずっと信じていた。他人に言われた名前の意味を信じられたのは、名付け親だった曽祖父が既に他界していたのもあるだろう。
中学生になって電子辞書を買ったときに調べてみた。
『愁える』という項目には、『心配する』とあった。
あれこれ悩んでしまうのはこんな名前だからなのかと、当時思春期の僕は妙に納得した。
あのとき。やっちゃんは僕の名前にちがう意味を与えてくれた。
僕は、その優しさにずっと浸っていたのだ。

ショーウインドウを眺める自分の子供に、やっちゃんが語りかける言葉はたぶん……。
『見るだけだよ。買わないよ』
考えすぎかもしれないけれど、やっちゃんがいま築いている家庭はもしかしたら……。
僕のできる、できる限りの優しさとは何だろうかと思い巡らせた。
やっちゃんが僕にくれた優しさのように、ふたりの心をずっとあたためられるのは……。

ゆうべ、家で飾りつけの星を金色の紙で作っているときにひらめいた。
紙を切り抜いて、糊で紐をつけて、星は完成する。
できあがった星のうちのひとつを手に取り、僕ははさみで紐を切った。
紐が切れた星、というのは嘘だった。やっちゃんとまたつながりたくて、僕は嘘をついた。
それでも、これが優しさなんだって、僕は堂々と言える。
明日も会えたら……もし会えたら、こうやって話してみよう。
やっちゃん。あのときはありがとう。僕は名前の通りいろいろ心配する大人になっちゃったけど、それなりに立派な人になれたと思うんだ。

【了】