瀧川政一郎『Y県海運史』(H大学出版会、1970)
三 相次ぐ海難事故
K島近海は非常に海流が激しく、昔から海難事故が多発している。明治十六年(1883)九月九日には、午前十一時ごろに島瀬港を出港した商船が、夜になっても目的地であるK島に到着せず消息を絶つ事態が発生。商船を管理するM商會が翌日から探索船を出したところ、数日を経て海上を漂う水死体を複数発見することとなった。
回収された水死体は海洋生物に食べられたことによって大部分が損壊し、見るに堪えない状態になっていた。遺体の随所にはバラのような湿疹が発生。これは毒虫の一種に刺されたことによる症状と推測される。回収された水死体のなかには、船瀬町町会議長の木嶋惣次郎(32)、妻キエ(24)が含まれており、当時のY県では大きな話題を呼んだ。
三 相次ぐ海難事故
K島近海は非常に海流が激しく、昔から海難事故が多発している。明治十六年(1883)九月九日には、午前十一時ごろに島瀬港を出港した商船が、夜になっても目的地であるK島に到着せず消息を絶つ事態が発生。商船を管理するM商會が翌日から探索船を出したところ、数日を経て海上を漂う水死体を複数発見することとなった。
回収された水死体は海洋生物に食べられたことによって大部分が損壊し、見るに堪えない状態になっていた。遺体の随所にはバラのような湿疹が発生。これは毒虫の一種に刺されたことによる症状と推測される。回収された水死体のなかには、船瀬町町会議長の木嶋惣次郎(32)、妻キエ(24)が含まれており、当時のY県では大きな話題を呼んだ。