「——なんだこれ?」

 A氏を始めとする反政府軍達は、互いの頭にぴたりと照準を合わせている赤い光線を見て戸惑う。

 しかし次第に、その赤い光線が、自軍の戦闘飛行機をこれまで何機も撃墜してきた、あの天空兵器に酷似していることに気がついた。

「……おい、まずい! まずい!! 逃げろ!!」

 たまらず走り出す反政府軍。しかし光線は1mmも逸れることなく、頭頂部ただ一点に狙いを定めている。

「おい!! すぐにやめさせろ!!」

 武装兵のひとりがダダ目掛け、狂ったように銃を乱射した。全弾がダダの大きな体を抉ったが、それが有効打になっているようにはとても見えなかった。ダダは平然と立っている。そればかりか、細い腕のようなものを何本も長く伸ばし、動かなくなったリンの体を拾い上げる。そして、そのおぞましい肉体で庇うように、小さな体を大切に抱きしめた。

「聞いてるのかバケモノ! その女ごとぶっ殺すぞ! 早くこの光線を止めろ!!」

 男達の声など耳に入らない。
 ダダは、リンのわずかに温もりの残る体を、手繰り寄せた冷凍催眠カプセルの中へ、宝物と同じくらい丁寧に納めていく。

 破壊されたかに見えたカプセルだが、宇宙製のそれが地球の原始的兵器で壊せるわけがない。土埃を払い、蓋をきちんと閉め直せば、問題なく本来の機能を取り戻す。一瞬にして真っ白な冷気がカプセル内部に充満し、リンの消えかけの生命活動を完全に一時停止させた。

 ダダは、半狂乱の地球人にも通じる言語を話した。

「“終末”を開始します。……さようなら、可愛い可愛い地球人。これまでよく生きたね」

 空を覆う雲から、さらに一本、また一本と赤い光線が伸びる。東西南北、遥か遠くの地域を目掛けて、放射状に広がっていく。あっという間に数えきれないほどの光線が空を埋め尽くし、世界が、燃えるような赤色に染まった。

 あの光線一本一本の先に、終末保険に加入しなかった地球人の頭部があるのだろう。地球上残らず、余すところなく。



 ダダは終末の直前、天に向かって次のようなやり取りを行っていた。
 正確には、テレパシーとも呼べる念波を高速で発信していた。

 彼ら「エイリアン」と呼ばれる生命体は、仲間同士で自由に意思疎通が図れる特別な技術を、当たり前のように持っているらしい。

「……司令、司令、聴こえる? 私だよ」

「ああ〜、同胞よ! 連絡遅かったなぁ! こんなに久々に連絡してくるということは、ついに()()してくれるのか?」

 間髪入れずに返ってきた念波は、ダダが「司令官」と呼ぶ仲間のものだった。しかしふたりの間に上下関係らしき(へだ)たりはなく、司令官は久々の友の声にとても喜んでいる様子だった。

「うん。長らく回答を保留にしてしまって、ごめんね」

「いいさいいさ。“可愛い可愛い地球人”を大量殺処分するなんて、躊躇う気持ちもよく分かる。君は元々地球人に目がなかったし、第一次戦争の孤児の養育官としても超優秀だったな。育てたあの子は元気にしてる?」

「……そのことで、今こうして司令官に連絡を取っているんだよ」

「そうか。分かった。他の同胞は全員承諾済みだ。残すところ君ひとりの承諾があれば、この作戦は実行可能なところまで準備万端だ。……じゃあ、いいんだな? 『終末保険未加入の地球人すべてを絶滅させる』に同意するんだな?」

「………うん」

「本当にいいんだな? 可愛い反政府軍の彼らも、可愛い非戦闘員の子らも、生まれたばかりの可愛い可愛い地球人も、すべて死んでしまうぞ?」

「……いいんだ。どこかで区切らないと、なんの罪もない地球人が大勢死んでしまうから。…ただ、あんなに可愛い生物を間引きのために殺処分しなきゃいけないなんて、つらい」

「仕方がないさ。地球人は同種同士で殺し合いをする習性がある。疫病には弱いし、自然資源の使い方も下手くそだ。我々のような上位者が世話してやらなければすぐに絶滅していたよ。あんなにか弱くて可愛い存在なんだから」

 可愛い存在。それを聞いたダダは、ふいにA氏の家の中で見た猫の剥製を思い出した。

「司令。地球人はね、我々と同じような感覚で猫を愛玩するんだよ。どんなイタズラをしても粗相をしても、懐かなくても、何を考えているのか分からなくても……可愛くて世話したくてたまらないんだって。その感覚だけは我々とよく似ているよね」

「猫ぉ? あの毛むくじゃらで気味の悪い生命体を? 正気を疑ってしまう。“可愛い”の感覚は、彼らと我々はだいぶ違っているようだな」

 あはは、とエイリアン特有の呑気さで笑う司令官。
 しかし対するダダは、この後に切り出す交渉をなんとしても成立させたい。その一心で、慎重に言葉を紡ぎ出す。

「………あのね司令。一匹だけ、追加で加入させたい地球人がいるんだ」

 ダダは一瞬言い淀む。

「リンを。私の“ペット”を、終末保険に加入させたい」

 すると、これまで明るく応答していた司令官が、急に重い口調に変わった。

「同胞よ。記録によるとそのペットは、保険加入を希望していなかった。“飼い主”の都合で、ペット自身の意志を否定してはならない。そうだろう?」

「……ああ、うん、そうだね。……でもね司令、リンをこんなところまで連れてきてしまったのも、そのために今死にかけているのも、全部飼い主の私の責任なんだ。このまま死なせたら、あまりにリンが不憫だ」

「我々は個人の意志の尊重を美徳とする。そのペットの選択を尊重してあげなさい。今の君の発言は、あまりに利己的(エゴ)だ」

「……………」

 ダダは反論を失った。

 司令の口にした「エゴ」とは、個人の意志を重んじるエイリアン達にとって、最も恥ずべき、侮辱にも近い忌むべき行為であった。

「………………」

 ひたすらに利他的行動(アルトルイズム)を志すエイリアン達。同胞全員が共通して掲げる信念が「個人の意志の尊重」。それは、知能も文明も遥かに劣る地球人に対してであっても、守らなければならない大切なものとされた。

 一部の地球人の利己的な戦争で、大多数の地球人の命が脅かされてはならない。
 生物である以上、絶滅の危機に瀕した地球人は保護されるべきだ。適切な生活保障と教育を受け、尊重され、種として繁栄するべきだ。
 ……ダダがリンの養育官となった時、心に決めていたはずの信条である。
 
「………………………」

 地球に襲来したあの日から、上位者(かいぬし)には、上位者(かいぬし)としての責任が伴う。つねに地球人(ペット)の幸せを願い、間違っても利己的行動(エゴイズム)に走ってはいけないのだ。

「………だから何だよ」

 だが、その信条すらも、自分が上位者であるなどと自惚れる、エゴと呼べるのではないか?
 
「なら私は最初からエゴの塊だ」

 一度芽生えてしまったら。そしてそれが溢れ出してしまおうものなら、その抑え方をダダは知らない。
 短い葛藤の末に、ダダはとうとう吐き出した。

「リンを育てていくうちに、私は狂っていったんだ。どろどろに甘やかして育てた。それでも満足できなくて何度も愛を囁いたし……本心じゃ繁殖なんてさせずにずっと私の手元で、死ぬまで飼い殺したいって願ってるよ」

 ——こんな願いは悪なのに。リンのためにならないのに。可愛くて可愛くて止められない。

 ——繁殖のためにどこかの知らない(オス)にリンを渡すなんて……そんなこと許さない。指一本触れさせてたまるか。

「……司令、尊重が美徳っていうんなら、“リンを手放したくない”私の意志も尊重しろよ」

 ダダは荒々しい本心を曝け出した。

 長年押さえ込んでいた末にぶちまけられた利己は、念波に乗って、司令をはじめとする全同胞へと無遠慮に注ぎ込まれた。
 その思いの(いびつ)さは到底、ただの飼い主がただのペットに抱くような心穏やかなものではなく、指導者であるはずの司令官ですら、

「………え、怖い」

 思わず引いてしまうほどだった。

「後でどんな罰則も受ける。あの子に憎まれたっていい。リンの加入を認めない限り、私は終末には承諾しないからな」

 なんとも身勝手な開き直りである。
 これまで地球人救済のために努力を続けてきたエイリアンへの反逆ともとれる発言だ。

 ダダは覚悟していた。
 これで自分が始末されるような結末になったとしても、構わない。それでリンが生き延びるなら。
 今まさに地面に伏して体温を失っていくリンを目の前にしてしまったら、「彼女の意志を尊重しろ」などそれこそ馬鹿馬鹿しいエゴに思えてしまったのだから。


「——まあ待て同胞。君の主張も一理ある」

 司令は長考の後に、なんとも軽い口調でそう言った。

「うん、いいだろう同胞。地球人一匹の例外を認めるだけで、その他大勢を救うための作戦がスムーズに進むなら、喜んで認めようじゃないか」

 そして呆気なく、ダダの要求を受け入れた。

「…………ん? え、あっ、司令、いいの?」

「尊重こそ美徳だが、物事には優先順位がある。我々は地球人の未来のために合理的判断を下すまでだ。今の意見だって、君の中の優先順位を尊重した結果なんだろう?」

 甘やかしすぎではないか。とっさにそう感じたが、事を重く考えすぎていたのは自分ひとりなのかもしれない。何事も言葉にしなくては伝わらないままだ。

 ダダがもし、長年抱えてきた葛藤を正直にリンに伝えていたら、リンは今と違った選択をしていたのだろうか。

「あ、ありがとう……。あの、さっきはごめんね私、強く当たってしまったね」

「びっくりしたが構わないさ、同胞よ。……ああそうそう、冷凍睡眠カプセルがその辺に転がってるはずだ。破損はないから、後でペットを入れなさい」

 それから司令は「さーてさて」と独り言を言いながら、長い間保留になっていたあの作戦を、念願叶って実行に移す。

「あー、あー。こちら司令。こちら司令。ただいまより終末を開始します。関係各位、宇宙母艦搭載・球面同時狙撃ユニットを起動してください。目標は、“終末保険未加入の全地球人”」

 その念波通信をもって、とうとう終末は開始された。

 雲の遥か上。大気圏を越えた遥か宇宙に浮遊するエイリアンの母艦から、赤い光線が地球目掛けて放たれる。一本、百本、千本……数え切れないほど。母艦から伸びた無数の光線は、遠目から見ると巨大な網のように、地球全体を包み込んだ。


 ***


(………ダダ)

 寒ささえ感じない冷気の中。リンは意識だけを取り戻した。
 体は動かないし痛みもない。ぼんやりと意識が浮いている。まるで魂だけが肉体から抜き出ているような感覚だ。

「おはよう、ねぼすけさん」

 ダダはカプセルを運びながら、中のリンに呼びかけた。

「ここはカプセルの中だよ。怪我したリンちゃんをこれから本部に連れてく。適切な治療を受けて、元のように治さなくちゃ」

(……終末は?)

「あれが見える? リンちゃん」

 ダダが空を示す。
 カプセルの分厚いカバー越しでも、リンにははっきりと外の景色が見えた。真っ赤な光に染まった空。夕焼けのような、燃えるような熱の色。

(………綺麗)

 リンはぼんやりとした頭で、素直な感想をこぼした。
 これでもう、自分のような戦争による犠牲者が出なくて済む。その安堵感からだった。

「リン」

(はい)

「君は私のペットだ。どこへも逃がさない。死ぬまで私に飼われるんだよ」

(………)

 ダダがそんな自分勝手なことを口にしたのは、リンの記憶している限り一度もない。だから少し驚いた。
 だが同時に、

(死んでも、そばにいさせてね)

 そんなダダと自分のエゴを、心から尊重したいと思った。

 大きな生き物と小さなペットは、荒れた大地を北上する。
 その頭上ではいつしか、赤く染まっていたはずの空が、目の覚めるような真っ白な光に包まれていた。


〈了〉