その晩ふたりは、ニオイの最も届かない1階隅の客間を借りて泊まることにした。
幸い、スプリングの生きているベッドと簡易的な調理場が設置されており、一晩を越すには全く問題ない。食料も、備蓄倉庫内の物を好きに食べて良いと許可を得たため、久々に料理の腕を振るうことにした。担当したのはダダだった。
匂いがつかないようジャケットを脱ぎ、長い髪もひとつにまとめる。
缶詰の魚と野菜を焼いたものと、缶詰のパンを温めたもの。それからパウチの汁物に具材と味付けを加えたものを二食分、慣れた手つきで作って、リンを呼んだ。
「リン、リンちゃんや、おいで。ご飯だよ」
一方のリンは、ベッドにうつ伏せに沈み込んで、早くも寝落ちしそうになっていた。そんな姿にダダは呆れた溜め息を吐くが、「可愛くて仕方がない」と目が訴えている。
「長旅お疲れ様。ベッドで食べようか」
「……あ、すみません。ついうとうとして……ありがとうございます」
「ここ最近は怒涛の忙しさだったからね。でも真面目に仕事に取り組むリンは偉いよ。いつもありがとう」
リンは料理の皿を受け取り、ゆっくり口に含む。
久々の温かい食事に、無意識に瞳が輝いた。
「美味しい。ダダ、ほんと料理上手ですね」
「温度管理に気をつけていれば大抵の料理は美味しくなるんだ。……こうしてると昔を思い出すな」
ダダはまだ食事を摂らず、ただリンの食べる姿を見つめていた。
「覚えてる? リンがうちの子になった日。あの時も、私が作ったものを噛み締めるように食べてた。可愛かったな」
「20年も前の話じゃないですか。よくそんなこと覚えてますね」
「覚えてるさ。今も昔も変わらない、可愛い可愛い私のリンだよ」
「……私はもう25歳です。とっくに、立派な成人ですよ」
リンの顔が曇り、スプーンを持つ手が止まった。
重い沈黙が流れる。
しかし重いと感じているのはリンだけのようで、ダダは思い出したように自分のぶんの皿に手をつけ始めた。
「ねえ、リン」
「……なんですか」
「なんで終末保険に入らないの? 保険機構所属なら保険料は免除されるのに。地球人なら誰もが入りたがるんだよ?」
ダダの声は責める様子も、呆れる様子もなかった。
ただ知りたいから訊ねた。それだけだというような、悪く言えば無関心な声。
「私には必要ないからです。終末後の世界にも興味ありません。終末と一緒に私も死ぬ。それを望んでいます」
「……でもさ、死んだら美味しいご飯をお腹いっぱい食べることも、コイビトを作ったりもできない。むしろそういう地球人らしいことは、生きてるうちにしておいたほうがいいと私は思う」
他人事のように言われた「コイビト」という単語に、リンは湧き上がるような怒りを覚えた。
はっきりとダダの目を睨み、訴える。
「恋人を作れって? 貴女とこの仕事をしてるのに?」
「忙しいのがつらいなら辞めてもいいんだよ、仕事なんて。どのみち終末後の世界にこの機関は必要なくなるんだから」
ダダは落ち着いて食事を進めている。
対するリンは、どんどん感情を逆撫でされる気分になった。
「宇宙生命保険機構がなくなったら、ダダはどうするつもりなんです?」
「それは前にも話したでしょ」
「今でも考えは変わっていないんですか? 答えてください」
「………さあ? 私は司令官の方針に従うだけだよ。元々特にしたいこともなかったし。どこでもいいさ」
ダダの口調はどこか投げやりなものだった。
そもそも自分を育てたのも、指導者に指示されたから。自分の意志ではなく。
「じゃあ……」
リンの声が微かに震える。
ダダは皿に落としていた視線を上げる。
リンはこちらを睨んでいた。しかしその瞳は、怯えるように潤んで揺れていた。
「じゃあ、無責任に辞めろとか言わないでくださいよ。そうじゃなくて、もっと私を……」
「……だ、だって、リンは終末保険入りたくないんでしょう? 個人の意志を尊重したいから、加入を無理強いしたくない。ならせめて、残り僅かな命の時間を大切にしてほしい。そのために私にできることがあれば協力するから言ってよ」
ダダは少し焦り気味に、精一杯の最適解を探す。
泣かせたいわけじゃないのに。何が地雷だったのか分からない。そんな焦りなどお構いなしに、リンはブランケットに包まって背中を向けてしまった。
「もう知りません。さっさと寝てもらえますか」
「リンちゃん、なんで怒るのさ……」
「怒ってません」
A氏から借りることのできた唯一のブランケットを取られてしまい、ダダは渋々何も纏わずに横になった。
背中を向けるリン。その背中を、困った笑みで見つめるダダ。
「君は昔から本当に気難しいね。そこも可愛くて、私は大好きなんだよ」
「……」
「ねえ、終末後の世界は今よりずっと良くなるよ。戦争も差別も飢餓もない。エイリアンが生き残った地球人を管理して、人口が回復するように繁殖の手伝いをする。大切に大切に育てるから。私がリンちゃんを育てたようにさ」
「……」
「ねえ、本当に保険入る気ない? 死んじゃうんだよ。いいの…?」
「……」
消え入るような問いのあと、長い沈黙が続いた。
本当に寝てしまったのか。規則的に上下するリンの腹部を確認すると、ダダも諦めて目を瞑った。
やがて背後から微かな寝息が聞こえてくる。
初めから眠れるはずもないリンは、ブランケットの中で小さく小さく、泣いた。
幸い、スプリングの生きているベッドと簡易的な調理場が設置されており、一晩を越すには全く問題ない。食料も、備蓄倉庫内の物を好きに食べて良いと許可を得たため、久々に料理の腕を振るうことにした。担当したのはダダだった。
匂いがつかないようジャケットを脱ぎ、長い髪もひとつにまとめる。
缶詰の魚と野菜を焼いたものと、缶詰のパンを温めたもの。それからパウチの汁物に具材と味付けを加えたものを二食分、慣れた手つきで作って、リンを呼んだ。
「リン、リンちゃんや、おいで。ご飯だよ」
一方のリンは、ベッドにうつ伏せに沈み込んで、早くも寝落ちしそうになっていた。そんな姿にダダは呆れた溜め息を吐くが、「可愛くて仕方がない」と目が訴えている。
「長旅お疲れ様。ベッドで食べようか」
「……あ、すみません。ついうとうとして……ありがとうございます」
「ここ最近は怒涛の忙しさだったからね。でも真面目に仕事に取り組むリンは偉いよ。いつもありがとう」
リンは料理の皿を受け取り、ゆっくり口に含む。
久々の温かい食事に、無意識に瞳が輝いた。
「美味しい。ダダ、ほんと料理上手ですね」
「温度管理に気をつけていれば大抵の料理は美味しくなるんだ。……こうしてると昔を思い出すな」
ダダはまだ食事を摂らず、ただリンの食べる姿を見つめていた。
「覚えてる? リンがうちの子になった日。あの時も、私が作ったものを噛み締めるように食べてた。可愛かったな」
「20年も前の話じゃないですか。よくそんなこと覚えてますね」
「覚えてるさ。今も昔も変わらない、可愛い可愛い私のリンだよ」
「……私はもう25歳です。とっくに、立派な成人ですよ」
リンの顔が曇り、スプーンを持つ手が止まった。
重い沈黙が流れる。
しかし重いと感じているのはリンだけのようで、ダダは思い出したように自分のぶんの皿に手をつけ始めた。
「ねえ、リン」
「……なんですか」
「なんで終末保険に入らないの? 保険機構所属なら保険料は免除されるのに。地球人なら誰もが入りたがるんだよ?」
ダダの声は責める様子も、呆れる様子もなかった。
ただ知りたいから訊ねた。それだけだというような、悪く言えば無関心な声。
「私には必要ないからです。終末後の世界にも興味ありません。終末と一緒に私も死ぬ。それを望んでいます」
「……でもさ、死んだら美味しいご飯をお腹いっぱい食べることも、コイビトを作ったりもできない。むしろそういう地球人らしいことは、生きてるうちにしておいたほうがいいと私は思う」
他人事のように言われた「コイビト」という単語に、リンは湧き上がるような怒りを覚えた。
はっきりとダダの目を睨み、訴える。
「恋人を作れって? 貴女とこの仕事をしてるのに?」
「忙しいのがつらいなら辞めてもいいんだよ、仕事なんて。どのみち終末後の世界にこの機関は必要なくなるんだから」
ダダは落ち着いて食事を進めている。
対するリンは、どんどん感情を逆撫でされる気分になった。
「宇宙生命保険機構がなくなったら、ダダはどうするつもりなんです?」
「それは前にも話したでしょ」
「今でも考えは変わっていないんですか? 答えてください」
「………さあ? 私は司令官の方針に従うだけだよ。元々特にしたいこともなかったし。どこでもいいさ」
ダダの口調はどこか投げやりなものだった。
そもそも自分を育てたのも、指導者に指示されたから。自分の意志ではなく。
「じゃあ……」
リンの声が微かに震える。
ダダは皿に落としていた視線を上げる。
リンはこちらを睨んでいた。しかしその瞳は、怯えるように潤んで揺れていた。
「じゃあ、無責任に辞めろとか言わないでくださいよ。そうじゃなくて、もっと私を……」
「……だ、だって、リンは終末保険入りたくないんでしょう? 個人の意志を尊重したいから、加入を無理強いしたくない。ならせめて、残り僅かな命の時間を大切にしてほしい。そのために私にできることがあれば協力するから言ってよ」
ダダは少し焦り気味に、精一杯の最適解を探す。
泣かせたいわけじゃないのに。何が地雷だったのか分からない。そんな焦りなどお構いなしに、リンはブランケットに包まって背中を向けてしまった。
「もう知りません。さっさと寝てもらえますか」
「リンちゃん、なんで怒るのさ……」
「怒ってません」
A氏から借りることのできた唯一のブランケットを取られてしまい、ダダは渋々何も纏わずに横になった。
背中を向けるリン。その背中を、困った笑みで見つめるダダ。
「君は昔から本当に気難しいね。そこも可愛くて、私は大好きなんだよ」
「……」
「ねえ、終末後の世界は今よりずっと良くなるよ。戦争も差別も飢餓もない。エイリアンが生き残った地球人を管理して、人口が回復するように繁殖の手伝いをする。大切に大切に育てるから。私がリンちゃんを育てたようにさ」
「……」
「ねえ、本当に保険入る気ない? 死んじゃうんだよ。いいの…?」
「……」
消え入るような問いのあと、長い沈黙が続いた。
本当に寝てしまったのか。規則的に上下するリンの腹部を確認すると、ダダも諦めて目を瞑った。
やがて背後から微かな寝息が聞こえてくる。
初めから眠れるはずもないリンは、ブランケットの中で小さく小さく、泣いた。



