南向きの風に吹き付けられ思わず(さっむ)と声が出た。足元の落ち葉がカサカサと音を立て1箇所に集まっていく。周りを見回すと街の中心部だというのにほとんどの店がシャッターを下ろし辺りは静まり返っている。いつも思うがこの街は夜が早い。時間を確認すると23時を少し過ぎたところだった。
着替えをしたり、家の片付けなどをしていたら普段より家を出るのが遅くなってしまったが、今日中には六花に会える。俺は安堵のため息をついた。
少しでも早く彼女の元に向かうため俺は近道をすることにした。それは市の中心に位置する公園を横切ることだ。これで10分は短縮できる。
公園といっても城の跡地なので、堀に架かる橋を渡り公園内中に入る。それだけで心が引き締まるような感覚になるから不思議だ。
復元された巽櫓《たつみやぐら》や、庭園があり人気の観光スポットとなっている。天守閣の場所を調べるための発掘調査も行われており、この前は学芸員とおぼしき女性が小学生の集団に熱心に説明をしていた。社会科見学だったのかもしれない。
しかし夜ともなれば世界は一変、静まり返ったいる。いるのは俺ともう一人だけ。鷹狩り姿をした家康像だ。いつものように鋭い眼光でこの地を見下ろしている。
心の中で(こんばんは。寒いですね)と挨拶をし、勝手に話しかける。
(忠犬ハチ公が冬支度したってニュースでやってましたよハチ公分かります?えーとハチ公っていうのは、えっ!?知ってる?流石っすね。時代違うのに。ところで家康さんは大丈夫なんですか?寒さですよ。寒さ。もし良ければですけど、俺のマフラー使います?暖かいんですよこれ。肌触りもいいし。いらない?またまた見栄張っちゃって。本当は寒いくせに。お礼は、俺の願い事を叶えてくれるだけでいいんですが)
そう問いかけ俺は思わず苦笑いする。思いっきり不審者じゃないか。突然こんなやつに話しかけられたら、家康もさぞビックリしたことだろう。。
それに銅像にどうやってマフラー巻くんだよ。自分で自分にツッコミを入れる。それなりの高さもある像だ。よじ登れなくもないが、そんな事をしたら器物損壊などの罪に問われかれない。
ただ今の俺は、大御所様でも神様でも仏様でも願いを叶えてくれる可能性が少しでもあれば何でもするつもりだった。
するとまたもや強く風が吹き付けくしゃみが止まらなくなる。立っていたせいで身体が冷えたのだろう。冷蔵庫の中にいるような気さえしてくる。震える手でスマホで確認すると現在の気温は2℃。冷蔵室より寒い。暖かいがウリのこの市でこれは異常事態だ。こんなに冷えるなら雪が降ればいいのに。ふとそう思った。
しかし、地形上この地に雪が降ることはまずない。
なぜなら、市の北側・東側・西側を南アルプスなど標高の高い山に囲まれているため、北方から来る湿った空気が遮られるためだ。
他にもいくつか理由があったと思うがはっきりしない。確か海に関係していたような気がするが。
ちなみに10cmの積雪があったとされているのが1945年、今から50年以上も昔だ。そして今年もホワイトクリスマスにはなりそうもない。
俺は小さい頃、この地域に雪が降らないことが不思議だった。なぜなら俺が好きな絵本には雪が降っていたから。(かさじぞう)はもちろん、(鶴の恩返し)ととか。冬といえば雪。そんなイメージが勝手に出来上がっていた。しかし現実はそう上手くはいかない。
「なんで翔太のところには雪が降らないの?絵本では雪が降ってるのに。教えて。ねぇ何で?」
痺れを切らした俺は、度々母親にこう尋ね困らせていた。幼い子供に地理的な話をしても分かるはずもないし、明日には降るから。などと軽々しく約束をするわけにもいかない。だから回答は決まってこうだった。
「翔太がいい子にしてたら、きっといつか降ってくれるわよ。楽しみに待っていましょうね」
しかし、いくらいい子にしていても雪は降らず、雪に対する憧れだけを抱いたまま、俺は成人した。そしてもうすぐ社会人10年目なんだから、月日が経つのは早いものだ。恋人もでき結婚も現実味を帯びてきた。 彼女は、俺より4歳下の27歳。市内の児童館に勤務している可愛らしい女性だ。毎夜そ日あった出来事を嬉しそうにDMしてくる。どんな講座があったとか、新しい親子が来てくれたとか。そして最後は必ずこう綴られていた。
「私、子どもが大好きなの」
将来子供を授かったら吹雪という名がいいかもしれない。ただし、冬に産まれたらの話だが。しかしそう思った瞬間ずっと心の奥に封印されてきた記憶の扉が突然開く。俺は学生時代、名前の件で友人に絶縁された過去があったと。
飲み会の席だった。場所は行きつけにしている居酒屋。メンバーは県内出身者が俺を含め二人。もう一人は北陸の出身だった。
店内は決して広いとは言えないが、料理の美味しさには定評があり、親子三代で店を守り続けている。おでん、黒はんぺん揚げ、刺身など思いつくまま料理を注文し、話し始める。最初はバイトの愚痴から始まった。俺は大学時代家庭教師のバイトをしていたのだが、受け持った子供が全く勉強しなかったのだ。頭自体は良いし、市内でも有名な進学校に通っていたのだが、宿題はやらない。授業のドタキャンは当たり前。とにかく手を焼いた。
「その子さ、田島が嫌いなんじゃないの?」
お決まりのツッコミが入る。
「そんなことあるかよ。だったら二年も通ってないって。サッカーの話とか、雑談はしてくれるし」
「お前、その子ん家二年も通ってんの!?」
「一応な」
「それ、原因お前じゃないわ」
「だろ。どうしたらいいんだろうな」
「さりげなく聞いてみろよ。悩み多き年頃なんだから」
「でも、俺何も出来ないぞ」
「話を聞くだけでもいいんだよ。誰かに話しただけで気持ちが軽くなることだってあるだろ」
「そうか!頭いいなお前ら」
「翔太とはできが違うからな」
「頼りにるのは友人だろ」
次々と声が上がる。
「あのさ俺とお前ら同じ大学だろ!対して変わらないっての」
そんなことを話しているうち、卒業後の進路にまで話題が及び、将来どんな女性と結婚したいか。子供は何人くらいほしいかなど、気づけばかなり踏み込んだ内容になっていた。他の二人女の子は容姿か性格かという話を始める中、突然名付けの話を始めた俺に周囲はたぶん引いていた。しかしそんな雰囲気を当時の俺は気にもとめなかった。若さというのは時として愚かで残酷だ。
「子供の名前に吹雪!?翔太お前本気か?」
「当たり前だろ。冗談でこんな事言うかよ」
「ほんと田島って何も分かってないな。雪はさ、いろいろ大変なんだよ」
やれやれという感じで俺を見つめてくる。ムキになった俺はさらに言い返す。
「どんな名前付けようと俺の勝手だろ。吹雪っていい名前じゃないかよ。ちなみに女の子だったら、風が吹くでふぶきな」
今にして思えば配慮が足りない発言だったんだと思う。しかしその時の俺は、雪国の人の苦労を思う気持ちは持ち合わせていなかった。そいつは呆れたように首を左右に降り、以来卒業まで一度も俺に話しかけてくることはなかった。
雪は雪でも六花は雪の結晶を意味している。キラキラして彼女のイメージにピッタリだ。しかし六花は現在入院中。退院の目処はついていない。
そんな彼女に一日でも早く元気になってもらいたくて、俺は毎日病院に通っている。涙にくれている事がほとんどだが、きっといつか以前のように屈託のない笑顔を見せてくれることを願って。
本当に人生一秒先は何が起こるか分からない。だから俺はどんなに遅くなっても必ず六花に会いにいく。それが今の俺にできるただ一つの事だから。表の入口はドアが開かないので、裏手へと周り院内へ入った。夜も遅い時間とあって、見舞いに来ている人は俺くらいのようだ。不気味なほどの静けさに支配されている。この病院の良いところは、24時間面会可能。しかもペットを伴っての見舞いも許可されている。飲食物の持ち込みもOK。基本的に制限はついていない。
今日の六花はベッドの上から外を眺めていた。フワフワなパジャマを着て、肩下まである髪を今日は後ろで三つ編みにしていた。額を窓ガラスに押し当て、ごめんね。ごめんね。と繰りしている。
違うんだ六花。謝らなきゃいけないのは俺の方なんだ。
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俺は六花に向かって語り始める。
「聞いてくれるかな六花?少し長い話になるけど。疲れたら、遠慮なく休んでくれていいから」
「ごめんね」
「俺に気を使わないで。彼女の寝顔を見られるのは彼氏の特権だろ。あ、いや間違えた。六花の寝顔」
「翔ちゃん」
「あの日俺とんでもなく急いでてさ、仕事が予想外に長引いて約束の時間に間に合うか分からなかったんだ。でもあの日はイルミネーションの点灯式に行こうって前から決めていたし」
「私が翔ちゃんに手を振ったから。だから翔ちゃんが車に」
六花の目からまた大粒の涙が溢れ出す。
「違う。六花のせいじゃないんだ。青信号が点滅してたのは知っていたけどワンチャンいけると思って道路に飛び出した俺が悪いんだ」
六花からの答えはない。こうなったら全てを打ち明けるしかなさそうだ。
「実は俺、あの日六花にプロポーズしようと思ってたんだ。イルミネーションが点灯した瞬間に、指輪手渡して、俺と結婚してください。そう言うつもりだったんだ。だから約束の時間に間に合わせなきゃって必死だったんだ。でもそれで事故に遭うとか、バカだよな。プロポーズどころかデートもできなくなっちゃって。最低だよな俺」
本当、最低だ俺。愛しい人の目の前で車に跳ねられるとか。カッコ悪すぎだろ。六花の心に大きなショックを与えてしまった事を思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。全部俺のせいなんだ。分かってくれ六花。
六花はまだ窓の方を向いたままだ。頬をつたう涙が窓ガラスに反射しキラキラと輝いている。俺は何度も六花に詫びた。ごめん。ほんっとにごめん。
そうだ。もしかしたら。
俺は全神経を集中して、天に願う。
「うそ。雪!?」
驚いたように六花が声を上げる。
「ヤバっ。マジか」
これ俺の力だよな。そうじゃなきゃこんなにタイミングよく雪が降ってくるわけないもんな。しかしそれはほんの一瞬の出来事だった。
「残念。終わっちゃった。翔ちゃんも見たよね。雪が大好きだったから」
六花が呟く。
見たに決まってるだろ。この雪俺が降らせたんだから。多分、だけど。もっと徳や力のある人だったら、たくさん降らすことも可能かもしれないけど、天国人見習い?の俺は、一生懸命やってこの程度なんだ。
未来予知とか、危険回避術とか、学ばなきゃいけないこと沢山あるな。俺、真面目に勉強してお前をずっと守っていくから。だから時々は思い出してほしいんだ。毎日じゃなくていいし、一年に一度だって構わない。ただ六花の心から俺の存在が完全に無くなってしまうのは嫌なんだ。自分勝手なのは分かってる。でも、でも忘れないでほしいんだ。
気がつくと今日が終わろうとしていた。そして明日は50日目。いよいよ本当にさよならだ。
俺がこの世界で六花と会うことは二度とない。
気がつくと俺の周りを光の粒が取り囲んでいる。気がつくと指先や足先が透明になっている
六花。俺の愛する六花、こんな別れ方になっちゃって、なんて言っていいかよく分からないけど。
でもこれから先の六花の人生は溢れるほどの幸せが降り注いでくるから。だからこれからは自分の幸せを最優先してください。愛せる人に出会えたら結婚したって構わない。誰よりも優しい君は、きっと誰よりも幸せになる権利を持っていると思うから。
さようならは言わない。これは俺が持っているささやかなプライドってやつかな。本当はずっと話していたい。出来ることなら、また俺を感じてほしい。
俺は六花を力いっぱい抱きしめた。
その時、不意に六花が後ろを振り返る。
「いるんでしょ。そこにいるんだよね。お願い声を聞かせて。りっか。って一言だけでいいから」
俺は必死に口を動かし最後の言葉を紡いでいく。
「愛しい六花、君と出会えて俺は幸せでした」
その瞬間、六花が涙を拭ってにっこりと微笑んだ。きっと俺の思いが伝わったに違いない。
遠くの方で鷹の声が聞こえた気がした。