終末(・・)がやって来ーーーるっ!!》

《ラジオをお聴きの皆さんご機嫌よう。この放送は、宇宙生命保険機構の提供でお送りいたします》

《〜♪♪♪》

宇宙侵略者(エイリアン)の地球襲来20周年! 反政府軍との戦いは年々激化し、一般市民の皆様におかれましては危険と隣り合わせの毎日をお過ごしでしょう。いえもしかすると、とっくに未来への希望を無くされているかも。心中お察しいたします》

《——さて、ラジオ愛聴者の皆さんは言わずもがな、“終末(しゅうまつ)”をご存知ですね? そう。SNSでエイリアン公式アカウントが予告したことで話題となった、地球人絶滅作戦です》

《宇宙技術の(すい)を集めた、地球人のみを絶滅させる究極兵器。妨害対策のため作戦の詳細は謎に包まれておりますが、あのエイリアン達にできぬことなどないということを、この20年で我々は嫌と言うほど痛感しておりますね。今では戦争に消極的なエイリアンですが、その気になればいつでも地球人を倒し、地球を侵略できるぞという警告なのでしょうか……》

《しかし! そんなエイリアンが地球人のために、(きた)る終末に備えた救済措置を用意していることをご存知ですか?》

《その制度こそが、世界中で話題の”終末保険(しゅうまつほけん)”制度です!》

《契約条件をクリアされたお客様だけが加入可能。メイドイン宇宙(コスモ)の安全な冷凍睡眠カプセルの中で、痛みも老化もなく、終末を安全にやり過ごせます。終末が過ぎた後、エイリアンが治める平和な地球で、新たな人生をスタートさせてみませんか?》

《お問い合わせは、衛星通信フリーナンバーXXX……。イケてる保険レディがあなたの元へご案内に参ります!》

《素敵な“アフター終末ライフ”をあなたに♪》

《——この放送は、宇宙生命保険機構の提供でお送りしました》


 運転中、この甲高い声のCMを聴いたのはおよそ1,000回目だ。延々と流れるそれを耳障りに感じ、リンはとうとう車内ラジオをオフにした。

 見渡す限り岩場だらけの荒野の中を、1台のバギー車が一定の速度で南下していく。

 軍隊に採用されている重装甲モデルのバギーだが、民間の手によって改造されているのか、ボディの両側面には一際目立つ真っ赤なロゴマークがプリントされている。「宇宙生命保険機構」というロゴだ。

 バギーを運転しているのは、ブラックスーツを着た小柄な女性・リン。童顔を誤魔化すために施した化粧も、今は疲労のために崩れ気味である。

 悪路の溝にタイヤが取られ、車体が大きく傾くのに従って、リンもバランスを崩した。

「ああもうっ」

 思わず悪態をついてしまう。
 咳払いをして取り繕っても、助手席に座るもうひとりには、しっかりと聞かれてしまった後だ。

「どしたのリンちゃん。運転代わろうか」

 リンのことを眺めていた助手席の女性が、なぜか嬉しそうにたずねた。
 スーパーモデルさながらの美貌とオーラを持つ女性だ。艶やかな黒髪と、ブラックスーツを完璧に着こなす肉感がまぶしい。長身の彼女にはバギー車内は窮屈らしく、長い脚をダッシュボードに乗せてなんとか収まっている。

 運転手を務めるリンは、ダッシュボードの上で主張する美脚を恨めしげに睨んだ。

「結構です。この車はダダに合うサイズじゃないので。私の仕事を取らないでもらえますか」

 ダダという変わった名は、助手席の美女のことらしい。

「遠慮しないで。私も暇してるしさ。ここ数日間狭い座席に収まってるから脚が浮腫(むく)むんだよね。景色だって、殺風景な荒野が続くだけだし」

「この街道をあと半日も走れば目的地に着きます。我慢してください」

「……どんどんご機嫌斜めになっていく君の相手をするほうの身にもなってよ。私は、可愛いリンちゃんと楽しくお喋りがしたいな」

「そんなに暇なら、今のうちに依頼書の最終確認を済ませておいてくれますか? 私はとっくに確認済みなので!」

 リンは、ダダの脚を鬱陶しそうに押し上げて、その下のグローブボックスに手を伸ばす。車両証明書、取扱説明書、資産運用のカタログ、グラビア雑誌なんかを押しのけて取り出したのは、使い込まれた赤いバインダーだ。辞書が作れそうなほど厚い書類の束が挟みこまれているが、1枚目にレジュメが用意されているため、最低限それに目を通せばいい。

「そんな細かい字読めないよう。リンちゃんが教えて」

 ダダのわざとらしく甘えた声に、リンは面倒くさそうに溜め息を吐く。

「これから私達が向かうのは、N地区にある一般住民のお宅です。以前うちの商品についての問い合わせがあり、前向きに検討されているそうなので、ほぼ確実に契約が取れるでしょう」

「なんだ。楽な仕事だね。うちの商品の良さを知れば、皆喉から手が出るほど欲しくなるんだよ」

 ダダは読む気もないレジュメをペラリとめくる。2枚目からは、ふたりの取り扱う保険商品の紹介チラシが始まった。

「“終末保険(しゅうまつほけん)”。近い未来やって来る、地球人絶滅作戦をやり過ごすための唯一の救済措置だ。今時こんなに太っ腹な保険はないんだよ、リンちゃん」

 リンは何も言わず、進行方向を睨んでいる。
 ふたりは訪問型保険営業。旧世界の俗語でいうところの、保険レディという職業である。

 ダダは資料から目を離し、助手席側の窓の外を眺める。それとほぼ同時に、西の遥か遠くの空が一瞬、真っ白な光に包まれた。

 数秒遅れて爆発音と、衝撃波がバギーを襲う。車体がまた少し傾いたが、リンは今度はハンドルを制御しきって見せた。

「始まったみたいだ。リンはこっち見ない方がいい。あれはR地区のあたりかな」

 ダダが注意を促す。
 リンは横目で窓の外を確認する。

 灰色に染まった空に、黒い羽虫のようなものが飛び交っている。羽虫達は光の粒を無数に飛ばし、何かを攻撃している。しかし数秒後には、空を覆う厚い雲の向こうから放たれた赤い光線に撫でられ、羽虫は次々と爆発した。

「……反政府軍の戦闘飛行機の交戦じゃないですか。あんなもの珍しくもない」

「どしたのリンちゃん。怒ってる?」

「どうもしないし、怒ってもいません」

 戦闘機をほぼ全機撃墜した光線の発生源は、厚い雲に覆い隠されて見えない。しかし姿が見えなくても、リンとダダはその実態をよく知っていた。

「可哀想だけど、あれ見てると安心するんだよね。侵略者(エイリアン)の地球襲来から20年。地球人の人口は減少の一途をたどり、エイリアンはじわじわと侵略範囲を拡げている。地球人がいくら抵抗しても、エイリアンには勝てないことがこれで証明されるだろ。終末保険の有用性の証明にもなる」

「わざわざ見なくても分かりきってるじゃないですか。現代の武器をいくら積んでもエイリアンには勝てないという研究結果も出ています」

「そもそもの技術力が違いすぎるんだ。世界各国の政府が正式にエイリアンの要求を飲んだのに、それに反発する反政府軍は20年間変わらず防衛戦を続けてる。ほんと、不毛だよね」

 ダダが長い腕を伸ばし、車内ラジオをつける。
 思った通り、たった今R地区で繰り広げられている戦争についての緊急速報が流れていた。

《臨時ニュースです。R地区上空にエイリアンの母艦の反応を探知した反政府軍が、戦闘を開始しました。R地区住民の皆さんはただちに避難してください。戦況は、エイリアンの優勢です》

「反政府軍連中は分かってないんだ。旧文明の武器でいくら抵抗しても結局、生身では宇宙にすら出られない、か弱い生き物だ。上位者に勝てるだなんて夢を見すぎ」

 エイリアン贔屓の言葉を口にするダダに対して、リンは短い溜め息を吐いた。

「ダダ個人の考えだから尊重しますけど、間違っても商談の席で言わないでくださいね。そんな煽るようなこと」

 遥か遠くで爆撃の音が重なり合う。
 死と隣り合わせの世界を走りながら、リンは言った。

「終末、早く始まるといいですね」

 その呟きに対してダダは、窓の外を眺めながら返した。

「リンちゃんが望むなら、きっと近い未来に始まると思うよ」
 ふたりの乗ったバギーは悪路を進み、日が落ち切った頃、予定通り目的のN地区へと入った。
 
 N地区は、荒野との区別がつかないほど殺風景な場所で、かつては家だったが今や風化して見る影もない残骸がポツポツと建つばかり。人が住んでいるかも疑わしい廃れようだった。街灯はとうの昔に壊れ、一面の闇に覆われた町は墓場と大差ない。

 適当な側道に停車し、ふたりはバギーを降りる。
 小柄なリンと長身のダダが並ぶと、小型のペットと飼い主のような身長差となる。ぐーっと伸びをすれば、さらにダダの身長が伸びた。

「運転お疲れ様、リン。お客の家はどこなの?」

「あちらです。元々この地域の地主だとか」

 リンが指差す先には、確かに他の民家より大きな門構えの洋館があった。煉瓦造りの今にも崩れ落ちそうな外観。しかし煙突からは、か細い煙が立ち上っている。驚くべきことに、人が生活しているらしい。

 リンとダダは洋館に着くと、礼儀としてノックの後、家主の出迎えを待った。しかし一向に現れないため、ダダが先導して家の中へ侵入した。

 内部は荒れ放題だった。
 広々としたロビーには、生活で出たゴミや壊れた家具などのガラクタが散乱し、バリケードのようにふたりの侵入を阻んでいた。リンは荒れ家特有のすえたニオイに一瞬怯むが、勇気を出して、長年の塵や埃が堆積した床を歩き出す。

 なんとか上れそうな階段を見つけて、ふたりは2階へ上がる。1階の荒れ具合に比べれば2階はまだ片付けられていて足の踏み場があった。

 2階に上がってすぐの所にある部屋を覗くと、案外あっさりと家主の姿を見つけることができた。
 家主は、窓辺に置かれた安楽椅子に腰掛けてゆらゆら揺れていた。電気の節約のためか、古のガスランプのオレンジ色の炎が、家主と同じく揺れている。

 家主はずいぶん痩せているが、30代ほどの若そうな男だ。彼はふたりの美女に気づくと、小さな目を瞬かせた。

「ああ! やあ、どうも! こんな汚い場所にこんな綺麗なお客さんが来てくれるなんて、嬉しいよ」

「無断で上がってしまい申し訳ありません。私たちは宇宙生命保険機構の者です」

「ああ! あなたたちがそうなのか。待っていたんだよ。僕が依頼したAだ」

 リンとダダは資料に添付されている、今回の依頼人の顔写真と、目の前の男性とを見比べた。

「初めまして、A様。お問い合わせいただいた保険商品のご説明に伺いました。お時間よろしいですか?」

「あなたたちの扱ってる“終末保険”ってやつだよね。前からとても気になっていたんだ。早速頼むよ」

「ありがとうございます」

 家主のA氏は、リンとダダに、安楽椅子の近くの丸椅子へ座るよう促した。
 リンは着座すると、A氏のそばの文机を一瞥。使い込まれた様子のペン立てとインク瓶をA氏側に寄せ、持参した紙の資料を広げて説明を始めた。

「A様もご存知のとおり、現在のエイリアンと反政府軍との戦争は、依然エイリアン側が優勢な状況です。この戦争は20年も続いていますが、残念ながら人類の人口は減少の一途をたどっています」

「…………。そうだよねえ。ラジオもいつもそう言ってる」

「不安ですよね。ですがどうか気を落とさないで」

 車内でダダと会話していたときとは打って変わって、リンはとても親身にA氏に寄り添う。例え営業上の態度だとしても、ダダにしてみれば面白くない。

「じゃあ、これも知ってる?」

 リンの横から、しかめっつらのダダが身を乗り出して話を遮った。A氏はダダの美貌に思わず瞠目(どうもく)する。

「10年前、エイリアンがある警告を出したんだ。このまま抵抗を続けるなら、宇宙の技術を結集した“地球人だけを絶滅させる兵器”を発動するぞ、って」

「一時期SNSでもトレンド入りした“終末”と呼ばれる作戦です。A様もご存知ですね?」

 物騒な脅し文句にA氏はすっかり怯えてしまった。

「ああ、もちろん知ってるよ……。ラジオでも連日報道されていた。僕は怖くて怖くて。ただでさえ、いつどこで戦争が起こるかも分からない世の中なのに、そんな恐ろしい死に方で締めくくるなんてごめんだよ」

 するとリンは、つとめて明るくA氏を励ます。

「A様、ご安心ください。その打開策として、近年エイリアンの一部の団体が法人化し、地球上で初めて慈善団体を立ち上げました。我々、宇宙生命保険機構です」

 リンのめくった資料には、バギーにもプリントされていた赤色のロゴが載っている。

「その打開策こそが、我々の看板商品である終末保険です。加入されたお客様は、弊団体が用意した特殊なカプセルに入って冷凍睡眠状態になっていただきます。痛みも老化もなく、終末が完了するまでの時間を安全にやり過ごしていただけますよ」

「そう! これだよ! こういうのが欲しかったんだ」

 A氏は思わず安楽椅子から身を乗り出した。
 しかしまた横から、不機嫌そうなダダがふたりの会話に割って入る。

「ただし加入には保険料が要るよ。うちもボランティアじゃない。運営には金がかかる。よって、あんたの持ってる最も価値あるものを支払ってもらう。金銭、家、貴金属、食料、兵器、家畜、何でもいいけど」

「あ、ああ。だが生活の足しに、金目の物はすべて売ってしまったんだ。もうこの家に大した物はない……。だから、ダメ元で申し込みをしたんだよ」

 リンは部屋の中を見回す。建物自体は大きいが、いつ崩れてもおかしくない劣化具合で、資産価値は低そうだ。
 壁の造り付けの棚を眺めていたとき、その中のひとつの置き物が目に止まった。
 茶色と黒のまだら模様の、古い猫の剥製が飾られていた。作られてから相当の年数が経っていそうだ。毛は埃をかぶっており、眼窩に埋め込まれたビー玉はくすんでいる。悲しい眼差しで3人の姿を見つめていた。

「A様、あちらの剥製などはいかがですか? 充分な資産になりますよ」

「え? ええと、あれは子どもの頃飼っていた猫なんだよ。名前はチビ。血統書もない雑種なんだが……」

「充分です。猫は今や絶滅危惧種。エイリアンの技術を使えば、剥製の毛のDNAからクローンを造れます。終末後の世界において、猫の個体数回復におおいに役立てられるでしょう」

 リンの言葉を聞いたA氏は、目に涙を溜めて喜んだ。

「そ、そうか! ありがたい。よろしく頼むよ。これで終末を乗り切れるばかりか、終末後の世界でチビのクローンと再会できるかもしれないんだね。楽しみが生まれると世界はなんて彩りに満ちて見えるんだろう!」

 両手で顔を覆い、A氏はオイオイと泣き出した。

 ダダはリンの頭越しに、A氏の担保である猫の剥製を覗き見る。すると整った顔をこれでもかと歪めて、不快そうに舌を出した。

「………うえ、気持ちわる」

 A氏に聴こえないよう、リンはすぐさまダダの尻をつねって黙らせた。

「ご満足いただけてこちらも安心しました。では契約締結ということで、さっそく本部に報告いたします。明日の朝には冷凍睡眠カプセルが届きますので、今晩中に出立のご準備を済ませてくださいませ」

 リンは鞄から電子タブレットを取り出す。
 契約者のサイン欄を表示し、タッチペンとともにA氏に差し出した。

「規約とはいえ、そんなに急なんだね。住み慣れた我が家との別れを一晩で済ませろっていうのかい?」

「反政府軍とエイリアンの戦争は今も世界中で起こっています。この地区もいつ戦場となるか分かりません。大切なご加入者様を守るため、早急な措置となることをご理解ください」

 A氏は少々渋る様子を見せたが、元々諸規約を承知の上で申し込みをしたらしい。リンが言葉柔らかく説得すると、やがて納得して契約欄にサインした。

「ありがとうございます。これでA様は、晴れて終末保険のご加入者様となりました。また明日の朝お伺いします」

 仕事を済ませると、リンは手早く荷物をまとめ始める。元々手ぶらだったダダは特に支度することもなく、何気なく部屋の中を眺めた。

「1階の汚部屋っぷりに比べたら、2階は多少は片付いてるんだね」

 ダダが率直な感想を述べた。
 リンがまた尻をつねろうとしたが、家主であるA氏はアハハと笑う。

「子供の頃、事故で脚を怪我してね。階段が使えないから、もう長いこと2階で生活してるんだ。お恥ずかしい」

「若いのに気の毒だね。お手伝いでも雇ってるのかい? 食料とか、色々入り用だろ?」

「ああ。週に一度、地区のボランティアの方が訪ねてくれるんだ。本当に助けられっぱなしだよ。……そうだ、彼らにも、僕が家を空けることを伝えておかないと」

 A氏はしばし周辺をキョロキョロ見回した。まずシワのついた紙切れをつまみ、続いて胸ポケットからボールペンを取り出す。
 A氏は、ボランティアに宛てて手紙を書き始めた。
 まず、日頃の感謝。次いで、自分が終末保険への加入が決まったこと。自分がいなくなった後、家財は好きに利用して構わないことを、一字一字考え込みながら、丁寧にしたためた。

「はは、誰かに手紙を書くなんて久々だから緊張したよ。それも、美女ふたりに見られながらなんて。……すみませんが、この手紙を玄関ドアに貼っていただけますか? いつボランティアの方が来てもいいように」

「承知しました」

 短く答えると、リンは手紙と営業資料を手に、一旦退室した。
 決して呼んだわけではないが、ダダはリンのそばにぴたりと寄り添い、当たり前のように同行する。

 2階と比べると、1階はやはり凄まじい荒れようだ。先ほども嗅いだ悪臭に、リンは顔をしかめる。

「リン。良い子のリンちゃん」

「……なんなんですか」

「あいつの言葉、信じてないだろ?」

 ダダの質問の意図を、リンはちゃんと理解していた。

「嘘ですね。彼がここの家主というところから全部。ダダはなぜ分かったんですか?」

「使用感のある羽ペンとインク瓶が目の前に置かれてるのに、視界に入らない胸ポケットのボールペンを使ってた。多分、羽ペンの使い方を知らないんだ。他にも、何の躊躇いもなく電子機器を使いこなしてたし。あいつが事前に送ってきたプロフィールだと83歳……高齢者のはずだろ?」

 ダダは得意げに胸を張る。
 長身と豊満な肉体を持ちながら、ずいぶん幼い仕草にリンは「はぁ」のみ答える。

「ふふん、リンちゃんもそれで気づいたんでしょ?」

「いえ。飾られていた絶滅種のイリオモテヤマネコの剥製を“昔飼ってた”と言ってましたし、あと」

「あと?」

「単純に顔写真が違っていたので」

 リンが鞄の中から取り出したのは、A氏の事前プロフィールだ。しかしそこに載っている顔写真は、先ほどの男とは似ても似つかない、老い先短そうなシニア男性のものだった。

「恐らく、高齢者を装ったほうが優先的に加入できると思ったのでしょう。偽装に使った高齢者の遺体も、おそらくこの1階のどこかにあると思います」

 生活臭に混じる嗅ぎ慣れないニオイの正体は、おそらくそれだろう。
 ふたりが特に取り乱した様子を見せないのは、このような事例が初めてではないからだ。保険加入のために手段を選ばない地球人はいくらでもいる。

「どうします? 私としては、このまま本部に戻って報告すべきと思うのですが。虚偽申告は立派な規約違反です」

「あー、んー、でもサインしたことだし、明日冷凍カプセルが届くまであいつはどこへも逃げないよ。私達は問題なく審査が通ったフリしておこう。どうせ冷凍カプセルの行き先は本部だ。事情だけ本部にメールしておくよ」

 本部とのやりとりはダダの役目だった。
 タブレットを預かり、操作をする彼女の横顔を、リンは恨めしげな目で睨む。

「なぁに、リン」

 熱い視線を浴びながら、ダダはタブレットから目を離すことなく訊ねる。

「……ダダ、やっぱり区別ついてないんですね。30代と80代を見間違えるなんて」

「ええ!? ちょ、なに? なんで怒ってるの?」

 明らかに拗ねた様子のリンに、焦ったダダはメールそっちのけで、ご機嫌を取ろうと努めた。
 しかしリンはすっかりヘソを曲げている。ダダが何度「怒ってる?」と訊ねても、リンはぶっきらぼうに「怒ってません」と返すだけだった。

 玄関ドアの目線の高さに手紙を貼ると、ふたりは報告と挨拶のために再びA氏の自室を訊ねた。本当はこのまま引き上げるつもりだったが、

「良ければ今夜は泊まっていってください。長時間の運転でお疲れでしょう。部屋はたくさんありますし、シャワーも使えますので、ぜひ」

 A氏がそう申し出た。
 ダダは「いいよそんなの」と断ろうとしたが、「シャワー」の単語にリンが即座に反応した。長期間の車移動のせいで、まともなシャワーを浴びたのは記憶にないほど昔である。

「ありがとうございます、A様。ではお言葉に甘えて」

「おいおいリンちゃん……」
 その晩ふたりは、ニオイの最も届かない1階隅の客間を借りて泊まることにした。

 幸い、スプリングの生きているベッドと簡易的な調理場が設置されており、一晩を越すには全く問題ない。食料も、備蓄倉庫内の物を好きに食べて良いと許可を得たため、久々に料理の腕を振るうことにした。担当したのはダダだった。

 匂いがつかないようジャケットを脱ぎ、長い髪もひとつにまとめる。
 缶詰の魚と野菜を焼いたものと、缶詰のパンを温めたもの。それからパウチの汁物に具材と味付けを加えたものを二食分、慣れた手つきで作って、リンを呼んだ。

「リン、リンちゃんや、おいで。ご飯だよ」

 一方のリンは、ベッドにうつ伏せに沈み込んで、早くも寝落ちしそうになっていた。そんな姿にダダは呆れた溜め息を吐くが、「可愛くて仕方がない」と目が訴えている。

「長旅お疲れ様。ベッドで食べようか」

「……あ、すみません。ついうとうとして……ありがとうございます」

「ここ最近は怒涛の忙しさだったからね。でも真面目に仕事に取り組むリンは偉いよ。いつもありがとう」

 リンは料理の皿を受け取り、ゆっくり口に含む。
 久々の温かい食事に、無意識に瞳が輝いた。

「美味しい。ダダ、ほんと料理上手ですね」

「温度管理に気をつけていれば大抵の料理は美味しくなるんだ。……こうしてると昔を思い出すな」

 ダダはまだ食事を摂らず、ただリンの食べる姿を見つめていた。

「覚えてる? リンがうちの子になった日。あの時も、私が作ったものを噛み締めるように食べてた。可愛かったな」

「20年も前の話じゃないですか。よくそんなこと覚えてますね」

「覚えてるさ。今も昔も変わらない、可愛い可愛い私のリンだよ」

「……私はもう25歳です。とっくに、立派な成人ですよ」

 リンの顔が曇り、スプーンを持つ手が止まった。
 重い沈黙が流れる。
 しかし重いと感じているのはリンだけのようで、ダダは思い出したように自分のぶんの皿に手をつけ始めた。

「ねえ、リン」

「……なんですか」

「なんで終末保険に入らないの? 保険機構所属なら保険料は免除されるのに。地球人なら誰もが入りたがるんだよ?」

 ダダの声は責める様子も、呆れる様子もなかった。
 ただ知りたいから訊ねた。それだけだというような、悪く言えば無関心な声。

「私には必要ないからです。終末後の世界にも興味ありません。終末と一緒に私も死ぬ。それを望んでいます」

「……でもさ、死んだら美味しいご飯をお腹いっぱい食べることも、コイビトを作ったりもできない。むしろそういう地球人らしいことは、生きてるうちにしておいたほうがいいと私は思う」

 他人事のように言われた「コイビト」という単語に、リンは湧き上がるような怒りを覚えた。
 はっきりとダダの目を睨み、訴える。

「恋人を作れって? 貴女とこの仕事をしてるのに?」

「忙しいのがつらいなら辞めてもいいんだよ、仕事なんて。どのみち終末後の世界にこの機関は必要なくなるんだから」

 ダダは落ち着いて食事を進めている。
 対するリンは、どんどん感情を逆撫でされる気分になった。

「宇宙生命保険機構がなくなったら、ダダはどうするつもりなんです?」

「それは前にも話したでしょ」

「今でも考えは変わっていないんですか? 答えてください」

「………さあ? 私は司令官の方針に従うだけだよ。元々特にしたいこともなかったし。どこでもいいさ」

 ダダの口調はどこか投げやりなものだった。
 そもそも自分(リン)を育てたのも、指導者に指示されたから。自分(ダダ)の意志ではなく。

「じゃあ……」

 リンの声が微かに震える。

 ダダは皿に落としていた視線を上げる。
 リンはこちらを睨んでいた。しかしその瞳は、怯えるように潤んで揺れていた。

「じゃあ、無責任に辞めろとか言わないでくださいよ。そうじゃなくて、もっと私を……」

「……だ、だって、リンは終末保険入りたくないんでしょう? 個人の意志を尊重したいから、加入を無理強いしたくない。ならせめて、残り僅かな命の時間を大切にしてほしい。そのために私にできることがあれば協力するから言ってよ」

 ダダは少し焦り気味に、精一杯の最適解を探す。
 泣かせたいわけじゃないのに。何が地雷だったのか分からない。そんな焦りなどお構いなしに、リンはブランケットに包まって背中を向けてしまった。

「もう知りません。さっさと寝てもらえますか」

「リンちゃん、なんで怒るのさ……」

「怒ってません」

 A氏から借りることのできた唯一のブランケットを取られてしまい、ダダは渋々何も纏わずに横になった。
 背中を向けるリン。その背中を、困った笑みで見つめるダダ。

「君は昔から本当に気難しいね。そこも可愛くて、私は大好きなんだよ」

「……」

「ねえ、終末後の世界は今よりずっと良くなるよ。戦争も差別も飢餓もない。エイリアンが生き残った地球人を管理して、人口が回復するように繁殖の手伝いをする。大切に大切に育てるから。私がリンちゃんを育てたようにさ」

「……」

「ねえ、本当に保険入る気ない? 死んじゃうんだよ。いいの…?」

「……」

 消え入るような問いのあと、長い沈黙が続いた。
 本当に寝てしまったのか。規則的に上下するリンの腹部を確認すると、ダダも諦めて目を瞑った。

 やがて背後から微かな寝息が聞こえてくる。
 初めから眠れるはずもないリンは、ブランケットの中で小さく小さく、泣いた。
 翌朝、ふたりはほぼ同時に目覚めた。
 アラームをかけていたわけではない。ただ単純に、館の外から地響きのような轟音と振動が起こったためだ。

 身支度をする暇もなく、スーツを雑に羽織って窓の外を確認する。
 外は爆発による土煙で一色に染められており、リンには状況がまるで把握できない。

「——大変。冷凍睡眠カプセルが襲撃されてる。反政府軍の連中だね」

 しかし、冷静なダダの目には見えていた。

 彼女の目は砂埃で覆われた空間の中でも、ハッキリと熱感の差をもってして状況を知ることができた。
 恒温動物が5体いる。その中央には、人ひとりが余裕で横たわれる大きさのカプセルがある。恒温動物の手にした爆弾や銃器によりカプセルが攻撃され、内部の冷気が外に漏れ出ていることまで確認できた。

 その恒温動物は、通称「地球人」と呼ばれる。

「ど、どうしてこの場所がバレたんですか? 顧客情報が漏れるはずないのに」

 リンの投げ掛けた問いは自分自身へ向けたものでもあった。
 エイリアンの構築したシステムは完璧だ。情報漏洩などありえない。それなら、顧客が自分で情報を漏らしたと考えるのが自然だ。

「すみません、うるさくして。起こしてしまいましたよね」

 いつの間にかふたりの背後……客間の入り口には、その容疑者であるA氏が立っていた。

 脚を怪我したというのは本当らしく、片脚を不自由そうに浮かせている。しかしその肩を抱くのは、見覚えのない顔の男だった。

 顔に見覚えはなくとも、服装には覚えがある。
 外の地球人達と同じ、非公式の迷彩服。反政府軍の人間である。

 A氏の背後には、さらに5名ほどの武装兵が待機していた。一様に銃器を構え、こちらに狙いを定めている。
 A氏を支える武装兵のポケットからは、白い紙屑が覗いている。見覚えのある筆跡。A氏が、ボランティアとやらに宛てて書いた手紙である。

「……やられた」

 リンはようやく状況を理解した。
 リンとダダは嵌められたのだ。終末保険加入希望者を装った反政府軍に。“エイリアン殲滅”派に。

 A氏は人当たりの良い笑みを浮かべ、ふたりの保険レディを値踏みするように眺めた。

「騙したようですみません。お察しの通り、僕は()()軍の人間です」

 解放軍、そして反政府軍。呼び方は違えど両者は同義だ。
 エイリアンから地球を解放すると信じている者。
 エイリアンと和解するという政府の意向に反逆し、市街地で過激なテロや戦争を起こす者。
 彼らは決して、自分達が「反逆者」であるとは想像もしていない。

 A氏は続ける。

「“保険加入希望者を装えば、雲の上の母艦に隠れているはずのエイリアンと接触できる”と提言しました。貴女達はこれから軍の研究機関に運ばれて解剖研究されるでしょう。我々が今後エイリアンと闘うための貴重な情報資源です。協力してくれますね?」

 彼らにとっては「協力」と「脅迫」も同じ意味を持つらしい。こちらへ向けられた5口の銃がその証明である。

「ひっ……」

 天敵に取り囲まれた小動物のように、リンはすっかり怯え、言葉も行動も起こせず固まってしまった。

「あいにくこの子は地球人だよ。連れてくなら私ひとりでいい」

 そんな小さな体を後ろ手に隠し、長身のダダが一歩前へ出た。
 A氏が嫌悪を込めた目つきで、リンを睨む。

「エイリアンに洗脳された一部の地球人が、エイリアンの作戦に同行しているという噂は本当だったんですね。ではリンさんには、解放軍本部で洗脳解除の処置を施さなくては」

「洗脳じゃなくて、職業訓練の一環なんだけどな。終末後の世界で独り立ちできるように色々教えてるんだ」

 ダダが心外そうに反論したが、A氏は戯言としてそれを無視する。

「リンさん。貴女は、エイリアン達が20年前に何を引き起こしたか知っていますか? 地球襲来時に起こった第一次戦争ですよ。あれに巻き込まれた僕は脚を壊し、少年時代からずっと介護生活を強いられました。つまり、エイリアンの犠牲者のひとりというわけです」

 A氏の熱弁にも、リンはすっかり震えて反応すらできない。
 連行される恐怖……いいやそれよりも、ただ純粋な恐怖を目の前に突きつけられていたからだ。

「この子が怖がってるから、その銃を下ろしてくれないかな」

 ダダが悲しげに、穏やかに懇願した。反政府軍が構える銃器こそ、リンの幼少期からのトラウマだったからだ。
 警戒を解かないうちは、誰も銃口を下げてはくれなかったが。

 ダダは続ける。

「“地球人から吹っかけてきた戦争”に巻き込まれたのはこの子もだよ。何千何万という犠牲者と戦争孤児が出た。……エイリアンを恐れる反政府軍の過剰防衛に巻き込まれてね。“我々”はただ、環境破壊や紛争によって自滅していく地球人を一匹でも多く救いたかっただけなんだよ」

 麗しの美女が訴える。
 武装兵の数名は、その艶やかな瞳に心を揺さぶられかけたが、A氏の抱える憎しみはそんなことでは揺るがなかった。

「“一匹”? 僕達地球人をまるで動物か何かのように扱うんですね。なんて傲慢さだ。どうやって地球人そっくりの見た目になっているのかは分かりませんが、その仕組みも研究ですぐに明らかになるでしょう」

 A氏が指示すると、武装兵のひとりが前に進み出た。
 武装兵は室内に放置されていたタブレットや契約書類を押収し、そのまま屋外へと持ち去って行く。

「それどうする気?」

 ダダが訊ねる。なんとなくの予想はしていたが、案の定その通りの答えが帰ってきた。

「必要なのは生体データのみなので、他は破壊もしくは焼却処分します。特に電子端末は、我々解放軍の動向を知られる危険がありますから」

「そう。じゃあ車の中にまだ資料があるから一緒に燃やすといい。場所を教えるよ」

 5口の銃を向けられている状況の中で、ダダは平然と戸口へ歩き出す。リンをその場に残して。

「えっ? ダダ…?」

 当然リンは困惑した。
 反政府軍の警戒はダダひとりに向けられているが、彼女が玄関を目指して歩く間、誰ひとりとして発砲しなかった。

 理由は様々だ。
 生体データを取るために殺してはならない。
 ダダが怪しい行動を取るかどうかを見極めている。
 そもそも、ダダのあまりに魅力的な容姿が、本当にエイリアンの変装であるかが疑わしい。

 いずれにせよ、反政府軍連中が警戒すべきはダダひとりだけ。
 一方、残されたリンは怯えて動くこともできない状態。まったく脅威ではなかった。

 ダダは玄関扉をスルーし、難なくバギーに到着する。

「怪しげな行動を察知したらすぐさま発砲しますよ」

 A氏が念を押す。
 ダダは余裕の顔で「はいはい」と答え、グローブボックスから資料の束を取り出す。
 その際、

「………」

 一緒に収納していたボロボロの古いグラビア誌を手に取りかける。一瞬の迷いのあと、その一冊だけはボックス内に残した。

「今、何を隠したんですか? 怪しい行動を取れば発砲すると警告しました」

 その一瞬の迷いを、A氏は見逃さなかった。
 ダダは先に手に取った資料をばさりと地面に落とす。

「何でもない。残したのはただの雑誌だよ。君達が灰にしたいのはこっちの営業書類だろ? 好きにしなよ」

「はい、好きにします。なので、ボックスの中身をすべて出してください」

「……ただの私物だ。面白いものなんてないよ」

 ダダが渋った直後、ずどん、という重い銃声が響いた。武装兵のひとりが発砲したらしい。

 銃弾はダダの左脚に命中し、そのせいで彼女は大きくバランスを崩すこととなる。

「……ダダッ!!」

 リンが甲高い声を上げた。

 ダダのぐにゃりと膝を折った脚からは、地球人のものではない、黒いヘドロのような体液がどくどくと流れ出ている。ダダは驚いたように、自身の傷口を見つめた。

「上手く化けていてもやっぱりエイリアンでしたか。我々地球人を下等生物と思って侮らないことです。命さえ取らなければ、いくらでも貴女を傷つけられるんですよ、我々は」

 A氏が冷たく言い放つ。
 遠目からその様子を見ていたリンは居ても立っても居られず、体の震えを無理矢理押し留め、転がるようにダダのそばへ駆け寄ろうとした。寄り集まった武装兵の体を押しのけるようにして、

「リン! 来るんじゃない!」

 今度はダダが叫んだ。顔に焦りが滲んでいる。ダダにとっては自分の傷などよりも、目の前のリンのほうが重要だったから。

 最悪な予感は的中する。
 ずどん、という先ほどと同じ音が響き、ほぼ同時にリンが地面に倒れ込んだ。その脇腹から、ダダのものとは全く違う鮮やかな赤い血が舞った。

 意外なことに、声を荒げたのはA氏だった。

「おい、馬鹿! 彼女は地球人じゃないか! 何があっても仲間を殺してはならないという規定を忘れたのか!」

「あ、わ、悪い……。つい反射で……」

 リンに背後から襲われると勘違いした武装兵による、誤射だった。
 地面の上で、ぐったりと動かなくなったリン。その体を中心として、止まる気配のない血の海が円形に広がっていく。

「リン……」

 ダダは放心状態だ。目をこれでもかと大きく見開き、リンの体から熱が失われていくのを、ただただ凝視する。

 A氏は規定違反を誤魔化すように言った。

「……これは悲しい不慮の事故です。そもそもエイリアンに関わらなければ、リンさんも命を落とすことはなかった。貴女にできる罪滅ぼしがあるとするなら、我々の研究材料となり、地球人の防衛作戦に貢献することですよ」

 ダダは何も言わない。リン以外見えなくなってしまったように。

 むしろ都合が良いと言いたげに、A氏は仲間に命じた。ダダを捕縛するようにと。
 武装兵がふたりダダに歩み寄り、両側から彼女の腕を掴んだ。

「うわぁっ!?」

 武装兵が思わず叫んだ。
 ふたり掛かりで左右からダダの腕を引いた瞬間、その中心にある彼女の頭頂部から腹部にかけてが、音もなく真っ二つに裂けたためである。

 裂けた内部には臓器や骨格といった肉体は一切存在せず……、代わりに、黒いどろりとした液体が詰まっていた。

「なんだこれ、気持ち悪い!!」

 裂け目から液体がこぼれ出る。それを皮切りに、ダダの美しかった体がどんどん変形を始める。
 ブラックスーツも黒髪もどろどろに溶け、やがてそれがひとつの生き物のように寄り合い、元の長身よりもずっとずっと大きな質量へと変貌していく。

「な、なんだ? なんなんだ?」

 武装兵達が激しく怯え、狼狽えた。
 なぜならダダの姿が、とても地球の言語では表現できないほどにおぞましい、奇妙で奇怪な姿へ変わったからだ。

「ひっ、ひぃ……!」

 武装兵達は頑強な兵器を備えていながら、その顔からは反撃の意志を失っている。間近で目にしたエイリアンの姿。それは小さな地球人らに本能的恐怖を植え付け、上位者としての威圧を惜しみなく注ぐものだった。

「XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX」

 唐突に、ダダだった()()()が何かを発声し始めた。

 しかしそれは言語かどうかも定かではない。聞き馴染みのない不気味な音の羅列がしばらく続いた。実際の時間は10秒ほど。しかし地球人らの体感時間では、その何十倍も何百倍も長く感じられた。

「あれ?」

 ふと、A氏らはあることに気づく。
 空を覆う鈍色の雲の隙間から、赤い光線が一本、細く細く伸びている。その光線は寸分の狂いなく、A氏の頭頂部に吸い込まれていた。

「え? え?」

 A氏を始めとする反政府軍達は、互いの顔を見合わせる。どのメンバーの頭にも、同じように天から伸びた赤い光線が注がれていたのだ。

「なんだこれ?」

 まるで何かの照準を定めているかのように。
 “リン”。

 5歳の少女が、その名をつけてくれた生き物と出会った場所は、第一次戦争で崩壊した街の瓦礫の中だった。

 なぜそんな場所に隠れていたのか、少女は覚えていない。そばに父親も母親もいなかったから、家族と死に別れたか、捨てられたかのどちらかなのだろう。

 瓦礫の中に隠れるようにして、少女は外の景色を見ていた。
 そこで見たものは、“宇宙からの敵”と戦うために銃を持ったはずの地球人が、“銃を持たない地球人”を殺す光景だった。

 後になって知ったことだが、避難の完了していない地域で先に戦争を始めたのは、地球人のほうだったらしい。
 銃器、爆薬、戦車……雲の上へ向けて放たれる兵器は標的に届くことはなく、そのまま地上へ落下し、多くの生活者に被弾していく。結果、地球人の兵器で地球人が死んだ。大勢、大勢死んだ。

 そんな地獄の中に隠れていた少女を助け出してくれたのは、地球人ではなかった。
 大きな生き物だ。大人より、建物より大きな、見たこともない生き物。

「XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX」

 最初、その生き物はよく分からない音を発した。
 でも通じていないことに気づくと、すぐに少女にも理解できる言葉を話してくれた。

「どしたの、可愛いね」

 まるで猫に話しかけているみたい。
 少女がギュッと抱きしめていた猫のぬいぐるみを見たから、そう声をかけたのかと思った。

「こんにちは。小さいねえ。名前はあるの?」

 名前はあった気がするけれど、何度も何度も爆発の音が続いていたから、すっかり声の出し方を忘れてしまった。体を震わせる少女の動きに合わせて、猫のぬいぐるみの首にぶら下がっていた鈴が、かすかに鳴る。

 大きな生き物は適当に言った。

「鈴がリンリン鳴ってるから、リンと呼ぼっか。とりあえず」

 なんて呑気なんだろう。少女リンは思った。

 周りでは戦争が続いているというのに。大人達が殺そうと躍起になってるのは、きっとこの大きな生き物に違いない。こんな大きな体なんだから、すぐに見つかって殺されてしまうのに。早く逃げればいいのに。

「………とっか、……いって」

 とても掠れた声ではあるが、「どこかに行って」と避難を促すことができたはずだ。
 大きな生き物は何か勘違いをしたようで、なぜかその場所から逃げようとしない。

「そっか、こんな姿じゃ恐いよね。君達みたいな可愛い姿になれたらいいんだけど、私は想像力が乏しいからな。うーん……」

 大きな生き物は体から細長いものをたくさん伸ばして、周辺の瓦礫の隙間にそれらを潜り込ませる。中で何かをゴソゴソ探しているようだ。
 やがてそのうちの一本が、一冊の本を手繰り寄せた。

 裸同然の女の人の写真がたくさん載っている本。
 大人になった今のリンなら分かる。あれは成人向けのグラビア誌だった。

「これ地球人のカタログ? 便利だねぇ。君をお世話するなら、手足が長いほうがいいよね」

 生き物は雑誌の中のあるページを開いた。そこに写っているのは、手足が長くて、髪も長くて、とても綺麗な女の人。
 大きな生き物は見よう見まねで、写真の女の人とまったく同じ姿に変身して見せた。

「さあおいで、リン。抱っこしてあげる」



 それからリンは、ダダという名の生き物と暮らすようになった。
 「ダダ」という変な名前の命名者は、リンだ。掠れた声だから「抱っこ」が言えなくて、代わりに「ダッダ」と言ってせがんだから。

 ダダは文字通り、リンを猫可愛がりした。
 宇宙から来た彼らにとって、なぜか地球人はとても可愛く見えるらしい。地球人が猫にメロメロになる感覚に似ているようだ。

 食べ物も、住む場所も、教育も、ダダは献身的に与えてくれた。「こんなに尽くしてもらえるなんて、私は神様になったんじゃないか」とリンが疑ってしまうのも、無理からぬ話。

 ある時、リンはダダに訊ねたことがある。

「ダダはなぜわたしに優しくしてくれるの? わたしダダに、何もあげてないのに」

 仕事にも就けないほどの子供にできることといったら、ダダが作ってくれたご飯をたくさん食べて、たまに家事を手伝って、気まぐれにイタズラなんかをして、一緒に寝ることくらいなのに。

「それで充分なんだよ、リンちゃん。私のそばにいてくれるだけで満たされるの。リンとの思い出を作れるだけで、私は幸せ者だ」

 綺麗なお姉さんの顔のダダは、リンを猫可愛がりする。

 どうしてこんなに良くしてくれるのか、小さなリンには分からない。
 分からないけれど、何でもよかった。今はただここが、ダダのそばが、心地良い。それだけで胸が一杯だったから。

 この気持ちを言い表すのに最適な言葉を、小さなリンは知らない。



 ある時、ダダはリンにこんなことを教えてくれた。

「ねえ、リン。これは地球人にはまだ内緒なんだけど、君には教えておくね。実は私達は秘密裏に、“終末”作戦を進めているんだ」

 ウィークエンドのことではないらしい。もっとずっと物騒な話である。
 終末。世界の終わり。地球人絶滅作戦のことだ。

 過激で好戦的な一部の地球人の戦争活動のために、それ以外の多くの無害な地球人が巻き込まれ、どんどん数を減らしているらしい。
 良い個体を残し、悪い個体を減らしたい。そのためにダダ達は、エイリアンと協力関係を結ぶ意志があり、また生きる意志のある良い個体を、カプセルに入れて守ることに決めたそうだ。

「ねえ、リン。君はどうしたい?」

「どうって?」

「終末後の新しい世界に生きてみたいと思わない?」

 ダダはその時、勧誘していた。
 リンに、後に発表することとなる“終末保険”に加入させるために、言質を取りたかったのだ。

 戦争をする攻撃的な個体がいなくなった世界……。地獄から救われたリンの生い立ちから言えば、間違いなく平和な世界だ。
 けれどリンにとっては、それよりも確認しなければならない大切なことがある。

「終末が終わっても、ダダと一緒にいられる?」

 リンにとって重要なのはたったひとつ。ダダと離れ離れにならないこと。それだけだった。

 しかし思いがけず、ダダは曇った顔を見せる。

「それは……どうかな。生き残った地球人の繁殖の手伝いをしなくちゃならないから、今のように一緒には暮らせない……かも」

「ハンショクって何?」

「…………リンが、どこかの素敵な(オス)と結ばれて、家族になって、子供をたくさん作ることだよ」

 この時、リンは8歳になったばかり。「繁殖」という言葉は知らなくても、その意味を聞けば理解できる。
 つまり終末後の世界で、リンの隣にいるのはダダではないのだ。

「……リンちゃん、なんで? 何か怒ってる?」

 突然険しい顔に変わったリンを見て、ダダは相当焦ったことだろう。リンはこれまで一度も、そんな反抗的な態度を見せたことがなかったのだから。

「わたしには、ダダがいるもん」

「私とじゃ繁殖できないでしょ……」

「そんなのいらない! ダダのバカ!」

「ええっ、そんな……」

 それがリンの初めての反抗。
 愛を欠かさず、大切に大切に育ててきたはずなのに、なぜ?
 その理由をダダは理解できなかった。ずっと長い間。リンが成人してもなお。

「君は昔から本当に気難しいね。そこも可愛くて、私は大好きなんだよ」

 なおも優しい表情で、優しい声で愛を注ぎ続けてくれるダダ。
 彼女にとって自分は保護対象に過ぎないのだ。言わなくても、言われなくても、やがてリンは気づいてしまう。

 ——あ、そっか。

 きっと終末後の平和な世界で、リンがどこかの地球人の(オス)(つがい)になったとしても。家族となり、子供を増やしても。

 ——きっとダダはいつものように、“可愛いね”と言いながら見守るんだ。私の触れられないどこか遠くから。そしてやがて、私と(オス)の区別すら付かなくなる。

 ——ダダにとって、私はただの“猫”だ。

 それがダダの理想とする平和なら、リンにとっては地獄の始まりなのだ。
 そんな地獄に染まるくらいなら……

「私には必要ないからです。終末後の未来にも興味ありません。終末と一緒に私も死ぬ。それを望んでいます」

 これが、リンが頑なに終末保険を拒む理由。
「——なんだこれ?」

 A氏を始めとする反政府軍達は、互いの頭にぴたりと照準を合わせている赤い光線を見て戸惑う。

 しかし次第に、その赤い光線が、自軍の戦闘飛行機をこれまで何機も撃墜してきた、あの天空兵器に酷似していることに気がついた。

「……おい、まずい! まずい!! 逃げろ!!」

 たまらず走り出す反政府軍。しかし光線は1mmも逸れることなく、頭頂部ただ一点に狙いを定めている。

「おい!! すぐにやめさせろ!!」

 武装兵のひとりがダダ目掛け、狂ったように銃を乱射した。全弾がダダの大きな体を抉ったが、それが有効打になっているようにはとても見えなかった。ダダは平然と立っている。そればかりか、細い腕のようなものを何本も長く伸ばし、動かなくなったリンの体を拾い上げる。そして、そのおぞましい肉体で庇うように、小さな体を大切に抱きしめた。

「聞いてるのかバケモノ! その女ごとぶっ殺すぞ! 早くこの光線を止めろ!!」

 男達の声など耳に入らない。
 ダダは、リンのわずかに温もりの残る体を、手繰り寄せた冷凍催眠カプセルの中へ、宝物と同じくらい丁寧に納めていく。

 破壊されたかに見えたカプセルだが、宇宙製のそれが地球の原始的兵器で壊せるわけがない。土埃を払い、蓋をきちんと閉め直せば、問題なく本来の機能を取り戻す。一瞬にして真っ白な冷気がカプセル内部に充満し、リンの消えかけの生命活動を完全に一時停止させた。

 ダダは、半狂乱の地球人にも通じる言語を話した。

「“終末”を開始します。……さようなら、可愛い可愛い地球人。これまでよく生きたね」

 空を覆う雲から、さらに一本、また一本と赤い光線が伸びる。東西南北、遥か遠くの地域を目掛けて、放射状に広がっていく。あっという間に数えきれないほどの光線が空を埋め尽くし、世界が、燃えるような赤色に染まった。

 あの光線一本一本の先に、終末保険に加入しなかった地球人の頭部があるのだろう。地球上残らず、余すところなく。



 ダダは終末の直前、天に向かって次のようなやり取りを行っていた。
 正確には、テレパシーとも呼べる念波を高速で発信していた。

 彼ら「エイリアン」と呼ばれる生命体は、仲間同士で自由に意思疎通が図れる特別な技術を、当たり前のように持っているらしい。

「……司令、司令、聴こえる? 私だよ」

「ああ〜、同胞よ! 連絡遅かったなぁ! こんなに久々に連絡してくるということは、ついに()()してくれるのか?」

 間髪入れずに返ってきた念波は、ダダが「司令官」と呼ぶ仲間のものだった。しかしふたりの間に上下関係らしき(へだ)たりはなく、司令官は久々の友の声にとても喜んでいる様子だった。

「うん。長らく回答を保留にしてしまって、ごめんね」

「いいさいいさ。“可愛い可愛い地球人”を大量殺処分するなんて、躊躇う気持ちもよく分かる。君は元々地球人に目がなかったし、第一次戦争の孤児の養育官としても超優秀だったな。育てたあの子は元気にしてる?」

「……そのことで、今こうして司令官に連絡を取っているんだよ」

「そうか。分かった。他の同胞は全員承諾済みだ。残すところ君ひとりの承諾があれば、この作戦は実行可能なところまで準備万端だ。……じゃあ、いいんだな? 『終末保険未加入の地球人すべてを絶滅させる』に同意するんだな?」

「………うん」

「本当にいいんだな? 可愛い反政府軍の彼らも、可愛い非戦闘員の子らも、生まれたばかりの可愛い可愛い地球人も、すべて死んでしまうぞ?」

「……いいんだ。どこかで区切らないと、なんの罪もない地球人が大勢死んでしまうから。…ただ、あんなに可愛い生物を間引きのために殺処分しなきゃいけないなんて、つらい」

「仕方がないさ。地球人は同種同士で殺し合いをする習性がある。疫病には弱いし、自然資源の使い方も下手くそだ。我々のような上位者が世話してやらなければすぐに絶滅していたよ。あんなにか弱くて可愛い存在なんだから」

 可愛い存在。それを聞いたダダは、ふいにA氏の家の中で見た猫の剥製を思い出した。

「司令。地球人はね、我々と同じような感覚で猫を愛玩するんだよ。どんなイタズラをしても粗相をしても、懐かなくても、何を考えているのか分からなくても……可愛くて世話したくてたまらないんだって。その感覚だけは我々とよく似ているよね」

「猫ぉ? あの毛むくじゃらで気味の悪い生命体を? 正気を疑ってしまう。“可愛い”の感覚は、彼らと我々はだいぶ違っているようだな」

 あはは、とエイリアン特有の呑気さで笑う司令官。
 しかし対するダダは、この後に切り出す交渉をなんとしても成立させたい。その一心で、慎重に言葉を紡ぎ出す。

「………あのね司令。一匹だけ、追加で加入させたい地球人がいるんだ」

 ダダは一瞬言い淀む。

「リンを。私の“ペット”を、終末保険に加入させたい」

 すると、これまで明るく応答していた司令官が、急に重い口調に変わった。

「同胞よ。記録によるとそのペットは、保険加入を希望していなかった。“飼い主”の都合で、ペット自身の意志を否定してはならない。そうだろう?」

「……ああ、うん、そうだね。……でもね司令、リンをこんなところまで連れてきてしまったのも、そのために今死にかけているのも、全部飼い主の私の責任なんだ。このまま死なせたら、あまりにリンが不憫だ」

「我々は個人の意志の尊重を美徳とする。そのペットの選択を尊重してあげなさい。今の君の発言は、あまりに利己的(エゴ)だ」

「……………」

 ダダは反論を失った。

 司令の口にした「エゴ」とは、個人の意志を重んじるエイリアン達にとって、最も恥ずべき、侮辱にも近い忌むべき行為であった。

「………………」

 ひたすらに利他的行動(アルトルイズム)を志すエイリアン達。同胞全員が共通して掲げる信念が「個人の意志の尊重」。それは、知能も文明も遥かに劣る地球人に対してであっても、守らなければならない大切なものとされた。

 一部の地球人の利己的な戦争で、大多数の地球人の命が脅かされてはならない。
 生物である以上、絶滅の危機に瀕した地球人は保護されるべきだ。適切な生活保障と教育を受け、尊重され、種として繁栄するべきだ。
 ……ダダがリンの養育官となった時、心に決めていたはずの信条である。
 
「………………………」

 地球に襲来したあの日から、上位者(かいぬし)には、上位者(かいぬし)としての責任が伴う。つねに地球人(ペット)の幸せを願い、間違っても利己的行動(エゴイズム)に走ってはいけないのだ。

「………だから何だよ」

 だが、その信条すらも、自分が上位者であるなどと自惚れる、エゴと呼べるのではないか?
 
「なら私は最初からエゴの塊だ」

 一度芽生えてしまったら。そしてそれが溢れ出してしまおうものなら、その抑え方をダダは知らない。
 短い葛藤の末に、ダダはとうとう吐き出した。

「リンを育てていくうちに、私は狂っていったんだ。どろどろに甘やかして育てた。それでも満足できなくて何度も愛を囁いたし……本心じゃ繁殖なんてさせずにずっと私の手元で、死ぬまで飼い殺したいって願ってるよ」

 ——こんな願いは悪なのに。リンのためにならないのに。可愛くて可愛くて止められない。

 ——繁殖のためにどこかの知らない(オス)にリンを渡すなんて……そんなこと許さない。指一本触れさせてたまるか。

「……司令、尊重が美徳っていうんなら、“リンを手放したくない”私の意志も尊重しろよ」

 ダダは荒々しい本心を曝け出した。

 長年押さえ込んでいた末にぶちまけられた利己は、念波に乗って、司令をはじめとする全同胞へと無遠慮に注ぎ込まれた。
 その思いの(いびつ)さは到底、ただの飼い主がただのペットに抱くような心穏やかなものではなく、指導者であるはずの司令官ですら、

「………え、怖い」

 思わず引いてしまうほどだった。

「後でどんな罰則も受ける。あの子に憎まれたっていい。リンの加入を認めない限り、私は終末には承諾しないからな」

 なんとも身勝手な開き直りである。
 これまで地球人救済のために努力を続けてきたエイリアンへの反逆ともとれる発言だ。

 ダダは覚悟していた。
 これで自分が始末されるような結末になったとしても、構わない。それでリンが生き延びるなら。
 今まさに地面に伏して体温を失っていくリンを目の前にしてしまったら、「彼女の意志を尊重しろ」などそれこそ馬鹿馬鹿しいエゴに思えてしまったのだから。


「——まあ待て同胞。君の主張も一理ある」

 司令は長考の後に、なんとも軽い口調でそう言った。

「うん、いいだろう同胞。地球人一匹の例外を認めるだけで、その他大勢を救うための作戦がスムーズに進むなら、喜んで認めようじゃないか」

 そして呆気なく、ダダの要求を受け入れた。

「…………ん? え、あっ、司令、いいの?」

「尊重こそ美徳だが、物事には優先順位がある。我々は地球人の未来のために合理的判断を下すまでだ。今の意見だって、君の中の優先順位を尊重した結果なんだろう?」

 甘やかしすぎではないか。とっさにそう感じたが、事を重く考えすぎていたのは自分ひとりなのかもしれない。何事も言葉にしなくては伝わらないままだ。

 ダダがもし、長年抱えてきた葛藤を正直にリンに伝えていたら、リンは今と違った選択をしていたのだろうか。

「あ、ありがとう……。あの、さっきはごめんね私、強く当たってしまったね」

「びっくりしたが構わないさ、同胞よ。……ああそうそう、冷凍睡眠カプセルがその辺に転がってるはずだ。破損はないから、後でペットを入れなさい」

 それから司令は「さーてさて」と独り言を言いながら、長い間保留になっていたあの作戦を、念願叶って実行に移す。

「あー、あー。こちら司令。こちら司令。ただいまより終末を開始します。関係各位、宇宙母艦搭載・球面同時狙撃ユニットを起動してください。目標は、“終末保険未加入の全地球人”」

 その念波通信をもって、とうとう終末は開始された。

 雲の遥か上。大気圏を越えた遥か宇宙に浮遊するエイリアンの母艦から、赤い光線が地球目掛けて放たれる。一本、百本、千本……数え切れないほど。母艦から伸びた無数の光線は、遠目から見ると巨大な網のように、地球全体を包み込んだ。


 ***


(………ダダ)

 寒ささえ感じない冷気の中。リンは意識だけを取り戻した。
 体は動かないし痛みもない。ぼんやりと意識が浮いている。まるで魂だけが肉体から抜き出ているような感覚だ。

「おはよう、ねぼすけさん」

 ダダはカプセルを運びながら、中のリンに呼びかけた。

「ここはカプセルの中だよ。怪我したリンちゃんをこれから本部に連れてく。適切な治療を受けて、元のように治さなくちゃ」

(……終末は?)

「あれが見える? リンちゃん」

 ダダが空を示す。
 カプセルの分厚いカバー越しでも、リンにははっきりと外の景色が見えた。真っ赤な光に染まった空。夕焼けのような、燃えるような熱の色。

(………綺麗)

 リンはぼんやりとした頭で、素直な感想をこぼした。
 これでもう、自分のような戦争による犠牲者が出なくて済む。その安堵感からだった。

「リン」

(はい)

「君は私のペットだ。どこへも逃がさない。死ぬまで私に飼われるんだよ」

(………)

 ダダがそんな自分勝手なことを口にしたのは、リンの記憶している限り一度もない。だから少し驚いた。
 だが同時に、

(死んでも、そばにいさせてね)

 そんなダダと自分のエゴを、心から尊重したいと思った。

 大きな生き物と小さなペットは、荒れた大地を北上する。
 その頭上ではいつしか、赤く染まっていたはずの空が、目の覚めるような真っ白な光に包まれていた。


〈了〉

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