翌朝、ふたりはほぼ同時に目覚めた。
アラームをかけていたわけではない。ただ単純に、館の外から地響きのような轟音と振動が起こったためだ。
身支度をする暇もなく、スーツを雑に羽織って窓の外を確認する。
外は爆発による土煙で一色に染められており、リンには状況がまるで把握できない。
「——大変。冷凍睡眠カプセルが襲撃されてる。反政府軍の連中だね」
しかし、冷静なダダの目には見えていた。
彼女の目は砂埃で覆われた空間の中でも、ハッキリと熱感の差をもってして状況を知ることができた。
恒温動物が5体いる。その中央には、人ひとりが余裕で横たわれる大きさのカプセルがある。恒温動物の手にした爆弾や銃器によりカプセルが攻撃され、内部の冷気が外に漏れ出ていることまで確認できた。
その恒温動物は、通称「地球人」と呼ばれる。
「ど、どうしてこの場所がバレたんですか? 顧客情報が漏れるはずないのに」
リンの投げ掛けた問いは自分自身へ向けたものでもあった。
エイリアンの構築したシステムは完璧だ。情報漏洩などありえない。それなら、顧客が自分で情報を漏らしたと考えるのが自然だ。
「すみません、うるさくして。起こしてしまいましたよね」
いつの間にかふたりの背後……客間の入り口には、その容疑者であるA氏が立っていた。
脚を怪我したというのは本当らしく、片脚を不自由そうに浮かせている。しかしその肩を抱くのは、見覚えのない顔の男だった。
顔に見覚えはなくとも、服装には覚えがある。
外の地球人達と同じ、非公式の迷彩服。反政府軍の人間である。
A氏の背後には、さらに5名ほどの武装兵が待機していた。一様に銃器を構え、こちらに狙いを定めている。
A氏を支える武装兵のポケットからは、白い紙屑が覗いている。見覚えのある筆跡。A氏が、ボランティアとやらに宛てて書いた手紙である。
「……やられた」
リンはようやく状況を理解した。
リンとダダは嵌められたのだ。終末保険加入希望者を装った反政府軍に。“エイリアン殲滅”派に。
A氏は人当たりの良い笑みを浮かべ、ふたりの保険レディを値踏みするように眺めた。
「騙したようですみません。お察しの通り、僕は解放軍の人間です」
解放軍、そして反政府軍。呼び方は違えど両者は同義だ。
エイリアンから地球を解放すると信じている者。
エイリアンと和解するという政府の意向に反逆し、市街地で過激なテロや戦争を起こす者。
彼らは決して、自分達が「反逆者」であるとは想像もしていない。
A氏は続ける。
「“保険加入希望者を装えば、雲の上の母艦に隠れているはずのエイリアンと接触できる”と提言しました。貴女達はこれから軍の研究機関に運ばれて解剖研究されるでしょう。我々が今後エイリアンと闘うための貴重な情報資源です。協力してくれますね?」
彼らにとっては「協力」と「脅迫」も同じ意味を持つらしい。こちらへ向けられた5口の銃がその証明である。
「ひっ……」
天敵に取り囲まれた小動物のように、リンはすっかり怯え、言葉も行動も起こせず固まってしまった。
「あいにくこの子は地球人だよ。連れてくなら私ひとりでいい」
そんな小さな体を後ろ手に隠し、長身のダダが一歩前へ出た。
A氏が嫌悪を込めた目つきで、リンを睨む。
「エイリアンに洗脳された一部の地球人が、エイリアンの作戦に同行しているという噂は本当だったんですね。ではリンさんには、解放軍本部で洗脳解除の処置を施さなくては」
「洗脳じゃなくて、職業訓練の一環なんだけどな。終末後の世界で独り立ちできるように色々教えてるんだ」
ダダが心外そうに反論したが、A氏は戯言としてそれを無視する。
「リンさん。貴女は、エイリアン達が20年前に何を引き起こしたか知っていますか? 地球襲来時に起こった第一次戦争ですよ。あれに巻き込まれた僕は脚を壊し、少年時代からずっと介護生活を強いられました。つまり、エイリアンの犠牲者のひとりというわけです」
A氏の熱弁にも、リンはすっかり震えて反応すらできない。
連行される恐怖……いいやそれよりも、ただ純粋な恐怖を目の前に突きつけられていたからだ。
「この子が怖がってるから、その銃を下ろしてくれないかな」
ダダが悲しげに、穏やかに懇願した。反政府軍が構える銃器こそ、リンの幼少期からのトラウマだったからだ。
警戒を解かないうちは、誰も銃口を下げてはくれなかったが。
ダダは続ける。
「“地球人から吹っかけてきた戦争”に巻き込まれたのはこの子もだよ。何千何万という犠牲者と戦争孤児が出た。……エイリアンを恐れる反政府軍の過剰防衛に巻き込まれてね。“我々”はただ、環境破壊や紛争によって自滅していく地球人を一匹でも多く救いたかっただけなんだよ」
麗しの美女が訴える。
武装兵の数名は、その艶やかな瞳に心を揺さぶられかけたが、A氏の抱える憎しみはそんなことでは揺るがなかった。
「“一匹”? 僕達地球人をまるで動物か何かのように扱うんですね。なんて傲慢さだ。どうやって地球人そっくりの見た目になっているのかは分かりませんが、その仕組みも研究ですぐに明らかになるでしょう」
A氏が指示すると、武装兵のひとりが前に進み出た。
武装兵は室内に放置されていたタブレットや契約書類を押収し、そのまま屋外へと持ち去って行く。
「それどうする気?」
ダダが訊ねる。なんとなくの予想はしていたが、案の定その通りの答えが帰ってきた。
「必要なのは生体データのみなので、他は破壊もしくは焼却処分します。特に電子端末は、我々解放軍の動向を知られる危険がありますから」
「そう。じゃあ車の中にまだ資料があるから一緒に燃やすといい。場所を教えるよ」
5口の銃を向けられている状況の中で、ダダは平然と戸口へ歩き出す。リンをその場に残して。
「えっ? ダダ…?」
当然リンは困惑した。
反政府軍の警戒はダダひとりに向けられているが、彼女が玄関を目指して歩く間、誰ひとりとして発砲しなかった。
理由は様々だ。
生体データを取るために殺してはならない。
ダダが怪しい行動を取るかどうかを見極めている。
そもそも、ダダのあまりに魅力的な容姿が、本当にエイリアンの変装であるかが疑わしい。
いずれにせよ、反政府軍連中が警戒すべきはダダひとりだけ。
一方、残されたリンは怯えて動くこともできない状態。まったく脅威ではなかった。
ダダは玄関扉をスルーし、難なくバギーに到着する。
「怪しげな行動を察知したらすぐさま発砲しますよ」
A氏が念を押す。
ダダは余裕の顔で「はいはい」と答え、グローブボックスから資料の束を取り出す。
その際、
「………」
一緒に収納していたボロボロの古いグラビア誌を手に取りかける。一瞬の迷いのあと、その一冊だけはボックス内に残した。
「今、何を隠したんですか? 怪しい行動を取れば発砲すると警告しました」
その一瞬の迷いを、A氏は見逃さなかった。
ダダは先に手に取った資料をばさりと地面に落とす。
「何でもない。残したのはただの雑誌だよ。君達が灰にしたいのはこっちの営業書類だろ? 好きにしなよ」
「はい、好きにします。なので、ボックスの中身をすべて出してください」
「……ただの私物だ。面白いものなんてないよ」
ダダが渋った直後、ずどん、という重い銃声が響いた。武装兵のひとりが発砲したらしい。
銃弾はダダの左脚に命中し、そのせいで彼女は大きくバランスを崩すこととなる。
「……ダダッ!!」
リンが甲高い声を上げた。
ダダのぐにゃりと膝を折った脚からは、地球人のものではない、黒いヘドロのような体液がどくどくと流れ出ている。ダダは驚いたように、自身の傷口を見つめた。
「上手く化けていてもやっぱりエイリアンでしたか。我々地球人を下等生物と思って侮らないことです。命さえ取らなければ、いくらでも貴女を傷つけられるんですよ、我々は」
A氏が冷たく言い放つ。
遠目からその様子を見ていたリンは居ても立っても居られず、体の震えを無理矢理押し留め、転がるようにダダのそばへ駆け寄ろうとした。寄り集まった武装兵の体を押しのけるようにして、
「リン! 来るんじゃない!」
今度はダダが叫んだ。顔に焦りが滲んでいる。ダダにとっては自分の傷などよりも、目の前のリンのほうが重要だったから。
最悪な予感は的中する。
ずどん、という先ほどと同じ音が響き、ほぼ同時にリンが地面に倒れ込んだ。その脇腹から、ダダのものとは全く違う鮮やかな赤い血が舞った。
意外なことに、声を荒げたのはA氏だった。
「おい、馬鹿! 彼女は地球人じゃないか! 何があっても仲間を殺してはならないという規定を忘れたのか!」
「あ、わ、悪い……。つい反射で……」
リンに背後から襲われると勘違いした武装兵による、誤射だった。
地面の上で、ぐったりと動かなくなったリン。その体を中心として、止まる気配のない血の海が円形に広がっていく。
「リン……」
ダダは放心状態だ。目をこれでもかと大きく見開き、リンの体から熱が失われていくのを、ただただ凝視する。
A氏は規定違反を誤魔化すように言った。
「……これは悲しい不慮の事故です。そもそもエイリアンに関わらなければ、リンさんも命を落とすことはなかった。貴女にできる罪滅ぼしがあるとするなら、我々の研究材料となり、地球人の防衛作戦に貢献することですよ」
ダダは何も言わない。リン以外見えなくなってしまったように。
むしろ都合が良いと言いたげに、A氏は仲間に命じた。ダダを捕縛するようにと。
武装兵がふたりダダに歩み寄り、両側から彼女の腕を掴んだ。
「うわぁっ!?」
武装兵が思わず叫んだ。
ふたり掛かりで左右からダダの腕を引いた瞬間、その中心にある彼女の頭頂部から腹部にかけてが、音もなく真っ二つに裂けたためである。
裂けた内部には臓器や骨格といった肉体は一切存在せず……、代わりに、黒いどろりとした液体が詰まっていた。
「なんだこれ、気持ち悪い!!」
裂け目から液体がこぼれ出る。それを皮切りに、ダダの美しかった体がどんどん変形を始める。
ブラックスーツも黒髪もどろどろに溶け、やがてそれがひとつの生き物のように寄り合い、元の長身よりもずっとずっと大きな質量へと変貌していく。
「な、なんだ? なんなんだ?」
武装兵達が激しく怯え、狼狽えた。
なぜならダダの姿が、とても地球の言語では表現できないほどにおぞましい、奇妙で奇怪な姿へ変わったからだ。
「ひっ、ひぃ……!」
武装兵達は頑強な兵器を備えていながら、その顔からは反撃の意志を失っている。間近で目にしたエイリアンの姿。それは小さな地球人らに本能的恐怖を植え付け、上位者としての威圧を惜しみなく注ぐものだった。
「XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX」
唐突に、ダダだった生命体が何かを発声し始めた。
しかしそれは言語かどうかも定かではない。聞き馴染みのない不気味な音の羅列がしばらく続いた。実際の時間は10秒ほど。しかし地球人らの体感時間では、その何十倍も何百倍も長く感じられた。
「あれ?」
ふと、A氏らはあることに気づく。
空を覆う鈍色の雲の隙間から、赤い光線が一本、細く細く伸びている。その光線は寸分の狂いなく、A氏の頭頂部に吸い込まれていた。
「え? え?」
A氏を始めとする反政府軍達は、互いの顔を見合わせる。どのメンバーの頭にも、同じように天から伸びた赤い光線が注がれていたのだ。
「なんだこれ?」
まるで何かの照準を定めているかのように。
アラームをかけていたわけではない。ただ単純に、館の外から地響きのような轟音と振動が起こったためだ。
身支度をする暇もなく、スーツを雑に羽織って窓の外を確認する。
外は爆発による土煙で一色に染められており、リンには状況がまるで把握できない。
「——大変。冷凍睡眠カプセルが襲撃されてる。反政府軍の連中だね」
しかし、冷静なダダの目には見えていた。
彼女の目は砂埃で覆われた空間の中でも、ハッキリと熱感の差をもってして状況を知ることができた。
恒温動物が5体いる。その中央には、人ひとりが余裕で横たわれる大きさのカプセルがある。恒温動物の手にした爆弾や銃器によりカプセルが攻撃され、内部の冷気が外に漏れ出ていることまで確認できた。
その恒温動物は、通称「地球人」と呼ばれる。
「ど、どうしてこの場所がバレたんですか? 顧客情報が漏れるはずないのに」
リンの投げ掛けた問いは自分自身へ向けたものでもあった。
エイリアンの構築したシステムは完璧だ。情報漏洩などありえない。それなら、顧客が自分で情報を漏らしたと考えるのが自然だ。
「すみません、うるさくして。起こしてしまいましたよね」
いつの間にかふたりの背後……客間の入り口には、その容疑者であるA氏が立っていた。
脚を怪我したというのは本当らしく、片脚を不自由そうに浮かせている。しかしその肩を抱くのは、見覚えのない顔の男だった。
顔に見覚えはなくとも、服装には覚えがある。
外の地球人達と同じ、非公式の迷彩服。反政府軍の人間である。
A氏の背後には、さらに5名ほどの武装兵が待機していた。一様に銃器を構え、こちらに狙いを定めている。
A氏を支える武装兵のポケットからは、白い紙屑が覗いている。見覚えのある筆跡。A氏が、ボランティアとやらに宛てて書いた手紙である。
「……やられた」
リンはようやく状況を理解した。
リンとダダは嵌められたのだ。終末保険加入希望者を装った反政府軍に。“エイリアン殲滅”派に。
A氏は人当たりの良い笑みを浮かべ、ふたりの保険レディを値踏みするように眺めた。
「騙したようですみません。お察しの通り、僕は解放軍の人間です」
解放軍、そして反政府軍。呼び方は違えど両者は同義だ。
エイリアンから地球を解放すると信じている者。
エイリアンと和解するという政府の意向に反逆し、市街地で過激なテロや戦争を起こす者。
彼らは決して、自分達が「反逆者」であるとは想像もしていない。
A氏は続ける。
「“保険加入希望者を装えば、雲の上の母艦に隠れているはずのエイリアンと接触できる”と提言しました。貴女達はこれから軍の研究機関に運ばれて解剖研究されるでしょう。我々が今後エイリアンと闘うための貴重な情報資源です。協力してくれますね?」
彼らにとっては「協力」と「脅迫」も同じ意味を持つらしい。こちらへ向けられた5口の銃がその証明である。
「ひっ……」
天敵に取り囲まれた小動物のように、リンはすっかり怯え、言葉も行動も起こせず固まってしまった。
「あいにくこの子は地球人だよ。連れてくなら私ひとりでいい」
そんな小さな体を後ろ手に隠し、長身のダダが一歩前へ出た。
A氏が嫌悪を込めた目つきで、リンを睨む。
「エイリアンに洗脳された一部の地球人が、エイリアンの作戦に同行しているという噂は本当だったんですね。ではリンさんには、解放軍本部で洗脳解除の処置を施さなくては」
「洗脳じゃなくて、職業訓練の一環なんだけどな。終末後の世界で独り立ちできるように色々教えてるんだ」
ダダが心外そうに反論したが、A氏は戯言としてそれを無視する。
「リンさん。貴女は、エイリアン達が20年前に何を引き起こしたか知っていますか? 地球襲来時に起こった第一次戦争ですよ。あれに巻き込まれた僕は脚を壊し、少年時代からずっと介護生活を強いられました。つまり、エイリアンの犠牲者のひとりというわけです」
A氏の熱弁にも、リンはすっかり震えて反応すらできない。
連行される恐怖……いいやそれよりも、ただ純粋な恐怖を目の前に突きつけられていたからだ。
「この子が怖がってるから、その銃を下ろしてくれないかな」
ダダが悲しげに、穏やかに懇願した。反政府軍が構える銃器こそ、リンの幼少期からのトラウマだったからだ。
警戒を解かないうちは、誰も銃口を下げてはくれなかったが。
ダダは続ける。
「“地球人から吹っかけてきた戦争”に巻き込まれたのはこの子もだよ。何千何万という犠牲者と戦争孤児が出た。……エイリアンを恐れる反政府軍の過剰防衛に巻き込まれてね。“我々”はただ、環境破壊や紛争によって自滅していく地球人を一匹でも多く救いたかっただけなんだよ」
麗しの美女が訴える。
武装兵の数名は、その艶やかな瞳に心を揺さぶられかけたが、A氏の抱える憎しみはそんなことでは揺るがなかった。
「“一匹”? 僕達地球人をまるで動物か何かのように扱うんですね。なんて傲慢さだ。どうやって地球人そっくりの見た目になっているのかは分かりませんが、その仕組みも研究ですぐに明らかになるでしょう」
A氏が指示すると、武装兵のひとりが前に進み出た。
武装兵は室内に放置されていたタブレットや契約書類を押収し、そのまま屋外へと持ち去って行く。
「それどうする気?」
ダダが訊ねる。なんとなくの予想はしていたが、案の定その通りの答えが帰ってきた。
「必要なのは生体データのみなので、他は破壊もしくは焼却処分します。特に電子端末は、我々解放軍の動向を知られる危険がありますから」
「そう。じゃあ車の中にまだ資料があるから一緒に燃やすといい。場所を教えるよ」
5口の銃を向けられている状況の中で、ダダは平然と戸口へ歩き出す。リンをその場に残して。
「えっ? ダダ…?」
当然リンは困惑した。
反政府軍の警戒はダダひとりに向けられているが、彼女が玄関を目指して歩く間、誰ひとりとして発砲しなかった。
理由は様々だ。
生体データを取るために殺してはならない。
ダダが怪しい行動を取るかどうかを見極めている。
そもそも、ダダのあまりに魅力的な容姿が、本当にエイリアンの変装であるかが疑わしい。
いずれにせよ、反政府軍連中が警戒すべきはダダひとりだけ。
一方、残されたリンは怯えて動くこともできない状態。まったく脅威ではなかった。
ダダは玄関扉をスルーし、難なくバギーに到着する。
「怪しげな行動を察知したらすぐさま発砲しますよ」
A氏が念を押す。
ダダは余裕の顔で「はいはい」と答え、グローブボックスから資料の束を取り出す。
その際、
「………」
一緒に収納していたボロボロの古いグラビア誌を手に取りかける。一瞬の迷いのあと、その一冊だけはボックス内に残した。
「今、何を隠したんですか? 怪しい行動を取れば発砲すると警告しました」
その一瞬の迷いを、A氏は見逃さなかった。
ダダは先に手に取った資料をばさりと地面に落とす。
「何でもない。残したのはただの雑誌だよ。君達が灰にしたいのはこっちの営業書類だろ? 好きにしなよ」
「はい、好きにします。なので、ボックスの中身をすべて出してください」
「……ただの私物だ。面白いものなんてないよ」
ダダが渋った直後、ずどん、という重い銃声が響いた。武装兵のひとりが発砲したらしい。
銃弾はダダの左脚に命中し、そのせいで彼女は大きくバランスを崩すこととなる。
「……ダダッ!!」
リンが甲高い声を上げた。
ダダのぐにゃりと膝を折った脚からは、地球人のものではない、黒いヘドロのような体液がどくどくと流れ出ている。ダダは驚いたように、自身の傷口を見つめた。
「上手く化けていてもやっぱりエイリアンでしたか。我々地球人を下等生物と思って侮らないことです。命さえ取らなければ、いくらでも貴女を傷つけられるんですよ、我々は」
A氏が冷たく言い放つ。
遠目からその様子を見ていたリンは居ても立っても居られず、体の震えを無理矢理押し留め、転がるようにダダのそばへ駆け寄ろうとした。寄り集まった武装兵の体を押しのけるようにして、
「リン! 来るんじゃない!」
今度はダダが叫んだ。顔に焦りが滲んでいる。ダダにとっては自分の傷などよりも、目の前のリンのほうが重要だったから。
最悪な予感は的中する。
ずどん、という先ほどと同じ音が響き、ほぼ同時にリンが地面に倒れ込んだ。その脇腹から、ダダのものとは全く違う鮮やかな赤い血が舞った。
意外なことに、声を荒げたのはA氏だった。
「おい、馬鹿! 彼女は地球人じゃないか! 何があっても仲間を殺してはならないという規定を忘れたのか!」
「あ、わ、悪い……。つい反射で……」
リンに背後から襲われると勘違いした武装兵による、誤射だった。
地面の上で、ぐったりと動かなくなったリン。その体を中心として、止まる気配のない血の海が円形に広がっていく。
「リン……」
ダダは放心状態だ。目をこれでもかと大きく見開き、リンの体から熱が失われていくのを、ただただ凝視する。
A氏は規定違反を誤魔化すように言った。
「……これは悲しい不慮の事故です。そもそもエイリアンに関わらなければ、リンさんも命を落とすことはなかった。貴女にできる罪滅ぼしがあるとするなら、我々の研究材料となり、地球人の防衛作戦に貢献することですよ」
ダダは何も言わない。リン以外見えなくなってしまったように。
むしろ都合が良いと言いたげに、A氏は仲間に命じた。ダダを捕縛するようにと。
武装兵がふたりダダに歩み寄り、両側から彼女の腕を掴んだ。
「うわぁっ!?」
武装兵が思わず叫んだ。
ふたり掛かりで左右からダダの腕を引いた瞬間、その中心にある彼女の頭頂部から腹部にかけてが、音もなく真っ二つに裂けたためである。
裂けた内部には臓器や骨格といった肉体は一切存在せず……、代わりに、黒いどろりとした液体が詰まっていた。
「なんだこれ、気持ち悪い!!」
裂け目から液体がこぼれ出る。それを皮切りに、ダダの美しかった体がどんどん変形を始める。
ブラックスーツも黒髪もどろどろに溶け、やがてそれがひとつの生き物のように寄り合い、元の長身よりもずっとずっと大きな質量へと変貌していく。
「な、なんだ? なんなんだ?」
武装兵達が激しく怯え、狼狽えた。
なぜならダダの姿が、とても地球の言語では表現できないほどにおぞましい、奇妙で奇怪な姿へ変わったからだ。
「ひっ、ひぃ……!」
武装兵達は頑強な兵器を備えていながら、その顔からは反撃の意志を失っている。間近で目にしたエイリアンの姿。それは小さな地球人らに本能的恐怖を植え付け、上位者としての威圧を惜しみなく注ぐものだった。
「XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX」
唐突に、ダダだった生命体が何かを発声し始めた。
しかしそれは言語かどうかも定かではない。聞き馴染みのない不気味な音の羅列がしばらく続いた。実際の時間は10秒ほど。しかし地球人らの体感時間では、その何十倍も何百倍も長く感じられた。
「あれ?」
ふと、A氏らはあることに気づく。
空を覆う鈍色の雲の隙間から、赤い光線が一本、細く細く伸びている。その光線は寸分の狂いなく、A氏の頭頂部に吸い込まれていた。
「え? え?」
A氏を始めとする反政府軍達は、互いの顔を見合わせる。どのメンバーの頭にも、同じように天から伸びた赤い光線が注がれていたのだ。
「なんだこれ?」
まるで何かの照準を定めているかのように。



